内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「社会」から多くの人たちを排除する「社会人」という奇妙な日本語についての雑考(下)

2023-03-17 05:34:13 | 日本語について

 『日本国語大辞典』には、「社会を構成する一員としての個人」という意味としての「社会人」の用例として、次の二例が挙げてある。
 「良人として、社会人としてほとんど破綻らしい影さへ見せずに来てゐた」葛西善蔵『湖畔手記』(1924年)
 「今の世の法律、社会道徳に触れるやうなことは、矢っ張り仕て貰ひたくはない。それは俺が社会人だからだ。俗人だからだ」里見弴『大道無門』(1926年)
 他方、「社会で職業につき、活動している人」という意味では、高見順の『故旧忘れ得べき』(1935~36年)から「学生から社会人に成長すると」という用例が挙げられている。
 これだけの用例から確かなことは言えないが、以下のように推測できないであろうか。
 「社会」という新造語が使われ始めた明治初期、「社会の構成員としての個人」という意味で知識人たちが「社会人」という言葉を使い始め、大正期までその意味でいくらかは使われたが、その後この意味で広く用いられることはなく、昭和に入り大学生の数が増えるにつれて、「学業を終え、職業生活を送っている人」を指す用法が優位を占めるようになり、大学が大衆化する戦後この用法が定着した、と。
 今日では男女を問わず「社会人」という言葉が使われるが、戦前、さらにはそれ以前、高等教育を受けた女性がまだきわめて少数だった時代には、「社会人」という言葉が女性について使われることはほとんどなかったのではないだろうか。これは憶測に過ぎないが。
 今日の一般的な用法に従えば、以下のようなことになる(予め要らぬ誤解を避けるために言っておくが、私はこの用法に賛成しているのではない)。
 言うまでもなく、何らかの職業に携わる以前のすべての子供たちは「社会人」ではない。十八歳で高校を卒業してすぐ就職した若者たちはすでに「社会人」だが、二十六歳の大学院生はまだ「社会人」ではない。定職についていないポスドクもオーバードクターも「社会人」ではない。専業主婦も「社会人」ではない。リストラで失業した人たちも「社会人」ではない。何らかの理由で働きたくても働けない人たちも「社会人」ではない。職業生活を終えて年金生活を送っている人たちはかつて「社会人」だったが今はそうではない。介護を必要とするご老人たちも「社会人」ではない。
 考えれば考えるほど、「社会人」という言葉は奇妙な言葉に思えてくる。「社会人」ではない人たちを「社会」の「お荷物」とする、さらにはそこから排除する、という点で、差別語だとさえ言ってもいいような気がしてくる。
 学歴にかかわらず、職業の有無にかかわらず、端的に「社会を構成する一員としての個人」という意味で「社会人」という言葉が使われることはない。このことを現代日本社会の特異性の指標の一つとして挙げることができるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「社会」から多くの人たちを排除する「社会人」という奇妙な日本語についての雑考(上)

2023-03-16 23:59:59 | 日本語について

 大学四年生が卒業を迎える今月、「この四月から晴れて社会人一年生」といった類の表現をよく見かける。この場合、「社会人」とは「実社会で働いている人」(『新明解国語辞典』第八版)のことである。「社会人学生」とは、すでに実社会で働きながら学生としても勉強している人たちのことだ。「勤労学生」とは異なる。こちらは、経済的等なんらかの理由で学業の傍ら働いてもいる学生のことだ。「社会人野球」とは、プロとも学生とも違い、企業所属のチーム間の野球を指すカテゴリーだ。
 ふと、この「社会人」という言葉の今日当たり前な使い方が気になった。いつから今日のような使い方が始まったのだろうか。
 「社会」という日本語が明治の初期に Society の訳語として使われ始めるまでの曲折ある経緯については柳父章の『翻訳語成立事情』(岩波新書、1982年)に詳しい。「社会人」という言葉ができたのは当然それ以後のことになる。しかし、いつ誰がどのような意味で使い始めたのだろう。
 『日本国語大辞典』電子書籍版によると、早くも一八七九年に『修辞及華文』(チェンバー兄弟編の『百科全書』の文学項目を菊池大麓が訳したもの)に、「高等の訓養を受くる社会人に在ては」という用例が登場する。これは、しかし、今日の用法とは違う。高等教育を受け、高度な教養を身につけ、社会においてそれに相応しい地位を持ち、その地位に相応しい振る舞いができる人、というほどの意味であろう。一言で言えば、文明社会の一員としての個人、ということである。
 漱石の作品に登場する「高等遊民」たちは「社会人」であろうか。これは単なる憶測だが、高等教育を受けた特権階級でありながら、その能力を社会において活かさず、自分もまたその中で生きざるを得ない社会に対して批判的で、その中に「居場所」や「活躍する場所」を見出し得ない人たちは「社会人」ではない、漱石ならこう考えたはずである。そうであれば、「高等遊民」は「社会人」ではない。ちなみに、「社会人」という言葉を電子書籍版の『漱石大全』で検索してみたが一件もヒットしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「あこがれ」とロマンティスム、あるいは〈私〉の居場所について

