内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

雲海上、詩華の美酒を愉しむ

2016-01-11 18:29:22 | 読游摘録

 一昨日、フランスへ戻る機内で、塚本邦雄の『王朝百首』『花月五百年 新古今天才論』『定家百首・雪月花(抄)』(いずれも講談社文芸文庫)を気の向くままに読んで何時間か過ごした。
 物語や随筆あるいは評論文とは違って、著者の類まれなる審美眼によって選りすぐられた秀歌・名歌とその評釈文あるいは短い歌論的エッセイからなる著作であるから、最初の頁から通読するよりも、頁を繰りながら目に止まった歌をしばらく眺め、繰り返しそれを読んで自分なりにその歌のイメージを摑んだ上で、光彩陸離たる評釈文を読み、その手引でさらに煌きを増した歌を再読する。
 高度一万メートルの上空、時速九〇〇キロで雲海上を航行する機内、読書の速度は、色とりどりの花が咲き乱れる庭園をあてもなく散策するときのように、いたってゆっくりとしたものであった。一旦他の頁に移っても、またさっき読んだばかりの歌やその評釈文にひらひらと舞い戻って読み返したりもした。それはあたかも年代物の極上のボルドー(って、フランスにかれこれ二十年ほど住んでいながら、そんな高級ワイン飲んだことありませんが)の芳醇な香りと味蕾と喉に染みわたる深みある円やかさを少しずつ味わうがごとき悦楽ではあった。
 そのような詩的言語の極上酒がわずか千数百円で、しかも文庫版というどこにでも持ち運べるサイズで入手できるのである。造本・装丁に凝った豪華本で読む愉楽はまた格別であろう。しかし、そういう贅沢趣味は私にはない(というか、できない)。むしろ、物質的には最小限の支えの上で、詩歌の精霊たちが心に舞い踊るのを愉しむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


坦々たる日のはじまり

2016-01-10 18:44:03 | 雑感

 昨日夜無事ストラスブールの自宅に帰り着いた。東京も暖冬だったが、こちらも同様、寒くない。ノエルのイルミネーションはまだそのまま。駅から街の中心に向かう街路を美しく輝かせている。
 羽田発のパリ行の便は、おそらく昨年十一月のテロの影響であろう、空席がところどころにあり、窓際だった私の席の隣も空席だった。通路側の乗客とその空席を小物を置くスペースとして共有できかつ空間的には互いにゆとりがあるので、その分快適であった。空港で二時間余りTGVを待たなくてはならなかったのがいささか退屈ではあったが、それも空路が順調で定刻前に到着したからこそ。TGVは定刻の十八時三十五分発、ストラスブールに定刻の二十一時二分着。駅からはタクシー。十分ほどで自宅着。二つのスーツケースに詰めた荷物もすべて昨晩のうちに整理し、所定の場所にしまう。ゆっくり湯船に浸かっているうちに眠ってしまい、気がついたら四十分ほど経っていた。就寝は午前二時。
 今朝は六時半起床。いくつかのメールへの返事。学生の志願書の添削。レポートの採点。学科長と審査委員会のことでメールのやり取り。やっと最後の一人の内部審査員が見つかる。やれやれ。十四日に締切りが迫っているこの夏の集中講義のシラバス作成。要推敲。昼食を挟んで午後六時まで、ほとんど机の前に座りっぱなしで、これらの雑務をこなす。機内と車内でよく眠れたせいか、時差ボケを感じることはなかった。
 これで明日から始まる後期への準備が調った。後期の担当授業は水木金に一コマずつなので、月火はその準備に充てる。その合間に審査委員会についての提出書類作成。
 今晩は、ワインを飲みながらゆっくりと食事をし、塚本邦雄の私撰詩華集を少し読んでから、湯船に浸かって体を暖め、早めに寝る。明日から水泳再開。泳ぎ初めである。









































