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トヨタカップの記憶(1997年ドルトムント対クルゼイロ)

2015-12-12 12:26:53 | ワールドサッカー
今はクラブW杯になって発展的に解消しましたが、冬のサッカーといえば国立競技場のトヨタカップだった時代は長かったです。当時、日本に真剣勝負のスポーツイベントを開催したいと考えた広告代理店が、欧州と南米のクラブ王者が戦うインターコンチネンタルカップを中立地の日本で一発勝負にしたのが始まりです。

トヨタカップのチケットは日本のサッカーでは当時最難関のチケットでした。私は自力では一度も取れませんでしたが、知人経由で入手した1996、1997、1998年と三度国立競技場のスタンドに座っています。その中では、印象的だったのが1997年のドルトムント(ドイツ)対クルゼイロ(ブラジル)です。

当時、クルゼイロは無名選手が中心だったチームで、まともにやってもドルトムントには勝てないと考えたらしく、他チームでプレーしていたFWベベット、FWドニゼッチ、MFパラシオスを1ヶ月の短期レンタルで獲得して勝ちに来ました。

そのため、ドルトムント側も一時はACミランのウェア、ユベントスのデル・ピエロの短期レンタルを考えましたが、欧州にはこういう短期レンタルの習慣はなく、現有戦力でトヨタカップに臨むことになります。ただ、この試合はチームとしての完成度の差が勝敗を分けました。

国立競技場のスタンドから見ると、ドルトムントの守備陣の組織力に驚くことになりました。当時、3バックは2ストッパーが相手2トップにマンツーマンで付いて、後ろのスペースをリベロがカバーするのが、加茂監督の日本代表でお馴染みでした。しかし、ドルトムントの守備は見たことのなかった組織でした。ドルトムントのDFは、フレキシブルなポジションチェンジを見せ、リベロがストッパーの位置にスライドしたり、高いラインを引いてコンパクトにするなど、それまでの3バックの常識がくつがえされました。

これに対し、クルゼイロは急造チームのため、組織力の弱さが出ました。ストライカーのはずのベベットがボールを持つ位置はタッチライン際で、誰にボールを集めて点を取るかの考えがあいまいだった印象です。このクルゼイロの失敗で、それからは短期レンタルをするチームはなくなった、歴史の1ページでした。

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