2022-12-05 23:59:59 | 日本語について

 日本語の「なつかし」、フランス語の « nostalgie »、ドイツ語の « Sehnsucht » それぞれの意味と志向の違いについて2019年12月6日の記事から五日間にわたって検討した。以来、毎年学部二年生の「研究入門」の授業でこの話題を取り上げる。日本語をよりよく理解するための一つの方法を紹介するためである。
 先週の「古代日本の歴史と社会」の授業で、遣唐使について話したとき、引用した参考文献の一節に「唐文化へのあこがれ」という表現が出てきた。その仏訳として aspiration をあてたが、「あこがれ」がもともとどういう精神状態を指しているのかよりよく理解してもらうために、古語の「あくがる」まで遡って説明した。
 こういうとき、『古典基礎語辞典』(角川学術出版、2011年)をまず参照するのを常とする。その解説によると、「アクは、(本来居る)所や(本来ある)事の意を表す古語。[…]カルは、離れる意の下二段活用の自動詞。語源からわかるように、もともとアクガルは、本来居るはずの所から離れ、ふらふらとさまよい出る意。[…]さらに、この意味から発展してアクガルは精神的な意をも示すようになる。すなわち、何かに誘われて、心が身体から離れた放心状態に陥ることを指すときに用いる。この場合は、「心」「魂」「心地」などの語と共に使われることが多い。」
 「あくがる」のこの古義を踏まえるとき、心が今居る場所からどこかへとさまよい出ようとする精神状態を指しているという点においてはドイツ語の Sehnsucht と共通するが、後者が十八世紀中葉以降のドイツロマン主義においては漠然としたあるいは抽象的な憧憬対象よりも憧憬する精神自体を絶対化する傾向にあった点においては異なる。
 しかし、今日、日本語で、今ここにはないある文化に対する「あこがれ」というときも、必ずしもその対象が明確に限定されているとは限らない。あこがれている精神状態そのもの絶対化するまでには至らなくとも、その状態を肯定的に捉えるという傾向は見られる。
 「ロマンティシズム」あるいは「ロマンティスム」は、ある特定の時代の文芸運動を指す言葉として使われる一方、Sehnsucht や「あこがれ」状態を人間の普遍的な精神的傾向の一つを指すときにも使われる。
 今、修士二年の学生と一緒に訳しているウクライナ語の小説のフランス語訳のタイトルは、Moi(Romantisme)である。学生の説明によると、ウクライナ語でも人称代名詞第一人称は一語しかない。ところが、日本語にそれを訳すときには、どの自称詞を選択するかが問題になる。彼女はさしあたり「俺」を訳語として選んでいる。
 しかし、括弧内の Romantisme が何を意味するかによって、あるいは別の語に差し替えることになるかもしれない。この問題には小説を全部訳し終えた後に立ち戻ることになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


