内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『畠中尚志全文集』によって引き起こされたスピノザ熱

2022-12-21 23:59:59 | 読游摘録

 昨日の記事のツイートに対して、『畠中尚志全文集』の編者(という言葉は本書にはどこにも使われていないのだが、実質的にそう)である國分功一郎氏自身がリツイートしてくださったおかげで、普段はほとんど顧みられることもない拙ブログへアクセス数も普段の一・五倍くらいにアップした。微々たることとはいえ、それが少しでも多くの方に本書が読まれる一つのきっかけになってくれるのなら、畠中尚志氏のためにとても嬉しいことだ。
 ただ、私個人としては、ちょっと困ったことにもなった。俄然スピノザが読みたくなってしまったのである。でも、年末が締め切りの原稿が一つあって、それどころではないのである。しかも、さらにまずいことに、普段からいつでも読みたいときに読めるようにと、仕事机から離れずに手の届く範囲に『エティカ』その他のスピノザの著作の仏訳が並べてある。特に、今年刊行された Pléiade 版の一巻本スピノザ全集はまさに座右に置かれている。あたかもこうなることを予期していたかのように。
 その上、この際スピノザの生涯とその時代について今一度おさらいしておこうと、Steven Nadler の途方もなく浩瀚な伝記 Spinoza. A Life, Second Edition, Cambridge University Press, 2018 の電子書籍版を購入し、昨年刊行されたその仏訳の紙版も同時に購入し、PUF版のスピノザ全集中の『神学・政治論』も再度(というのは、過去に一度購入しているはずなのに書棚に見つからないから)購入。それどころか、『アベラールとエロイーズ――愛と修道の手紙』の畠中氏の解説を読んで、書棚から Flammarion 版の書簡集を取り出したら、それが全書簡集ではないことに気づき、これはだめだと、即、Le Livre de Poche の羅仏対訳完全版、Gallimard の Folio 版の書簡集も購入するはめになった。予期せぬ出費である(幸いなことに、やはり畠中氏が訳し解説を書いているボエティウスの『哲学の慰め』は、 Le Livre de Poche の羅仏対訳版と二つの仏訳がすでに手元にあり、新たな購入の必要はなかった)。
 まあ、これも自分へのちょっと早めのクリスマス・プレゼントということにするかと屁理屈をつけ、机上眼前に積み上げられたそれらの書籍を随時参照しつつ、日本のアマゾンから今日届いた紙版の『畠中尚志全文集』を読んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


スピノザ哲学を生きた稀有なる一学究 ―『畠中尚志全文集』(講談社学術文庫)

2022-12-20 19:40:06 | 読游摘録

 今日は昨日よりさらに気温が上昇し、日中は五度まで上がった。雪がいたるところで解けだす。車の通りの少ない道路上には大きな水たまりできているところが多く、それらを避けて通るのは難しい。歩道上は、一旦踏み固められた雪の表面が解けはじめて滑りやすくなっており、とても走れたものではない。路面の状態に応じて、走ったり歩いたりの繰り返し。運河を覆っていた厚い氷も流氷化していた。
 先週、発売されたばかりの『畠中尚志全文集』(講談社学術文庫)の電子書籍版購入し、毎日読んでいる。もし日本にいたら、発売を知ると同時に書店に走り、紙版を購入したことだろう。スピノザの諸著作の岩波文庫版の翻訳者として、高校時代から名前は知っており、スピノザを読みはじめたのもまさに畠中訳によってであった。畠中訳の岩波文庫は、スピノザの諸著作だけでなく、ボエティウス『哲学の慰め』、『アベラールとエロイーズ――愛と修道の手紙』もかつて日本にいたころは所有していたが、今はもうない。『エチカ』の電子書籍版のみ辛うじて持っている。岩波少年文庫『フランダースの犬』も畠中訳だとは知らなかった(現在の同文庫には別の訳が収められている)。
 本書は三部に分かれ、第Ⅰ部が岩波文庫版それぞれに付されていた訳者解説、第Ⅱ部が論争文二本、第Ⅲ部には折に触れて書かれた随筆十四本が収められ、それらに続いて、畠中氏の長女である畠中美奈子氏(東北大学名誉教授、ドイツ文学専攻)による滋味溢れる思い出の記「思い出すままに」が置かれ、本書の編者である國分功一郎氏による委曲を尽くした渾身の解説「ある日本のスピノチスト」によって本書は締め括られている。
 國分氏の解説のおかげで、畠中尚志の稀有な学究としての生涯についてはじめて知ることができた。深い感動とともに一気に読み終えた。氏に心から感謝したい。
 その後、畠中氏の随筆を読み始めた。どれも実に味わい深い。一つだけ例を挙げよう。「仰臥追想」は、東大法学部の学生であった三十年前とその前年高校学校に在学中に発症した脊椎カリエスのことから話が始まる。その後の長く困難な療養生活の経過、その中で『エチカ』をどのように読み、ギブスベットに一日の大半を固定されたままの日々の中でどのようにスピノザの諸著作の訳業に取り組んだかなどについて、感情に走ることも流されることもなく抑制された筆致で語られていく。しかし、まさにそうであるからこそ、スピノザへの深い敬愛、その諸著作の邦訳と伝記を世に送ろうという揺るぎない決意、おそらくは度々氏を意気阻喪させたであろう難しい病苦と根気よく向き合っていく持続する意志がひしひしと伝わってくる。
 私が言うのもまことにおこがましいことは承知の上で言えば、この拙文をお読みになって畠中尚志という稀有な学究にご関心を抱かれた方がいらっしゃったら、是非本書を手にとってお読みになってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


