静岡古城研究会会長:もっちーのブログ

静岡古城研究会会長:望月のブログです。主に静岡県内の中世城郭関係の情報を発信します。※当ブログはリンクフリーです。

静岡古城研究会創立50周年記念事業 歴史シンポジウム「静岡県の城郭研究の50年を考える」開催のご案内

2023-06-18 18:19:44 | 総会・研究発表会のお知らせ

静岡古城研究会は、1972(昭和47)年に創立し昨年で50周年を迎えました。

しかし昨年はコロナ禍のため大規模な記念事業は見送り、『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』の刊行記念に絞って研究発表会を行いました。

この度、新型コロナウイルスの感染症法上の扱いも5類となり重症化率も下がってきたことから、1年遅れではありますが標記の記念シンポジウムを開催することとなりました。

内容については下記のとおりですので、皆様ふるってご参加くださいますようお願いいたします。

〔当日、当会の機関誌『古城』(1冊2,000円)、『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(中部・駿河国版) 改訂版』(1冊5,000円)、『静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)』(1冊7,000円)等の販売も行います。〕

なお、終了後、会場近くの「柚木の郷」内の「旬のお料理 さんすい草木」で懇親会(会費5,000円)も計画しておりますので、お時間のある方はこちらもご参加ください。 

                      記

1 開催日時  2023(令和5)年7月16日(日)10:15~16:30(受付 9:45~) 

                  *会員の方は 9:20~ 総会があります。

2 場  所  静岡県コンベンションアーツセンター「グランシップ」

        (静岡市駿河区東静岡2丁目3-1)10階会議室1001-2

3 参加費等  資料代1,000円

4 内  容  ①【基調講演1】小和田哲男(静岡大学名誉教授・静岡古城研究会名誉顧問)

                                                                 10:20~11:20

         「静岡県の城郭研究の50年を振り返って 

         ~付・家康により極められた駿河・遠江の城づくり~」

        ②【基調講演2】水野茂(静岡古城研究会名誉会長) 11:25~12:15

                「静岡古城研究会50年の活動と成果を振り返る」

        〔昼食・休憩〕

        ③【発表1】望月保宏(静岡古城研究会会長) 13:00~13:40

                「開発で消滅した城・発掘調査により蘇った城」

        ④【発表2】平井登(静岡古城研究会副会長) 13:45~14:25

                「会員のフィールドワークにより新発見した城砦リスト」

        ⑤【発表3】増田慎司(静岡古城研究会会員) 14:30~15:00

                「本会の活動の多様化と縄張り調査技術の進化」

        ⑥【パネルディスカッション】ナビゲーター:斉木圭(静岡古城研究会会員)

                                    15:10~16:30

                「静岡県の歴史学における縄張り研究の評価と課題」

         パネラー:小和田哲男・水野茂・乘松稔(静岡古城研究会顧問)・平井登

              ・川村晃弘(静岡古城研究会元副会長)・望月保宏

5 申込方法  メール(アドレス s-kojouken@outolook.com)か官製ハガキ

       (宛先 〒420-0944 静岡市葵区新伝馬2-7-25 静岡古城研究会事務局長 

        望月 徹 宛て)で、「歴史シンポジウム申込み・氏名(ふりがな)・住所・

        電話番号・(懇親会参加希望の方はその旨も)」を明記の上、お送りください。

  ☆締切日  2023(令和5)年7月7日(金)  先着130人まで

  ー 以上、よろしくお願いいたします。

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第273回見学会(1泊2日)「若狭・近江湖北の山城 -若狭武田氏の山城と賤ヶ岳の合戦の陣城をめぐる-」のご案内

2023-03-22 23:05:28 | 見学会のお知らせ

日に日に暖かさが増していく今日この頃、城歩きのベストシーズンも終わりに差しかかりつつありますが、当会では令和4年度(2022年度)最後の見学会となる若狭・近江湖北方面の代表的な山城である後瀬山城・国吉城、玄蕃尾城・田上山城の見学会を下記のとおり企画いたしました。

