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日本を救った爪先ゴール(2002年日本対ベルギー)

2020-01-29 21:57:53 | ワールドサッカー
オフネタ恒例の、昔の代表戦からは、2002年日韓W杯の本大会グループリーグ初戦、ベルギー戦の記憶です。今のベルギー代表はロシアW杯3位など強いチームになっていますが、当時は1998年フランスW杯グループリーグ敗退と、日本にとっては少しは付け入る隙もあった相手でした。当時、私はバックアッパースタンドからこの試合を生で見ていました。

もっとも、この試合を覚えている理由は自分自身のミスです。当時、ベルギー代表のネタを手に入れる機会は何度かありましたが、私自身の体調が悪く、何度かあったベルギー代表の映像を見ても全く頭に入らず、ベルギーが3バックか4バックかがわからずに10分ほどベルギーの最終ラインばかりを見てしまったミスです。

このときの経験は現在に生きています。サッカーの試合を観客として見る以上、すべてのことがわかる人はいないので、わかったことを「加点法」で積み重ねていけば何らかの文章にはなります。わからないと思ったら無理にこだわらず、他のポイントに切り替えてわかることを探していけばいいのです。当時、日本は3戦全敗だったフランスW杯の経験しかなく、ベルギーに先制点が入るとスタンドは意気消沈でした。

しかし、当時のトップ下中田英寿は「下を向くな」とチームメイトを鼓舞して、ボールを回す日本のサッカーを出させようとしていました。そのヒデの執念はゴールにつながります。左アウトサイドの小野伸二のクロスはミスキック気味で、誰にも合わずラインを割りそうでした。相手GKデブリーガーもそんなに厳しくは寄せていませんでした。そのボールに、ただ一人諦めていなかったFWの鈴木隆行が爪先でコースを変え、わずかに触ってゴールになりました。

これでスタジアムの雰囲気はがらりと変わりました。このときはボランチの稲本が生涯最高の出来で、戸田に守備を任せながら上がってくるプレーが冴えていました。2点目のゴールを決めてから、ファウルで取り消されたとはいえ3点目かと思われたシュートも放っています。最後にベルギーに同点ゴールを食らって引き分けたものの、スタンドは「初めて勝ち点1を取れた」と前向きな雰囲気でした。

後でサッカーマガジンで知った話では、トルシエ監督の代名詞でもあった「フラット3」を選手が自分たちで手直しして、無理にオフサイドを狙いに行かなかったと回顧録が載っていました。その事実からして、トルシエ監督こそこの引き分けの要因ではなかったようですが、あの当時は日本のサッカーを、外から変えてもらう存在が必要だったと、今では振り返ります。

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