当会では、9月には会員による「研究成果発表会」を計画しておりましたが、諸般の事情で会場を予定しておりました静岡市長田生涯学習センター大ホールが予約できず、開催が困難となり中止せざるを得なくなりました。
そこで今回、緊急企画として、島田市博物館で開催されております企画展『築城450年記念 諏訪原城』と現地、野田城などの武田軍の城郭を見学するミニ見学会を開催いたします。現地解説は望月会長と平井副会長が担当します。
皆様のご参加、お待ちしております!
■実施日:令和5年9月24日 (日)
*小雨決行、悪天候の場合は見学地・コースの変更あり
■見学先:野田城・島田市博物館・諏訪原城・小山城(脚力レベル★★★☆☆)
■参加費:会員3,000円/一般4,000円(島田市博物館入館料込み)
■乗り物:市沢さんのバス
■乗車地:JR島田駅北口ロータリー(今回は島田駅集合です!ご注意ください)
■身支度:ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類
■担 当:望月 保宏会長・平井副会長
■申込み:9月20日(水)までに静岡古城研究会事務局メール、s-kojouken@outlook.com まで
■日 程:8:00JR島田駅北口出発 → 9:00野田城見学→ 11:00島田市博物館『築城450年記念 諏訪原城』見学→ 13:30諏訪原城見学→ 15:30小山城見学→17:30島田駅南口着・解散
【見学地概要】
① 野田城(島田市野田字城山)
・先行研究では南北朝期に駿河南朝方の佐竹兵庫入道・藁科以下が立て籠もった大津城としている。観応3年9月、足利尊氏の命により今川氏に付属した伊達藤三景宗は今川範氏とともに連日18日間にわたり攻め続け落城に至った軍忠状を典拠としている。一方、戦国期とする相違した見解は、地誌の『駿河志料』等に「城山と云ふ、永禄年中甲州の功臣初鹿野傳右衛門居す」とあり、城の構造を見ても横堀から竪堀に落とす手法など、南北朝期の城郭とするには無理のある縄張が見て取れ、武田氏による築城もしくは改修を受けている可能性が大いにある。
② 諏訪原城(島田市菊川城山)
・諏訪原城跡は、牧之原台地の北端部に近い標高212mから220mの台地に立地する山城である。本曲輪東側の斜面は断崖絶壁となっており、当時の大井川は牧之原台地に沿って流れていたことから自然地形によって守られた「後ろ堅固の城」となっており、天正元年(1573)、武田勝頼が家臣の馬場美濃守信春に命じて築城した。城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城と名が付いたと言われている。駿遠の国境に位置し、武田・徳川の双方が国取りの拠点とした城である。天正3年に徳川家康によって攻め落とされ、牧野城(まきのじょう)として使用されたが、廃城時期はわかっていない。現在でも三日月堀と馬出がセットになった丸馬出や横堀が良好な形で残っており、戦国時代の山城の特徴を残している。島田市では史跡整備に向けた発掘調査を実施しており、現在残る遺構は徳川家康による改修の可能性が指摘されている。(島田市公式ホームページより、一部改変)
③ 小山城(吉田町片岡字東原)
・永禄11年(1568)、武田信玄は遠江をおさえる第一歩として、この地に砦を築いた。その後、元亀2年(1571)、城郭を備えて新たな名前を付けたのが「小山城」である。 城を攻略しようとする徳川家康との激しい戦いが、何度もこの地で繰り返されたが、天正10年(1582)、敗北を悟った武田方は自ら城に火をかけ、甲州へ落ちていった。 現在、三重堀などの遺跡や「展望台小山城」内の武田氏ゆかりの品々が、当時の面影を偲ばせている。(吉田町公式ホームページより、一部改変)