南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
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歴史に学ぶ

2012-05-24 15:10:16 | Weblog
NHK大河ドラマ「平清盛」の視聴率が上がりません。
開始早々から兵庫県知事に「薄汚れた画面」だとのクレームをつけられましたが、NHKは意に介さず相変わらずの「薄汚れた場面」です。
庶民は疫病で苦しみ、路頭に放置された死体もあり、まるで異臭が漂ってきそうなリアルさもあります。
為政者はどろどろとした権力争いにうつつを抜かし、人間の醜さがミックスされて、視聴者の気持ちを暗くさせてしまいます。
これで視聴率が上がるとは思えませんが、NHKはなぜこの物語を大河ドラマに選んだのでしょうか?
昔から大河ドラマは現在の世相を映すものだと言われてきました。

ドラマは朝廷や貴族が支配する平安時代から始まりました。
もちろん最高権力者は天皇ですが、その天皇を退いたのちになる上皇、そして仏門に入って法皇になるまで院政を敷いた白河法皇から物語はスタートします。
絶大な権力を持つ白河法皇(伊東四朗が扮しました)が亡くなると、権力争いは壮絶さを増していきます。

先週回は天皇派と上皇派に分かれての争いに武士も巻き込まれていくところで終わりました。
これが「保元の乱」の始まりですが、この争いでは平清盛と源義朝は協力しあって、勝利を収めます。
しかししばらくすると勝者の中で対立が起こり、「平治の乱」が始まり、この闘いで平家と源氏は激突します。
闘いに勝利したのは平家でしたが「驕る平家は久しからず」、情と色とで助命を許した義朝の遺児「頼朝」と「義経」の手によって平家が亡ぼされたのは1185年「壇ノ浦の戦い」でした。

“いいくにつくろう(1192年)鎌倉幕府”源頼朝が征夷大将軍になって武家政治がスタートします。
その後、室町時代、安土桃山時代、そして“ひとむれさわぐ”(1603年)徳川家康が江戸幕府を開くまで、日本の国は混乱が続きました。
白河上皇が院政を始めた1086年から500年以上もの時が過ぎていました。
さて大河ドラマが現代とダブらせているものはなんだと皆さんは思いますか?
そう考えると、ちょっと怖いドラマですね。