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ニュースサイト 宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

岡田克也vs小沢一郎最終戦 今週は「小沢さん本人申し出による政倫審の説得その1」

2010年11月06日 23時59分59秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也幹事長が小沢一郎元幹事長に「幹事長室でお待ちしています」2010年11月4日午後の衆院本会議、MSN産経から)

 今週は補正予算が衆参本会議で代表質問まで進み、遅れていた閣法も保険業法改正案が衆院通過、ねじれの国交委(参院の委員長が自民党)でも、自民党提案の付帯決議付きで閣法が衆院委員会通過、衆院外務委では条約4本(承認案件)がすべてお経読み(趣旨説明)完了、衆院経産委では、スーパー野党的やり手筆頭理事だった自民党の塩崎恭久さんが衆・予算委の次席理事に栄転したこともあってでしょうか、参院先議の議案(北朝鮮への経済制裁延長)が審議入りしました。

 地味ですが、前進はしています。ただ、来週は補正審議のための予算委員会ということで、ほとんどの閣僚が拘束されます。野党時代に民主党国対委員長代理を務めた安住淳・防衛副大臣は5日付の個人メルマガで「(補正)予算が通過したら、(12月3日の会期末までに)各委員会とも法案をせいぜい一つぐらいしか成立できないのではないかと心配してしまう。ここは、日程的にも国会を乗り切る踏ん張りどころである」と隔靴掻痒ながら、国会運営にエール(不満?)を贈りました。

 さて。

 民主党の菅直人代表(総理)や、公明党の井上義久さんら各党幹事長から、小沢問題の処理(今国会中の小沢一郎氏の国会招致)を任せられている民主党幹事長の岡田克也さん。二大政党史的に言うと、「岡田vs小沢最終戦」、もっと短期間の現下の厳しい経済情勢・ねじれの中での、「線路の置き石処理」ですが、一歩前進がありました。

 岡田さんは、小沢問題に関して、「プロセスをオープンにする」と言っています。これは月曜日と木曜日の定例記者会見の活用ももちろんですが、目に見える行動で示していくという意味合いが強いと思います。

  政治倫理審査会規程などでは、政倫審は委員の3分の1以上の申し立てのほかに、「審査会は、政治倫理に関し不当な疑惑を受けたとして議員から審査の申し出があったときは、これを審査しなければならない」となっています。

 ですから、今週は「本人(小沢さん)が申し出て、政倫審で“政治倫理に関して不当な疑惑を受けた”として説明したらどうですか」と岡田さんが小沢さんに促したということです。岡田会見によると、「小沢さんの問題がさまざまな国会上、たとえば予算審議への影響、あるいは野党の予算の賛否への影響、予算の後の今後の法案審議への影響、来年度の予算、法案、それから統一地方選挙、そういったことにさまざま影響している、あるいは影響してくる可能性があるので、ご自身でご判断してぜひ政倫審の場で説明をしていただきたい」と話したそうです。

 で、これをもって「交渉決裂」という見出しが踊りました。新聞記者も、イライラしている、例えば、某社では6月のボーナスがいまだに出ていないのにネトウヨからは“マスゴミ”呼ばわりされるということで、イライラしているのは、かつての同輩としてご同情のいたり。でも、岡田さんの考えは、おそらくこうです。11月1日週は、ここまでにする。それ以上ステップを進めると、記者会見で説明しても、かえって有権者に分かりにくくなる、つまり“オープンでなくなる”ので、ここで終わるでしょう。

 会期末まではあと4つの週があります。

 で、次回ですが、私は、もう一度政倫審への出席を促すと思います。あくまでも私の推測です。2人の会話の中では、小沢さんへの圧力を高めるでしょう。ひとつあり得るのは、最新の衆院ホームページの政倫審名簿をみると、合計25人のうち、民主党議員で小沢系は、幹事(一般の委員会でいうところの理事)で1人、議員で4人ほどいます。これを菅グループ「国のかたち研究会」(国研)会長で、岡田さんとは同期当選の土肥隆一・政倫審会長や鉢呂吉雄・国対委員長にお願い・指示して、他の議員に差し替えるという手があります。そして、まあ、3分の1以上でいいのですが、「全会一致で小沢さんを呼ぶように決議する・・・かもしれないよ~」とほのめかすという手もあります。まあ、麗しき女学生の経験がある方には分からないでしょうが、生き馬の目を抜く男の世界で生きてきた者にとっては、拳は振り上げるものであって降ろすものではありません。

 岡田さんや筆者と同じく、“新進党(小沢一郎党首)被害者の会”のメンバーで、やはり第39回衆院選初当選(現在は参院議員)の、公明党の山口那津男代表は4日、「民主党として党首から命を受けて行っているわけだから、第一歩だ。(岡田氏は)『今国会中』と述べており、粘り強く説得することが大事だ」「最終的には菅(直人)党首の責任で解決に乗り出すことも考えなければならない」「民主党の中にいろいろな声が出てきているようだが、野党としては、岡田氏の責任ある努力を見定めることが大事だ。しっかり努力する姿を見せてもらいたい」と語りました。

 同じく「新進党被害者の会会員」の渡部恒三最高顧問は「幹事長の言うこと聞けない場合は、党を離党するってことだろうな」と述べたそうです。また、報道によると、自民党の石破茂・政調会長は、あす(11月7日)朝6時TBSで録画放送される「時事放談」の中で、「幹事長の言うことをきけない一兵卒なんて聞いたこともない。指揮官の命令をきけない一兵卒は除隊だ」と述べているようです。まあ、石破さんに関しては自民党→新進党→自民党の人ですが、岡田さんと石破さんは、政治改革関連法を通常国会で仕上げろ!と言って、宮澤喜一・自民党総裁(総理)の渋谷区の私邸に乗り込んだり与党の若手の声を集約して、羽田孜・総理に「解散?総辞職?」について、官邸の執務室で話し合った仲です。くどいですが、石破さんは自民党に帰った人ですから、岡田さんが石破さんをどう思っているか、石破さんが岡田さんをどう思っているかは分かりませんが、“同窓会での思い出話”はあります。

 私はこの「線路の置き石」をていねいに処理する過程で、新進党被害者の会(民主党、公明党、自民党に在籍)、オリジナル民主党結党メンバー、(自由党解党後に個人の資格で民主党に参加した)“第3次”民主党以降に初当選、入党した人が、ねじれを利用して、ドリルのように国政を前に進めることができるのではないか、と考えています。

 私の論に私情が多いとお思いの方も多いでしょう。他人の胸の内は分かりませんが、国会議員というのは、私情を吐露する機会が少ないし、吐露してはいけないとされています。極めておこがましいですが、私はそれを代弁しているつもりです。ありがた迷惑の人も、それは違うという人も、関係ないという人も、パソコン画面に向かってちょっとだけ笑みを浮かべる人もいるでしょうが、かつて志を共有したという実績は、ねじれ国会を前に進めるガソリンになると考えています。


岡田克也幹事長の定例記者会見(2010年11月4日) 

民主党ホームページから部分引用はじめ]

■冒頭発言

○小沢元幹事長との会談

 それから、先ほど申し上げたいろいろな影響があることについて、「それが
政倫審に出てこられて説明されたから全部クリアされるかと言えばそういうこ
とはわからない、これは野党がどういうふうに受け取るかは分かりません。わ
からないものの、現にそれが障害になっていることは事実であるので、ぜひそ
このところを考えていただきたい」と私から申し上げたところであります。
 
 私がいろいろと申し上げてきたことは、私個人の意見ではなくて、幹事長と
しての岡田克也の意見であり、当然、私が申し上げるに際して、参院の幹部も
含めて、役員会メンバー全員ではありません、役員会メンバーの中でも特に中
心的なメンバーの人々とは不断に意思疎通をしながら申し上げているというこ
とも申し上げたところであります。
 
 そういう説明をいたしましたが、小沢さんからは、自分の今の考えを変える
つもりはないということ、それがお返事でした。ただ、また再度お会いをして、
私の申し上げたことについてさらに意見交換をしようということになりました。
いつかということは特に決めておりません。
 
■質疑
 
○小沢元幹事長との会談
 
【記者】小沢さんのほうから、国会や党内に迷惑をかけているというような、謝罪的なお話はあったか。
 
【幹事長】小沢さんがどう言われたかということは、私の口から言うべきではないと思いますので、それは小沢さんのほうにお聞きいただきたいと思います。
 
【記者】今後、幹事長は、政倫審出席に向けて、意思が変わらないという小沢さんをどう説得するか。
 
【幹事長】今日の時点で、先ほどご説明したようなことですが、しかし、昨日までは会うことはないということだったわけですが、今日だいぶ意思疎通、意
見交換をすることができました。私がどう考えているかということもお分かりいただけただろうと思います。小沢元幹事長からのお話も承りました。そうい
う意味で、前進がないということではないだろうと思っております。
 
【記者】このまま強制的に政倫審を開くというような選択肢はあるのか。
 
【幹事長】今日は非常に、お互いの考え方を述べ合って、いろいろな意味で、言葉は非常に難しいのですが、意思疎通ができたわけですので、あまりそう硬
直的に考えるべきではないと思います。
 
