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都築龍太の記憶

2021-08-08 19:42:22 | 浦和レッズ
レジェンドたちの記憶は、元浦和GK都築龍太さんの記憶です。都築はサッカーの名門校、国見高校からガンバ大阪に入団し、一つしかないGKのポジションを松代と争っていました。その当時の2000年、コンフェデ杯で初めて日本代表に呼ばれ、カシマスタジアムのブラジル戦で代表デビューを果たします。その頃、GKのポジションが課題だった浦和が、2003年に完全移籍で彼を獲得します。

当時の浦和の犬飼社長は、「優勝するためには代表クラスのGKが二人いないといけない」という方針で、当時レギュラークラスに成長していた山岸範宏に、強力なライバルをあてがった格好です。当時の都築の武器は正確なロングフィードで、当時3-5-2だった浦和の両アウトサイドまで正確に足元に通せるロングキックは芸術的でした。

当時の浦和では、都築が出場する時期と、山岸が出場する時期がありました。ポジションをつかんでいた側は代表にも呼ばれるほどで、両者とも代表を狙えるポテンシャルを持っていました。PKに強く、反応の良さでゴールを守った山岸と、安定感があって確実にゴールを守る都築とはタイプが違い、サポーターの間ではどちらが好きか分かれる両者でした。

都築の記憶で大きいのは、2007年のクラブW杯の3位決定戦、エトワール・サヘル戦があります。当時、PKで先制された浦和ですが、永井とワシントンのゴールで一時リードを奪っていました。その当時、相手FWシェルミティに、都築がキープしていたボールを強引に蹴り落されて決められた、なぜファウルを取らないんだと憤った失点が印象的です。もっとも、その後持ち込んだPK戦を制して浦和は3位に入ります。

また、代表でのプレーとなった、2010年2月の豪州戦も印象的です。当時、両者とも点が入らないシビアな展開が続き、豪州はのちに名古屋入りするFWケネディを入れて圧力を強めていました。そんなときに、闘莉王がFWに上がりたがっていたのを、中澤と都築で説得して止めさせたと思われた、ゴール前のちょっとした「会議」が印象的です。

都築は2010年、ポジションを山岸に奪われたことで湘南にレンタル移籍し、それを最後に現役を退きます。引退後は政治家に転身し、今はさいたま市議会議員です。スポーツを理解している議員がいることによる浦和へのいい影響はあるはずで、まだ40代前半と政治家としてはこれからの彼には、さいたま市のためにどんどん働いて欲しいものです。

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