普段はほとんどテレビを見ないが、昨日は広島の原爆をテーマとした番組を二つ観た。その内の一つで、当時の写真を最新技術によって解像度の高い画像として再生させ、そこから読み取れる情報とその写真に映っている生存者の方たちの証言とから、当時の現場の状況を再現するCGを観た。目が釘付けとなり、息を飲んだ。七十年後にようやく見出され聴き取られた過去の惨劇に言葉を失った。
原民喜が「原爆被災時のノート」を手帳に書きつけ始めたのは、実家で被災した翌日、つまり七十年前の今日、二晩の野宿の最中でのことである。「我ハ奇跡的ニ無傷ナリシモ コハ今後生キノビテコノ有様ヲツタエヘヨト天ノ命ナランカ」と書きつけられたその「ノート」は、被爆時から二日後の八幡村への避難までを中心として二週間ほどの期間に作者が目の当たりにした惨劇を記録したもので、「夏の花」の原型をなしている。
「障子紙を貼るための糊をつい食べてしまうほどの空腹に耐えながら」(講談社文芸文庫スタンダード『原民喜戦後全小説』、2015年、「解説」561頁)、原民喜は、その「ノート」の原稿化につとめた。
当時現場で書きつけられた原ノートの記述、後に整理された現行の「ノート」の記録、そして文学作品「夏の花」の誕生は、例えば、次のような生成過程を経ている。
【原ノート】
竜ノ彫刻モ
高イ石段カラ割レテ墜チ
石段ワキノ チョロチョロ水ヲ
ニンゲンハ来テノム
炎天ノ溝ヤ樹ノ根ニ
黒クナッタママ死ンデイル
死骸ニトリマカレ
シンデユク ハヤサ
鳥居ノ下デ 火ノツイタヨウニ
ナキワメク真紅ナ女
現行「ノート」
東照宮ノ棕櫚ノ彫刻モ石段ノ下ニ落チ燈籠ノ石モ倒レルアリ 隣ノ男 食ヤ水ヲ求ム 夕グレトナレバ侘シ 女子商ノ生徒シキリト水ヲ求ム 夜ハ寒々トシテ臥セル地面ハ固シ
「夏の花」
私達の寝転んでいる場所からニ米あまりの地点に、葉のあまりない桜の木があったが、その下に女学生が二人ごろりと横わっていた。どちらも、顔を黒焦げにしていて、痩せた背を炎天に晒し、水を求めては呻いている。この近辺へ芋掘作業に来て遭難した女子商業の学徒であった。そこへまた、燻製の顔をした、モンペ姿の婦人がやって来ると、ハンドバックを下に置きぐったりと膝を伸した。・・・・・・日は既に暮れかかっていた。ここでまた夜を迎えるのかと思うと私は妙に侘しかった。
(集英社文庫『夏の花』藤井淑禎解説「小説化への過程」より。ただし「夏の花」本文は、岩波文庫と講談社文芸文庫のそれに従った。)
最新の技術が私たちに過去を再発見させてくれるのは喜ばしいことだ。次第に数少なくなっていく生きた証人の方たちの証言を忠実に記録し、後世代に語り継ぐことはもちろん大切なことだ。しかし、類まれな作品の行間を読む想像力もまたなくてはならぬ平和の礎の一つなのだと私は思う。
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