フランシス・アレのいう樹木の「潜在的不死性」に言及された直後に援用されているのがフランス人植物生態学者のジャック・タッサン Jacques Tassin の Penser comme un arbre, Odile Jacob, 2018, 2020 (en format de poche) である。アレの所説を補強するために、ビュルガは脚注の中で、樹木の不死性、無限の成長可能性、物理的限界による形態の安定化(枝葉の成長は幹が支えられる限界点で止まる)について言及されている箇所を引用している。
しかし、タッサンの所説については、前著 À quoi pensent les plantes ? Odile Jacob, 2016 の中のより興味深い論点が紹介されているところでより詳しく考察することにして、ビュルガの本の序論の第一段落を読み終えてしまおう。
ビュルガは Georges Canguilhem による生物(un vivant)の定義を提示する。この定義の初出は、Encyclopœdia Universalis, 1973, vol. 16 の « VIE » の項目の中である。この項目全体は、Vrin から刊行されたカンギレム全集第五巻(2018年)に再録されている。
この定義によると、一個の生物は、「死すべきものとして生まれたもの un être né mortel」であり、明確に個体化されており、その個体史は、「生と死との間にある est comprise entre la vie et la mort」、つまり、一個体の誕生からその死までに限定されている。この定義に従うとき、植物は生物ではない、ということになってしまう。
この定義が私に思い起こさせた別の論点については、明日の記事でエドガー・モランの『人間と死』(L’homme et la mort, Seuil, 1970, 1976, 2002)を引きながら考察することにして、ビュルガの本の段落の続きを読もう。
植物は、自発的で自由な動きはできない。動物においては、この自発的可動性が個体の置かれた場所を一時的で偶発的なものにしているが、植物の場合、その置かれた場所から動くことはできず、その場所は植物にとって必然的なものである。確かに、植物も成長する。形も変わる。しかし、植物は置かれた場所を自ら移動することはない。
この植物固有の生存条件は決定的な重要性をもっている。場所的に固定された生命は自ずとそれ固有の存在様態を有する。現象として明白なこの事象の記述を通じて、植物的生命の固有性を明らかにすること、それが本書の目指すところである。
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