この1泊見学会は、もともと令和元年度(令和2年5月)に計画していたものですが、コロナ禍により延期を重ね、この度ようやく4年ぶりに開催する運びとなったものです。

会員の皆様は勿論、会員外の皆様の参加も大歓迎いたしますので、多数の皆様のご参加をお願いいたします。

○見学会のねらい

  現在の福井県西部にあたる旧若狭国の守護であった武田氏に由来する後瀬山城、国吉城、賤ヶ岳の合戦の陣城である玄蕃尾城、田上山城を訪ね、「織豊系城郭」成立前後の城郭の縄張りの特徴と変遷について考察する。

○実施日  令和5年(2023) 5月13~14日(土~日)

○見学地 【1日目】後瀬山城(小浜市)、国吉城(美浜町)

     【2日目】玄蕃尾城(敦賀市・長浜市)、田上山城(長浜市)

○宿泊地  東横INN敦賀駅前(℡ 0770-20-1045)

○担当者  望月保宏・大木一幸

○参加費  会員25,000円、一般26,000円(資料館入館料、懇親会費含む)

○バス   市沢さんのバス

○乗車地  静岡駅北口一般車ロータリーの音楽観AOI側、東名日本坂PA、小笠PA、三方原PA

○身支度  ハイキング程度の服装(滑りにくい靴、雨具)、初日昼食弁当・飲み物類

○申込み  3月31日(金)までに、氏名・連絡先(携帯電話のある方は携帯電話番号)・乗車場所を明記の上、

      静岡古城研究会事務局メール s-kojouken@outlook.com まで

○日程(予定)

【1日目:5月13日(土)】

   7:30      静岡駅北口集合、出発

   7:40      東名静岡IC

   7:50      日本坂PA

   8:20      小笠PA

   8:40      三方原PA

   (東名→名神→北陸道→若狭鶴舞道)

  11:45      小浜IC

  12:00~14:00  後瀬山城見学(昼食)

  15:00~17:00   国吉城歴史資料館・国吉城見学

  18:00      ホテル着

  19:00~20:30  懇親会(ホテル近く「地魚料理 まるさん屋」120分飲み放題)

【2日目:5月14日(日)】

   8:15      ホテル発

      (玄蕃尾城入口バス駐車スペースから徒歩約50分)

   9:30~11:00  玄蕃尾城見学

  12:30~14:30  田上山城見学(昼食)

      (見学後、木之本町散策、買い物 → 木ノ本駅)

  15:30      木之本IC

      (北陸道→名神→東名)

  18:30      三方原PA

  18:50      小笠PA

  19:20      日本坂PA

  19:30      東名静岡IC

  19:40      静岡駅南口着、解散

  *雨天決行、悪天候の場合又は時間の都合により、見学地・コースを変更することがあります。

○脚力レベル ★★★★☆(4/5)

※東名高速道路PAにて乗車希望の方は、赤い字のPAのいずれかを明記願います。

※またホテルの宿泊室で喫煙部屋を希望する際は、その旨も明記してください。(原則として禁煙部屋となります)

 

(主な見学地概要)

【後瀬山城】

大永2年(1522)に若狭守護第5代武田元光により築城されたことが文献上明らかになっている。

城跡は北西部に畝状竪堀や大規模な竪堀を配し、西部への防御を密にした縄張配置を行っている。これは、武田氏が若狭守護に任命されて以来確執のある丹後一色氏を意識していることが考えられる。

また、若狭を東西に通過する丹後街道を足下に置き、小浜湊を眼下に見下ろせる場所でもあり、日本海交易の主要港となっていた小浜湊の経済力を掌握する意図もあったものと思われる。

当山城跡の東稜上と北西稜上に配置される連郭群は切岸により区画されており、主要な部分において堀切を持っている。これらの連郭群は谷の横道と形容される連続した連絡道路により連結されており、情報交換施設として注目される。

