◆今度の「たび」を例えるに、「意図して落ちる」旅とか、至極シンプルに言えば「スイッチを探す」旅、とでも言えようか。とどのつまり、「戻す」「切り返す」ためには、何も図らず時間に任せる方法と、少し?図って、工夫して刺激を入れる方法しかないのだということが見えてきた。至極当たり前の話なのだが、自分にとってはかなり視界が良好だ。◆刺激を入れる方法が合っているかどうかは果たしてわからない。けれど、やってみなければわからないので、なんともいえないのだ。現状評価するに、軽すぎず重すぎずといった感じに思う。800mile近く離れた場所にあえて移動し、遠すぎず近すぎず場所にて、偶発的な出来事に、時の流れに身を委ねる。自然に任せようとしても、そう簡単になれるものでもないのだが、任せるように努力する。すると徐々にだが、ほぐれてくる感じとでもいえようか。鍼に似ている^^。◆以前このBLOGで、「積み減らし」に関して書いたことがあるが、「積み減らし」を是として、意識して実践しているつもりでも、そんな人間であっても、油断すると予期せぬ「積み重ね」状態に陥り、雁字搦めになるものだ。そうゆうものだということも、今回わかったことの大きなひとつだ。◆自分はかなり、いろんな事を、日ごろからばっさばっさと捨てようとしている。かつ「できている」と思っていた。実際に捨てているのだが、結構「意識できていること」は「捨てる」ことができている。けれど「無意識なうちに・・・」という状態に関しては、こりゃー落とし穴だった。◆だから、既に今回の「たび」から実践しているのだが、気が付いたものは「捨て」、そして心地よいトレンドに向けて「追い込む」ことにした。落ち込んで、落ち込んで、落ち込んで、落ち込んで、トコトン下落したら、その反動でやってくる浮上のタイミングを掴もうと思う。あくまで自然の法則・タイミングに沿いながら。また、そうすることで、副産物なのだが、自分のひねくれたクセも、もうひとつ見つかった。ストレートに延伸するタイプではない。「毒」が強力なエネルギーになる。「毒」を喰らって生きて来たのだから、免疫のできた「毒」を排除したりしてはいけない。振り返れば、そんな人生であったことを思い出させてくれる。所詮自分の器には、その器に適したものしか入らない。どの程度の器か、大きさも材質も、ある程度はわかるので、背伸びはしても、キレイ事だけではないことを意識すべきなのだろう。◆「負のエネルギー」の「正化」。「乳酸」を「エネルギー」に変えるがごとく。思えば、ちょっと「○○派」的過ぎた~かも?。本来のごわごわとした、自分らしさを取り戻そう。あくまでも「傍流」「亜流」。「勝てば官軍・・・」のことわざではないが、それが何かの理由で「宗家」となったら、また方向転換せねばならないのだろう。「タバコ」という「毒」は喰らわぬが、「挫折」「敗北」「劣等感」「怒り」といった「毒」は好んで喰らう。◆人にはそれぞれ、化学反応の仕方・させ方があろう。自分もそのMY「HOW TO 化学反応」を大事に維持できれば本望だ。それをカノ「白洲次郎」氏的にいえば、「プリンシプル」ということなのかもしれぬ。「原理原則」を忘れない。自分の「着火点」と「発火点」を今一度確認しよう。何が起ころうが、自分は自分である。◆石垣の空気と時間、そして気まぐれでかつ激しいコントラストな天候が、なんとなくだが、手助けしてくれた。 久しぶりに東京に戻るろう。明日。
最新の画像[もっと見る]