文法的には間違っていないのに適切ではない一文の添削過程を説明すると

2022-10-14 23:59:59 | 日本語について

 このブログを九年あまり続けていますが、あるテーマについて連載することもあれば、その日その日の雑感を書きつけるだけのこともあります。連載の場合、短くても数回、長ければ数週間、同じテーマについて書き続けることになりますから、あらかじめ準備もできるし、すでに連載のための素材が揃っている場合もあります。その日の思いを徒然なるままに綴る場合は、あらかじめ準備することは当然できません。記事を書く段になって、何を書こうかと思案することになります。あるいは、何かほかのことをしているときに、ふとテーマが浮かぶこともあります。ジョギングしているときにもそれはあります。
 もう一つのケースは、あらかじめ準備してあったテーマのかわりに、たまたまその日に起こった出来事あるいはちょっと気づいたことについてどうしても書きのこしておきたくなり、テーマを変更する場合です。今日の記事はこの第三のケースに該当します。ちなみに、予定されていた記事のタイトルは「ミメーシスとカタルシス、あるいは一つの美的体験」でした。
 さて、本日のお題に入りましょう。

「今日は私がJDMの動向を発表しています。」

 先程帰宅してメールボックスを開けてみると、来週月曜日の授業で口頭発表する学生の一人から発表原稿が届いていました。その冒頭の一文が上掲の文です。この学生は、日本語のできがあまりよくなく、しかもそのことがよく自覚できていません。ですから何度も同じ間違いを繰り返します。二週間前に最初に彼が送ってきた文章は、ほんとうに理解不能だったので、「直しようがないから全部書き直してください」と突っ返しました。それで今日送られてきたテキストの冒頭の一文が上に掲げた文です。
 この一文をもって六〇〇字ほどのその文章は始まります。まあ、言いたいことはわかります。本人が文章の改善に努めたこともわかります。
 それはそれとして、この文が文法的には間違っていないのに発表の冒頭の一文としてどうして適切さを欠いているかを、このような文を書いてしまった本人にわかるように説明するのは、そんなに容易なことではありません。
 もし私がこの一文をどう添削するかを教室で学生たちに説明するとしたら、以下のような手順になることでしょう。
 ただし、「しています」が不適切であること、「を」よりも「について」がより適切であることの理由の説明は比較的容易なので、それらは省略します。
 「今日は」はいいとして、「私が」はちょっとへんでしょう。なぜ変なのでしょうか。書いた本人のレベルに合わせてその理由をどう説明したらいいでしょうか。これは「が」と「は」の違いという実にやっかいな問題の具体例のひとつです。日本語上級者でもこの点でまったくミスがない人は非常に少ないのです。
 上掲の文を、「今日は、私は[…]について発表します」と添削したとします。
 これでも「は」の繰り返しが引っかかります。しかし、問題は、一文内に「は」を繰り返すことそのことにはありません。問題点をより明確にするために、「今日は」と「私は」のどちらかだけを残してみましょう。
 まず、「今日は」を残すとすると、「今日ではない別の日には、他のテーマについて話した、あるいは今後話すであろう」という情報が内包されます。実際、学生たちはあと三回別のテーマについて発表することになっているので、「今日は」という限定は妥当です。
 「私は」だけを残すとどうなるでしょう。「他の人は違う話題を話した、あるいは、これから話すだろうけれど、私に関して言えば」という情報が内包されることになります。しかし、それぞれ異なったテーマについて話すことはすでにみんなが知っていることですから、このような限定は不要です。もちろん、この点について強調したい場合は「私は」を使うことは妥当です。特に、私は他の人と違った話題を選んだのだと強調したければ「私は」を使うのは適切です。
 しかし、口頭発表の冒頭において「私は」とは言わないことのほうが実例としては多いのは、それぞれ異なったテーマについて発表することが前提されているから、「私は」と言ってわざわざ自分を際立たせる必要がないからです。これは、自己紹介するときに日本人はわざわざ「私は」とは言わないことが圧倒的に多いのはなぜなのかという問題と同じ問題です。
 いきなりこの問題の解答を示す前に、上掲の元の一文だけを見て、それが妥当な一文であるような場面を想像してみましょう。
 ある会議中に上司が会議室に入ってきたとします。その上司が、「どうして君が発表しているのかね。A君が担当するはずじゃなかったかね」と聞いたとします。それに対して、今日A君が急病で欠席し、それで彼と同じプロジェクトで一緒に仕事をしていた私が急遽彼の代わりに発表していると答えるような場面では、上掲の一文は適切な一文となります。逆に、このような場面で「私は」は不適切です。上司の問いに答えたことにならなくなるからです。
 このような場面を想像しつつ、それと口頭発表の場面とを比較して、発話行為の状況として両者の間にどのような違いがあるかを考えてみると、口頭発表の冒頭の一文には「が」が不適切であることについてかなり明瞭な説明が可能になってきます。
 ここまでの考察を前提として、口頭発表の冒頭でなぜ「私は」と言わないのかを再度考えさせます。それは上に述べたように、自己紹介の場面との共通点が解答の鍵になります。その解答を一言でまとめると、「話し手(書き手)と聞き手(読み手)とにすでに共有されている、あるいはそう話し手に判断された情報は原則として省略されるから」となります。
 ところが、さらによく観察してみると、この解答も厳密さを欠いていることがわかります。なぜなら、話し手(書き手)には「省略」という意識もないからです。言語行為は話者間ですでに共有されている自明な情報を前提として成り立っており、日本語の場合、この自明性は場面の構成要素としてその場面への参加者たちに暗黙のうちに共有されていて文の構成要素としては現れません。だから、順番に発表することがすでにその場面で参加者たちに自明であるとき、話す当人は「私は」とは言わないのです。
 ここまでの説明から導かれる結論として、上掲の一文は、「今日は[…]について発表します」と添削されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


