大政・小政の気ままな日誌

キャンピングカー(小政号)の出番が減って覚書のブログになっています。ボケ防止の為に毎日継続することを目標にしています。

失業と定年

2013年03月22日 | 人生観
朝は天気が良かったが、昼からは雨

昨夜の酒が残る朝、今日は孫の見舞いと孫姫を迎えに行く予定

カミさんは朝から病院で看病する娘の弁当を作っているので、家事の分担で洗濯物を干した。

今までは家事の手伝いなど滅多にしたことがない、というよりカミさんから頼まれる事もなかった。

しかし最近は言いつけられる事が多いような・・・・・・・・

失業まじかだから、これからは無職なので家事分担の考え方も変えて行かなければならないのだろう。

ない事も是、勉強だと思ってこれからは自主的にやろう。これも新しい人生探し・・・・

失業は初めての経験・・・「失業」とはなんだろうと調べ見た。

・職を失うこと

・労働の能力と意欲があるにも拘らず、労働の機会を得ることのできない状態のこと

・失職ともいう

失業を類型化すると

・自発的失業…現行の労働条件に満足せず失業した、好条件を求めて失業した状態

・摩擦的失業…産業構造の転換など外部要因により、一時的に失業している状態

・非自発的失業…働く意思がるにも関わらず、不景気のため失業している状態

やはり定年は失業と捉えるのではなく「人生への再チャレンジ」だから卒業なのです。


孫姫達はアレルギーがあるそうで、外出禁止だそう!花見でもと思っていたのに残念でした。

普段はひっそりと影を潜めている山桜、山々の所々でピンク色染まり、この時期だけ「ここにいるぞ」と言っています」。

満開になりつつある桜が可愛そうなくらいの、鬱陶しい雨の中を歩いて「慰労会」へ出掛けます。

今日も完全に午前様・・・いや朝帰り・・・久々の徹麻でした。

あれから2年

2013年03月11日 | 人生観
晴れてはいるが、少しだけ寒い一日

今日は小政号を車検にもって行った。

キャンピングカーの初回車検は2年なで、この車で遊び出して早2年も経った。

2年と言えば、今日で東北大震災から2年、2年前の今日は中国(広州)の出向が終わり広州白雲に空港で見送りをして貰って、上海(2泊)経由で日本に帰る予定だった。

ホテルへは午後3時にチェックインして夕方の夕食には早いので、何気なくテレビのスイッチを入れると、地震が発生したと臨時ニュースをしていた。

いつもの地震報道だろうと見ていると、津波が濁流のように襲ってくる光景にテレビ放送に釘ずけ・・・・

あれから2年も経ったが、今だに地震の爪跡は癒えてないようだ。

人生でこのような光景を見たのは始めてであった。科学技術が進んだ現代だが自然には勝てないし、人生観が少しだけ変わった。

「私が無一文になったとき、失ったものは財産だけではないか、そのぶんだけ経験が血や肉になって身についたと考えた。すると、新たな勇気がわいてきた。人生、いつもうまくいくとは限らない。もし、ああ、無駄な歳月を過ごしてしまった。取り返しのつかないことをしたと思ったら、本当に取り返しのつかないことをしてしまったことになる」 安藤百福

「一生、雑魚であれ。死ぬまで学ぶ心を忘れない。一生、旅人であれ。死ぬまで出会いの喜びを忘れない 」・・・私は格ありたいと思うのです。

・・・・で話は変わって、車検は2日かかるとの事で、天気も良いので寄り道をしながら歩いて帰る。

戸畑の中央公園から金比羅山に登ると、月曜日だと言うのに「老若男女」ではなく「老老人男女」が沢山散歩しています。

北九州市総合体育館です。



幼稚園の早咲き桜が満開です。









中学校前の墓場を通って、皿倉山が綺麗に望める天気です。



五条橋からも皿倉山が綺麗です。



菜の花も、春の陽気!



2時間近く歩いて、昼から少し疲れて珍しく昼寝した。






退職の準備

2013年03月07日 | 人生観
今日も天気よいが風が吹いている。

今日も休み、これから休みだらけグウタラ過ごすと、つまらない人生になる。

でも今日の約束は夜の送別会参加のみ・・・・暖かさが幸いして行動的な気持ちなる。

朝は今までと変わらず早起きをしよう・・・・なるだけ!