【記者】再度話し合うことの意味合いは。
 
【幹事長】先ほど申し上げたように、私はいろいろなことを申し上げました。もちろん小沢さんもお話になったわけで、そのことを踏まえてお互い今は考え方が違うわけですが、意見を一致させるために再度お会いしたいと。一定の時間を置く必要があります、それは。よく考える必要がありますから。これはお互いですけれども。私も党のほうに諮って役員会の主要なメンバーの皆さんと意見交換をしなければなりませんし、総理のご意見もどこかでよくお伺いしなければなりません。そういったことを踏まえて、またお会いしたい、こういうことです。
 
(中略)
 
【記者】今まで要請されたのと違うように要請したのか。昨日まで面談に応じないと言っていた小沢さんが今日になって応じたことをどう考えるか。
 
【幹事長】今日お会いいただいたのは、私としては大変ありがたいことだと思っております。なぜ昨日と違うかということは私に聞かれても分かりませんが、よくお考えいただいたと、そして決断していただいたということは、私は評価しております。全体的に非常にいい雰囲気の中で、お互いの考え方をしっかり述べ合ったとお考えいただければと思います。
 
【記者】小沢元代表は、昨日のインターネット番組で(政倫審について)基本的には秘密会だと。一方で裁判は公開だという考えを示した。幹事長は、政倫審に出席するときは基本的に公開という考えか。
 
【幹事長】そこまで別に何も決めておりません。制度的には、政倫審も、議院証言法に基づく証言も、非公開でなければいけないとは書いてはいないということです。ご本人が望んだり議決によって公開にすることは可能な仕組みであるということです。
 
(中略)
 
【記者】小沢さんが政倫審などに応じない理由を直接聞いて、納得いくものだったか。
 
【幹事長】昨日のニコニコ動画での小沢さんの発言に関連しても、いろいろ私の考え方を申し上げたところです。話し合いをしているときに、納得したか、しないかって、あまりそういう言い方は、私はしないほうがいいと思います。 

【記者】これまでの役員会では小沢さんへの対応を幹事長に全部任せたというやり取りはされていないと思う。今後、執行部の総意として要請するか。最後まで小沢さんの判断にゆだねるのか。もっと大きい中で、小沢さんに強制的に、勧告というか政倫審に出ることを求めていくか。
 
【幹事長】今、話し合いをしているところですので、先の先のことまで言う必要はないと思います。いろいろなことを考えてやはり政倫審で、自らの判断でお話いただくことが望ましいと思っております。他方で、何らかの形で国会で説明されることが必要と考えているわけで、それ以上言うつもりはありません。それから、一任を受けても困ってしまうわけで、それはやはり今までもそうですがこれからも、役員というと非常に多いものですから、役員会で議論するとこれは正式に党としての意思決定ということになります。今はまだ話し合っている最中ですので、もう少し限られたメンバーで、連日お互いの確認をしながら、私が代表して、幹事長としてお話申し上げているということです。
 
【記者】先日の幹事長会談で、野党側に、小沢さんの国会への説明について、今国会中を目指して説明の環境整備に努めると言ったと思う。今日の面談を受けてもその方針に変わりはないか。
 
【幹事長】まず、幹事長会談で申し上げたのは、ひとつは小沢さんの問題に関しては、国民に説明できるように環境整備に努力すると。これは役員間で共有された考え方です。私の前に鉢呂国対委員長も前日、国対委員長会談で同じことを言われたと思います。今国会中にというところだけは、私の責任で申し上げました。(中略) 
 
【記者】証人喚問ではなく、なぜ政倫審なのか。本人の意思を踏まえるというのも、なぜそういうことを言うのか。
 
【幹事長】政倫審というのは基本的にいろいろな疑惑が降りかかったときに自らそれを明らかにするというものですから、まさしく政倫審でお話しになることが適切ではないかと考えているところです。
 
【記者】小沢さんのニコニコ動画出演がひとつのきっかけになったか。
 
【幹事長】これは、わかりません。私は何度もぜひお会いしたいということは申し上げてきました。今回それが成立したことは大変ありがたいことだと思っております。
 
【記者】幹事長の会談要請が秘書と秘書を通じてのもので、直接本人からなかったというのは事実か。今日の連絡は、幹事長から直接小沢さんにお話したのか。
 
【幹事長】まず、秘書と秘書、というのはやや違うと思います。今まで党の幹部職員と小沢事務所の事務所長の間で行われていたとお考えいただきたいと思います。私の個人秘書が行ったものでは、もちろんありません。何度かこの2人の間でやり取りがあったわけでありますが、そういう中で私からは、もしお会いできないということであれば、その事務所長の方に私のところに来ていただいて、私から直接事務所長にお話ししたいということを申し上げました。その時に、それはできないというお話で、10月25日からこのやり取りが始まって、何回か往復が、確か3、4回あったわけです。
 
 11月1日に初めて、中身は何ですかというお問い合わせがあり、私から、先ほど申し上げたような趣旨のことを申し上げたわけであります。つまり国会の説明についてご自身で決断していただくことが望ましいと考えているが、そういったことも含めてお話ししたいということを11月1日の朝、申し上げました。それに対して、ニコニコ動画でお話しになったのと同じ趣旨だと思いますが、司法手続きに入ったので司法の場で説明していきます、というお話をいただきました。私からは11月1日の夕方ですが、先ほど申し上げたように議院証言法第4条の趣旨、これはまず徹底させていきますと。つまり、証言とか宣誓を拒むことができるという規定ですね、趣旨は徹底させていきますということをまず申し上げました。これは幹事長会談でもそのことは何度も私、申し上げたところであります。単なるショーにしてはいけない、質問して証言できませんということで、それはショー化するようなことがあってはいけないということを申し上げました。
 
 それから、そのうえで、先ほど申し上げたように、議院証言法第4条の趣旨は、あるいは政倫審についてはまったく規定がないということは、結局司法手続きに入っていることであっても立法府の場で説明することを否定するものではないということを、これも同じルート、伝言、人づてで申し上げたところであります。今日になって、再度、院内でお会いしたいと申し上げて、会談が実現したということです。(後略)

[民主党ホームページから部分引用おわり] 

tag 新進党を解党した小沢一郎を歴史法廷の断頭台に送ろう。

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岡田幹事長、党資金の現金渡しを廃止

2010年10月14日 17時22分56秒 | 岡田克也、旅の途中
 民主党幹事長の岡田克也さんは、14日、党本部で記者会見し、「変な話ですが・・・」とことわったうえで、議員や地方組織代表者などへの活動資金の決済について、「今後は(銀行)振り込みでやります。きちんと記録が残るように」と述べ、現金での手渡しを止めることを表明しました。第22回参院選の直前に、菅直人代表になってから、前執行部(小沢一郎幹事長)が止めていた7つほどの県連活動費を選挙間近ということで、緊急に手渡したことがありますが、岡田幹事長の下では現金手渡しはなくなることになります。

 現金手渡しに関しては、2009年7月21日の衆議院解散当日に、前職候補者に次ぎ、新人・元職候補者を東京に呼び寄せて公認証を渡した際、上階の会議室に上げ、選対職員が新人候補者に「太ったんじゃない?」「あれ、痩せた?」などとメンタルを刺激する発言をした上で、他の職員が500万円の現金を目の前で剥き出しにし、「入れときますよ」と言ってカバンに詰め、これから選挙を闘うのにストレスが溜まったとの苦情が出ていました。また受け取った時点で午後3時を過ぎており、東京に不慣れな新人候補者は銀行の場所も分からないし、ATMじゃいっぺんに入れられないし、かといって、500万円を持って新幹線や飛行機を使って数時間もかけて帰省するのは気が重い。党本部の隣の全国町村会館に郵便局があるので、ここを使えば良かったんですが、知っている人は霞が関・議員秘書出身者など一部でしょう。

 このときの経験が、小沢一郎氏のマインド・コントロールにつながっているとの指摘が出ていました。渡部恒三さんは代表選直前の2010年8月29日放送のTBS「時事放談」で、「新しく当選した人たちは純情で素晴らしいんですよ。(小沢)ガールズなんて言われているくらいなんだから。党からもらった公認料を小沢君からもらったと錯覚ししているかわいらしい人がいっぱいいるんですよ」と指摘し、司会の御厨貴・東大教授もどうやら何か訳知りのようで、苦笑いしながら大きく頷きました。ちなみにこの7月21日の党本部では、福田衣里子さんは代理の方が来ていて、これだけは妙にホッとしました。もうこういうことは止めましょう。仮に岡田さんが同じことをすれば、岡田さんの求心力が高まるわけですが、こういうことを断ち切れる幹事長として、菅さんが岡田さんを選んだのはベストの判断だったでしょう。岡田さんは先週、石川3区(総支部長・近藤和也衆院議員)を訪れた際に、「輪島塗のお椀を5万3000円で買う羽目になったのは誤算だった」と笑わせながらも、「一生使うと思えば、高くない」と述べ、育ちの良さを隠せませんでした。このほか、「一回生の先生に幹事長補佐という役職についてもらうことを検討している」と表明しました。

 また特定の人物に渡しきりで領収書がいらない「組織対策費」を廃止することや、決裁者を財務委員長(現在は長浜博行・参院議員)だけでなく、一定額を超えると幹事長代理(現在は枝野幸男さん)、さらに一定額を超えると幹事長が決済するシステムに改めることを検討していると表明しました。