単数・複数意識と非量化的意識の間で揺れ動く

2022-10-08 23:59:59 | 日本語について

 2015年3月2日の記事で井筒俊彦の「単数・複数意識」と題された短いエッセイのことを取り上げたことがある。「単数でも複数でもなく、それでいて、単数的でも複数的でもあり得る日本語の「猫」は、英語の世界には生息しない」という印象的な一文がはじめのほうに出てくる。その直後の段落で次のように言われている。

 日本語には、この点で、独自の曖昧さがある。だが、それで結構、用は足りている。だいいち、曖昧だなどというのは、外国人的な見方で、そんな意識は、欧文調の論文でも書く場合は別として、通常、日本人にはない。

 確かにそうだろう。それに、井筒自身が和歌や俳諧を例に挙げて述べているように、この単複の不決定性あるいは非量化性が独特の詩的感性の世界をもたらすとも言えるだろう。
 他方、常日頃、日本語の論文や説明文を仏語に訳していると、単数か複数か選ばなくてはならず、はたと迷ってしまうことがしばしばある。例えば、次の一文を見ていただきたい。

十六世紀半ばの日本とヨーロッパとの出会い以降、日本の歴史もまた大きく転回した。その一つとして、ここではヨーロッパ人による日本の記録が出現することをあげておきたい。

 「その」は何を指しているか。「転回」以外には考えられない。とすれば、この転回は複数だということになる。しかし、いくつもの転回があったとは書いてない。転回の規模が大きいのであって、転回が複数あったとは明示されていない。そう解釈する根拠もない。この論文の筆者は、おそらく、転回をもたらした要因あるいは転回を構成する要素が複数あると考えていて、「その一つ」としたのであろう。
 どう訳すか。DeepL に翻訳させるとこうなった。

Depuis la rencontre entre le Japon et l’Europe au milieu du 16e siècle, l’histoire du Japon a également pris un tournant important. L’une d’entre elles, que je voudrais mentionner ici, est l’émergence de comptes européens sur le Japon.

 「その一つ」が « l’une d’entre elles » と訳されているが、代名詞女性複数形で受けるべき女性名詞複数形は前文にはない。だから、その他の部分はほぼ完璧な訳だが、ここだけは誤訳だと言わざるを得ない。この仏訳だけを読んだ人は、 « elles » はいったい何を指しているのかと首を傾げるだろう。
 ここは、しかし、機械翻訳の不完全さを問うべきところではない。日本語原文の中の「その一つ」の「その」が指しているものが実は「転回」ではないところに問題がある。言葉を補って訳さざるを得ない。そこで私は « l’un des éléments constitutifs de ce dernier » とした。つまり、「この転回を構成する諸要素の一つ」としたのである。そもそも、原文が「その転回の一側面として」とでもなっていれば、このような問題は発生しなかった。
 これはほんの些細な一例に過ぎない。しかし、単複の区別が曖昧でも不決定でも用は足りるとばかりは言っていられない場合もある。それが重大な誤解を招かないともかぎらない場合もある。常に注意深くありたいと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


