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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

長谷部誠の記憶

2024-12-26 21:51:20 | 浦和レッズ
まだ現役だった2017年にトークショーで埼スタに来た、元日本代表キャプテンの長谷部誠さんの記憶です。長谷部はサッカーの名門校の藤枝東高校の出身ですが、高校時代はそれほど評価の高い選手ではなく、(無名だった自分のところに)なぜスカウトが来る?と本人が驚いたほどです。当時の浦和が、オランダに移籍した小野伸二の移籍金を使って、次世代のスターを発掘しようとした中の一人でした。

もっとも、当時の注目は大卒で入った坪井や平川に集まっており、長谷部は1年目のシーズンはU-19日本代表と浦和のサテライトを行き来する日々でした。川越陸上競技場で長谷部がトップ下に入っていたサテライトの試合を見たことがありますが、確かにCKやFKはすべて任されておりこのレベルでは認められることはわかりましたが、すぐにトップで通用するほどのインパクトはなかった印象です。

長谷部の才能に最初に注目したのは、2年目のシーズンからスタメンで起用したオフト監督です。もっとも、長谷部には若干の運もあり、当時トップ下で起用する予定だった元ブラジル代表のエジムンドが突然開幕直前で退団して、トップ下が空いている状態だったことです。カシマスタジアムで行われたアウェイの鹿島戦でトップ下でスタメン出場した長谷部は、永井雄一郎や田中達也に正確にパスを出して技術の高さを見せます。

ボランチで起用したのもオフト監督です。ボールが持てて確実にさばける長谷部のボランチ適性に気づいたオフト監督ですが、当時は戦術的な縛りがあってあまり攻撃には行かないボランチでした。長谷部が本格的に開花したのは後任のギド時代で、「後ろは啓太君が何とかしてくれるから思い切って上がっていい」と長谷部が持つ攻撃センスを前で生かす方針に変わってからでした。

確実に通るパスを100%の確率で出すタイプの長谷部のことを、当時のチームメイトの田中達也は「長谷部は中村俊輔のような派手なパスは出せない」と証言しています。それでも、トップ下からコンバートしたボランチではあったものの、次第に守備力も向上し、ドイツ1部ボルフスブルクからオファーを受けて海外挑戦を選びます。

このドイツ時代の成長が、彼の代表定着の礎になりました。次第にアンカータイプの仕事が多くなり、ドイツではCBもやりました。代表でも史上最も長くキャプテンを務めた記録を作り、奥寺が持っていたブンデスリーガの日本人最多出場記録も塗り替えます。川越のサテライトから、こんなにすごいところまで行けるんだと、サッカーの持つ可能性を感じさせてくれた存在でした。
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ドイツ国鉄のディーゼル機関車

2024-12-25 21:25:36 | 雑記
過去の鉄ネタでは、1994年にオリエンテーリング大会の遠征帰りに見かけた、写真のドイツ国鉄(DB)のディーゼル機関車がありました。ローテンブルク観光を終えて、フランクフルト方面に向かう乗り換えの途中で撮りました。今思えばもったいないですが、当時はフィルムカメラだったのでシャッターの回数を節約して、鉄道写真はほとんど残っていません。それでも、今の日本ではほとんど見なくなった、客車がつながれていますね。今の自分だったら、この車両だけで何回もシャッターを押したでしょう。
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255系「房総ビューエクスプレス」

2024-12-24 21:44:00 | 雑記
以前から、鉄道写真は撮っている自分ですが、自分が納得いく写真はなかなかないです。これは2020年、大相撲を見に国技館に行った帰り道で撮った、房総特急255系です。これで「まだまし」くらいですが、通過列車の写真は難しいので仕方ないでしょう。今はもう定期運行から引退し、撮れない写真ですね。



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大洗鹿島線普通列車

2024-12-23 21:24:30 | 雑記
2019年に水戸偕楽園に行ったときに、特急列車の隣のホームに止まっていた鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の普通列車(ディーゼルカー)です。大洗鹿島線には一度だけ乗ったことがありますが、カシマスタジアムのサッカー観戦でした。交通が不便なところを通るので、なかなか乗りにくい路線ではありますが、一度は全線完乗してみたいですね。
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ヘグモ前監督の記憶

2024-12-23 20:15:39 | 浦和レッズ
これから、2月のシーズン開幕までは記憶で書けるオフネタが中心になってきます。1回目は浦和レッズを今季途中まで率いていた、ペア・マティアス・ヘグモ氏の記憶です。ヘグモ氏はノルウェーではカリスマ指導者で知られており、2000年シドニー五輪でノルウェー女子代表を金メダルに導き、ノルウェーの男子代表監督の経験もあります。同じノルウェー人のホイブラーテンもヘグモ氏のことは知っていました。

また、年齢的には64歳とベテラン監督ですが、直前のシーズンでスウェーデンリーグのBKヘッケンを優勝させており、上り坂の監督のように思えました。ヘッケンで一緒だった、スウェーデン代表MFグスタフソンが一緒に浦和レッズに加入するなど、フロントのバックアップも得ました。今季開幕時点では優勝候補筆頭に推したマスコミもありました。

