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引越しいたします。

ドイツの高級誌シュピーゲルDer Spiegelレビヤ・カディールさんインタビュー。A woman v.s. a superpower

2005-11-24 23:58:43 | ニュース
ドイツの高級誌 シュピーゲル Der Spiegelがレビヤ・カディールさんのインタビューを敢行した。シュピーゲルとは鏡という意味でリベラルな論調で世界でも有名な雑誌であるという。ドイツといえばさきにジーメンスが中国高速鉄道を受注したらしいが、まったく関係なく新疆ウイグル情勢を報道することはどこかの国のクォリティペーパーや公共放送も見習っていほしいものである。
der_spiegel
その前半部分を急遽アップする。
シュピーゲル英語版サイト
http://service.spiegel.de/cache/international/spiegel/0,1518,386263,00.html
一女性対一超大国  中国に挑戦するムスリム人権活動家

レビヤ・カディールは中国指導者を国際的な人権法廷に引き出そうと戦っている。彼女は中国の政治体制が、西北部のムスリム少数民族たるウイグル人を抑圧していると非難している。


アブリキムは母親について安心して話すことができる場所を探して、幼少のころから住む町を進んでいく。アブリキムはレビヤ・カディール、中国で最も有名な反体制派の女性の息子である。

すでに午後の遅い時間となり、近くの山々から寒風が吹きすさんでくる。まず、アブリキムはあるスナックバーに決めた、ついで博物館、彼は行き先のどこででも監視されていると感じていた。

その日早く、彼は友人に通訳を頼んでいた。彼は携帯電話を使っていた、しかしその友人は警察が会話を聞いていることを恐れて断ってきた。
「警察は私の両親を逮捕するだろうし、姉に嫌がらせをしてくるであろう」とその友人は言った。「誰も助けてくれないよ。

ほとんどのウイグル人は「おびえている」とアブリキムは言う。
彼は最終的に親族が経営するレストランに決めた。まだ開店してはいない。暖房はまだついていないし、少しの照明があるだけである。カラスのディスプレーケースの中に生肉の切り身が光っている。壁は半分だけタイル張りされ、その部屋はわびしい東洋圏のカフェテリアを何か心地よく魅力的なものに返還させる誰かの中途半端な試みのようであった。

アブリキムは何も食べない。「ラマダン(断食月)だ」と彼は言う。一杯の茶を注文したとき、ひとりの男が入ってきた。グレーのスーツを着て深い青のタートルネックセーターを着ていた50からみの人物である。

アブリキムは椅子をテーブルに押して近づけた。「秘密警察だ」と彼はささやいた。
その男はアブリキムに背を向けた。彼はメニューを調べているかのように見える。何も音はしない。
警察は最近特捜隊を立ち上げた。とアブリキムはいう。それは「307分室」と呼ばれている。ここまでアブリキムは静かにものをいい、まるで言葉が離せないかのようである。「307分室」の目的はただ一つ、アブリキムの家族を監視することであると彼は言う

アブリキムは黒髪を短くしている。彼はきれいに髭をそり、オリーブグリーンのズボンをはいて、米国製のフリースジャケットを着ている、たぶんウルムチでただひとりの男である。彼を尾行することは難しいことではない。彼は立ち上がったときタートルネックのセーターを着た男も同時にテーブルから立ち上がった。彼はとおりに歩み出て、何歩か歩き、二、三回逆方向に向かった。そして彼は待った。
アブリキムはタクシーを呼んだ。彼は私(取材者)に彼の母がとどめおかれていた刑務所を見せたいのである。

タクシーは三車線のハイウェーに乗り、ウルムチの外側の地域を横切っていく、荒廃したプレハブの集合住宅や、窓のないうち捨てられた家々や工場の数々を横目に見ながら。障碍をおった人々が道の傍らで洗剤やぶどうを売っている。250万人の人々がウルムチに住んでいる---漢人とウイグル人---そしてすべての道路標識はアラビア文字と漢字で書かれている。カザフスタンは車で2,3時間、モンゴルは東になり、北京は2400キロのかなたである。気温は冬には-40度にもなる。

窓ガラスにフィルムを貼った、くらい青色のフォルクスワーゲン サンタナが距離をおいてタクシーについてきた。アブリキムは運転手にわき道に曲がり、再び反転してもとの道に戻るように行った。しかしフォルクスワーゲンはタクシーの後ろをがたがた走りつづけた。
 その夜、警察はアブリキムを質問のために連れ出した。警察は5時間にわたってアブリキムを尋問し、やっとのことで解放した。

4万5千キロのかなた、地球の裏側でレビヤ・カディールはバージニア州ビエンナの1階建ての小さなアパートで座っていた。米国東部の暖かい、晩夏の朝であり、中庭の戸は開いていた。カディール、アブリキムの母は黒いスーツと白いスカーフを着ていた。彼女の声は少しハスキーに聞こえた。コーランが本棚にあった。「グラディエーター」とか「タイタニック」のビデオカセットに挟まれていた。
カディールはこの朝ワシントンに車で行き、カリフォルニア選出の民主党議員で人権コーカスの議長であり、彼女の監獄からの解放を確実にすることを助けたトム・ラントスに面会に行くことを計画していた。今、彼女はアブリキムや他の子どもを守ることに助けをラントスに求めようとしていた。
ラントスの事務所には白いシャツを着た男の写真が掲示されていた。彼は腕を大きく伸ばし、天安門広場で一台の戦車と対峙していた。しかし、この日ラントスはカディールに合う時間がなかった。そこで彼女は代わりに事務所主任のハンス・ホグレフェに面会した。彼は青ざめて見えた。たぶん外へはあまり出ていないのだろう。つまるところ、世界で迫害されている少数民族はあまりにも多いのである。ホグレフェはカディールのために20分間準備していた。

「現在の状況に何か変化はありましたか?」ハンスは尋ねた。
カディールは言う。今までは、ただ非難と責めが続いていただけであったが、「現在は彼らは人々を町に出さないようにし、閉じ込めています。」
ホグレフェはカディールの姿勢を賞賛していると言い、再び立ち上がった。「我々のドアはあなたにとっていつでも開いていますよ。」と彼は言う。
「ハンスは良い人です。」カディールは事務所の外で微笑んで言う。
カディールはアメリカの首都に6ヶ月前に到着した。彼女が3月に監獄での5年と半年の後に解放されたとき、中国当局はカディールにあるオファーを出した。もし、彼女が中国政府に反しての扇動をすることをやめれば彼女は中国で最も富裕な女性の一人になれるだろうというものである。

もし彼女が拒めば
もしカディールがそのオファーを拒めば、彼女は家族と事業をウルムチに残してはなれるという事実とともに生きていかなければならなくなるだろう。
レビヤはアメリカ行きのすぐ次の飛行機に搭乗した。息子たちのうちの4人と1人の娘をウルムチに残して。中国政府は子供たちのパスポートを没収しその政策の人質にしたのである。カディールは子供たちと二度と会えないかもしれないということを知っている。しかし彼女は他の選択はなかったということを確信している。彼女の収監はカディールをシンポリックな人間にしたのである。
カディールは迫害されているウイグル人を助けることを望み、彼女は中国政府を国際人権法廷の前に引き出すことを望んでいる。彼女は中国に対する1人の女性である、11人の子の母であるが地球上で最も勢力のある国家のひとつに抗しているのである。

カディールは息子や娘たちを心配しているのか。

カディールは気にはかけているが心配はしていないという。彼女は4番目の息子アリムが毎朝連絡してくれているので故郷での状況がどのようなものかわかっている。

その2へつづく
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20051126