授業で引用するテキストを読んでいて気づくこと

2022-10-06 23:59:59 | 日本語について

 どの授業でもさまざまな日本語の著作から引用する。その引用をパワーポイントに取り込むとき、短い文章であればそのまま打ち込む。少し長い文章の場合は、まずWORDで入力してからコピー&ペーストする。これは打ち間違いがないかあらかじめ確認するためである。それでも実際には教室で学生たちにテキストを読ませる段になってはじめて打ち間違いに気づくこともある。数頁亘る長い引用の場合は何度も読み直して確認するのだが、それでも間違いを完全に防ぐことはできない。
 さらに長い文章の場合、スキャンしてテキスト化することもかつてはときどきしていたのだが、スキャナーの性能が低いせいなのか、テキスト化の際の文字化けが結構あり、それを訂正するのに時間がかかってしまうことが多々あったので、今ではこの手段はもう使わない。
 電子書籍の場合、キンドル版なら、確か著作権上の問題からか一冊ごとに上限はあったが、テキストをそのままコピーすることができる。仏語や英語のテキストはこれをフル活用している。ところが、海外のクレジットカードでは日本で発売されているキンドル版が購入できない(裏技があるらしいがどうすればよいのかわからないままである)。
 というわけで日本語書籍についてはHONTO書店を利用しているのだが、HONTOで購入可能な電子書籍版からは一度に百字程度しかコピーできず、しかもそれはウェッブ上で検索するためであり、テキストとして別の場所に直接貼り付けることができない。そこでスクリーンショットで頁を取り込み、それをPDF版に変換しテキスト化する。スキャンしたときよりは文字化けの頻度も格段に少なく、かなり快適に素早くテキストを利用できる。
 しかし、それでも誤変換がないわけではない。とくにフリガナや傍点があると改行が崩れる。それに、数字が文字に誤変換されることもあるし、その逆もある。
 そういう難点はあるが、電子書籍を活用するようになってから授業で引用する文章の数が飛躍的に増えたことは事実であり、その分授業の内容を豊かにはできていると思う。
 他方、さまざまな著作者の文章をこのようにしてかなり注意深く一文一文解剖するように読むと、意外にと言ってもいいほど、文章に厳密さが欠けていることに気づく。ほとんどの場合、立派な研究業績をおもちの方々の文章だから、内容的に辻褄が合っていないということはない。そもそもそのような箇所がたとえあっても引用しない。全体の論旨は十分に明快な文章しか引用しない。それでも、特に指示語と助詞には厳密に言えば適切とは言えない使い方がときに見られる。
 問題は、個々の著作者にあるというよりも、日本語そのものが許容する(してしまう)曖昧さにあるように思う。それでも誤解の余地なく読めるのならばいいではないかとも思う。著者が指示語によって指したいことが読者によって正確に把握されればよいわけで、それは文章全体の論旨から特定できることが多い。
 しかし、私個人としてはそのような曖昧さができるだけ少ない文章を書くように心掛けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