ヘグモ氏の戦術はアンカーを置く4-3-3でした。そのアンカーにチームのキーマンのグスタフソンを置いて、そこからのパスで両ウイングを走らせるサッカーは、浦和に新たな攻撃サッカーが導入されるのではという希望がありました。しかし、シーズンが始まると、相手チームが立てた浦和対策をなかなか打ち破ることができない悪循環に陥ります。

まず、グスタフソンにゲームを作らせまいと、相手FWはグスタフソンへのパスコースを消す守備をしてきました。また、左SBに抜擢された新加入の渡邉凌磨は、もともと攻撃的MFの選手ということもあって、相手に狙われるようになります。浦和は自陣でうまくボールを回すことができず、ショルツとホイブラーテンでパス交換する姿を見ると「これのどこが攻撃サッカーなんだ」と思いたくなります。

また、浦和のバランスの悪さを最後のところで何とかしていた、ショルツのカタールリーグへの移籍が、ヘグモ氏にとって致命傷になります。もちろん、ショルツ退団を想定して、控えの井上や佐藤を時折起用していましたが、正直言えばショルツとはレベルが違い、相棒のホイブラーテンもパス出しが苦手という弱点が表に出てくるようになります。

最後は4-3-3を諦めて、4-2-3-1へ布陣を変更し、安居をアンカー気味で起用するようにしましたが、なかなかチーム状態は上がらず、前監督のスコルジャを呼び戻してヘグモ監督は解任されることになりました。2年契約のヘグモ監督に、1年半分の年俸をただで取られてしまう損失ではありますが、そうでもしないと残留争いに巻き込まれるという危機感がフロントにあったのでしょう。相手に対策を立てられるとそれを打ち破れなかったという印象が、ヘグモ監督といえば残っています。
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両神山

2024-12-22 21:21:50 | 埼玉
2020年に森林公園に行ったときに撮った、両神山の写真です。このテーブル状の山は特徴があり、北陸新幹線の車内からでも見つけられます。もっとも、この写真を撮った森林公園の展望台が今は工事中のようで、来年の冬は残念ながら見られないようです。今日は体調が悪く自宅静養だったので、過去の写真サルベージで失礼しました。
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J1リーグ得点王(アンデルソン・ロペス)

2024-12-21 21:40:49 | 他チーム
今年のJ1リーグの得点王は、写真の横浜FMのFWアンデルソン・ロペスが2年連続で受賞しました。アンデルソン・ロペスと聞いて思い出すのは、札幌時代に札幌ドームのグラウンドが上にかさ上げされていることを知らず、ゴール裏のサポと歓喜を分かち合おうとしてグラウンドから2mほどの下に落ちたというエピソードです。

もちろん、運動神経抜群のサッカー選手ということもあって、アンデルソン・ロペス自身は無傷に終わり、このエピソードも今では笑い話ですが、札幌では新加入選手に対してこれは教育のネタになっていることと思います。札幌ではミシャが率いていた当時にプレーしており、当時のポジションはスピードを生かして2列目から上がっていくシャドーでした。

今のようなCFにコンバートされたのは2022年に横浜FMに移籍してからです。当時、横浜FMはエースストライカーだった前田大然がスコットランドに移籍しており、後任のCFが必要なチーム事情がありました。それまで、シャドーやウイングだったこともあって得点を量産するタイプではないと思っていましたが、1年目から二桁得点をマークして戦力になります。

1年目の2022年こそ、相手に唾を吐いて出場停止になったのが響いて11得点でしたが、2年目以降はフル稼働できるようになって得点数も伸びてきました。相手DFと駆け引きして出し抜いていい位置にいる、CFらしい動きも覚えて、2023年に30歳にして初の得点王になります。今季はACLで決勝戦まで勝ち上がったことで試合数が増えて、チーム全体としては失速した横浜FMでしたが、2年連続得点王は立派だと思います。

横浜FMでは2年連続20点超えや、外国人選手最多得点を更新するなど、既にレジェンドの域に達してきました。中国や韓国の経験があるので、ACLのアウェイ戦でもパフォーマンスが極端に落ちないことも強みです。また、来年も埼スタに、当たり前のように敵としてやってくることでしょう。
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今年の鉄ネタ

2024-12-20 22:16:51 | 雑記
今年もいろんなところに出かけて、何千枚のオーダーで写真を撮ってきました。風景のベストショットは昨日紹介した十二湖青池ですが、鉄ネタだと写真の旧営団地下鉄日比谷線3000系の「マッコウクジラ」です。既に定期運行からは引退し、長野電鉄の須坂駅の留置線で最後の姿を見せていました。乗ったことはあるはずですが、昭和36年製造と年代物の車両で、もう廃車になっているだろうとあまり期待していませんでした。見られたのはラッキーでした。

