お城のデータ
所在地:東近江市(旧神崎郡)永源寺町相谷 map:http://yahoo.jp/BhtW11
現 状:山林・山麓
区 分:山麓館(関所)
遺 構:土塁・郭・石列
築城期:室町期
築城者:小倉?小辰氏?
標 高:250m 比高差:10m
目標地:相谷バス停(標高:248m)・寶珠禅寺(標高:238m)
駐車場:相谷バス停・ゲットボール場駐車場
訪城日:2015.10.15
相谷バス停・ゲットボール場駐車場
相谷バス停(標高:248m)の待合の裏から入城した
山に入る直ぐに石仏(集められた石仏)
山麓館跡(相谷関屋(関所)の館か?)
お城の概要
相谷バス停(標高:248m)の待合の裏から入城するとすぐ東へ、10mも進むと国道421号との間の土塁が。
旧八風街道から、比高15mに位置し、国道421号で分断された、土塁で囲まれた曲郭が、
八風街道の警護をしていたか。小辰氏?小倉氏?
西側の土塁東側の土塁と曲郭南側石列
歴 史
相谷の「小辰家文書」鍋婦人記の項で「三河守殿末孫九居瀬村ニ城郭之支度…村年寄共ニ字卒塔波山ト申候、夫レハ名悪敷ク尖山(トガリヤマ)ト御附城郭被成候由、出城ハ相谷長谷出ノ上、鶴尾下ニ関屋ヲ立 云々」と記す。
<八風峠>
国道421号が八風街道と呼べるのは、この八風谷橋を渡った所までであろうか。
以前は八風峠への分岐の角に、永源寺町教育委員会による「八風峠」と題した立札が立っていた(写真)。
国道421号が八風街道と呼べるのは、この八風谷橋を渡った所までであろうか。
以前は八風峠への分岐の角に、永源寺町教育委員会による「八風峠」と題した立札が立っていた(写真)。
「八風の名は古く、伊勢風土記逸文、神武天皇東征神話に早くも八風の文字がある。」と始まる説明文は、最後に「戦国時代を全盛とした峠道も、信長は安土城下に楽市を開いて山越商人を禁止、江戸幕府の関所徹底取締令などで八風越えは殆んど消滅したことは、慶安三年(1650)の黄和田文書が示しており、今も荒廃のままである。」と結んでいた。
八風峠の看板・・・・ (撮影 1992.10.21)(画像は不鮮明です)
城山・谷筋側の谷筋に石列だ!
砂防ダム
参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査』4(「旧蒲生・神崎郡の城 1986.3) 、神崎郡志、遺跡ウォーカー:滋賀県の遺跡
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!