 岡田幹事長が「ねじれ国会でのプライオリティ(優先順位)が低い」として、すぐに手を付ける必要がないとしている「党綱領の策定」に関して、前日、菅代表(総理)が野党の質問に答える格好で、前向きな姿勢を示したことについて、「(菅さんとの)世代の違いかな」とポツリと述べ、会場内の笑いを誘いました。

 人事院総裁の江利川毅さん(昭和45年厚生省入省)が「ごあいさつしたい」ということで、「知らない人ではないのでお会いしました」ものの、江利川総裁が分厚い資料を取り出し、説明しようとし出したので、「私はちょっと幹事長になってから(政策面の)細かいことを頭が受け付けない」として、「読んでおきますと言って、資料を受け取って、お引き取り頂きました」と、幹事長職のペースをつかみだしたことをうかがわせる答えを連発しました。今政治に求められていることは、なによりも安定です。 
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岡田vs小沢、“天命”の最終戦がスタート 新進党解党から13年

2010年10月11日 21時52分25秒 | 岡田克也、旅の途中

 民主党代表で総理の菅直人さんから、「小沢問題」の対応を100%委任された幹事長の岡田克也さんは12日の党役員会から話し合いをスタートします。「国会議員が検察審査会により強制起訴される(予定)」というのは日本憲政史上初めてのケースで、民主党に限らず、他党も含めた先例になりますので、ていねいに、国民が納得いく対応を求められます。また国会開会中ですので、他党の動きや、同日告示される衆院補選(北海道5区)の状況もみながらも、安定した判断をしなければなりません。岡田さんにしかできない芸当です。

 岡田さんは3度目の幹事長就任について、「これも天命なのかな」と述べました。やはりそうだったようです。

 岡田克也さんは小沢幹事長が陣頭指揮をとった1990年の第39回衆院選で初当選しました。二世議員でない岡田さんが自民党公認を得られたのは、山本幸雄・代議士(元自治大臣)の後継者だったからですが、経世会の竹下登元首相が早大商学部の後輩である、岡田卓也さんに息子を出すよう働きかけたともいわれています。そして、小沢一郎さんは岡田夫妻の媒酌人であり、そして岡田さんの“政治の父”です。そして、ともに羽田派(改革フォーラム21)結成、自民党離党、新生党結成と、濃すぎる1期生時代を経て、細川・羽田内閣では各党若手のまとめ役(いしずえ会事務局長)、新進党結党では、準備委員会の主要メンバーを務めました。

 しかし、1995年の党首選で、岡田さんが羽田孜陣営に加わり、小沢陣営によりフェアでない党首選に憤慨しました。そして、1997年の党首選では、鹿野道彦陣営に加わり、大健闘しましたが、あわや党首の座から転落しかけ肝を冷やした小沢一郎党首の結論は「新進党解党」でした。岡田克也さんと中田宏さんは最後までに対抗し、両院議員総会では「新進党と書いてくださった有権者に対する裏切りだ」と抵抗しました。実はこの姿を、今でも多くの公明党議員の目に焼き付いているようです。ここで小沢氏とたもとを分かち、「新党・国民の声」(鹿野さん、石井一さん、岡田さん)の救命ボートに乗り、先行離党していた太陽党(羽田孜さん、北澤俊美さん)と合流。細川護煕さんも加わり「民政党」を結党し、第2次民主党の政調会長代理になりました。

 歴史にもしたらは禁物ですが、1997年11月には山一証券自主廃業・北海道拓殖銀行破綻と金融不安が相次ぎました。またこの不況は、結果論ですがグラフを見ると、消費税を5%に引き上げたことが発端となっています。橋本内閣・自民党の処理は上手かったのですが、その8ヶ月後の参院選で自民党は地滑り的大惨敗します。ですから、12月に新進党を解党していなければ、新進党は政権に大きく近づけていたことになります。

 小沢一郎(氏)による新進党解党は歴史への大罪であり、失われた10年の発端だったことは間違いありません。

 1990年代、多くの日本国民はバブルは弾けたものの、給料は右肩上がりで上がり続けると信じていました。そして政治に対して無関心と侮蔑と「触らぬ神にたたり無し」との態度を決め込んでいました。しかし、欧米先進国と同様の政権交代可能な二大政党デモクラシーの導入が2009年まで遅れたことで、日本は一等国から転落し、国民には住宅ローン債務と残業だけが残りました。

 私たちは私たちを越えなければいけません。歴史を前に進めなければいけません。

 そのためには信賞必罰、判断ミスをした政治家を退場させなければなりません。

 これは民主党支持者に限らず、公明党(創価学会)のみなさんにも協力して頂きたい。
 小沢一郎は民・公(創)共通の敵です。

 公明党委員長だった亡き石田幸四郎さんと小沢一郎氏(新進党結党大会)  
[画像]新進党結党大会のフィナーレでの全議員登壇の風景、(左)政権交代ある二大政党デモクラシーを信じて新進党に参加した今は亡き石田幸四郎・旧公明党元委員長と小沢一郎氏、(右)故石田幸四郎さん、小沢一郎さん、旧公明党元書記長だった市川雄一さんのスリーショット(ともにNHK映像から拝借)

 小沢一郎氏の政治的影響力は急速に低下しています。そして、今やかつての“父”・小沢氏と同じく与党幹事長となった岡田克也の背中には、渡部恒三さん、江田五月さん、北澤俊美さんら「新進党被害者の会」に限らず、菅直人さん、枝野幸男さん、鉢呂吉雄さんら頼もしい限りの仲間がいます。そして、小沢氏はひとりぼっち。

 この論争の結論は一つです。小沢一郎氏はデモクラシーの敵であり、彼を歴史から退場させ、日本を前に進めなければいけません。

 さあ、みんな、小沢一郎(氏)を倒すために、勝ちどきをやろうじゃないか。

 エイエイオー! エイエイオー! エイエイオー! エイエイオー!

 闘いましょう!

 

岡田克也の背中を押して、歴史を前に進めましょう!!

当ブログは「岡田が決めたらどこまでも」まっすぐにひたむきに岡田克也(1953-)さんを追いかけていきます。

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岡田克也さん、幹事長就任会見で“内助の功”を認める

2010年09月18日 00時36分13秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]幹事長就任記者会見にのぞむ岡田克也さん、2010年9月17日、民主党本部(党本部ホームページの会見中継映像からキャプチャ)

 民主党幹事長に1年ぶりに復帰した岡田克也さんは17日午後4時から党本部で就任記者会見を開き、まず、「定例会見」をこれまでと比べて倍増(週1回月曜日→週2回月・木曜日)させることを表明し、さっそく「オープンな民主党」を目に見える態度で示しました。

 そして、「私たちが民主党を立ち上げたときの志に立ち返って、新しい政治を実現する、国民の期待にこたえる政治を実現するために、民主党を日本の政治の本領を担う政党として形作っていきたい」として、政権政党としての民主党の骨格を組み上げていきたいとの意欲を示しました。

 総理である菅直人代表は、政権の重荷をみんなで分担する「412人内閣」、全員参加の政調、クリーンでオープンな熟議の政治をかかげています。

 ところで、岡田さんは堅物、原理主義者、タリバーンといわれますが、私は16日のテレビニュース映像で「あれ?」と思ったことがあったので、質問しました。

 岡田さんは菅さんに「幹事長受諾」を伝えた後、首相官邸でぶら下がりインタビューに答えて、「ちょうど1年前まで、私、幹事長だったんですね。ですから『なんか外務大臣になったときに、(幹事長を外されたと)ずいぶん憤慨していたじゃない』と妻に言われまして、そういうこともあったのかな、と。また振り出しに戻ったような感じですよ、(政権交代した)1年前の」と語っています。

 これを受けて、私が「原理主義者と言われる岡田さんだが、奥さん(岡田多津子さん)のアドバイスで考え方を変えることがあるのか」と質問したところ、「考え方を変えたわけではありません。が、そういうこともあったかな、と思い出しただけです。私は仕事をやると全力でやりますので、いったん始めると次に入るというのは抵抗があります。もう少ししっかりやりたい、という傾向があるのかな、と思った次第です」として、今回の決断に内助の功があったことを、オープンに認めました。幹事長がオープンなら、みんなオープンでないといけないですね。

 
[写真]岡田克也さんの奥さんの岡田多津子さん、2009年8月30日、三重県川越町(岡田克也さんのホームページ

 また、党綱領の策定、党規約の「与党らしい」改定、党代表選挙規則の見直しの3つの課題については、「(菅代表の任期が)これから2年間あるので、落ち着いたところで議論したい」、「課題が山積しているねじれ(国会)の状況の中で、どう物事を進めていくのか優先順位をつけなければならない」などと述べ、重要性は理解しながらも、まずはねじれ国会対応や政権としての経済・雇用対策など重要課題・法案に対処していく考えを示しました。

 また、「与党の幹事長の責任は重いと言われるが、野党の幹事長も責任は重かったので、まだ実感がわかない」と岡田さん。正直な発言が多かったです。オープンな熟議をしようよ!というワクワク感を感じながら、私は記者会見場のある党本部をあとにしました。

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これも「天命」なのかな 岡田克也さん、民主党幹事長に1年ぶりに復帰

2010年09月16日 19時38分43秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也さんと菅直人さん(首相官邸ホームページ、トリミング)

【民主党幹事長に岡田克也外相】


 民主党代表で総理大臣の菅直人さんは16日、代表再選を受けた民主党幹事長に、外相の岡田克也さんをあてることを決めました。岡田さんの民主党幹事長就任は3度目。政権政党としての幹事長の就任は、鳩山由紀夫さんが首班指名された後に限れば、初めてということになります。