永禄11年(1568)、越前朝倉氏の侵攻により武田元明が拉致されて以降一時荒廃するが、丹羽長秀の若狭拝領以降、城郭の再整備が実施されたと考えられる。この後、浅野長吉、木下勝俊と城は引き継がれ、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の功により若狭国を拝領することになる京極高次が入城する。しかし、京極高次は北川と南川の河口に城郭(小浜城)の築城を開始し、後瀬山城は廃城となった。

  

【国吉城】

弘治2年(1556)、若狭国守護大名武田氏の家臣である粟屋越中守勝久は、三方郡佐柿の城山に国吉城を築いた。永禄6年(1563)、同城に越前朝倉氏の軍勢が攻め寄せたが見事撃退し、勝久は以後10年にわたって城を守った。元亀元年(1570)には織田信長の軍勢が入城し、同城から越前攻めに向かっている。

天正11年(1583)国吉城主となった豊臣秀吉の家臣木村常陸介定光は城の改修と町の整備に着手し、天正14年(1586)佐柿の町を開いた。

江戸時代に入り寛永11年(1634)に小浜城主となった酒井忠勝は、国吉城に替わって新たに町奉行所をつくり、三方郡と佐柿の町を治めた。城下町佐柿は丹後街道の宿場町として繁栄した。幕末には「天狗党の乱」に加わった水戸浪士の一部が准藩士屋敷に収容されている。

国吉城は近年、発掘調査や整備が進み、曲輪・石垣・土塁・堀切といった山城の構造物を見ることができる。また麓には、居館とみられる石垣も認められており、平時は居館で生活し、戦争時には山城に籠もるという、戦国時代の典型的な形態となっている。居館と山城の両方の遺構が現在でも残っている点は、全国的に見ても珍しい。

   

【玄蕃尾城】

福井県敦賀市刀根と滋賀県長浜市余呉町柳ヶ瀬の県境にあった山城である。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家の本陣が置かれた。平成11年(1999)7月13日に「玄藩尾城(内中尾山城)跡」として国の史跡に指定されている。また平成29年(2017)4月6日、「続日本100名城」(140番)に選定された。

同城は柳ヶ瀬山(中尾山)の尾根上に位置し、織田軍と朝倉軍が戦った刀根坂の戦いの舞台の刀根越(倉坂、久々坂ともいう)がすぐ南にある、また北国街道(現在の国道365号)を見下ろせる軍事上の要所に位置している。さらに南側の行市山には、中尾山と行市山を結ぶ軍道を整備したと伝わる勝家の家臣・佐久間玄蕃允盛政の砦があったという。賤ヶ岳の戦いの際に勝家・秀吉の両軍が布陣した山城の中でも、玄蕃尾城は空堀の深さ、土塁の高さが際立っており、また、現在においても、その遺構がよく残っている。また、定期的な草刈り整備が行われており、縄張り構造が非常によく分かる状態で維持されている。

  

【田上山城】

 田上山砦は、天正11年(1583)3月に羽柴秀長によって築かれた。 天正10年(1582)6月本能寺に織田信長が斃れ、翌11年に近江湖北地方で羽柴秀吉と柴田勝家が織田家を二分して対峙した「賤ヶ岳の戦い」の際に築かれた陣城群の一つである。

玄蕃尾城に本陣を置いた柴田勝家に対し、弟秀長が陣取った田上山城が実際の秀吉軍本陣となった。天正11年4月20日夜に美濃大垣から駆け戻った秀吉は、田上山砦南側山麓にある木之本地蔵境内に陣取った。そして当地の美濃部勘右衛門に近隣の住民を集めさせ、田上山に登り味方の気勢を高めるため鯨波の声を挙げさせた。秀吉は勘右衛門らを案内に田上山を西に下り、賤ヶ岳北方の佐久間盛政軍に追撃を行い、この結果、盛政軍も含めた柴田軍は敗北し、越前を目指して潰走する。この賤ヶ岳の合戦で勝利した秀吉は天下人への階段を駈け上った。