搭乗便を待ちながら ― 羽田にて

2016-01-09 10:08:39 | 雑感

 今日フランスに帰国する。羽田で搭乗便である11時25分発のANA便を待ちながら、この記事を書いている。後五十分ほどで搭乗開始。シャルル・ド・ゴール空港からは直行の TGV でストラスブールに戻る。冬時間の間は日本とフランスとの間に八時間の時差があり、日付の上では今晩中にストラスブールに帰り着ける。
 先月、日本へ向けて出発する数日前に、学科の新しい准教授のポストの審査委員長になってしまい、東京滞在中は毎日のように学科長とメールのやりとりをしながら、審査員探しのために何十通というメールを他大学の先生たちに送った。外部委員六名はやっとのことで全員揃ったが、内部審査員があと一人必要で、昨晩新たな候補者に打診のメールを送り、今は返事待ち。十八日までには審査員の完全リストを全員の略歴とともに大学の人事評議委員会に提出しなくてはならない。間に合うかどうかぎりぎりのところである。
 そんなわけで、何をしていても審査委員会のことがいつも気にかかり、今回の滞在は、気持ちの上では十分に寛げなかった。とはいえ、返事待ちの間はすることもなく、実家でゆっくり過ごすことはできたし、まるで春先のような暖かい日が続く中、会いたい人たちに会うこともできた。それでよしとすべきだろう。
 これで冬休みも終わり。明日からは後期の講義・演習の準備、二月上旬の「日本文化週間」や合同セミナーへ向けての準備と息つく暇もないような毎日が続くが、何があろうと、このブログの記事は毎日投稿する。































あへて獨斷を避けず

2016-01-08 10:51:42 | 読游摘録

 昨日の記事の中で引用した塚本邦雄『王朝百首』の「はじめに」は、絶美の古歌の花筐から一首また一首と花開かせる本文に対して、その夢幻美の世界へのあらいがたく魅惑的な導きの言葉となっている。上代から近世までの日本詩歌の代表的な歌集等を列挙した後に、塚本はこう記す(原文の漢字はすべて正字なのであるが、以下の引用ではそれを完全には尊重できなかったことをお断りしておく)。

これらすべてが私たちのもつ繚乱たる詩華の遺産であることなどほとんどの人に無緣となりつつあるのかも知れない。惜しんでもあまりある傳統の抛棄と言へよう。あわただしい日日のひととき、ふと目を瞑つて私たちの血のはるかな源にかくもうつくしい詩歌が生まれてゐたことを思ひ起こさう。古典は意外に親しく新しいものだ。業平も小町も、定家も實朝も、私たちが望むなら明日からでも時間の霞を越えてかたはらに立つてくれよう。彼らは皆私たちの兄となり姉となつて、日本の言葉のさはやかさ、あてやかさを教へてくれるにちがひない。西歐の詩歌に翻譯で親しむのも揄しいことであるが、それと同時にあるいはその前に、私たちの言葉とあたたかい血の通ひあふすぐれた韻文定型詩を心ゆくまで味はつてほしい。

 『王朝百首』の初版が出版されたのは、一九七四年のことであり、それから四十年余りが経っているわけであるが、上の言葉は、今のような国際化の時代であればこそ、なおのこと切実さを増していると私は感じる。
 塚本邦雄の願いは、しかし、いわゆる伝統への手放しの讃仰と表裏をなすものではなく、伝統へのもたれかかりの決然とした拒否と飽くなき詩美の探求としての私撰という形で表現される。

異論を承知で言ふなら、百人一首に秀歌はない。あるとしても稀に混入してゐる程度だ。秀歌凡作の判定基準は現代人の美學を通してなほ詩的價値を持つ作品を言ふ。

 塚本邦雄は、しかし、古歌を十全に鑑賞するには古典文学ならびに有職故実、当時の慣習等に精通していなければならないことを無視してこう言っているのではない。

しかしその約束を超えてぢかに私たちの心を搏ち魂に染み入る歌、まことに言語藝術の精華と呼ぶにふさわしい名作はたしかにあるはずだ。百人一首にはそれが乏しい。

 この認識が自ら私撰詞華集を編むという願いを生み、それを実現したのがこの『王朝百首』なのである。

私はあへて獨斷を避けず、私自身の目で八代集、六家集、歌仙集、諸家集、あるいは歌合集を隈なく經巡つて、それぞれの歌人の最高作と思はれるものを選び直し、これを百首に再選して『王朝百首』と名づけてみた。私の久しい願ひの一つであり、現代人に贈る古歌の花筐である。






































 