 岡田さんは「外務省のみなさんには申し訳ないが、政権交代をして頂いた国民の気持ちを考えたら、いろんなことを考えていられない。天命でしょう」と述べました。

 1回目の岡田幹事長は菅代表の下、2004年の第20回参院選を勝利に導きました。ただし、菅さんの年金未納問題で、参院選時点では代表に無投票で昇進していました。そして、2回目は鳩山代表の下、2009年の第45回衆院選で日本初の選挙による政権交代を実現させました。参院選でも、衆院選でもともに民主党初の国政第一党を実現した幹事長は岡田さんです。

 逆に言えば、岡田さんとしては、幹事長としてこれを上回る実績はあげようがありません。そのため、以前から、3度目の幹事長には慎重な姿勢を周囲に示してきました。

 菅さんは、ねじれ国会対応から、結党時の参院国対委員長である北澤俊美さん、幹事長・国対委員長・衆院議運委の筆頭理事を経験した川端達夫さんなど、衆参の議運・国対の長い議員をあてる方針で、私もそれが適当だと思っていました。

 が、岡田さんの「外相を最低2年間はやりたい」、「閣内なら財務相もやってみたい」と周辺にこぼしていた希望はかなわず、政治家としての責任、代表(総理)からのご指名ということで、「天命だ」と引き受けることになりました。

【1年ぶりの幹事長復帰】

 岡田さんは2009年9月15日の両院議員総会で、「党規約を与党にふさわしいものに変えていきたい」といった抱負を述べながらも、鳩山代表に解任されてしまい、小沢一郎さんに幹事長の座を奪われました。総選挙に勝利した幹事長が交代するのは、日本の政権政党では極めてまれです。私は、ちょうど1年前の岡田幹事長解任という、どんな理由があったか想像はつきますが、この判断は、鳩山政権のすべてのボタンの掛け違いにつながったと考えています。

 岡田さんの過去2回の幹事長就任は、ともに代表選に出馬して敗れて、新代表から指名されたものです。しかし、今回は内閣の一員として菅さんを支持し、三重3区で、87・52%の得票率で、菅陣営でもっとも党員・サポーターをまとめ上げることができました。
 
[画像]2010年9月の民主党代表選での党員・サポーター票の小選挙区別得票率(朝日新聞9月16日付4面)

 ただ、岡田さんは11月のAPEC横浜の準備会合にいそしんでおり、楽しみにしていました。また、ライフワークである気候変動(地球温暖化)に関する国際会議や、ドイツ外相と共同論文を米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)に発表するなど非核および「国連安保理改革&日独の常任理事国入り」にも意欲を示していましたので、今度の幹事長就任は複雑な思いがします。まさに菅さんの命令と言うよりも、天命というべきでしょう。

【民自公の幹事長は、1990年初当選トリオに】

 ねじれ国会への対応では、自民党総裁のの谷垣禎一さんはこのほど、第39回衆院選で初当選の石原伸晃さんを自民党幹事長に指名しました。公明党の井上義久幹事長とあわせて、1990年初当選組が民自公の幹事長トリオとなりました。さらに言えば、現在は参院議員にまわった公明党代表の山口那津男さんも同期当選です。石原さんとは自民党、山口さん、井上さんとは新進党で同じ釜の飯を食った仲です。

  
[画像]石原伸晃・自民党幹事長、井上義久・公明党幹事長(両党ホームページ)

 この1990年の第39回衆院選。このときの旧三重1区(5人区)では、新人の岡田さんが初当選したことで、公明党政審会長だった坂口力さんが弾き飛ばされて落選した経緯があります。しかし、このことで、衆院厚労委員が長い岡田さんとしては、後に厚労大臣を4年間つとめる坂口さんら「福祉の公明党(創価学会)」に一目置かれることになりました。

 その後、岡田さんの「新生党」と「公明党」は、細川内閣で合流。岡田さんは8党派の若手による「いしずえ会」の事務局長として、当時の公明党書記長(市川雄一さん)や、当時の創価学会副会長(野崎勲さん)を講師として招いたことがあり、公明党とのパイプがあります。というよりも、むしろ、新進党解党に最後まで抵抗した経緯から、中堅以上の公明党議員は、岡田さんを尊敬しているように感じられます。

 例えば、衆院安全保障委員をつとめる公明党の佐藤茂樹さん。

 第173臨時国会(昨年11月26日)では、「私は、もう今から十六年前ですか、八頭馬車の細川政権のときから、いしずえ会の事務局長ということを岡田外務大臣がされたときから、ぶれない人であると」と質問の冒頭に語りました。

 第174通常国会(ことし5月28日)では、「私は、(平野博文)官房長官という人は、昔から人物はよく知っておりますけれども、どうもこの普天間基地の問題の取り扱いを見ておりますと、やはりこの分野についてはど素人で、自分の発言がどれだけこの日米関係に影響を与えるかというのをもう少し両大臣からもしっかり注意してもらった方がいい、そのように思うんですね」と述べています。

 仮に民主党と公明党が協力すれば、参議院で過半数、衆議院では3分の2の議席になりますので、ねじれ国会の視界が良好になってきます。

 私としては、岡田さんが幹事長になってくれると、また記者会見に出られるようになるのですが、APEC横浜を岡田外相で迎えられないのはなんとも残念です。北澤幹事長も見てみたかったし、川端さんは1回目の幹事長は郵政選挙で玉砕し、屈辱的な辞任だったので、汚名返上をしてほしかった気もしますが、政党は公のもの、私情は許されません。岡田幹事長はやはり「天命」なんでしょう。

          
天命   
 天によって定められた人の宿命。
「天の命ずる之を性(さが)と謂う」(四書の1つ『中庸』のことば)。
広辞苑第6版より。


 まかりまちがっても、党内から、岡田幹事長に後ろから鉄砲を撃つようなことがないようにしてほしいものです。それは絶対に許せません。脱小沢ではなく、小沢卒業で、クリーンでオープンな菅民主党による全員参加の熟議のデモクラシーに向けて。まずは体制の構築です。まっすぐにひたむきに前に進みましょう。

 一つだけ、お願いをさせていただければ、岡田外交の続きを、いずれ別のかたちでけっこうですから、ぜひやらせてあげてほしい、と思います。

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岡田外相が飛騨民主急襲、国会議員に戸別訪問

2010年09月07日 00時22分00秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]岡田克也さん(朝日ニュースター)

 民主党代表選をめぐり外相の岡田克也さんが4日、三重3区総支部大会を開催した後、飛騨・岐阜県に入り、国会議員の自宅を戸別訪問し、首相・菅直人さんへの投票を呼び掛けていたことが分かりました。中日新聞が報じています。

 公職選挙法では、告示後の戸別訪問を禁じていますが、民主党代表選は公選法の適用外であることを熟知した上での行動です。岡田さんは、尊敬する「織田信長」の桶狭間急襲ばりの機動力を発揮しました。

 岡田さんに同行したのは、昨年5月に当時は一新会倶楽部所属の総支部長でありながら、地元の声を聞いて上京し、小沢一郎さんに代表辞任を促した、現在の衆院議員。可児市内で岐阜4区比例の衆院議員と会い、菅支持を働きかけ、岐阜2区では衆院議員が自宅にいなかったため、携帯電話で連絡をとったそうです。

 岡田さんがなぜここまでこの選挙に執念を持つか。これは政治家・小沢一郎さんをここで歴史から退場させなければ、この国は前に進めない、との強い信念を持っているからだと思います。政治家としては、1997年12月に新進党を解党し、二大政党デモクラシーの実現を遅らせたことへの歴史的清算をつけるとの考えだと、考えられます。

 例えば、菅首相続投で、外相を続けたいためにここまでやるとは思えないし、また、人としての小沢一郎さんが憎いのなら、それは岡田さん自身を否定することになりますから、それはありません。小沢一郎さんは岡田夫妻の媒酌人ですから。政治家としての小沢さんを、ここで潰す、という覚悟でしょう。

 私もまったく同じ考えです。くどくどと申し上げません。「新進党解党」という歴史的大罪を犯した小沢さんは、その清算をしないといけません。過去20年間は細川内閣(1993年)でも、政権交代(2009年)でも小沢さんはいつも中心にいました。そろそろ一つの時代を終えないと日本は前に進めません。今回の代表選は、「一つの時代を越える戦い」です。小沢さんが「もうここらでよか」と言うところまで、徹底的に追い込まねばなりません。お願いです。それをしないと、前に進めないんです。

 岡田さんはさきほど、0泊3日の弾丸ツアーでドイツ出張に旅立ちました。その直前に飛騨を訪れたことの意味を、訪問を受けた議員にはよく考えて欲しいと思います。また、菅総理も「地方」「経済的に厳しい地域」「生活が苦しい人」をもっとしっかり取り込まないと、この先、政権を運営していけないということを認識すべきです。公務は東京だけでやると限ったことではありません。

 最後に、昨晩印象に残った、中公文庫の日本の歴史(旧版)の第20巻の448ページと、451ページを引用させてください。井上清さんの文章です。

 「十年前には、維新変革の名実ともに最高の指導者であった英雄が、変革期の歴史の歩みの早さに、ほんの一歩おくれはじめたばかりに、やがて反革命の最後の最大の首領となり、かつてみずから肝胆をくだいて建設の基を開いた政権に、武力で反抗して自滅するにいたる、ーー明治維新ていどの変革においても、変革の論理はなんときびしいものであったろう。」