田上山砦の縄張りは、山頂部に主郭を置き、Yの字状に伸びる尾根上に南の曲輪、北の曲輪、西の曲輪を配置している。 主郭と北の曲輪との間の堀切、北の曲輪の馬出を伴う虎口など、陣城としては結構複雑な縄張りとなっていて、城内・城外に15,000人もの軍勢を収容するのに十分な規模と思われる。

  

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江戸城石垣の石丁場跡(熱海市中張窪)の見学会に参加しました

2023-03-06 00:02:11 | 現地説明会情報・参加報告(静岡県内)

3月4日(土)、熱海市中張窪(ちゅうばりくぼ)にある江戸城石垣の石丁場跡の見学会に参加してきました😊 石丁場跡は他の所のものは何ヵ所か見学したことはありましたが、恥ずかしながら熱海市のこの石丁場跡を見るのはこれが初めてでした。

「羽柴右近(森忠政=森蘭丸の弟)」の名前が書かれた石や「是ヨリにし(西)有馬玄蕃(有馬豊氏)石場…」などと書かれた石、矢穴が縦横に穿たれた石や刻印石等々、なかなか面白いものを見させていただきました✨ 

これを海岸まで運び出して船に乗せて江戸に運ぶなんて、考えただけでも大変そうですね。 今放送している大河ドラマ「どうする家康」で石切りの場面が出てくるかどうかわかりませんが、江戸に幕府を開いた後の家康の権力の大きさを改めて思い知らされました。

            

 

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第272回見学会「北遠奥山郷(水窪町・佐久間町)の城郭をゆく -高根城・大洞若子城・鶴ヶ城-」のご案内

2023-03-02 00:24:56 | 見学会のお知らせ

3月に入り凍えるような寒さも和らぎ、春の訪れを実感できる今日この頃となりました。

さて、3月の見学会は天竜川東岸の山間地に奥山氏によって築かれたと伝わる高根城と大洞若子城、そして境目の城である鶴ヶ城と、いずれも素晴らしい遺構の城を巡ります。

そして見学地では北遠における徳川VS武田の攻防について、遠州古城研究のパイオニアである当会顧問の乘松稔先生に解説していただきますので乞うご期待!

下記の要領で開催しますので、多数のみなさんのご参加をお待ちしております!

■実施日:令和5年(2023)3月19日 (日)

*小雨決行、悪天候の場合は見学地・コースの変更あり

■見学先:高根城、大洞若子城、鶴ヶ城(脚力レベル★★★☆☆)

■参加費:会員5,000円/一般6,000円

■乗り物:市沢さんのバス

■乗車地:静岡駅北口一般車ロータリーの音楽館AOI側

■身支度:ハイキング程度の服装(滑りにくい靴・雨具)・弁当飲物類

■担 当:乘松 稔顧問・増田慎司 理事

■締切日:3月15日(水)までに、静岡古城研究会事務局あてにメール s-kojouken@outlook.com まで、お名前・連絡先(携帯電話をお持ちの方は携帯電話番号)・バス乗車場所を明記してお申し込みください。

■日 程:8:00JR静岡駅北口出発 → 8:20東名新静岡IC → 8:30日本坂PA下り9:00小笠PA下り9:20三方原PA下り → 三方原スマートIC→11:00~12:00高根城見学・昼食→13:00~13:45大洞若子城見学→15:00~15:45鶴ヶ城見学→16:00出発 三遠南信道、東名高速道路三方原PA、小笠PA、日本坂PA→18:00静岡駅南口着、解散

※途中乗車希望の方は希望場所(赤い表示)を明記してください

 

