2024年に入ってから気が付けば3月になっておりました。
昨年末以来すっかり投稿をサボってしまい、今年最初の投稿となります。遅ればせながら本年もよろしくお願いいたします。
さて、今回はきたる3月17日(日)に開催される、276回目となります見学会、『天正壬午の乱—北条編—「異形の城」』についてご案内いたします。今回は山梨県北杜市にある獅子吼城、旭山砦、谷戸城の3城をめぐる見学会です。いずれも天正10年(1582)、本能寺の変を機に武田氏旧領の領有をめぐり勃発したいわゆる“天正壬午の乱”において北条軍が布陣した城で、各々が特異な縄張りを有しております。これらを現地で皆さんと楽しく考察していきたいと考えております。
下記のとおり開催いたしますので、皆様ふるってご参加ください。勿論、会員以外の方も参加も大歓迎いたします。
■実施日:令和6年(2024年)3月17日 (日)
※小雨決行、悪天候の場合は見学地・コースの変更あり
※中止・延期の場合、当日AM6:00に決定して連絡
■見学先: 獅子吼城、旭山砦、谷戸城 脚力レベル★★★☆☆(3)
■参加費: 会員6,000円/一般7,000円
■乗り物: 市沢さんのバス
■乗車地: JR静岡駅北口ロータリー
■身支度: ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類
■担 当: 望月 徹事務局長
■締切日: 3月13日(水)までに メール、s-kojouken@outlook.com まで
■日 程: 8:00JR静岡駅北口出発 → 日本平久能山スマートIC→中部横断自動車道→
9:30増穂PA(トイレ休憩)→ 中央自動車道→10:30~12:00獅子吼城見学(昼食)→12:15
北杜市高根体育館駐車場着→(徒歩1.5km)→旭山砦見学→(徒歩1.5km)→14:00体育館出発
→14:20北杜市考古資料館・谷戸城見学→16:00資料館出発 帰途へ→18:00JR静岡駅南口
(解散)
■見学地概要
【獅子吼城】
築城時期は定かではない。応永年間(1394-1428)には江草兵庫助信泰が居城していたといわれ、豊富に散在する石材を利用した縄張が特徴。
武田氏支配の頃には信州峠、甲州佐久街道を押さえる要所として、また塩川沿いの狼煙中継点として機能した。
天正十(1582)年に織田信長・徳川家康の連合軍の侵攻によって武田氏が滅亡し、その後の本能寺の変で織田信長が死去すると武田氏遺領を廻り、徳川氏と北条氏の間で抗争が勃発(天正壬午の乱)。この際、北条氏直は若神子城を本陣とし、徳川家康は新府城を本陣とした。この時、獅子吼城には北条勢が立て籠もったが九月、家康配下の服部半蔵、武田氏遺臣の津金衆・小尾衆らが夜襲を掛けて落城させた。その後和睦が成立し、甲斐が徳川領となると獅子吼城は廃城となった。
【旭山砦】
甲斐国誌に「朝日山ノ塁蹟(村山北ノ割村)高サ拾町余ノ突峯也 頂ニ塁郭ノ跡存セリ 遠ク四方ヲ眺ムベシ壬午ノ時 北条氏直ノ築ク所ト云伝フ 北ハ長沢 南ハ若神子ニ当ル 東麓ニ平沢ニ出ル路亘レリ 古時ノ烽火台ト見エタリ 武田ノ軍法ニ飛脚篝(ひきゃくかがり)トテ四所アルベシ 今モ其照合タル場所預カリシメシハ知ラルル処ナリト云」とある。
武田氏時代から烽火台があり、天正壬午の乱で北条氏直がここに城を築いたとある。佐久往還を抑える要衝であり、佐久経由の部隊を駐留させる目的と考えられるが、完成を見ずして放棄された。
縄張に同時期に築かれた御坂城と共通する疑問点などが見られ大変興味深い。
【谷戸城】
築城年代は定かではないが鎌倉時代に逸見清光によって築かれたと云われる。
八ヶ岳の山体崩落で形成された尾根上に立地し、標高は850m付近。地形を利用して同心円上に土塁や空堀を配した輪状郭群。東西を東衣川、西衣川に画され、北側は尾根に通じ三方は急崖に囲まれている。
土塁の内側に穿たれた横堀などきわめて稀な縄張構造が特徴。
天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、織田氏の勢力下となったが、織田信長が本能寺の変に倒れたことにより、徳川氏と北条氏が甲斐に侵攻して草苅り場となる。この天正壬午の乱で谷戸城は北条氏方の城となり、この北条氏によって城が改修されたとされる。
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