 「明治元年の、人民を年来の圧制と搾取から解放するというあの倒幕の布告の精神は、いまようやく、封建的大義名分論ではなく、日本歴史上はじめて農工商の民衆と結びついた文字どおり国民的な自由民権運動にうけつがれ、発展させられてゆく。もう明治維新の時代ではない。自由民権の新しい時代がはじまった。」

中日新聞:民主代表選、未定票めぐり争奪戦 岡田外相が岐阜県入り:岐阜(CHUNICHI Web)

 民主党代表選で議員票の行方が注目を集める中、菅首相を推す岡田克也外相が4日夜、県内の態度未定の国会議員の自宅や事務所を訪れ、菅氏への支持を求めた。14日の投票までに菅派の野田佳彦財務相や前原誠司国交相も県内入りする。一方、小沢一郎前幹事長派の議員らは地方議員の切り崩しに動き、県内でも党内を二分する戦いが繰り広げられている。


 県内選出の国会議員9人のうち、態度が未定か、表明していないのは、園田康博衆院議員(岐阜3区)、橋本勉衆院議員(比例東海)、今井雅人衆院議員(同)、平田健二参院議員(岐阜選挙区)。


 岡田外相は菅派の柴橋正直衆院議員(岐阜1区)とともに、可児市内で今井氏と面会し「賢明な判断を」と力説。今井氏は「政策と実行力が大切。自分で判断したい」と答えた。自宅外にいた橋本氏には午後9時ごろ携帯電話に岡田外相から連絡が入り、橋本氏は菅氏の経済政策への不満を伝えた。


 今井、橋本両氏とも4~5日にかけて地元で党員・サポーターの集会を開き、意見交換。橋本氏は「地域の意見を聞いて決めたい」と話した。


 一方、県議出身で、小沢氏を支持する笠原多見子衆院議員(比例東海)は、菅氏支持で一本化した地方議員25人の一人一人に電話をかけ、自らが小沢氏を推す理由を説明。「地域主権を掲げる小沢さんの思いを知ってもらい、少しでも考え直してもらえれば」と話した。


 (山本真嗣、中崎裕、石井宏樹)
tags 西南戦争 新進党解党

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「政権という重荷を共に背負えなかったことを残念に思う」

2010年08月15日 12時00分00秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]外相の岡田克也さん。2010年8月5日の参院予算委(参院インターネット審議中継)。

【参院予算委員会 2010年8月5日(木)】

 ある程度、歳を重ねた人ならば、菅内閣で外相をつとめる岡田克也さんが「怒ると恐い人」であることは察しがつくでしょう。身内でやる民主党代表選で、複数の候補が立ったときに、岡田さんが当選したことがないのは、「恐いから」かもしれません。国会議員は国益より私益を優先する、しょせんはサラリーマン崩れだ、という冷めた目も、私たち有権者は持っていいと考えます。

 福島瑞穂さんが、参院選直前に、連立を離脱したのも、彼女が全国比例で改選期を迎えるという個人的な事情を抱えていたことを知っていれば、それは自然なことで、僕は別段、怒りは覚えません。

 さて。

 連立離脱および参院選での再選後、初めて予算委員会に立った、社民党党首の福島瑞穂さん。、普天間基地を辺野古崎沖に移す日米合意を「民主主義に基づき」破棄するよう求めました。

 岡田さんは民主党幹事長として2009年総選挙を闘いましたが、「我々が選挙の前に出したマニフェストでは、県外・国外(への移設)ということばをあえて使いませんでした。その後、(社民党など)3党で連立の協議をしました。私は福島さんと直接、意見を交わしましたが、『県外、国外という言葉を3党合意に入れない』ということになった経緯を、(福島)委員もよくご記憶だと思います」と答弁しました。

 福島さんは野党時代(2004年、2005年の)の菅直人さんが「県外移設」が持論だったと指摘しました。

 菅総理は「今日の“国際情勢の変化”を踏まえて、5月28日の日米合意にいたった経緯は、(その時点で福島さんは内閣にいたから)よくご存じだと思う。岡田外相の発言にもあったとおり、(米海兵隊の)その存在が必要だ、と(日本は)考えているということで、日米合意を遂行していきたい」としたうえで、「沖縄の負担の軽減が目に見るかたち」になるよう、辺野古沖移転を進めていくと明言しました。

 福島さんが「“国際情勢の変化”というのが分からない」として、首相に再答弁を求めると、岡田さんが答弁席に立ちました。

 岡田さんは「例えば、北朝鮮情勢ひとつとっても、韓国の哨戒艦が沈められて、46人の人命が失われた。これは現実に最近起こった出来事であります。まあ、そういった非常に緊迫した状況の中で、(東アジアの安全保障をめぐる)状況は数年前と比べて、厳しくなっていると考えるのがふつうだと、私は思います。また、中国の東シナ海・南シナ海における活動についても様々なことが問題になっており、中国の海軍力の増強もここ数年、目立っているわけで、その辺も、国際情勢の変化として踏まえないといけないと思います」と答弁しました。

 福島さんは「どうして沖縄を踏みにじるんですか?どうして沖縄を切り捨てるんですか?これじゃあ自民党と同じ手法じゃないですか」。

 
[画像]社民党の福島瑞穂党首(参議院インターネット審議中継)

 岡田さんは「ですから沖縄のみなさんの理解を得ることが大事だ、と申し上げているんです。もちろん、踏みにじるとか、そういったことを考えているわけではありません」。

 そして、岡田さんは、ある答弁をします。この答弁はとても印象深かったので、エントリーの最後にご紹介します。これを聞いて私は、10ヶ月強で、岡田さんも成長したんだな、僕もがんばらなきゃな、と感じました。

 先を急ぎます。参院委員会室に戻ります。

 福島さんは「安全保障の名の下に、基地をつくるのは政治手法として間違っている」とし、「民主主義に基づき、連立3党の合意に基づいて」、辺野古沖移設の日米合意を破棄しろ、と求めました。

 これに対して岡田さんは、

 「(キャンプハンセン沖に)新たな基地をつくるというのは負担であります。しかし、その結果として、普天間基地が無くなるということは、非常に大きな“負担の軽減”ではないんでしょうか?

 そしてそれに関連して、8000人の海兵隊員がグアムに移転するんです。これは“負担の軽減”ではないんでしょうか?

 そして、嘉手納以南にある基地の多くが帰ってくるんです。これは“負担の軽減”ではないんでしょうか?

 そういったこと全体で考えていかないと一部だけを取り出して議論するのはフェアでないと思います」。

 これに先立ち、岡田さんは羽田内閣、橋本内閣、鳩山内閣の3度にわたり連立政権を途中で投げ出した社民党に、次のように答弁しました。

 「まあ、福島委員のお話を聞いておりますと、沖縄のみなさんの(県内移設に対する失望の)お気持ちは、おっしゃるとおりだと思います。しかし、それだったら、(日本)全体としての安全保障の問題はどうなるのでしょうか?

いったいどうやって、この国を守っていくのでしょうか?
国民の生命と財産はどう守るんでしょうか?
 
そのことに対する答えがなければ、私はあまりにも一方的な主張だと思います。福島委員とは、一時期、政権をともにしましたが、

政権を担っていくということは重荷を背負っていくということ であります。私はその重荷をともに背負っていけなかったことを残念に思います」。

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鳩山由紀夫さん、ロシアへ羽ばたく 岡田克也外相が潘事務総長に薦める

2010年08月13日 16時07分37秒 | 岡田克也、旅の途中
 パンギムン国連事務総長が立ち上げる「気候変動に関する研究会」に鳩山由紀夫さんが参加し、鳩山さんが近く(9月?)ロシアを訪問する方向となりました。

 岡田克也外相が8月13日、ニコニコ生放送で中継された大臣定例記者会見で、日テレ野口記者の質問に答えました。岡田さんは、「パン事務総長から、近く温暖化のパネル(研究会)をつくるのだが、誰か適任者がいないか?」と相談され、鳩山さんを推薦したとのこと。

 パン事務総長としても、昨年9月の国連総会場での、気候変動ハイレベル首脳会合の「90年比25%削減」の鳩山演説を鮮明に覚えていたようです。

 新聞報道によると、パン事務総長が長崎・広島訪問のため来日した、8月4日、議員会館に鳩山さんを訪ね、「気候変動に関する研究会」のメンバーとなり、1年半ぐらいかけて各国指導者とじっくりやって欲しい、と誘われたようです。

 「日ソ共同宣言のハトヤマ」さんですが、首相在任中にロシア外交に手が回らなかったのは心残りでしょう。

 条約の枠組みに、アメリカと中国の二大CO2排出国を取り込むには、ロシアを巻き込んで、言葉は悪いですが、外堀、内堀を埋めて、米中が参加せざるを得ない国際情勢をつくらなければなりません。

 日本中が熱狂した「民主の夏」から1年。
 全国をかけめぐった「代表・幹事長コンビ」の「鳩山・岡田コンビ」が、ほろ苦さを乗り越えて、今度は世界をかけめぐることになります。
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次の百年へ 岡田外相、日韓併合を謝罪