アンソロジーの精華

2016-01-07 08:32:55 | 読游摘録

 昨日、待ち合わせの場所に早く着いたので、目の前の本屋の中を少しぶらついた。文庫本の棚を眺めていて、講談社文芸文庫が並ぶ棚の前に来たとき、歌人にして稀代のアンソロジストである塚本邦雄の本が数冊並んでいるのに気づいた。同氏の『清唱千首』(冨山房百科文庫)は、長年の愛読書の一冊である。並んでいたのは、『王朝百首』『秀吟百趣』『珠玉百歌仙』『定家百首』『西行百首』『百句燦燦』。どれもなんと魅力的なアンソロジーであることだろう。
 全部ほしいと思ったが、今回は、前三著のみ購入した。一流の鑑識眼によって選りすぐられた詩歌を、それ自体が散文詩であるかのような精妙な評釈とともに読めるのは、贅沢な楽しみである。
 塚本邦雄版「百人一首」である『王朝百首』の「はじめに」の最後から二番目の段落中には、私撰詩歌集を編む意義について次のように述べられている。

現代人には不當に無緣の狀態で放置されてゐた傳統文學の血脈は、この時春の潮のやうにいきいきと私たちの魂に蘇つてくる。一首のうつくしい歌はかうして次元を隔てた人と人との交感のなかだちとなり、未來にむかつて生き續けようとするのだ。

 そのような秀歌を途方もなく膨大な数の和歌の中から撰び抜き、詩の花筺として私たちに届けてくれる人、それがアンソロジストである。































まばゆきまでも憂きわが身

2016-01-06 09:26:27 | 詩歌逍遥

澄める池の底まで照らすかがり火のまばゆきまでも憂きわが身かな

 『紫式部集』中の一首。
 辺りを煌々と照らす篝火の光は、澄んだ池の底までも照らし、邸内をあたかも昼のごとくに明るくきらびやかな空間にしている。その中で屈託なく振舞っている人を見れば、なおのこと憂愁に沈む我が身がその眩いばかりの光の中に照らし出される。
 紫式部の内省的眼差しの透徹と奥行をよく示している秀歌。



























今現在の精神の気象状態

2016-01-05 07:49:41 | 雑感

 今日は、ちょっとだけ、ほとんどの人にとって、もしかしたら誰にとっても、何のことだかわけのわからないであろう話をする。
 こう書き出せば、いったいそんなことを書いて何になるのか、時間の無駄ではないか、他にすることはないのか、と自問する気持ちがすぐに起こってくるが、それでも、自分の気持ちを少しでも整理できればと思って、そんな無益な話をする。
 自分の将来あるいは人生の行く末について、漠たる不安を感ずるということは、少なからぬ人たちが、少なくとも一度は、人生のどこかで経験することだろう。はっきりこれと特定できるような原因理由は特にないのに、何となく落ち着かない、これからどうなるのだろうとか、どうしてこうなのだろうとか、思い悩み、勉強や仕事が手につかない、集中して考えることができない、などという状態に陥ることは、誰の身にも起こりうることだろう。
 そういう不安は、普通は、思春期から青年期にかけて、いわば通過儀礼として経験することだろう。ところが、それが壮年期に、あるいは人生の黄昏時になって、抑えがたく起こってくることもある。この場合、それは大人になるための通過点だと言って済ませることはできない。その点、問題はもっと深刻だ。
 確かに、今、私は、大変落ち着かない気分である。その原因は、しかし、はっきりわかっているし、それはなるようにしかならないことであるから、できることをした上は、じたばたしても仕方がない、と腹を括らざるを得ない。その他にも気がかりはいくつかあるが、仮にそれらがどれひとつうまく行かなかったとしても、結局大した問題にはならないということもわかっている。だから、それらのことが漠たる不安を私に引き起こしているのではない。
 非常に抽象的な言い方にならざるを得ないのだが、今の気分を叙述すれば、以下のようになろうか。
 無限の持続あるいは連鎖とか、無限の広がりとか、無窮の動性とか、要するに無限なるものをそれ自体として肯定することには何の根拠もなく、むしろ無限は恐れ慄くべきものでしかない。そうかといって、日本の古典文学伝来の感性に動かされ、この世の無常を儚むというのでもない。無限と永遠とが垂直に交わる交点を見失い、果てしもない大海のいづことも知れぬ処に漂う櫂なき小舟の如き心細さに苛まれている、とでも言えばよいであろうか。
 こんなことを書きつけても、何の解決にもならず、むしろ情けなくなるばかりで、いい年をして恥ずかしいことだと思う。自分の言葉に酔っているに過ぎないと憫笑されても仕方がない。ここまで書いてきたことを全部消去してしまいたいとも思う。後日、もし読み返す機会があれば、赤面せずに読み返すことはできないであろう。
 にもかかわらず、今現在の精神の気象状態の記録として、この文章をそのまま残しておく。























