城郭探訪

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弘聖寺 近江国(能登川)

2016年03月11日 | 居館

弘誓寺 

弘誓寺の始まりは、791年建部社の神宮寺・大願寺として開創されたことにあると伝えられている。

その後、源平合戦の武者・那須与一の七人の子供が近江に建立した弘誓寺七ヶ寺の一つとして、

1259年に二男が大願寺を再興して弘誓寺を建立している。
<近江の七弘誓寺>
  報身山弘誓寺:東近江市建部    浄土宗
  金剛山弘誓寺:東近江市瓜生津   浄土真宗本願寺派
  石畠山弘誓寺:東近江市五箇荘   真宗大谷派
  石畠山弘誓寺:東近江市躰光寺   浄土真宗本願寺派
  弘誓寺   :東近江市小田刈   浄土真宗本願寺派
  至心山弘誓寺:東近江市中一色   真宗大谷派
  弘誓山稱名寺:犬上郡豊郷町石畑  浄土真宗本願寺派

繖山を西に望む田園にどっしりと構える風景は、那須与一に関係する
趣を想像させてくれる。
庫裡裏の庭園も整備され、かっては浄土宗の大寺であった面影が残っている。

石畠山 弘誓寺(ぐせいじ)

滋賀県神崎郡能登川町躰光寺990

弘誓寺表門(弘誓寺・躰光寺)

この門は、大型の四脚門に入母屋造りの屋根をかぶせた門です。 門が建てられた時期は、部材の模様などから江戸時代後期と考えられます。
また、境内には諸堂が当時のまま残っていて、伽藍配置構成の上からも重要な遺構です。

能登川の文化財 http://www.town.notogawa.shiga.jp/maibun/bmap/index.html

第一番札所 報身山 弘誓寺 滋賀県東近江市建部下野町 282

072gusei源平の戦いも扇の的だその名を知る那須与一に七児が在りそれぞれ一寺を建て弘誓寺と稱したと云い今に傳わると云う 庫裏も古風に感じる土蔵造りで漆喰の白壁は眩しく書院客殿は塀で囲み美しい庭園を想像させる 他の寫真 弘誓寺 地圖

第二番札所 金剛山 弘誓寺 滋賀県東近江市瓜生津町 1314-1

131gusei2門前に二本の松の木が在り茅葺きの山門の柱を新しくする改修をし古きを守る姿は好い景色で在る 山門を過ぎれば親鸞聖人像が在り此処も松の木が在る 大本堂は軒柱を立てる真宗によく見る姿で向拝を廣く取って堂横には大庫裏を置く 弘誓寺 地圖

第三番札所 金龍山 弘誓寺 滋賀県東近江市五個荘金堂町 615

12zgusei3近江商人のふる里で金堂の町並みは白壁と蔵屋敷の並ぶ町並みは心温まる 商人屋敷も幾つか見る事が出来て成功の道しるべも見える感じがする 金堂町掘り割りが走り錦鯉が泳ぎ別世界で在る 真宗の特徴強い大本堂を持ち松の木の多く育てて大きく灯籠を置く 古い井戸の石組が残される 滋賀県 地圖

第四番札所 石畠山 弘誓寺 滋賀県東近江市躰光寺 979

 他の寫眞 滋賀県 地圖

第五番札所 浄土真宗 弘誓寺 滋賀県東近江市小田刈 413

12zgusei2参道には親鸞上人像が在り白土塀を巡らして山門が在る に密着した寺院に見え庫裏も本堂と列ぶが民家風で好印象で在る 横には豪商小林家の屋敷を開放して資料館とし商売の看板に始まり商いの帳簿類商用具等を展示し又家族の生活が見れる等具も展示する 庭園も豪華に在る 滋賀県 地圖

第六番札所 浄土真宗 弘誓寺 滋賀県東近江市中一色 380

 桁行約14m,梁間約15m,入母屋造で,正面に3間分の広い向拝を付す。三方吹き放しの縁を回した外陣の先に一段高く矢来を取り,その奥中央に後門形式の内陣,両脇に余間を配す。縁先に軒支柱を立てた形式で,近世末浄土真宗大型本堂の姿をよくとどめる。滋賀県 地圖

第七番札所 浄土真宗 本願寺派 弘誓山 稱名寺 529-1169 滋賀県犬上郡豊郷町石畑473

文治元年(1185)那須与一の次男宗信創立という。文永11年(1274)宗信中興、


 那須 与一   嘉応元年(1169)~不詳(不詳)   没年齢 不詳
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那須氏の祖は藤原道長の曾孫・資家、下野国那須郡に下向して須藤(那須の藤原氏)貞信と名乗ったのが始まり。与一の父資隆が初めて那須を名乗って以後はその姓を継承した。妻は新田義重の娘と伝わる。
吾妻鏡には与一の記載がなく、平家物語あるいは源平盛衰記など軍記物にのみ記事が見られるため、実在は疑われている。元暦二年(1185)の屋島で扇を射る(審議には諸説あり、個人的にはフィクションと考える)などの軍功を挙げ、頼朝から丹波・若狭・武蔵・信濃・備中に荘園を得た。
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与一は文字通りの十一番目に生まれた男子だったが、源平争乱期に兄達が平家に味方するなどしたため繰り上がって家督を継ぎ、逃亡中の兄弟を赦免し領地を分け与えて那須氏発展の基礎を築いた、と伝わる。晩年については諸説があり、これも明確ではない。子孫は那須七騎と称されて独立性が強く、那須氏・芦野氏・福原氏・千本氏・伊王野氏・大関氏・大田原氏に分かれ繁栄したが室町時代に分裂し没落した。

 


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