Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

浦和の太陽(柏木陽介)

2014-01-16 21:06:09 | 浦和レッズ
毎度恒例、浦和レッズマッチデーカードからのオフネタは、トップ下の柏木陽介選手です。柏木は兵庫県の出身ですが、全国規模でスカウトする広島の下部組織で、今のチームメイトの槙野と一緒に育った選手です。若い頃から有名で、2007年のワールドユースカナダ大会でベスト16の結果を残して、「走るファンタジスタ」の異名を得ています。

広島時代の柏木は、ミシャサッカーを吸収して、オフサイドラインと駆け引きして飛び出すプレーを得意にしていました。ただ、体力的には課題があり、五輪代表の遠征から帰ったばかりの試合では動きが鈍く、どこにいるかわからないこともありました。

浦和に移籍したのはフィンケ監督時代の2010年です。当時は浦和にポンテがいて、柏木はボランチでの出場もありました。ただ、柏木のボランチは正直あまり向いていないように見えました。理由はキックのレンジがあまり長くなく、深い位置から一発のパスで打開できるタイプではないからです。本人は代表でのポジションを狙うなら、ポスト遠藤のボランチの方が近いと意欲的に取り組んでいましたが、この欠点がわかった以上トップ下がベストという思いは強くなりました。

翌2011年は、柏木にとって苦しい年になりました。当時の監督、ペトロが柏木をボランチで使い、場合によってはマルシオをボランチに下げるパワープレーを多用したからです。ペトロもオランダのウイングサッカーでチーム改革を狙ったことは認めますが、どうしても理解できなかったのが柏木とマルシオのダブルボランチでした。守備力が足りず、カウンターを食うと戻ってこられないボランチの弱さが、浦和の敗因になった試合は何度かありました。

その年は、W杯3次予選の朝鮮民主主義人民共和国戦で、負傷の本田圭佑に代わってトップ下に入るという、柏木にとっては千載一遇のチャンスがありましたが、それをものにできなかったのは、彼にとっては大きな痛恨事だったと思います。

そんな柏木ですが、監督がミシャに代わってトップ下に戻してもらったことは大きな追い風になりました。キープ力、活動量、シュート力などでキレを増した柏木は、ようやくいい選手であることを自ら証明することができました。本来の彼は「走るファンタジスタ」なのですから、前目のポジションで使って欲しいとずっと思っていましたから、それがミシャ監督で実現したのは良かったと思っています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Cロナウド、バロンドール受賞 | トップ | 相撲技術ならトップクラス(遠藤) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

浦和レッズ」カテゴリの最新記事