渡辺利夫『放哉と山頭火 死を生きる』

2016-01-04 01:44:36 | 読游摘録

 昨年日本で刊行された文庫新刊で最近購入した中の一冊に、渡辺利夫『放哉と山頭火 死を生きる』がある。同書は、他の多くの文庫版と違って、「ちくま文庫」のために書き下ろされた作品であるから、文字通りの新著である。
 著者は、経済学博士であり、アジア研究の碩学。筑波大学教授、東京工業大学教授を経て、現在、拓殖大学総長。
 本書は、文芸評論家による作家論、放哉や山頭火の専門研究家による評伝、思想家による哲学的解釈などとは違った独自のアプローチを提示している。
 著者は、放哉と山頭火の作品を折に触れて読み返し、伝記的事実を丹念に辿るという作業を前提としつつ、両者の生きた姿を、人生のその都度の場面で詠まれた自由律俳句を核として、蘇らせようとする。筆致は簡潔、安易に情緒に流されることもなく、過度な感情移入もなく、過剰な「哲学的」解釈もない。
 「あとがき」から引用する。

 私は放哉を生きている。山頭火を抱えもっている。現世からの逃避、過去への執着からの解放。そうした願望を意識の底に潜ませていない人間は少なかろう。しかし、人々にとって、それは叶えることのできない業のごときものである。人間の業のありようを、自由律句という形式を通じて、私どもの心に、時に鋭く、時に深々と語りかけてくれる異才が、放哉であり山頭火である。放哉と山頭火の句が読む者を捕らえて離さないのは、二人が現代を生きるわれわれの苦悩を「代償」してくれるからなのだろう。

 その生涯の軌跡を辿れば、この世的には、放哉も山頭火も、度し難い「敗者」である。師友の好意に甘え、わがまま勝手に生き、社会に適応できなかっただけの脱落者でしかない。しかし、両者の作品が今もなお読み手を惹きつけてやまないのは、私たちがこの世的には生きることができない生き方を命と引き換えに生き抜いて息絶えたその凄絶とも言える長くはない生涯を通じて、私たちが自らの人生では回避した苦悩を、虚飾を極限にまで排した言語表現として、結晶化させているからなのであろう。



































花の春

2016-01-03 00:22:16 | 詩歌逍遥

二日にもぬかりはせじな花の春

 『笈の小文』中の一句。久しぶりに故郷伊賀上野で越年し迎えた貞享五年(1688)元旦の作。この年、芭蕉は数えで四十五歳。
 この句の前書きに、「宵のとし、空の名残おしまむと、酒のみ夜ふかして、元日寝わすれたれば」とある。大晦日、故郷の兄姉妹や旧友たちと宴の席で酒を酌み交わし、いささか飲み過ぎて、翌日元日の日の出を見逃す。せっかくの新春を寿ぐべく、二日にも同じしくじりは繰り返すまいと詠む。そこには故郷で寛ぐ芭蕉の姿も浮かぶ。
 前年の暮、郷里に着いて、亡き父母を想い、

旧里や臍の緒に泣く年の暮

と詠んでいる。亡き両親との絆、とりわけ母親との絆の形見である臍の緒を見て、おのずと幼少期からの想い出が湧き起り、涙を禁じ得ない。
 新しき年、また故郷を離れ、「造化にしたがい、造化にかえる」旅は続く。
















春なれや

2016-01-02 13:37:22 | 詩歌逍遥


春なれや名もなき山の薄霞

 『野ざらし紀行』中の一句。貞享二年(1685)、伊勢から奈良に向かう途上での作。結句の別案に「朝霞」とあり、こちらを取る評者もある。それら評者の中には、各句がすべて母音 « a » を含む音韻で始まっており、かつ各句中にも « a » 音が複数含まれていることがもたらす音楽的効果を強調する者もある。しかし、ここでは芭蕉自身が定案とした「薄霞」の方を取る。
 春が来たのか、そう気づかせるのは、名をよく知られた山に霞が立てば、それが春の訪れだ、とする古典の知識ではなく、山の上に薄霞が棚引く景色の立ち現われそのものである。その立ち現われは、一切の名に先立つ造花の妙である。