内的自己対話-川の畔のささめごと

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『セネカ、精神的教導と哲学の実践』(7)― 古代ギリシアのダイエット

2015-11-18 04:55:28 | 読游摘録

 アドの本の第一部第三章は、広い意味での精神的教導としてのストア哲学に至るまでの歴史的背景を辿り直している。その中に、« La diététique » と題された節がある。この語は、古代ギリシア語の « diaitêtikê » にまで遡る。今日大流行のダイエットの起源とも言えるこの現象が古代ギリシアに登場したのは、紀元前五世紀のことである。
 古代ギリシアのダイエットの目的は、元気にしている人にその健康を保つために必要な生活の仕方を示すことにある。しかし、そのダイエットは、健康生活を送るための諸原則を規定し、それらを列挙するだけにとどまるものではなく、生活全般の管理を司る。特に、生活時間、食事、睡眠などに関わる。より詳しく言えば、睡眠時間、起床時間、服装、朝食の内容、運動時間とその形態、入浴時間、昼食時間とその内容、散歩時間、友人たちとの会話の時間、宴席での振る舞い方などなどについて管理する。
 これらすべてのことに細心の注意を常に払うとなると、もはや仕事をしている時間もない。したがって、あらゆる点で「健康な」生活を送れるのは、極端に言えば、裕福で、何の時間の拘束もない富裕層だけだということになってしまう。
 因みに、現代社会においても、例えばフランスを例に取れば、低所得者層に著しい肥満傾向が見られることも上記の帰結と無関係ではない。このような傾向は、それらの人たちにダイエットに関する知識が欠けていること、食事その他健康生活に必要な配慮をする経済的余裕がない暮らしをしていることによって、ある程度まで、説明できるからである。
 しかも、これらの諸点に関する規則は、場所、季節、年齢、性別、身体条件などによって変わってくるから、ダイエットに関する十分な知識を持ち、それぞれの場合に適切な指示ができるのは、その専門家だけだということになる。この専門家が古代における医者である。
 したがって、医者は、病人ばかりでなく、健康な人たちも、自らの管理下に置くことになる。そればかりではない。ある意味で、医者は、それら健康な人たちを病人扱いすることにもなる。なぜなら、それらの人たちは、自分たちが健康でいられるのは、医師の指示に完全に精確に従っている間だけであり、一度そこから逸脱すれば、たちどころに健康を失ってしまうと常に恐れていなくてはならず、その点で医者につねに依存させられているという意味で、病人と変わりないからである。

 

 

 


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