2010年08月11日 05時20分23秒 | 岡田克也、旅の途中
(この記事の投稿日は2010年8月11日)

[写真]延世大学(ヨンセ大学)の韓国語クラスで学ぶ日本人学生らと記念撮影する外相の岡田克也さん。2010年2月11日、外務省ホームページから(一部トリミング)。

 通常国会中は情報が交錯し忙しく、書いたエントリーを投稿できないことが多々あります。在庫処分といったら失礼ですが、半年前に書きっぱなしにした記事を投稿します。

 岡田克也外相は2月11日の祝日を使って、韓国を訪問しました。

 今年は1910年の日韓併合条約から100周年。私は大学時代に国際法を随分と学びましたが、この条約は国際法としては有効な条約だと考えます。とはいえ、朝鮮、現在は韓国と北朝鮮に分断されていますが、朝鮮民族にとっては植民地支配であって、「民族の誇りを傷つけた」(岡田外相)ことには変わりありません。

 岡田外相の率直さに、現時点で韓国の新聞各紙は好意的な論調だ、と伝えられています。岡田外交の3原則の①現場を知ること、②常に原点に立ち返り検討すること(ゼロベースから検討すること)が功を奏したようです。

 
[写真]岡田外相と李明博大統領、2010年2月11日、ソウル青瓦台で=外務省ホームページから、一部トリミング。

 また、岡田外相は延世大学の韓国語クラスで学ぶ日本人学生を訪れました。まさに日韓の架け橋です。

 このニュースを見て、私の早大政治学科の安全保障論・国際政治学のゼミが、延世大学と「ワセ・ヨン」という交流プラグラムをもっており、この時期に開催されているはずなので、何か関係があるかなと思いました。「ワセ・ヨン」は私の卒業後にスタートしたプログラムなので詳細は分かりませんが、双方はおそらく英語で議論していると思います。

 そこで、ゼミとサークル双方の後輩にあたる学生がいるので電話してみました。

 すると、「ワセ・ヨン」は先週すでに終了しているとのこと。「あ~残念」と思っていると、その学生から「宮崎さん、電話代かかりますよ~」と言われました。「なんで?」と聞くと、「ワセ・ヨンが終わってみんな帰国したんですけど、僕だけ自費で残って韓国旅行しているんですよ、今まだソウルにいるんですよ」とのこと。新宿あたりにいるんだと思ってました。この日(2月11日)も延世大学に寄っていたそうですが、岡田外相が来ていることは気づかなかったとのこと。

 次の100年へ。日本と韓国のそれぞれの国の次の100年を担う層の若者たちの相互理解と人的交流は確実に進んでいます。

 日本と韓国の戦略的で互恵的パートナーシップはしっかりと構築できているようです。

 

[画像]岡田外交の3原則(宮崎信行作成)


 

 [画像]2月12日付東京新聞1面

東京新聞:『民族の誇り傷つけた』 日韓併合 100年機に 岡田外相が表明:国際(TOKYO Web)

 【ソウル=築山英司】岡田克也外相は十一日、ソウルの韓国外交通商省で柳明桓(ユミョンファン)外交通商相と、日韓併合条約締結から百年を迎えた今年の日韓関係や北朝鮮問題などをめぐり会談した。会談後の共同記者会見で、岡田外相は日韓併合について「韓国の人々が国を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた出来事だった」と見解を述べ、被害者の痛みを忘れずに未来志向の友好関係を築く考えを明らかにした。 

 岡田外相は「私は日本人であることを誇りに思う。それゆえに国を奪われた人々の気持ちが理解できる」と説明。「併合された側、痛みを覚える被害者の気持ちを決して忘れてはいけない」と表明した。

 会談では、両外相が今年を「新しい段階に向けた年」とすることで一致した。日韓の民間交流活発化の一環として、二〇〇七年九月以来休会している両国の有識者による「日韓文化交流会議」の再開で合意した。

 永住外国人への地方参政権付与法案をめぐっては、柳外通相が法案の成立に期待感を表した。これに対し、岡田外相は「政府として現在検討中だ」と説明し、理解を求めた。

 韓国政府は日韓併合百年の今年に天皇陛下の訪韓実現を要望しているが、会見で岡田外相は「慎重に検討していきたい」と答えた。

 北朝鮮問題では、両外相は会談で核とミサイル、拉致問題を含む人権問題の包括的解決の重要性で一致した。北朝鮮がまず非核化措置を実施することが重要で、核問題をめぐる六カ国協議の再開に向け、米国を含めた関係国の緊密な連携を再確認した。

 <日韓併合> 大日本帝国が1910年8月22日、保護国にしていた大韓帝国との間で併合条約に調印し、条約は同月29日に発効した。日本は太平洋戦争で敗北した45年まで、植民地支配した。朝鮮総督府を設置し大韓帝国を朝鮮と改称。皇民化政策を推進して民族独立運動を抑圧した。

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被爆65年で初めて米国大使、国連事務総長、外相がヒロシマに

2010年08月06日 08時29分04秒 | 岡田克也、旅の途中
 原爆投下から、65年。

 NHKの原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(平和祈念式)の中継にあわせて、私も黙祷を捧げました。

 今年の式には、米国の代表として、ジョン・ルース駐日大使が初めて参列し、潘基文・国連事務総長、核保有国の英国、フランスの臨時代理大使、そしてロシア政府の代表者も出席しました。

 菅直人首相、岡田克也外相も出席しました。6日付朝日新聞1面の報道では、外務省によると、外務大臣が祈念式に参加するのは65年目にして初めて。ちょっと遅かったかな。

 岡田さんはマグサイサイ賞に輝いた秋葉忠利・広島市長とは党派は違えど、第39回衆院選初当選(岡田世代)で、岡田さんも非核政策をライフワークの一つにしてきました。オバマ大統領が2009年4月にチェコのプラハで、「核なき世界」を表明してから、世界の風が変わってきたようです。「持つ者と持たざる者」。核を持つ者、国連の常任理事国5カ国(P5)はすべて核保有国ですが、核による均衡のためには巨額の費用が必要です。これからは、核を減らしていって、いずれは核を廃絶する。拡散防止ではない、廃絶する。そうやって、時間をかけて、ともに、新しい国際秩序を作っていく。話し合い、人間の叡智がカギとなります。

 過去を振り返ることで、前に進む。プラハ演説が「触媒」となり、世界の流れが変わりつつあります。NPT(核拡散防止条約)の核保有5大国であり、同時に国連で拒否権を持つP5である国の中で、4つの国の代表が、2010年8月6日、ヒロシマに集まりました。来年は、中華人民共和国の代表者も歓迎したい、と思います。

 
[画像]『風が吹くとき』のDVDのジャケット=amazonから。

 『風が吹くとき』というアニメーション映画を見たことがあります。いつ見たかはおぼろげで、1986年製作ですから、おそらく学校の視聴覚教室の16ミリで見た
んだと思います。うちの学校はこういう良い映画をたくさん見せてくれました。近所の古本屋で、映画のプログラム(パンフレット)を見つけて、それは押し入れにしまってありますから、強烈な印象を受けた映画です。また見たかったんですが、なかなかチャンスがありませんでした。

 日本語版の吹き替えは、森繁久彌さんと加藤治子さんで、NHKの「日曜名作座」の2人です。2人の声ですから、日本人の耳当たりとしては、日常の光景。その日常の光景が、「風が吹くとき」、突然に終わる、というストーリーだったのではないかと記憶しています。

 8月のケーブルTV番組表を改めていたら、8月15日(日)の午後9時からと、8月29日(日)の午前11時からの2回、「アニマックス」で放送するというので見てみようと思っています。調べたら、昨年に再び世に出ているようで、レンタルもあるようです。

 20世紀は物理学の世紀でした。21世紀になって、「物理の風」もう一度、吹く前に、人間の叡智の風が吹き始めました。

 正直、ここ数年、私は平和祈念式の中継とともに黙祷する習慣を失いつつあったんですが、朝刊に岡田さんが出席すると知り、テレビを付けました。ねばり強く積み重ねてきたみなさんの努力に感謝しながら、黙祷しました。平和の鐘の音に染み入る蝉の声が一人の日本人として、その「灼熱」を惹起させました。

 来年からも、こうしようと思いました。 
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【APEC横浜まで100日】「晴れた日にはアメリカが見える」岡田卓也の太平洋

2010年08月05日 08時21分03秒 | 岡田克也、旅の途中
[写真]岡田卓也イオン相談役名誉会長=早稲田学報2010年4月号20頁から拝借しました。

 お話を伺った応接室には大きな窓があり、太平洋がいっぱいに広がっていた。「晴れていれば、アメリカが見えますよ」、岡田さんはそういってほほ笑んだ。

 早大の同窓会誌「早稲田学報」の4月号に、岡田卓也さんのインタビューが載っていました。イオン本社は、千葉市美浜区にあるんですね。千葉マリンスタジアムや幕張メッセの近くです。

 早稲田の杜での青春よいずこ、岡田卓也さんは勤労学徒として、茨城・鹿島灘の浜辺で、アメリカ軍の上陸作戦に備えて、来る日も来る日も塹壕を掘っていたそうです。(岡田卓也著「小売業の繁栄は平和の象徴 私の履歴書」日本経済新聞社)。