氷結した運河に沿って走る

2022-12-19 23:59:59 | 雑感

 週末フランス全土を襲った大寒波も西から徐々に撤退開始、東端のストラスブールでも今日の日中は気温が二度まで上がり、雪も解け始めた。週末から灰色の雲に厚く覆われたままだった空も少しずつ薄皮を剥がすように明るくなってくる。
 午後二時過ぎ、ジョギングに出かける。森の中はまだ雪に覆われたままだろうからと、かつて足繁く通っていた市営プールの脇を抜けて、マルヌ・ライン運河沿いの遊歩道・自転車道を走ることにした。運河沿いに北北西方向に百メートルほど走ったところで、眼前に広がる光景に仰天した。運河が完全に氷結したままなのである。今まで見たことがない。スマートフォンを持たずに出たのが惜しまれる(今日の記事に貼り付けた写真はオランジュリー公園脇で昨日撮影)。
 ここ数日運河方面には来ていなかったから確かなことはわからないが、大寒波に襲われた週末に一気に凍結したのだろう。まるで延々と続くスケートコースのようだ。氷がどれくらいの厚みかはわからない。すでに気温は零度を上回りはじめているのだから、薄氷だったらもうところどころ水面が見えただろうが、四キロほど走って見たかぎりではまだ氷に覆われたままだ。
 いつもは優雅な姿で水上を行き交う白鳥たちは、大きな水かきのついた短足で氷上を途方に暮れたようにトボトボ歩いている。その他の水鳥たちも氷上に集まってはまた三々五々飛び立っていく。いつものように水中の獲物たちが捕れないのだから、彼らも困っているのだろうか。
 運河沿いの遊歩道は、雪がすっかり解けてなくっているところ、雪が解けはじめてシャーベット状になっているところ、まだ厚く雪に覆われているところなど様々だ。
 運河沿いに四キロほど走ったところで右折、運河の東側に大きく広がる平地の中の一本道を走る。こちらも路面状態は様々。水たまりがあちこちにできているコンクリート路面では、それら水たまりを避けるべくジグザグに走る。
 稀なる景色を楽しみながら一時間半で十三キロ走る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この冬一番の寒さのストラスブール、雪景色の中を走る

2022-12-18 23:59:59 | 雑感

 本日、この冬のストラスブールの最低気温を記録した。零下10度まで下がった。夜半にまた少し雪が降ったようで、歩道の足跡や車の通りの少ない路上は真新しい雪で薄っすらと覆われていた。ネットの気象情報によると、今日ストラスブールはフランスで一番寒い都市だとのこと。
 それでも二日続けて運動しないのは我慢がならず、昼前、極寒用のヒートテックの上に極寒用のジョギングウエアの上下を着込み、毛糸のボネを被り、マフラで鼻と口を覆うなど、十分な防寒対策をして外に出た。まったくの無風で、思ったほど寒くない。
 昨夜降った雪がアイスバーン化していた路面を覆っているので足が滑ることもない。おのずと走りたくなる。ただ、雪の中に少し靴が沈み込むから、ゆっくりとしか走れない。少し走ってはまた歩くということを一時間あまり繰り返す。リル川沿いやオランジュリー公園内では途中何度も立ち止まって、雪景色をアイフォンで写真に収める。
 運動量はわずかだったが、それでも少し汗ばみはした。出かける前に沸かしておいた風呂に浸かり、汗を流し、体全体を丁寧に洗う。
 体組成計に乗る。昨日の記録を更に上回り、体脂肪率、皮下脂肪率、骨格筋率で個人観測史上最高値を更新する。それぞれ10,3、7,5、34,5。部位別では、脚部の皮下脂肪率が8,3まで下がったのが特に嬉しい。体年齢は40歳、過去最高の39に及ばず。内臓脂肪レベルは5で、これも過去最高の4,5には及ばず。まあしかし全体として十分に満足のいく数値だ。
 面白いと思ったのは、これまでは体重が下がると基礎代謝量も下がってしまっていたのに、今回は1401kcal と1400台を維持していることだ。これは筋肉量が落ちていないことを意味している。昨日書いたように、体を少し休ませた結果として、筋繊維が修復されたということなのだろう。
 寒さも明日から徐々に緩みはじめるという。それに合わせてこちらもジョギングの日課10キロへと徐々にもどしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


