食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『南相馬市へ』

2014年04月27日 18時11分59秒 | 旅行

本来のざっくりとした予定では夜になってから遅れ気味ながら鶴ヶ城の夜桜を見に行こうかと思っていた。生憎の

雨は小休止の様子もなしの為、ホテル内のレストランで食事を摂り翌日に備えることにした。

レストランから遠くにライトアップされた鶴ヶ城を見ながら冷えた体に熱燗を注ぎ込む。明日天気になーれ。

天に祈りが通じたのか翌日には雨は上がり天気予報もしり上がりの回復を確約している。朝食を摂りながら桜見物

はライトアップされる前と後が見られ時間にして、それまでは津波被害、原発風評被害に遭っている南相馬市に行

ってエールを送ることにした。

会津若松からだと磐越自動車道に乗り郡山で東北自動車道に乗り換え、福島松川インターで下り地道を南相馬市ま

で行くルートがいいと聞いた。福島松川はスマートインターと呼ばれるものでETC車だけが自動車道の出入りが

出来るもので私たちは初めて利用した。インターとは名ばかりで工事中の現場に迷い込んだような所だった。

地道をのんびりと走るが桜前線は確実に私たちの住む処とは違っており、まだ花見に耐えられる花がついている。

幸いに混雑もなく飯館村に入って来た。道路沿いには『除染中』の旗が立てられており、測定器を手にしている人

も見られた。重機を使い地面を10cmくらい剥ぎ取って例の黒い袋に詰め込んでいるようだ。広い畑のような所で

は除染された土地とそうでない土地は色が違ってモザイク模様になっている。

畑か谷間か分からない所には『仮置き場』という名前を貰っているが恐らく半永久的に置いたままになるかもしれ

ない黒い袋が山のように積まれている。黒い袋はこれからも量産され続け、ここが一杯になったら次の場所に置か

れ続けることになる。そうした中を走っていくと村立なのか小学校や高校の校舎が見えるが生徒たちがいるのか、

いないのか遠目には分からない。

相馬市へは昨年出かけ献花をしてきたから、今回は南相馬市の道の駅に出かけ少しだが福島県産のものを買って帰

ろうと出かけたものだ。全く知らない道中は長く感じるものだが南相馬市への道のりは、それを全く感じさせなか

った。というのは、相馬市へは霊山という大きな山を越して行ったから、そのイメージが強く残っていて大変な道

中を覚悟していたからだ。東日本大震災と南相馬市と言えば津波被害に直結するが、海岸から離れた市内はそうし

た印象とは別世界。道の駅周辺も表面上は震災以前と何一つ変わっていないような表情をしていると思う。

お得意の迷子にもならず南相馬市の道の駅で昼食を摂り土産物屋や福島県産の米を購入する。道の駅には賑わいと

はいかないがお客さんもあり、お土産コーナーを物色する姿を見ることができた。私たちが少々の物を購入しても

屁のツッパリにもならない。気は心、私たちは福島の惨劇を忘れないし見捨てたりはしないことの証なのだ。


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