☆見学地紹介

①高根城

 南北朝時代、後醍醐天皇の孫にあたる由機良親王を守るために奥山金吾正定則が築城したといわれている。ここから一望できる水窪川の対岸には奥山氏が親王のために建てた内裏(大里)と、御旗を掲げた場所(小畑)が地名に残る。元亀3年の遠江侵攻時にはすでに武田方となっていたと思われ、さらなる遠江侵攻を目指す武田軍の拠点として大改修が行われていた。良好に残る遺構は、武田末期の改造を伝えるものである。

②大洞若子城

 築城は不明。大洞山の西麓、水窪川と大洞沢に挟まれた標高320m、比高90mの丘陸先に築かれた山城である。高根城主奥山貞益の弟奥山加賀守定吉が築いた。遠州侵攻時、大洞若子城は武田軍の番手城として使用されていた。二の曲輪南側の二重堀切は、この辺りに武田勢が在番した当時改修した痕跡と考えられ、箱堀と薬研堀の並ぶ所が見所。

③鶴ヶ城

 鶴ヶ城は遠江と三河の国境近くにあり、相川が迂回するように流れる標高320mの山頂に築かれている。信濃から青崩れ峠を越してきた街道と別所街道(国道151号線)の合流地点にあり、この要衝を抑えるために築かれた境目の城である。天正初期、武田軍が長篠方面に侵攻する際、糧道確保を目的に築いたと考えられる遺構が状態良く残っており、小さな山城だが十分に楽しめる。

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第271回見学会「足助城とその周辺をたずねて」を開催しました

2023-01-17 01:12:47 | 報告、その他お知らせ

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、当会では昨年末の告知のとおり、令和5年(2023)1月15日(日)、第271回見学会「足助城とその周辺をたずねて」を開催いたしました。

当日の参加者は19人。8:00に静岡駅北口に集合し、途中小笠PA、三方原PAで西部方面の参加者をピックアップして、東名高速道路→東海環状自動車道を経由して、豊田市の足助方面に向かいました。

先ず最初の訪城地は城山城。同城は20年ほど前に国道バイパス建設に伴い発掘調査が行われており、堀切、横堀、掘立柱建物跡などが検出されていますが現在埋め戻されており、藪がひどい所も相当あり、見学はなかなか困難な状態でした。それでも堀切の跡や虎口の跡などの遺構が観察でき、16世紀前半以前の遺構の上に16世紀後半の改修の跡がみられる興味深いものでした。

   

次に、紅葉のシーズンにはごった返す(当日は人もまばらでしたが)香嵐渓にバスを止め、麓で昼食をとった後、香積寺を経由して飯盛山城(飯盛城)を目指しました。城跡に向かう途中の山の中腹には、足助鈴木氏五代の墓、「装束塚」などの石塔の類があり、いずれもその形状から15~16世紀頃の室町~戦国期のものと思われました。山を登ること約10分で山頂のⅠ郭(本曲輪)に着き、かなり古い様相を示す周辺遺構を観察することができました。足助鈴木氏の居館跡と考えられる香積寺とセットになった、同氏の「詰めの城」とも考えられる山城でした。なお、山頂のⅠ郭からは、写真のように足助城を望むことができました。

       

そして当日最後の訪城地は足助城(真弓山城)。同城は30年ほど前に発掘調査の成果をもとに建物や柵、塀などを復元しており、戦国時代の山城のイメージを視覚的に認めることができます。しかし、(安全上の配慮と思われますが)周辺に柵やネットが張り巡らされて西側の遺構群が観察できない状態になっており、その点が少し残念でした。

      

こうして3城の見学を終えましたが、終了後雨が降ってきて辛うじて「雨中の見学会」とはなりませんでした。これも参加者の皆さんの日頃の心掛けが良いからだと思います。

なお、足助周辺には今回訪城した3城の他に興味深い城跡が幾つかあり、いつか「パートⅡ」をやっても良いのではないかと思いました。

 

 

 

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