
国技館で写真を撮れた昔の力士はネタにしたいとずっと思っていましたが、アジアカップやレッズフェスタのネタを書いていて遅くなりました。今回は元関脇寺尾の錣山親方です。若島津の記事でもワースト記録を出しましたが、寺尾も一つワースト記録を持っていて、通算最多黒星記録です。
もちろん寺尾が弱かったゆえの記録ではなく、必然的に黒星が多くなる前頭上位を何度も経験し、39歳まで取ったからこその記録です。彼は新入幕当時のナンバーのインタビューで、「自分は主役にはなれないから、最高の脇役になりたい。」と語っていました。
それはかなったと思います。今の時代ならイケメン力士と言われたであろう甘いマスクと、上位相手に果敢に突っ張っていく敢闘精神で、現役時代は人気力士でした。アメリカ巡業では、その突っ張りを評して「typhoon(台風)」という異名をもらっていました。
また、寺尾の記録には、のちに土佐ノ海に塗り替えられましたが、最高齢入幕記録(38歳)もあります。ベテランになってからは、初場所に毎回聞かれる今年の抱負に「来年の抱負を言うことです。」と現役続行にこだわり、十両に落ちても現役を続けました。
寺尾の思い出は、当時の最強力士、貴乃花との相撲が最も大きいです。当時の貴乃花は四つになったら絶対に勝てないほどの安定感を誇っていましたが、突っ張りの寺尾には2度ほど金星を配給しています。思い切りよく突っ張った寺尾が、引くと貴乃花が仕切り線の白線で滑ってバランスを崩した一番は今でも思い出せます。
また、千代の富士に食らった「吊り落とし」も覚えています。立ち合いから、この大横綱に果敢に突っ張った寺尾ですが、千代の富士に後ろに回られて、最後は持ち上げられて土俵に叩きつけられた一番でした。あの千代の富士が本気で怒ったんだというエピソードです。
のちに花田兄弟が兄弟同時横綱という、更新は不可能に近い記録を立てましたが、寺尾も兄逆鉾と兄弟同時関脇を達成しています。父が元関脇鶴ヶ嶺で、元十両鶴嶺山の長男と逆鉾の次男と井筒三兄弟と言われた相撲一家に育ちました。逆鉾は寺尾と同時関脇を達成してから、肩を痛めて急速に衰えてしまいましたが、寺尾はそれから長く活躍しました。思い出に残る力士の一人です。
もちろん寺尾が弱かったゆえの記録ではなく、必然的に黒星が多くなる前頭上位を何度も経験し、39歳まで取ったからこその記録です。彼は新入幕当時のナンバーのインタビューで、「自分は主役にはなれないから、最高の脇役になりたい。」と語っていました。
それはかなったと思います。今の時代ならイケメン力士と言われたであろう甘いマスクと、上位相手に果敢に突っ張っていく敢闘精神で、現役時代は人気力士でした。アメリカ巡業では、その突っ張りを評して「typhoon(台風)」という異名をもらっていました。
また、寺尾の記録には、のちに土佐ノ海に塗り替えられましたが、最高齢入幕記録(38歳)もあります。ベテランになってからは、初場所に毎回聞かれる今年の抱負に「来年の抱負を言うことです。」と現役続行にこだわり、十両に落ちても現役を続けました。
寺尾の思い出は、当時の最強力士、貴乃花との相撲が最も大きいです。当時の貴乃花は四つになったら絶対に勝てないほどの安定感を誇っていましたが、突っ張りの寺尾には2度ほど金星を配給しています。思い切りよく突っ張った寺尾が、引くと貴乃花が仕切り線の白線で滑ってバランスを崩した一番は今でも思い出せます。
また、千代の富士に食らった「吊り落とし」も覚えています。立ち合いから、この大横綱に果敢に突っ張った寺尾ですが、千代の富士に後ろに回られて、最後は持ち上げられて土俵に叩きつけられた一番でした。あの千代の富士が本気で怒ったんだというエピソードです。
のちに花田兄弟が兄弟同時横綱という、更新は不可能に近い記録を立てましたが、寺尾も兄逆鉾と兄弟同時関脇を達成しています。父が元関脇鶴ヶ嶺で、元十両鶴嶺山の長男と逆鉾の次男と井筒三兄弟と言われた相撲一家に育ちました。逆鉾は寺尾と同時関脇を達成してから、肩を痛めて急速に衰えてしまいましたが、寺尾はそれから長く活躍しました。思い出に残る力士の一人です。
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