常々・・・疑問に思うことがあります。
「アドヴァイス」と「余計なお世話」の境目って、絶妙・・・。
具体的にどういうことかと言いますと・・・。
以前、彼氏と食事している時に友人から電話が入ったことがあります。
彼女は、友達の紹介で知り合った人とデートして、知り合ったその日のうちに付き合うことに。
「早いなあ・・・まあ、でも、そういう恋愛もアリだと思うよ。貴方がいいと思ったんならいいんじゃない?」 と応えるわたし。しかし彼は
「いや、そういうのよくないよ。」
と断言。さらに・・・。
「知り合ったその日に付き合うなんて、よくないと思う。セピは何て言ったの?・・・うんうん・・・(私を見て)おい、後で説教な!・・・・うん・・・・。」
とな。
電話の後、ガッツリ論争になりました(苦笑)
「なんであんなにはっきり“よくない”って言い切れるの?」
「だって、知り合ったその日のうちにだよ!?」
「いやいや、あのさ・・・私達は彼女に紹介した友人も、紹介された人も、どちらも知らないわけだよね?どんな人かも知らないのに、どうして“よくない”って判断出来るのよ?」
「常識で考えたらそうじゃん。」 ・・・・・。
・・・・・。
常識って、何?
人が何かをしようとして、その決断を決めかねている時。
私はYES!ともNO!とも言いません。
それが法律にひっかからなかったら(←これがセピの査定基準)
だって決断するの、本人ですから。
あらゆる可能性を示唆するだけ。
色々な角度からの物の見方を提示するだけ。
その上で、
本人が「どうしたいか」でしょう。
人に言われて決めることじゃない。
結局
「本人がしたいこと」が一番の選択肢だと思いますから。
同様にして、人が何かを決めた時。
私は安易に否定することは出来ません。
だって、その人が色々考えて決断したことなんですよ?
それを、
個人の良識で「悪い」と言い切ってしまっていいのでしょうか?
やっぱりそれが「法律」に触れない限り、私にはNOとは言えない。
・・・・ま、勿論ね。
女性の場合は、法律に触れなくっても結果的に「痛すぎる現実」を引き起こしそうなことってありますよ。
注意が必要なのも確か。
しかして・・・やはり、進もうとしている道を「よくない」と断言することは出来ない。
多分。
私自身が自分の決断したことに対して、
「とやかく言われたくない」という思いがあるからでしょう。
自分なりに納得のいく選択をしているわけで。
例え失敗しても「後悔」しないって分かっていますから。
相手が心配して言ってくれているんだとしても、やっぱり自由にさせて欲しいと思ってしまうんですね。
そもそも
「相手のタメを思って」という言葉を私は信用してません。
純粋に相手のタメを思って、何かをやるなんて殆どないとすら思っています。
大概それは
「自分の為」です。
相手に対して「何かをしてあげた」という結果や義務感や満足感を得たいが為。
そう、
自己満足に他ならない、と思います。
勿論そこには優しさもあるし、気遣いも、愛情もあると思う。
だから自己満足であっても、別に悪いことなわけではない。
ただ、相手に対して「こうした方がいい」と言うそれ自体「自己満足」だと思うのに、さらに相手の「決断」を変えようとする、そこまでいくと
「おせっかい」でないかと思うのです。
言いたいことは言う。
警告もする。
応援もする。
でも、やはり最後の「選択」は相手に託し、自分は「見守る」くらいのスタンスがいいのではないか?
結局、
道を切り開くのは本人の力以外ないですから。