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誕生日

2024-12-19 22:42:17 | 雑記
今日はkobbyの?回目の誕生日です。kobby復活3年計画の2年目ですが、北八ヶ岳の北横岳という、比較的簡単な山ながら登ることができたので、まあ達成ということにします。今年は旅をもう少しバージョンアップしようと、2泊3日まで範囲を拡大しました。その結果、弘前ー十二湖青池ー秋田ー角館という2泊3日の旅と、東尋坊ー金沢の2泊3日の旅を実現することができました。

写真は十二湖青池です。事前に仕入れた情報では晴れの日の昼頃しか青くないと聞いていましたが、その条件通りの日に行くことができました。GWは3000m級の山は雪が残るので、どうしても平地中心の旅になりますが、なかなか行けない秘境である白神山地の十二湖に行けたことは、自分に自信が付く旅になりました。もっとも、白神山地と奥入瀬渓流は携帯電話が通じない場所があり、青森まで行くとそういう秘境もあると感じました。

7月に行った奥入瀬渓流も印象的です。今は大宮発6時57分の始発の東北新幹線に乗れば、お昼前には奥入瀬渓流に着きます。中学時代の修学旅行で行った思い出の地ですが、当時より長い距離を歩くことができ、定番の滝の写真だけでなく、カワトンボなど生き物の写真も撮れて満足です。整備新幹線の威力で、それまでなかなか行けなかった場所に行けるようになったことは、自分で旅して実感できます。

10月には金沢で市内観光中心の旅もできました。コンパクトながら見どころの多い金沢という街に残る、ひがし茶屋街や長町武家屋敷跡などの江戸時代を思い起こさせる遺構や、定番の観光地である兼六園にも行ってくることができました。3連休で天気にも恵まれ、北陸新幹線「かがやき」で2時間ちょっとで大宮まで帰れる手軽さもあって、また行ってみたい地になりました。

サッカーでは、今季はレッズが成績不振で残念な年でしたが、それでも21試合生観戦できました。一番印象的な試合は、W杯最終予選の初戦、日本対中国でした。日本代表が、マンチェスターシティが格下相手に確実に勝ち切る手である3-6-1で前に人数をかけるサッカーを見せたのが驚きでした。結果も7-0と最高の勝ち方で、この試合のことは後々まで印象に残ることでしょう。

3年計画の3年目は、もう少し高い山に登るか、彩湖での草レースで5kmを走るかができれば嬉しいですね。体幹トレーニングはほぼ日常にできたので、あとは休みの日にはできるだけ体を動かすようにして、またバージョンアップした旅をしたいですね。
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武田英寿、J2仙台完全移籍

2024-12-18 21:27:07 | 浦和レッズ
今日の浦和レッズ関連では、一つ残念なニュースが入ってきました。写真の浦和MF武田英寿選手の、J2ベガルタ仙台への完全移籍が発表になっていました。今季、期限付き移籍していたJ2水戸から復帰し、リーグ戦の鹿島戦では敗色濃厚な試合を見事な2得点で引き分けに持ち込むなど、これからの選手という印象があったので残念ですが、スコルジャ監督があまり起用しなかったので他チームで勝負したい気持ちもあったでしょう。

武田英寿の名前の「英寿」はもちろん元日本代表MF中田英寿さんが由来です。武田の生まれた2001年はちょうど、中田英寿さんがセリエAのローマやパルマで活躍していた頃で、父親が中田英寿さんのファンだったと聞きます。青森山田高校で10番を背負い、全国高校選手権で2年連続決勝進出とチームとしても結果を出して浦和入りします。

もっとも、浦和のトップチームの壁は厚く、2020年の終盤で大槻監督がトップ下に抜擢した試合もあったものの、まだ体力的にトップチームのサッカーを90分戦い切れない印象はありました。そのため、武田は琉球、大宮、水戸と育成型期限付き移籍で転々とします。育成型期限付き移籍は一見育ててもらうようなイメージに見えますが、期限付き移籍したチームで試合に出られないと契約を切られる厳しい道でもあります。

武田は、この武者修行先で、多くの試合に出場して中心選手になりました。J2ならば十分中心選手という力を付けたところでの浦和への復帰は、ちょうど良いタイミングのように見えました。しかし、今季の浦和を率いたヘグモ監督はトップ下を置かない4-3-3が基本戦術でした。武田の最も得意なポジションはトップ下なので、彼にとっては逆風でした。

しかし、途中出場でサイドハーフに入った鹿島戦が、彼にとって千載一遇の好機になりました。彼の強みに、シュートレンジが長いという武器があり、エリア外から放ったシュートで1点を返すと、直接FKを直接決める2点目のゴールで、この2点ビハインドを追いついて引き分けに持ち込みました。結果は引き分けだったものの、サポーターはほとんど帰らず、このヒーローを「武田」コールで出迎えました。

成功できるかに思えましたが、浦和の監督がスコルジャ監督に替わってから出場機会が激減します。来季もスコルジャ監督が続投する以上、他チームで勝負したいという判断もやむを得ないでしょう。完全移籍なので浦和に戻ってくることはほぼないですが、この鹿島戦での活躍は、彼の名を目にする度に思い出すことでしょう。
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