言語への「異物混入」としての句読点

2022-07-15 22:12:52 | 日本語について

 日本語の表記について今日も考えました。今日のお題は句読点です。これが難しい。そして、「実に面白い」(福山雅治のガリレオ調でお願いします)。
 このブログを書くときにも、どこで「、」つまり読点を打つか、かなり神経を使っています。個人的な原則として、読点は少なければ少ないほどいいと考えています。読点がなくても読み手がすらすらと読み下せ理解できる文が私の理想です。他方、敢えて読点を多用するときもあります。それはすらすら読んでほしくないときです。「ちょっと待って」「ここで立ち止まって」と読み手の方にお願いしたいとき、打たなくても文法的には誤解の余地のないところにも敢えて読点を打ちます。
 人の文章を読むときも読点が気になります。仮に読点以外の字面はまったく同じ文でも、読点の打ち方でリズムや呼吸が変わるからです。どうしてここで読点を打つのだろうと考え込んでしまうこともあります。文学作品の場合、特に詩作品の場合、読点の打ち方が作品の命、これはちょっと言いすぎかも知れませんが、少なくとも作品の本質に関わりのない単なるアクセサリーではないことは確かです。
 日本語には本来句読点はありませんでした。いや、日本語にかぎりませんね、他の言語でも、時代を遡れば遡るほど、パンクチュエーションの規則は不確かです。そんなものはもともとなかったのです。それは当然のことで、パンクチュエーションは書き言葉固有のものであり、話し言葉には存在しなかったからです。口頭表現でパンクチュエーションに相当するのは「間」ですが、これは文法規則とは別のルールに支配されています。これも実に面白いテーマなのですが、今日は立ち入りません。
 ちょっと極端な言い方をすれば、句読点、より広く言えばパンクチュエーションは、言語への「異物混入」です。この「闖入」によっていずれの言語もあるとき変化し始めました。それが単なる実用性を超えて規則化・公式化されたときに、書き言葉の話し言葉に対する「自律」が始まったのです。
 話を急ぎすぎました。実は、こんな妄想を抱きはじめるきっかけは、吉増剛造氏が『詩とは何か』のなかで折口信夫について「折口さんが革新的だったのは、歌の中にテン・マルを導入したことです」と言っているのを読んだからなんです。私は現代短歌については無知ですが、短歌全般について言えば、一首のなかにテンもマルもないのが普通ですよね。そういうものとして私たちは読んでいるし詠んでいます。
 ところが、今日、私の愛読書の一冊である塚本邦雄『清唱千首』(冨山房百科文庫35)のなかの『古今集』のよみ人知らずの一首「ほととぎす夢かうつつか朝露のおきてわかれし曉のこゑ」(巻十三 恋歌三 六四一)の注解を読んでハッとしたのです。

愛する人との朝の別れ、朝露はあふれる涙、氣もそぞろ、心ここにないあの曉闇(あかときやみ)に、ほととぎすの鳴いた記憶があるのだが、後朝(きぬぎぬ)の鳥の聲のつらさは、殊に女歌に多い。初句切れ、二句切れの悲しくも張りつめた呼吸も、また「曉のこゑ」なる結句の簡潔な修辭も、後世の本歌となる魅力を秘めてゐる。季節の戀歌として情趣溢れる稀なる一首。

 塚本氏がいう初句切れも二句切れも通常の表記では自明ではありません。その切れを句読点で表記してみましょう。

ほととぎす、夢かうつつか、朝露のおきてわかれし曉のこゑ

ほととぎす。夢かうつつか。朝露のおきてわかれし曉のこゑ

 どうですか。すらすらと句読点なしに読むのとは違った印象を受けませんか。さきほどは「異物混入」と句読点を貶しましたが、使い方しだいでは歌の心を浮き立たせることもできるのではないでしょうか。
 昨日の記事で話題にした仏訳がこの歌の鑑賞を深めてくれます。

Le coucou :
Songe ? Ou réalité ?
Ce chant à l’aurore,
Quand nous nous séparâmes
Dans la rosée du matin.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


