2月4日(土)、横浜市歴史博物館で神奈川県考古学会主催のシンポジウム「戦国期黎明期に築かれた城郭 扇谷上杉氏の城」が開催されました。
このシンポジウムは、15世紀後半~16世紀前半に相模~武蔵にかけて勢力を誇った関東管領の一族:扇谷上杉氏の城郭にスポットを当て、戦国前期の、小田原北条氏が関東の大半を制圧する以前の城郭について考えてみようというものでした。会場はほぼ満員の盛況ぶりでした。
シンポジウムは、糟屋館・丸山城(かながわ考古学財団:松葉崇氏)、深大寺城(調布市郷土博物館:生田周治氏)、茅ヶ崎城(玉川文化財研究所:坂本彰氏)、大庭城(藤沢市郷土歴史館:宇都洋平氏)のそれぞれの縄張や発掘調査成果についての説明の後、川越市立博物館の田中信氏の講演「『大名系かわらけ』の可能性を探る」が行われ、その後討論会が行われて閉会となりました。
シンポジウムに参加して改めて感じたことは、考古学的発掘調査においては、15世紀後半~16世紀前半の遺構・遺物が出土する城郭が結構多いということです。むしろ縄張研究でよくとり上げられる16世紀後半(永禄~天正期頃)の遺構・遺物は意外と少なく、16世紀のある時期を境に、城郭の性格がある程度変化するのではないかと思わせるくらいです。関東地方の城郭史を考える上で、今回のシンポジウムでとり上げられた扇谷上杉氏だけでなく、関東管領家の嫡流である山内上杉氏も併せた両上杉氏を抜きにしては考えられない、ということを再認識しました。
静岡県、特に伊豆地方(旧伊豆国)は、伊勢宗瑞(北条早雲)が進出する以前は山内上杉氏が守護を務めていた国で、伊豆の城郭については上杉氏が城づくりに与えた影響をよく考えてみる必要がありそうです。
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