 遙かなる太平洋に胸を張るかに悠然とそびゆる鹿島灘は日本でイチバン長い灘です。その浅瀬を、米軍が上陸してくるという超正面突破作戦はとうてい考えられないと思うんですが、リーダーがアホだと、いつの世もタイヘンです。

 早稲田学報では、岡田卓也さんに「なぜ木を植えるのですか?」とたずねます。

 岡田さんはこう答えています。

 「20世紀はアメリカとソ連の東西問題の世紀でした」(注:ロシアとは今のロシアのことです)、「21世紀は南北問題になる。その南北問題のキーワードは何か、私は『環境』だと思い、『イオン1%クラブ』と『イオン環境財団』を作りました。では環境とは何か。水と緑だ。水と緑ならば森、林だつなげていきました。環境財団の一つの仕事して『木を植えよう』と考えました」

 岡田さんに、万里の長城の八達嶺に木を植えませんか?との提案が届きます。

 「日本から延べ8000人のボランティアが中国に行き、中国の方と一緒になって100万本の苗を植えました」、「今や植える場所を探すほどになっている」、「失業救済ぐらいの気持ちで始めた苗木作りが、今や産業になっています」

 
[画像]木を植える岡田卓也さん、早稲田学報4月号から

 そして、

 「ラオス、タイマレーシアベトナムであろうが、青島、香港、カンボジアでもボランティアの方々と一緒にやります。当然、現地の人々も参加してくれます。ここから交流が始まります」。

 「それから、アジア地域の変化というのは、日本の変化よりももっと早い。今、カンボジアへ行っても、ベトナムへ行ってもすごい変化です。自転車ばかりだと思ったら、カンボジアのプノンペンでも夕方になると車が渋滞するんです。驚きますよ」。

 そして、中国については、こんな面白い話が。

 「中国も最初に行ったころは、赤いものといったら旗だけか、というようなものでした。口紅なんて誰も塗っていないし、赤いものを探すのに難儀しました」

 これすごいユーモアですよね。

 昔の中国(大陸)に行ったときの感想が、赤いのは五星紅旗だけで、灰色の世界だった。これはおもろい。卓也さんの長男の岡田元也・イオン社長が記者会見後に、新商品と一緒にひょうきんなポーズで収まっている写真を新聞の経済面でよく見ますよね。ちなみに、卓也さんと元也さんはともに早稲田大学(商学部)を出ています。2人のユーモアはきっと早稲田で身につけたんだろうな、と思います。

 そして、

 「驚異的な速さでアジア諸国は変化しています。そういう意味では、若い人たちにはチャンスがある、と私は思います」と、次世代の若者たちへのエールでインタビューを締めくくっています。

 さて。

 岡田卓也さんは1959年(昭和34年)にアメリカにでかけました。その視察は「驚きの連続」で、帰国後、大いに発奮し、アメリカ流を取り入れて

 「岡田屋」改め、

 「SSDDSオカダヤ」というお店を開きます。

 「SSDDSオカダヤ」とは
 「セルフ・サービス・ディスカウント・デパートメント・ストア・岡田屋」の略だそうです。

 セルフサービス方式を採用しましたが、「カゴを持って下さい」とお願いしてもお客さんはカゴを持ってくれず、常連客が「カタカナでオカダヤと書くとは何事だ」と叱られ、この1店舗で閉めました。とはいえ、「大量仕入れ・大量販売によるチェーンストアは、日本で必ず定着するという予感はした」そうです。(上記「私の履歴書」から)。

 一方、小売業の繁栄に邁進する父とは違う「公の道」に進むため、東大法学部から通産省に進んだ岡田克也さんも太平洋を渡りました。

 1986年1月28日、スペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故に毅然と振る舞ったアメリカ大統領、ロナルド・レーガン。

 「私はアメリカの地で、政治や政治家の果たす役割の大きさ、あるいは政治の可能性の大きさに気づいた」「日本の政治を何とかしなくてはならない、と強く感じた。また、アメリカでできていることが日本でできないはずはない、とも思った」岡田克也著『政権交代』 講談社、62~63ページから)

 
[画像]チャレンジャー爆発事故でも毅然と振る舞った米国大統領、ロナルド・レーガン(左)=US News & World Report誌から。

 ロナルド・レーガンは、カリフォルニアの小高い丘から、太平洋を見守っています。西に見えるのは、ハワイであり、そして日本です。

 さて、きょう8月5日は特別な日です。

 いよいよAPEC浜の首脳会合まできょう(8月5日)であと100日となりました!!

 
 かつて、世界の中心は地中海であり、大西洋でした。これからは、太平洋の時代です。世界の人口の4割以上、世界のGDPの6割近くはAPECなんですよ。少し自信を失い、内向きな日本ですが、横浜開港から151年間に吸収したあらゆるものを整理整頓して成熟させる
チャンスです。

 APECは2010年は浜、2011年はハワイ、2012年はウラジオストックで開かれます。先日、ウラジオストックでは、APEC2012向けに道路整備中にトラブルがあったとの外電を読みましたが、APEC浜2010が開かれる横浜市みなとみらい21地区のパシフィコ横浜は準備万端、大丈夫です。

 高秀秀信・浜市長の時代にみなとみらいは日本中の注目を浴び、ゴールデンウィークのにぎわいでも全国ベスト3に入りました。2000年G8サミット開催は、九州・沖縄に軍配が上がりましたが、2008年のTICAD(日本アフリカ開発会議)に次いでの大規模国際会議の開催です。

 
[写真]パシフィコ横浜をはじめ、「みなとみらい21地区」の発展に多大な功績を残した在りし日の高秀秀信・横浜市長。

 浜から、もう一度私たちは自信を持って、外洋に目を見開こうではありませんか。アジア太平洋各国の大統領・首相を菅直人首相岡田克也外相らが迎えます。日本とアジア太平洋の発展のために、考え方の違いを超えて日本国民全員でおもてなしのこころを持ちましょう。

 APECに参加するのは、

 日本、アメリカ、ロシア、中国、香港、台湾、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム、パプアニューギニア、メキシコ、チリ、ペルーの21の国と地域です。

 
[画像]11月のAPEC浜首脳会合に参加する菅直人首相(日本)、オバマ大統領(アメリカ)、胡錦涛国家主席(中国)、ユドヨノ大統領(インドネシア)、メドべージェフ大統領(ロシア)、ベニグノ・アキノ大統領(フィリピン)=左上から時計回り

 APECについて、もっと知りたい方は、下のバナーをクリックすると、「2010年APEC横浜開催推進協議会」のホームページに飛べます。
     ↓
 
 

 100年先も、平和な太平洋であるために。
 100年先も、豊かな太平洋であるために。

 始まりはいつもヨコハマから!!

 日本国民全員の総力を結集して、APECを成功させましょう!<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns:trackback="http://madskills.com/public/xml/rss/module/trackback/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"> <rdf:Description rdf:about="http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/6eaf91bade21d1a425177bbca2ac9698" trackback:ping="http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/6eaf91bade21d1a425177bbca2ac9698/f5" dc:title="【APEC横浜まで100日】「晴れた日にはアメリカが見える」岡田卓也のアジア太平洋" dc:date="2010-08-05T08:21:03+09:00" dc:description="[写真]岡田卓也イオン相談役名誉会長=早稲田学報2010年4月号20頁から拝借しました。 お話を伺った応接室には大きな窓があり、太平洋がいっぱいに広がっていた。「晴れていれば、アメリカが見えますよ」、岡田さんはそういってほほ笑んだ。 早大の同窓会誌「早稲田学報」の4月号に、岡田卓也さんのインタビューが載っていました。イオン本社は、千葉市美浜区にあるんですね。千葉マリンスタジアムや幕張メッセの近くで" dc:identifier="http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/6eaf91bade21d1a425177bbca2ac9698" /> </rdf:RDF> -->
 
 
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「官房機密費を受け取ったことはない」

2010年07月28日 09時24分36秒 | 岡田克也、旅の途中
[写真]岡田元也さん、岡田克也さん、高田昌也さんの岡田3兄弟=岡田かつや公式サイトから

 東京新聞は2010年7月28日付5面に、本社で第268回『読者と対話の日』が7月17日開かれた、として、読者と東京新聞編集局幹部のやりとりを詳しく伝えました。

 この中で、「記者クラブ問題や官房機密費では社側の見解を求める声も聞かれた」として大きな見出しを立てています。

(紙面より引用はじめ)

 官房機密費に関し高田政治部長は「私も政治部で20年たつが、私の知る限り、先輩も含め機密費を受け取ったということはない。現政治部員にしても同様だ」と述べた。

(引用おわり)

 として、編集局政治部長の高田昌也さんは、官房機密費(内閣官房共通費の報償費)を受け取った経験がないことを明らかにしました。

 

[画像]2010年7月28日付東京新聞5面

 東京新聞のスター記者で政治部長の高田昌也さんは、外相の岡田克也さんの実弟で、母方の祖母に跡取りがいなかったため、高田姓を名乗っています。イオン創業者の岡田卓也さんの長男は岡田元也イオン社長、次男が克也外相、三男が昌也さんです。
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【第22回参院選】岡田民主党は完勝!政権・党建て直しに全力を尽くせ!