古典和歌をローマ字表記することについて

2022-07-14 23:59:59 | 日本語について

 今日の話題も日本語の表記についてです。
 Les Belles Lettres 社から先月刊行された『古今和歌集』の仏訳 Kokin waka shû. Recueil de poèmes japonais d’hier et d’aujourd’hui, traduit par Michel Vieillard-Baron を購入して、各歌の仏訳の左側に添えられたローマ字表記の原歌を眺めながら、それらローマ字表記と通常の漢字仮名交じり表記との間の「距離」について考えてみました。
 『古今和歌集』にかぎらず、私たちが勅撰和歌集その他の古典的な和歌を鑑賞するときは、漢字仮名交じり表記が普通ですが、これもそれぞれの歌が生まれたときの表記そのままとはかぎらず、読みやすさを考慮して、底本では平仮名のところが漢字になっていたり、その逆の場合もあります。ですから、校注本や注釈書の表記を歌本来の表記として絶対化することはできません。
 それはそうとして、日本人が和歌を鑑賞するに際して、わざわざローマ字表記を介することはまずありません。学習用の古語辞典で読み方を示す場合にも、現代の平仮名表記が用いられ、ローマ字で発音を示すことはありません。
 上掲の仏訳には、歌ばかりでなく、脚注も含めて、日本語の漢字仮名の表記は一切なく、すべてローマ字表記になっています。フランスを代表する古典和歌文学の専門家による訳業である本書がフランスにおける和歌文学研究のきわめて高度な達成であることは間違いありません。ですが、ローマ字表記された和歌は一体誰のためなのだろうと私は考えてしまったのです。とはいえ、この疑問はけっしてこの偉業に対する批判ではなく、それをきっかけとした日本語表記をめぐる小考の一つにすぎません。
 同業者つまり日本の古典の原文を自分で読める研究者たちには、このローマ字表記は必要ありません。研究者でなくても、歴史的仮名遣いを身につけていれば、日本語の校注本や注釈書を参照すればよいわけです。このローマ字表記を頼りに読まざるを得ないのは、現代日本語は学習したが、歴史的仮名遣いとその発音の仕方は習っていない人たちか、日本語をよく知らない人たちです。
 いずれの場合も、歴史的仮名遣いを忠実に反映したローマ字表記によっては正しく発音できないおそれがあります。例えば、「見む」は「ミム」とは読まず「ミン」と読みますが、ローマ字表記は mimu となっており、歴史的仮名遣いの知識がなければ、読み誤ってしまうでしょう。「けふ」はもちろん「キョウ」と読みますが、kefu という表記からどうやってこの読みが推測できるでしょうか。これらのローマ字表記から正しく読める人はそれを必要とはしておらず、ローマ字表記を必要とする人は正しく読めていないことがしばしばありうるわけです。
 私自身は、正直なところ、ローマ字表記に強い違和感を覚えますが、通常の漢字仮名交じり表記が表すそれぞれの言葉の姿態がローマ字によって消去され、歌の表記が日本語と無縁な表音文字によって斉一化されることで、歌の言葉が生み出す音楽性がいわば剥き出しになっているとは言えるかも知れません。
 皆さんはどうお感じになるでしょうか。一例だけ挙げておきます。巻第一・春歌上・ニ、貫之の歌です。

袖ひちて   Sode hichite      L’eau que j’avais puisée
むすびし水の Musubishi midzu no  Mouillant les manches dans l’onde
こほれるを  Kohoreru wo     Glace est devenue :
春立つけふの Haru tatsu kefu no  En ce premier jour de printemps
風やとくらむ Kaze ya tokuramu   La brise la fait-elle fondre ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


片仮名書きによる表現の異化作用について

2022-07-13 23:59:59 | 日本語について

 吉増剛造氏が『詩とは何か』の中で片仮名書きに触れている箇所を昨日の記事の中に引用しました。私は実践したことはありませんが、もしやってみたらどんな感覚をもたらすでしょうか。吉増氏がいう「別の血液が流れる」とはどのような感覚なのでしょうか。試すのはまたの機会にして、読む側から平仮名書きと片仮名書きの違いについて少し考えてみました。
 小説や漫画などで、外国人が日本語を話している部分を片仮名書きにすることがありますね。それは話されている日本語が日本人が話す日本語とは少し違っていることを視覚的に示すという効果があります。他には、ある言葉の音は聞き取れても、それが何を意味しているかわからないときに使われます。例えば、映画『かぐや姫の物語』で、翁が相模をかぐや姫に紹介するとき、「高貴の姫君」「宮中」という言葉を使い、それを聞いたかぐや姫が意味がわからないままにそれらの言葉を繰り返す場面の日本語字幕は、「コウキノヒメギミ? キュウチュウ?」となっています。他の用例として、どの小説だったかもう覚えていませんが、主人公の独白部分が漢字片仮名書きになっている作品がありました。さらに、漢字で書くのが普通の語を片仮名にすると、本物とは似て非なるものを意味することもあります。例えば、「哲学」のかわりに「テツガク」と書くとき、そういう効果が生まれることがあります。
 これらの例は、一言でまとめれば、本来は漢字あるいは平仮名で書くところを片仮名にすることで生じる表現の異化作用と言うことができるでしょう。
 ところが、片仮名の使用は、戦前、明治期、さらにはそれ以前の時代には、むしろもっと広く行われていました。
 古典の中にも漢字片仮名書き版があり、例えば、『方丈記』の現存最古の写本、大福光寺本(一軸)や岩波古典文学大系版『愚管抄』の底本、島原本がそうです。それ以降も、日記や覚書や備忘録の類には漢字片仮名書きは珍しいことではありませんでした。明治に入ってからも小学校の教科書は片仮名書きから始まっており、子どもたちが最初に学習したのは片仮名でした。片仮名書きが主に外来語の音写に限定されるのは一九四七年以降のことで、それまでは片仮名書きは日常的にもっと広く行われていたようです。
 通常平仮名を用いるところを片仮名にすることによって表現にある種の異化作用が起こるのは、戦後、一般的な日本語表記において片仮名書きの範囲が狭められたことによるとすれば、それは戦後になってはじめて発生した現象だということになります。そこまでは言えないかも知れませんが、私たちが今日通常漢字平仮名書きにするところが漢字片仮名書きに変換されている文章を読むときに感じる違和感、抵抗感あるいは読みにくさは、もしかすると、まだ見ぬ日本語の別の世界の入り口に立たされていることから来るのかも知れませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「忍ぶ」と「堪(耐)える」の相違点について