健康維持には、運動も大切だが、休息も同じく大切なのかな ― マイナス九度まで下がった冬の日の感想

2022-12-17 23:59:59 | 雑感

 まだ十二月半ばであるが、フランスで暮らすようになった一九九六年九月からの二十六年余りの中でこの冬が二番目に寒い冬であることはすでに確定的である。一番寒かったのは、先日書いた通り、渡仏して最初の冬であった。その冬には氷点下十三度まで下がった日があった。今日、氷点下九度まで下がった。といっても外に出て確かめたわけではなく、ネット上のいくつかの天気予報のサイトによる情報であるから、実際はもっと低かったか、あるいはそれほどでもなかったかも知れない。それにしてもこんな寒さは二十六年前の冬以降経験した覚えがない。
 今日も雪は降らなかった。しかし、この寒さの中をジョギングする気にはさすがになれなかった。一歩も外出しなかった。これは今年はじめてのことである。まったく運動らしい運動をしなかったのもはじめてである。
 ところが体組成計に乗ってみて驚いた。数値が個人観測史上第二位の好成績だったのである(昨日すでにかなりの好成績だった)。特に体脂肪率が10,6%(過去最高は今年2月20日の10,4%)まで下がった。今週の水木金はウォーキングを総計14キロしたが、ジョギングはしなかった。そして今日は外出さえしなかった。四日連続で走っていないわけである。これはジョギングを始めた昨年七月以来なかったことである。
 それにもかかわらずここまで体脂肪率がさがったのはなぜか。例によって素人考えだが、この問いに対する私の答えは以下の通りである。九月以降BMIに大きな変化はなく、19~20の間の小幅で推移している。体脂肪量が減少したとは考えにくい。ということは、骨格筋量が増えたということである。この四日間ジョギングをしなかったことで、それまでずっとややオーバーワーク気味だった筋肉に休息を与えることができ、骨格筋中のグリコーゲン量が増えたか、あるいは筋繊維が修復されたのではないだろうか。
 いずれにせよ、運動しなかったことで体組成計の数値がここまではっきりと向上したことは、健康維持には、日常の規則的な運動も大切だが、その運動によって筋肉が疲れ気味の場合、疲労回復のためにその筋肉を休ませることも同じく大切であるということを示していると思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


