Monaparteさんに
BBC 中国語サイトの「宣戦布告」がきっかけとなったようで思わぬ調子で「東トルキスタン」の問題がネット上に知られるようになった。
この問題では私のブログもリンクされて、大いに責任がありそうだ。
一昨日は思わず「祝」などと書いてリンクしたがVIPPERの諸君たちが立ち上げている運動にはあえて言うが、かなり問題も感じられるのである。
ひとつにはウイグルの歴史の記述があるだろう。
「平和と自由を」サイトであるが、ほとんどが東トルキスタン情報センター日本語部サイトからの情報を元にしている。たとえば最初の歴史の説明。
この地域は中国、及び中国の歴代王朝の支配下では無く独自の地域として存在しました。
「独自の地域として存在していた」のは正しいが、歴代支配下にあったか、なかったかについては長い歴史上で一概には言えないが非常に微妙な関係であったと思われる。
しかし、18世紀に清朝に征服され重税などを課されました。清朝が倒れ中国で混乱が起きている中東トルキスタンの人々は中国からの圧政から自立する為に1933年東トルキスタンイスラム共和国を宣言、建国しました。1946(49)年まで独立国として存在し、ソ連などと関係を持っていましたが
これは明らかに間違いである。
辛亥革命で清朝が倒れてから、中華民国新疆省として省主席の楊増新、金樹仁、盛世才の三代のもとに独裁的に統治されていた。特に楊の下では独裁政治ではあるものの他の中国の地域に比べれば、きわめて平和であったことが知られている。楊が暗殺された後には当時の新疆は国民党政権、回族軍閥、白系ロシア、タタール商人などの勢力が入り混じって混乱し、その中から汎トルコ主義やジャディード運動などの影響を受けた東トルキスタンイスラム共和国がごくわずかな期間存在した。そして第二次大戦後、混乱の中で第二次の東トルキスタン共和国がソ連の影響もうけながら、後の共産党による「新疆解放」まで存在したのである。この間の歴史はまだわかっていないことも多く単に中国を侵略、圧制者と見るだけでは理解できないであろう。
左サイドバーで歴史一般書などを紹介しているわけであるが、一体どの程度の人が興味を持って深く知ろうとしているのだろうか。残念ながらネット上の議論をみてもそれはあまり感じられない。
また、中国共産党下の人権についても期間、範囲の定義なくこれも東トルキスタン情報センターに頼っているにすぎない。こういう数字は衝撃的であるが問題を多く抱え込んでいる。
もう一つリンク先にある、この正論の論文であるが、非常に問題が多い
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2005/0504/ronbun2-1.html
ウイグル族、ウイグル人の定義からしてあやふやである。
用語の訳間違いも多く見られ、またテロ容認であるような口調も問題である。
梶先生からは
メッセージをもらっている。
そこから引用。
マスコミによる情報の欠如を埋めるように多くのウェブサイトやブログが東トルキスタン問題についての言及を始めた-それ自体はもちろん肯定されるべきことである-が、その多くが上記のキムリッカの議論よりもはるかにナイーブな形で「民族自決賛成」と「人権抑圧反対」の立場から独立運動への支持を表明している点である。
このうち「人権抑圧反対」はいいとして、東トルキスタン独立運動をウイグル人による一枚岩の「民族自決」要求の運動としてとらえるのはあまりにナイーブで、危険でもある。簡単に言えば、そういった立場は、地域の中に住む漢族とウイグル人以外の諸民族(カザフ人、キルギス人・・)のことを全く考慮に入れていないし、またウイグル人社会内部に存在するあまりに大きな意識の隔たり(漢族ともなんとかうまくやっていきたいと思うものから、あいつらブッ殺したる、というものまで)も無視されている。要するにその「支持」が本当にそこに暮らしている人々のためになっているのかどうか、という内省がないことが気になるのだ。
これはそのとおりで何も付け加えることはできない。ネットの住民は単に「反中国」、「地政学的重要性」などの感情から明石大佐気取りで、本当にウイグル人のことを思っているのかわからない人も多い。
市民が主体的に考えるための情報提供を放棄したマスメディアと、その反動としてのネット上でのベタな独立運動への支持。今後このあまりに大きな「落差」を埋めていくことは可能だろうか。
そうなのである、そこでうちのブログでは欧米サイトでのウイグル、東トルキスタン問題の紹介を中心にしてきたつもりであったのだが、あまり理解はされていないようである。「平和と自由」サイトではレビヤ・カディールさんのインタビューがリンクされているようであるがほとんど反応は見られないのが残念だ。
他にも言うべきことはあるが今日はここまで。