朝食を取って30分後には、ラジオ体操をしよう。何をするにも先ずは、気分転換をして次の行動につなげて行けば、怪我や病気の防止になるだろう。

ラジオ体操はipadで80円で買ったやつ、会社では始業時に必ずやっていたので、良い習慣は仕事を辞めても継続して行こうと思う。

特にこれからは、慣れない畑仕事や大工仕事など体を動かす事が多くなるので準備体操は有効だろうと思う。

今までも、旅行などに出掛けた時にもラジオ体操を励行している。腰に不安を持つているのでぎっくり腰でもなったら最悪である。無理をしない適度な運動を励行しよう!

前置きが長くなったが、今日も体操をして庭の畑を手入れしていたら、先週借りて耕した畑が気になりジャガイモの植えつけに行った。雨上がりに耕したせいか土が塊が大きく畝作りが大変で植えずらい、元々粘土質のようです。土質の改良が必要だが・・・・今後のテーマが出来た(勉強してみよう)

狭い土地なので多少問題があっても直ぐに終わってしまう。家に帰って木工遊び・・・・!

昼からはカミさんが友達と昼飯を食べに出掛けた。これからも留守番をする事が増えるのだろうな~

カミさんは一向に帰ってこないようなので、少し早目に送別会に出掛ける。勿論時間があるので8㎞位の道のりを歩いた。

運動して飲む酒は美味い!気分が良くなって、元来酒が弱いのでつい飲みすぎた。

家に帰れば、もうすぐ明日になる時間、ブログは明日早く書く事にした。眠たい!

三木清

2013年02月13日 | 人生観
曇り、北風が冷たく寒い一日


2/13(水曜日)仏滅 中潮 旧暦1/4 

新規取引、養子縁組、建築、遠出に吉

今日も日めくりカレンダーの言葉

「希望に生きる者は常に若い!」三木清 大正・昭和の哲学者

なるほどである・・・・・で三木さんを調べてみた。

1945年、治安維持法違反の被疑者高倉テルを仮釈放中にかくまったことを理由にして検事拘留処分を受け

東京拘置所に送られ、その後に豊多摩刑務所に移された。

この刑務所は衛生状態が劣悪であったために、三木はそこで疥癬をやみ、また腎臓病の悪化とともに

体調を崩し、終戦後の9月26日に独房の寝台から転がり落ちて死亡していることが発見された。

48歳没。終戦から一ヶ月余が経過していた。

終戦が過ぎても「思想犯」の釈放はされてなかったのですね。

終戦からすでに一ヶ月余をへていながら、政治犯が獄中で過酷な抑圧を受け続けている。

この実態は占領軍当局も知らなかったようで、旧体制の破綻について、当時の日本の支配者層がいかに自覚が希薄であったのかについての実例である。

この件を契機として治安維持法の撤廃が急遽決められた。

三木清、哲学者にしては解り易い名言が多い

「人生問題の解決の鍵は、新しい基準を発見するためにある」

大政の思い!

「希望を持つ事は若者の代名詞ではない、老いても死ぬまで希望を持って生き抜く人生でありたい」



適応性と順応性を生かす

2013年02月04日 | 人生観
朝から雨、一日曇り時々小雨

昨夜寝る前から雨がふりだし、朝方まで雨が降っていた。朝起きると気温が高い、いつもストーブを入れるが必要がなかった。

中国広東省広州市はここ数日うだるような暑さとなり、半袖姿や日傘を差す市民が多く見られたそうだ。

ネットを見ると、広州五山観測所では1日、最高気温26.7度を記録し、一夜にして夏日に、翌2日には最高気温が29.3度に到達した。広州市気象台の観測員は「2月2日の気温として1951年以来62年ぶりに最高を記録した。」とあった。

今週は殆んど人が故郷に帰っているので市内は人は少ないだろうが・・・・飛行機で2~3時間圏内で季節は大きく違う。

人は昔より広範囲に移動出来る、気温差にも無理をしなければ、直ぐに順応して行く・・・国や人のつき合いもこうでありたい。

おなじみ「宮沢賢治」・・・・

雨にも負けず 、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち、慾はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ、あらゆることを、自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり、そして忘れず、野原の松の林の陰の、小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば、行って看病してやり

西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず、苦にもされず、そういうものにわたしはなりたい


一つ・一つ噛みしめて何度も・何度も読み返す、深みのある名言である。