2021-09-29 05:46:48 | 日本語について

 「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」とは、言うまでもなく、終戦の詔書にある表現で、昭和天皇による玉音放送の一節として、終戦の場面を描く映画などにおいても、それこそ数え切れないほど使われてきた。戦後生まれの大多数の日本人にとってさえ、昭和天皇の玉音放送の声と切り離してこの一節を思い出すことは困難なのではなかろうか。
 「堪える」と「忍ぶ」とはどう違うのだろう。この一節に関するかぎり、類義語を重ねることによる強調表現という以上の役割はないように思われる。ところが、古語辞典によると、両者は、類義語ではあっても、明らかに弁別的価値を相互に有している。この点、手元にある辞書のなかでは、『古典基礎語辞典』(角川学芸出版 2011年)と『ベネッセ全訳古語辞典』(改訂版 2007年)が特に参考になる。
 「たふ」には「堪ふ」と「耐ふ」の二つの漢字表記があるが、両者の違いはここでは問わない。
 『基礎語辞典』の解説を見てみよう。

タ(手)アフ(合ふ)の約。手を向こうの力に合わせる意。自分に加えられる外からの圧力に対して、それに応ずる力をもって対抗する意。外力に拮抗する力をふるうので、その結果として、現状をもちこたえ、我慢し、じっと保つ意。また、自分自身の激しい感情については、それを抑え、こらえるの意。この用法は打消表現で用いられることが多い。また、外力に応じ、抵抗し、負けないだけの能力の大きさがあることを示す場合もある。類義語シノブ(忍ぶ)は、外に表れないように自分の動きや気持ちを隠し抑える意。

「耐(堪)える」が、外力に向かって対抗する、対抗しうる、その状態を保持するという外向性をもったアクション、その持続、あるいは持続の可能性を意味しているのに対して、「忍ぶ」は、内にあるものが外に表れないようにする、それを隠す、秘めるという内向的な状態の保持を意味しており、両者は、いわば意味エネルギーのベクトルが互いに真逆の関係にある。
 両語のこの違いを前提とするとき、馬場あき子による式子内親王の名歌「玉の緒よ絶えなばたえねながらへば忍ることのよわりもぞする」についての以下の評釈がよりよく理解できる。

この式子内親王の一首は、“忍ぶ”ということ以上に“耐える”ことがテーマになっており、その究極には“死”をさえ考えている激しさは、個性的という以上に、むしろ異常でさえある。それは、新古今集の特色をなした艶麗・典雅な抒情からは、少しくはみ出した真率な調子をひびかせ、しかもなお幽玄な雰囲気をたたえている。(『式子内親王』講談社文庫 1979年)

 忍ぶる恋の臨界を突破し、耐えることの限界に達し、そのことが「玉の緒よ絶えなばたえね」(「私の命よ、人思う苦しさに絶えだえの命の糸よ、ふっつりと切れてしまうなら、いっそそれでもよい」)という絶唱を生んだ。「凡歌尠からぬ小倉百首撰の中では、稀に見る秀作の一つ」と塚本邦雄が『新撰 小倉百人一首』(講談社文芸文庫 2016年)で例外的にこの歌を称賛しているのもゆえなしとしない。