goo blog サービス終了のお知らせ 

Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

浦和の太陽(柏木陽介)

2013-06-11 18:52:15 | 浦和レッズ
今日は日本代表のイラク戦ですが、平日夜の試合の即日更新は勘弁していただき、穴埋めネタを用意しておきます。浦和サポーターの応援歌で「浦和の太陽、柏木陽介」と歌われている、柏木陽介選手を取り上げます。

柏木は兵庫県の出身で、少年時代は阪神大震災を経験する苦労を味わっています。広島のユースチームはプロ予備軍を養成しようと、全国規模でスカウティングを行っていて、広島ユース出身でも広島県出身でない選手は和歌山県出身の駒野友一などがいます。そんなスカウティングにかかって広島ユースに入った柏木ですが、一番最初に記憶に残ったのは2007年のワールドユース、カナダ大会です。

当時の日本ユース代表は槙野や柏木が率先してパフォーマンスを行うことから、「調子乗り世代」と呼ばれていました。もっとも、柏木は「走るファンタジスタ」という異名を誇る走力は当時から光っていました。そんな柏木目当てに、駒場スタジアムで行われた大宮対広島を見に行ったことがあります。

しかし、代表帰りで疲れていた柏木の動きは低調でした。体力はさほどない欠点があると、このとき感じました。広島の監督がミシャになってからの浦和戦で、好調だったはずの柏木が交代したことがあり、それも体力面の課題だったと今では思っています。

浦和に移籍してからは、左利きの攻撃的MFが足りないチーム事情にうまくマッチしていました。もっとも、柏木の課題にキックの飛距離が足りないというものがあり、ボランチに置いて後ろからゲームを作るのは苦手です。

それを見抜けなかったペトロは、攻撃的MFの柏木とマルシオにダブルボランチを組ませた采配ミスをしています。マルシオの足の遅さが相手に徹底的に狙われ、何度失敗しても懲りなかったペトロのこの手は、今でも疑問が消えません。

そういう意味では、監督がミシャになって、3-6-1の2シャドーで起用してもらえたことは、柏木をよみがえらせてくれました。もともと、高いテクニックを持っているので、長いボールを蹴らなくていい位置に置けば水を得た魚です。まだ年齢的には若いので、これから伝説に残る活躍もできるはずで、期待しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

還暦土俵入り(北の湖)

2013-06-11 18:02:13 | 他スポーツ
昨日のスポーツニュースで、元横綱北の湖が還暦を祝って、赤い横綱を締めて国技館の土俵で雲竜型の土俵入りを見せました。少年時代のヒーロー北の湖が、もう60歳というのは時の流れを感じます。

土俵入りを見ると、四股が思うように踏めなくなっていて、歳月を感じますが、昔の力士は短命でなかなか還暦まで生きられなかったことを考えると、この日を無事に迎えられたことは喜ばしいです。

北の湖は、私が相撲を見始めた頃は「憎らしいほど強い」と言われた全盛期は過ぎていました。それでも、21歳で横綱に昇進した最年少記録の保持者で、当時としては相当の大きさだった160kgの巨漢で安定した四つ相撲を取っていました。

北の湖は記憶力は抜群で、横綱になってからも序の口の最初の相撲からの勝敗、対戦相手、決まり手をすらすら言うことができました。相撲の世界で過去を覚えていることは、マイナスイメージも残ることになります。憎らしいと言われるのは何とも思わないが、負けることは辛かったと現役時代を振り返ったこともありました。

北の湖の四股名は故郷の洞爺湖からです。洞爺湖畔の町、地元の壮瞥町には北の湖記念館も建っています。人間性は多くの記者が認めていて、記者の責で北の湖を撮った写真を紛失したときに、恐る恐る撮り直しをお願いしたら快諾してくれたエピソードもあります。

北の湖の優勝24回は、大鵬の32回があまりにも偉大な記録なのでかすみがちですが、これも偉大な記録です。まさか、朝青龍、白鵬と二人のモンゴル人がそれを抜いていく時代が来るとは思っていませんでした。少年時代のおぼろげな記憶をたどれば、あの当時の力士が優勝するためには北の湖を超えなければいけない、大きな壁だったように思います。

もっとも、当時の映像を見ると、当時の力士はほとんど手をついていません。今は立ち合い正常化の改革がなされ、力士は必ずどちらかの手をつかないといけなくなったので、北の湖が現代に現れなら横綱になれるかどうかは微妙ですが、一時代を築いた偉大な横綱なのは間違いないでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする