
なかなか平日は大相撲を見る時間を確保できませんが、大相撲期間中は相撲ネタを出そうと、今回は私の青春の関取衆、元関脇土佐ノ海の思い出です。土佐ノ海は同志社大学出身の学士関取で、同い年のライバル武双山と、「東の尾曽(武双山)、西の山本(土佐ノ海)」と並び称されていました。
土佐ノ海の相撲は、長身の体を折り曲げて前に出る押し相撲でした。立ち合いで当たるときに「うん」と声が出るのは、師匠の伊勢ノ海親方から注意されていた癖ですが、最後まで直りませんでした。スピード感はそれほどではありませんでしたが、当たりの強さと馬力で持っていく力士で、若貴兄弟や武双山と熱戦を演じました。
その当たりからの押しは魅力的でしたが、上位に上がるためにはどうしても足の送りの悪さという欠点がありました。はたかれると落ちた相撲も多く、また本人もあまり優勝のような大言壮語をせず、「10番勝てばいい」とコメントしていました。今、思えば「大関を狙う」くらいのコメントをしていればどうだったかとの思いです。
それでも、稽古熱心で長く土俵を務めた姿は後輩の見本でした。38歳という高齢入幕記録も作りました。最後は引退を覚悟したのか、青い締め込みを長い間付け替えず、引退間際は色が褪せるほどでしたが、それでも38歳まで頑張ったのは同世代の誇りでもある力士でした。
今は年寄「立川」を襲名し後進の指導に当たっています。生活指導を担当するなど、将来は幹部候補にもなりうる存在で、どこかで相撲協会の表舞台に出てくるのではと期待しています。
土佐ノ海の相撲は、長身の体を折り曲げて前に出る押し相撲でした。立ち合いで当たるときに「うん」と声が出るのは、師匠の伊勢ノ海親方から注意されていた癖ですが、最後まで直りませんでした。スピード感はそれほどではありませんでしたが、当たりの強さと馬力で持っていく力士で、若貴兄弟や武双山と熱戦を演じました。
その当たりからの押しは魅力的でしたが、上位に上がるためにはどうしても足の送りの悪さという欠点がありました。はたかれると落ちた相撲も多く、また本人もあまり優勝のような大言壮語をせず、「10番勝てばいい」とコメントしていました。今、思えば「大関を狙う」くらいのコメントをしていればどうだったかとの思いです。
それでも、稽古熱心で長く土俵を務めた姿は後輩の見本でした。38歳という高齢入幕記録も作りました。最後は引退を覚悟したのか、青い締め込みを長い間付け替えず、引退間際は色が褪せるほどでしたが、それでも38歳まで頑張ったのは同世代の誇りでもある力士でした。
今は年寄「立川」を襲名し後進の指導に当たっています。生活指導を担当するなど、将来は幹部候補にもなりうる存在で、どこかで相撲協会の表舞台に出てくるのではと期待しています。
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