2010年07月12日 06時00分17秒 | 岡田克也、旅の途中

(初エントリーは2010年7月11日午後11時57分)

  第22回参院選の開票スタートから2時間ほどで、昨年5月16日の代表選で岡田克也さんの推薦人になった改選議員全員が当選確実となりました。

 茨城選挙区で農水副大臣の郡司彰さん
 静岡選挙区で国交政務官の藤本祐司さん
 大分選挙区で厚労政務官の足立信也さんです。

 そのほか、先頭に立って応援した
 東京選挙区の行政刷新担当大臣の蓮舫さん
 京都選挙区の内閣官房副長官の福山哲郎さん
 三重選挙区の芝博一さん
 滋賀選挙区の林久美子さん

 らも、みな当選確実となりました。

 人を見る目がある候補者は、有権者からもしっかり見られているということですな。 おめでとうございます!

 新生党→新進党→民主党と一緒に歩んだ、長野選挙区の防衛大臣の北澤俊美さん、比例区の前田武志さんの72歳コンビが当選し、にらみを利かせます。

 元三重県連仲間である、神奈川選挙区の金子洋一さんも、選挙区のオーラスで、当選しました。 

 岡田さんのアキレス腱だった参院民主党内で、岡田さんの発言力がようやく高まりそうです。

 とはいえ、第20回参院選で岡田民主党が獲得した50議席(投票日時点での公認者)を割り込む見通しとなってきましたので、力を合わせて、民主党政権を発想そのものからしっかりと建て直していく先頭に立ってもらいましょう。また、国会を通じて、自民党さん、公明党さん、みんなの党さんらとみっちり話し合っていく上での議論の中心にならなければいけません。

 自民党の議連「CP研」の仲間の栃木選挙区の簗瀬進さんが落選しましたが、彼は「政権公約を実現する会(鳩山グループ)」の会員だったのだと思いますから、しかたありません。鳩山グループは“依存体質”があり、自分の脚で踏ん張りきれないベテラン・中堅が多い傾向がみられます。

 対抗馬(鳩山由紀夫さん)の推薦人になった改選議員のうち、比例区の広中和歌子・元環境庁長官と、長崎選挙区の犬塚直史さんの2人が落選しました。犬塚さんは、小沢グループ「参院一新会」(政治団体登録はしていない)の主要メンバーです。

 
[写真]落選した小沢グループの犬塚氏=読売新聞紙面から

 九州の1人区のうち、岡田さんを推薦した足立さんは当選し、鳩山さんを推薦した犬塚さんは落選と明暗がくっきり分かれました。

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岡田克也外相「ここまでよく戻した」天敵・輿石東氏の“甘さ”も指摘

2010年07月11日 23時14分30秒 | 岡田克也、旅の途中

 外相の岡田克也さんは11日午後10時半過ぎ、日テレ選挙特番に出演し、「菅さんが総理になる前から比較すると、よくここまで短期間に戻したな。前の体制だったら、もっと悲惨な予想になっていただろう」との認識を示しました。

 岡田さんは今回改選を迎えた参院議員が当選した6年前の第20回参院選を民主党代表として闘い、自民党結党49年目にして初めて国政選挙(補選を除く)第1党の座を奪い取りました。

 岡田さんは、島田紳助さんの質問に答えて、ねじれ国会によって「物事が動きにくくなったことは間違いないかもしれない。でも、数の力ではなく、(与党が野党を)説得していく必要がある」として、前の体制のような強行採決連発路線を止め、話し合いによるていねいな国会運営が必要だ、との認識を示しました。

 私たちの税金から、年間「10億円」以上の「立法事務費」というお金が、参院会派「民主党・新緑風会・国民新・日本」に振り込まれています。このお金は会派から党本部に上納しています。これは岡田さんが政権交代実現に向けた党基盤の強化のために、働きかけたものです。この一件をきっかけに輿石さんは一方的にひたすら岡田さんの悪口を言い続けています。昨年5月の代表選でも、岡田さんは立候補表明の直後に、参院議員会館まで、輿石参院議員会長にあいさつに行きましたが、不支持を表明した上、マスコミに悪口をしゃべりまくりました。そのうえ、岡田さんに流れが行くと、小沢一郎さんらとともに、若手参院議員にかなりえげつないしめつけをしたとされています。十数人の参院議員が部屋に閉じこめられ、緊張と恐怖で泣き出した議員もいたとの証言もあります。

 さて、選挙特番では、岡田さん出演中に天敵・輿石東さんの当確が出ました。司会者からコメントを求められた岡田さんは、「良かったですね」とポツリ。しかし、その後、「この選挙区は1週間ぐらい前までは、『ここは大丈夫』と言われていた選挙区だったのですが、(開票日には大接戦になったのは)どうしてこうなったのか? よく検証したいと思います」と述べました。岡田さんは大変な選挙オタクとして知られており、輿石陣営などの戦術に問題がなかったか、検証したい意向を紳助さんらに述べました。

 粕谷政治部長の「9月以降も菅体制ですか?」との問いに、「当たり前です。総理が毎年替わることで国益がどれだけ損なわれているか、国連総会やサミットなどの国際会議に出ていると痛感します」と述べ、11月のAPEC浜をはじめ、これからも菅総理を支えていくことを明言しました。

 なお、開票スタートから2時間ほどで、昨年5月の代表選で岡田さんの推薦人になった改選議員全員が当選確実となりました。郡司彰さん、藤本祐司さん、足立信也さんです。先頭に立って応援した蓮舫さん、福山哲郎さん、芝博一さん、林久美子さんらが、続々と再選しています。

 一方、対抗馬(鳩山由紀夫さん)の推薦人になった改選議員のうち、犬塚直史さんは長崎選挙区で落選が確実。これは午後11時現在で、比例でもう1人(広中和歌子さん)落選者が出る可能性もあります。

 これはかなり珍しい感想でしょうが、私は第22回参院選でニッポンは前に進んだと考えます。

 現時点で参議院の運営に関しての予想は難しい、もう少し待ってください。

 しかし、3年以内に解散を迎える衆院民主党では、岡田さんについて行かないと自分のクビがアブナイことが分かった人が多いでしょう。

 衆院民主党は312人。仮に今の定数のまま、第46回衆院選をたたかうにしても、必要な人間は241人です。およそ50人~60人の余剰人員があります。これを仕分ける。どういう意味か、分かりますね。そうしながら、次の総選挙では、「参議院大改革」の法案まで作って、一気に「しくみ」を変える。政策はしばらくいいですわ。政策よりもまずは、「しくみ」!。その後、私たちが人間として信頼できる総理大臣を作って佐藤越え(8年以上の長期政権)をめざしましょう。

 まっすぐにひたむきに日本は良い方に向かっています。

 と僕は思いますけど、いかがでしょうか? 

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岡田外相、ずぶ濡れで「もう一度チャンスを下さい」

2010年07月09日 22時32分27秒 | 岡田克也、旅の途中

 民主党、外相の岡田克也さんが9日夕、埼玉県川口駅東口で街頭演説しました。

 岡田さんは、「まずみなさんにお礼を申し上げます」と演説を切り出しました。

 「昨年の夏、総選挙において、政権交代・・・みなさん一人一人の決断の中で、戦後初めての選挙による政権交代が実現しました」。

 そのうえで、民主党政権は「2つのものと闘っている」として、
 ①既得権
 ②官僚主導

 を挙げました。

 「みなさんが選んでいただいた政治家が決定し、責任を取る。そういう政治主導への転換です。これは、明治以来の日本の国のかたちを変えることで物凄いエネルギーがいります。だけど私たちは正面からこのことに取り組んでいます」と強調しました。

 外務省で岡田さんが取り組む外交文書の30年後の公開を実績として紹介したほか、「長妻(昭)さんが厚労省で、前原(誠司)さんが国交省で、野田(佳彦)さんが財務省でそれぞれが戦いながら今大きく政治のしくみを大きく変えています。まだみなさん、実感できないかもしれませんが・・・」と実績を強調しました。

        
[写真]厚労相の長妻昭さん、国交相の前原誠司さん、財務相の野田佳彦さん

 第45回衆院選→第22回参院選の300日間には、

 「政治とカネの問題、本来民主党に、あってはいけない問題でした」と強調し、小鳩体制を詫びました。その上で菅直人総理の下に出直す覚悟を示し、

「どうかみなさん、私たち

民主党にチャンスをください

 と頭を下げ、次の総選挙までには政治のしくみが変わったと実感してもらえるようにしたいとしながら、もう一度、「チャンスをいただきたいと思います」と繰り返しました。

 そして、第22回参院選の争点は、
 「10か月前に始まった新しい政治をさらに前に進めていくのか?

 それとも(OR)、古い政治に戻すのか?

 「そのことが唯一の争点」の選挙であるとの認識を示しました。私も全面的に賛同します。自転車(政権)はペダルをこぎ続けないと前に進めません。

 「みなさんどっちを選びますか? (第45回衆院選の)1回であきらめますか? 違うでしょうみなさん」と呼び掛けました。

 そして、「自民党で新しい政治ができますか?」「ちょっと前まで自民党にいた人たちに新しい政治ができますか?」と畳みかけ、自民党とみんなの党をけん制し、

 「民主党こそが新しい政治を実現できるんです」と演説すると、かなり大きな拍手を浴びました。

 そして、「きょうあすのみなさんの力で大きく流れを変えることができる。私はそう信じています」として、大逆転(60議席)への協力を呼び掛けました。

 降りしきる雨は次第に豪雨になりましたが、岡田さんは一切傘無しで通し、この選挙に勝ちたい根性を態度で示しました。

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