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引越しいたします。

新疆生産建設兵団、夏の炎?

2005-08-07 01:10:01 | ニュース
チナヲチさんの情報、8月に入ってからなのであるが東トルキスタン情報センター中国語版経由で、中国の新疆支配の主体であるといわれる、新疆建設兵団内における情勢不安、暴動?の情報が広まっているという。
新疆生産建設兵団がいかなるものか、Wikipediaが詳しく説明してありますのでよろしく。

ここでは英語版での説明を抜粋訳する。
「新疆生産建設兵団は短く兵団とも略され、新疆ウイグル自治区に存在する独特な経済的及び準軍事的な政府組織である。兵団は新疆中の農地や開拓地と同様にいくつかの中規模の都市で於いて、事実上の行政当局である。
兵団は自身の行政機構をもち、管轄内の厚生、教育といった政府機能を満たしている。新疆政府はたいていはこれらの地域の行政を干渉することはない。明言されている新疆生産建設兵団の目標は辺境地域の開発、経済開発の促進、社会の安定と調和の保証、及び東トルキスタン独立運動への対抗である。50年のその歴史の中で兵団は農場、町、都市を建設し、何百万もの移住者(多くは漢人)を新疆に定住させた。
このように新疆生産建設兵団は、中国に於いて別名トラブルの多い地域での平和と安定の土台として賛美され、東トルキスタン独立支持派の中では植民地化、中国化の手段として描かれている。兵団は中国新疆集団として知られていて、経済活動にも参加している。」
歴史
「中国の屯田システムの流れを汲む兵団はゆえに辺境地域にあって食料自給自足であった。黒龍江省、内蒙古自治区、新疆を含む人口希薄なフロンティア地域に設置された。(注:朝日新聞でコラムを書き、流沙の塔の解説もした、ジャーナリストの莫邦富は黒龍江省の兵団にいたようだ。)新しく建国した中華人民共和国は長年経済生産から遠ざかっていた非共産軍の兵士をどう扱うかという問題を抱えていた。中国政府はそれで新疆生産建設兵団を共産党第一野戦軍、国民党軍、イリ国軍(東トルキスタン共和国軍)(!)により構成した。新疆生産建設兵団は1954年に設立され175000人の要員であった。
新疆兵団は当初、人口が希薄な砂漠周辺地帯の定住、農耕及び開発に集中した。
兵員は男女構成比のバランスが取られ比較的高学歴である、中国の他の地域からの若者によって構成されていた。1962年にイーニン(クルジャ)で暴動がおこり、何千人もの難民がソ連に向かったときの危機は中国政府に多くの人員や資源を新疆建設兵団に転換せしめた。1966年までに新疆建設兵団の兵員数は148万人になった。
新疆生産建設兵団は多くの政府機関や党組織のように、文化大革命の混乱のときに損害を受けた。1975年に完全に廃止され、その権力は新疆の政府や地方当局に移されたのである。
1980年代に新疆は再び、民族的、宗教的闘争、ウイグル独立運動及びソビエトの包囲のプレッシャーを感じるようになった。1981年新疆生産建設兵団は再構築され、その明確な目的はフロンティア地域の農耕や経済開発と同様に東トルキスタン独立運動、イスラム原理主義、ソビエトの包囲に対決することとなった。」

日本語版での説明や2年前に発表された中国政府による「新疆白書」での説明とは食い違っている部分もある。

その兵団員の不満の原因はどういうところにあるのか、それが難しいのですが、「原籍」問題とあります。すなわち文革時代に下放された人々と違い、1954年に結成された「兵団」の人々やその子女は故郷に帰還する自由がないし、その待遇も悪化しているのが理由であるという。
これらの理由で新疆兵団内で暴動がおこっている真実あるのか、それはさだかではない。今のところ外国のサイトでは報道されていない。
関連setretchinaサイト(中国語)
http://www.secretchina.com/news/gb/articles/5/8/4/122986.html
http://www.secretchina.com/news/gb/articles/5/8/4/122982.html
http://www.secretchina.com/news/gb/articles/5/8/1/122592.html