年内最後の授業の後、よく晴れた空の下、眩しい雪道を歩いて帰る

2022-12-16 23:59:59 | 雑感

 今日も寒い。深夜にまた少し雪が降ったようだ。今日が年内最後の授業だ。自転車は諦め、路面電車でキャンパスに向かう。
 交通量の少ない道路面上は一昨日降った雪がほとんど解けておらず、歩道も人通りの少ないところは雪に覆われたままだ。路面電車はまったく問題なく走ってくれた。ただ、車内の床一面が濡れている。乗客の靴底に着いた雪が解けるからだ。
 キャンパス内の歩道も路面が見えているところは少なく、学生たちが行き来するところは雪が踏み固められている。滑らないように用心しながら歩く。
 教室には大きな旅行鞄を持って入って来る学生もいた。これはヴァカンスの前日にはよく見られる光景だ。授業後にその足で実家に帰るのだ。でも、他のヴァカンスの前日とは雰囲気がちょっと違う。何か教室に浮き立つような気分が漂う。ノエルが近づいている。
 大半の授業の前期期末試験はヴァカンス明けの最初の週に予定されている。私の授業もそうだ。今日の授業は年明けにまだ補講が一回残っているが、それは試験の四日前になるので、ヴァカンス前の最後の授業である今日、試験範囲と問題形式について説明した。中間試験のクラス全体の平均点が高すぎたので、問題量をかなりボリュームアップすることにした。試験準備用の資料もたっぷりムードルにアップしておいた。「ちょっと早めだけど、私から君たちへのクリスマスプレゼントです。きっと気に入ってくれると思う。」教室に笑いが起こる。
 正午に終わる授業の後はオフィスアワーなのだが、明日からノエルの休みだという日に来る学生などいるはずがない。本来二時間いなければいけないのだが、一時間で教員室をあとにする。
 今日の午後六時で、実験施設がある建物、図書館、学生会館を除いて、キャンパス内の建物はすべて閉鎖される。再開は一月九日である。ここまで徹底するのは、エネルギー節約のためである。
 朝は曇り空だったが、午後になってすっかり晴れ上がった。気温は零度前後だが、陽の光が雪に反射してキラキラと眩しい。四キロほどの道のりを街の雪景色を眺めながら歩いて帰ることにする。
 ああ、明日から一月八日まで、三週間余りの休暇。遅めの昼食時、祝盃を挙げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


運転手が雪かきしながら進む朝の路面電車

2022-12-15 23:59:59 | 雑感

 今日は小雪がちらつく程度。気温は一日零度前後で推移し、昨日の雪がほとんどそのまま残っている。街中の主要な車道にはもう雪はないが、側道の泥雪はまだ残っていて、車道を横切るときにそれを跨がなくてはならない。人通りが多い歩道上は、行きかう人たちがすれ違えるほどの幅で路面が見えている。その両脇にはまだきれいな雪が残っている。
 今日も大学への行き帰りは路面電車を使った。朝、ちゃんと運行しているかストラスブール交通公団のサイトで確認したら、利用する路線のダイヤが乱れている。少し早めに家を出る。
 電車はほぼいつもと同じ間隔で運行していたが、レピュブリック広場駅の手前で停車して、動き出す気配がない。ここは複数の路線が交差するところで、他の路線の電車の通過待ちで数分待たされることはよくある。しかし、それにしても停車時間が長いし、他の電車が通過してもいない。どうしたのかと窓外を見まわすと、乗っている電車の運転手が電車から降りて、電車の前の線路の雪かきをしている。線路上に雪が積もっているようには見えなかったが、おそらく線路脇の溝に凍結した箇所があるのだろう。シャベルでそれを砕いて跳ねのけているらしい。
 やっとのことで動き出したが、数メートル動いただけでまた停車する。運転手がまた外に出て雪かきをしている。そんなことを三回繰り返して、ようやく電車は通常通り動き始めた。
 早めに家を出てよかった。授業開始時間には余裕をもって大学に到着する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ノエル近づく雪景色

2022-12-14 23:59:59 | 雑感

 一昨日、ストラスブールではあまり雪が降らないと書いたばかりだが、今日はかなり降った。午前中から小雪がちらつきはじめ、室内から眺めているかぎりはそれほどの降りとも思われなかったのだが、夕方大学に出向く必要があって外に出て驚いた。歩道には十センチほど降り積もっている。これはとても自転車では無理だ。路面電車は普通に運行しているようなので、それを利用することにする。
 雪国のように雪が降り積もり、冬中あたりは雪景色というのは、室内から眺めているだけでよいのなら、きれいだなと酒杯でも傾けながら呑気に鑑賞していればよいが、実際に生活するのは何かと大変なのだろうなと、すでに暮れゆく街中を静かに走る路面電車内に佇みながらぼんやりと思う。
 今回のようにたまに降る程度だと、それだからこそか、なんとなくちょっとお祭り気分が街に感じられる。ノエルも近いし、大学も今週末から休みに入るから、なおのことそんな気分が醸成されやすいのだろう。
 交通量が多い通りは、車がはね除けた雪が歩道と車道の間にたちまち泥景色をつくり出し、それは醜い。でも、この泥雪がすっかり融けてなくなれば、道路にこびりついていた汚れもすっかり洗い流されてきれいになる。
 さすがに今日は走らなかったが、大学への行き帰り、あえて遠回りをして雪道を少し歩いた。まだ足跡のついていない雪上をキュッキュッと踏みしめながら歩くときの感触が好きだ。子供のころは東京でも毎年けっこう雪が降った。そのころのなにか浮き立つような気分をなつかしく思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


