今日は、« Note complémentaire sur les conséquences de la notion d’individuation » 第二章 « Individuation et invention » 第一節 « Le technicien comme individu pur » の第二段落を読もう。
紀元前六世紀のイオニアのギリシア諸都市では、武器製造技師・建築技師は、まさに優れた意味での技術者になる。技術者はそれらの都市に拡張能力をもたらす。彼は技術を知悉した者である。タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスなど、今日ソクラテス以前の哲学者たちとして知られているが、彼らは何よりもまず技術者なのである。
この記述の後に、すでに9月15日の記事で引用した次の一節が来る。
On ne doit pas oublier que la première apparition d’une pensée individuelle libre et d’une réflexion désintéressée est le fait de techniciens, c’est-à-dire, d’hommes qui ont su se dégager de la communauté par un dialogue direct avec le monde (op. cit., p. 511-512).
忘れてならないことは、自由な個人的思想と公平無私な考察との最初の出現とは、技術者のこと、つまり、世界との直接的な対話によって共同体から自らを解放できた人間のことだということである。
この後に、Paul Tannery, Pour l'histoire de la Science Hellène. De Thalès à Empédocle (1887) が援用され、その記述に基づいて、古代の「ギリシャの奇跡」において技術思想が果たした決定的に重要な役割が説明される。
Le miracle est l’avènement, à l’intérieur de la communauté, de l’individu pur, qui réunit en lui les deux conditions de la pensée réflexive : la vie organique et la vie technique (ibid., p. 512).
奇跡とは、共同体の中に、純粋な個体が到来することであり、その純粋な個人が己のうちで反省的思考の二つの条件、有機的生と技術的生とを統合する。
古代ギリシャにおける最初の技術者たちは、例えば、タレスがそうしたように、日食を予言することでその力能を示したのである。