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引越しいたします。

釈放されたレビヤ・カディールさんは新疆ウイグルの渋沢英一+三井高利+田野倉しん(おしん)だ!

2005-03-23 23:05:58 | ニュース
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釈放されたラフト人権賞受賞者レビヤ・カディールさんの人となりであるが、詳しく書いてあるサイトがあった。中国語なので翻訳サイトを通してください。
露天商から、「国際商人」へ レビヤ・カディールさんのサクセスストーリー。
レビヤは1951年(現在58歳とすれば計算が合わない。)アルタイ山のふもと、アルタイ市で生まれた。生活に窮した母親の言い付けで14歳のとき南新疆の知らない男のところへ嫁に行った。彼女はそれから11年の間に6人の子供を産んだ。「文化大革命」時代彼女は子供の靴と女性用の色彩のあるスカートを売っていたと言うことで「相場師」のラベルを首からかけられて、町じゅうを引き回されたこともあった。(おそらくは文革時代の「走資派」批判)そしてそのために彼女は離婚された。
レビヤは実家にも帰らず、親戚も頼らず、アクス市の6平方メートルの部屋を借り、覆面(チャドル?)で洗濯屋の仕事をはじめた。そして三ヶ月一生懸命働いて、3000元を稼いだ。その後ウルムチに移り、商品経済の世界に身を投じた。その後10年、彼女は奮闘し、女性億万長者となったのである。彼女は新疆アクダ工貿公司総裁、8つの企業を持ち、ウルムチ市に5社(貿易会社2社、不動産会社1社、工場2社)旧ソ連に3社(不動産会社1社、百貨店1社、皮革工場を1社)経営していた。
(逮捕とともに全財産は没収されたらしい。)
レビヤは有名人でもなく、文化も少ない辺境の女性であったのにどうして成功の道を歩めたのか?
 レビヤは洗濯屋として稼いだ3000元を持ってアクス、新疆を離れて北京、上海、広州を「気晴らし」の旅に出かけた。彼女は一冊のノートを持って土地、土地の貿易用倉庫に出入りして、綿密に物品の異なる地方での値段の開きを記録した。
彼女は価格差はチャンスで、ビジネスだと言う事を感じ取ったのである。
戻ったときに3000元の金はすべて使い果たしていたが、商品価格差の神秘を発見したことで彼女は喜び、視野が広がったのである。・・・・・・・・。

と言うような書き出しではじまっているのだが、この人はすごい。感じたのことは表題のとおりなのだが、まさに波乱万丈。小さな女性であるが、その豪胆さ、細心さ、もっと知られるべきなのだ。