冬、日没後の氷点下の寒気の中、一冊の本を引き取るために走る老人 ―『新撰 現代今昔物語集』「西洋在住邦人編」巻八巻より

2022-12-13 19:16:26 | 雑感

 以下、どうしたらこんなツマラナイことが書けるの? あんたも、暇なんだねぇ、というような噺である。

 昨日のこと、ちょうど授業で大学にいるとき、宅配便が自宅に来たようで、お届け荷物は委託集配所預かりになってしまった。この委託集配所というのは、街中のスーパーマーケット、キオスク、雑貨屋、花屋、靴屋、薬局などで、宅配便会社によって異なる。
 その集配所が自宅近くとは限らない。今回の場合、片道二キロほどのところにあるキオスクだった。アルザス地方の冬の夕暮れは早く、この時期、日没は午後四時半過ぎ、五時はもう「夜」である。大学から帰宅したのは午後二時前後だったが、荷物預かり場所の通知がSMSで届いたのは四時過ぎだった。すぐ取りに行くか、すこし迷った。氷点下の寒さの中、一旦帰宅してからまた外出するのがちょっと億劫だった。明朝でもいいかと思いかけた。届いているのは日本のアマゾンに注文した小さな和書単行本一冊で、是が非でも今日中に必要というわけでもなかった。
 昨日、その時点でまだ日課のジョギングをしていなかった。寒さゆえにちょっと日和りかけていた。九月は無休で毎日走り、十月・十一月も休んだのはそれぞれ一日だけ、十二月だって一日くらい休んだっていいじゃん、走行距離「貯金」もかなりたまっていることだし、と。
 でも、突如、思い直した。そうか、一冊の本を取りに行くのに走っていけば、まさに「一石二鳥」ではないか、と。
 というわけで、やおら意を決し、寒さが身に染みる宵の口、真冬用の防寒ジョギングウエアに着替え、目深にかぶった濃紺の毛糸のキャップの上にヘッドライトを装着、一冊の本を取りに行くべく、自宅を走り出た。
 走り出してみれば、むしろ冷気が心地よい。氷点下二、三度程度なら、外気のなかを一時間程度走るのはさほど苦痛ではない。それどころか、体がピシッと引き締まり、頭も冴えかえって気持ちがよいくらいだ。自ずといつもよりピッチが上がる。
 集配所で本を受け取って、ジョギング用超薄型リュックサックにしまってから考えた。このまままっすぐ帰るのはもったいない。まだ三キロ弱しか走っていない。いつものように十キロ走ろうと森を目指した。
 冬のこの時間、暗い森の中に人はもういない。道沿いの照明ライトもまばらにしかない。でも、ヘッドライトのおかげで走る道の前方は必要十分に照らされている。それに、この一年半、走り慣れた道だ。
 結果、十キロ走った。その「達成感」ゆえ、夕食時の安ワインの味は舶来の美酒のごとく格別であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


寒波がやってきた

2022-12-12 23:59:59 | 雑感

 十一月下旬まではさほど寒い日もなく、暖房もほとんど使用することなく、この冬もどちらかといえば暖冬なのかなと少し気を緩めていたら、十二月に入って寒波がやってきた。特にここ数日は日中でも氷点下前後だ。雪は小雪がちらつくことがある程度。もともとストラスブールにはあまり雪は降らない。
 二十六年間フランスに住んでいて、一番寒かった冬は留学した年の冬、一九九六年から七年にかけてのことだった。その年はフランス全土で寒さが厳しかったと記憶している。ストラスブールでは、十二月だったか一月だったか、氷点下十三度まで下がった日があった。市内を流れるリル川の一部が凍結し、船が航行できなくなってしまったほどだった。留学してまだ数ヶ月のことで、アルザス地方は寒さが厳しいと留学前から聞いてはいたが、こんな寒さが毎冬やってくるのかと少し怯んでしまった。
 ただ、そうだからこそ、アパートの暖房設備は、最初に住んだ粗末な安普請の建物でもしっかりしていた。家の中に居るかぎり、各部屋に設えられた温水循環式のラジエーターのおかげで寒さ知らずであった。今住んでいるアパートも大型ガス湯沸かし器から温水が各室のラジエーターへと循環する方式で、いつもアパート全体が温められているから、何日か家を空けて帰ってきても、屋内が冷えきっているということはない。
 快適といえばその通りだが、エネルギーの無駄遣いと言われば、それもまたその通りである。ちなみに、十二月から三月までの月のガス代は平均一万五千円ほどである。