城郭探訪

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日爪城    近江国(新旭)

2016年05月17日 | 山城

お城のデータ

所在地:高島市(旧:高島郡)新旭町饗庭日爪  map:http://yahoo.jp/KMRLKI

現 状:山林

区 分:山城

築城期:織豊期

築城者:日爪右京佐為治

遺 構:郭・桝形虎口・土塁・堀切・畝状竪堀・遺構表示板・説明板

標 高:205m 比高差:80m

目標地:日爪バス停・日爪区農村集落センター・慈恩寺

駐車場:日爪バス停

 

訪城日:2016.4.16・2016.5.15

 

訪城日:2016.5.15

 

農村集落センターに駐車

 

 

 

主郭虎口

 

主郭南土塁から堀切・土塁~南出丸へ

 

一騎駆け

 

『南出丸』の下の鉄塔

 

『主郭』鉄塔

 

 

 

主郭西側土塁

 

土塁下の堀切

 

東局廓群

 

 

 

訪城日:2016.4.16

訪城日:2016.4.16

 

お城の概要

日爪城は、饗庭野と呼ばれる丘陵に築かれ、山頂部にある主郭からは清水山城から琵琶湖まで一望することができる。

この日は、オオイワカガミと三つ葉つつじが迎えてくれた。

日爪集落の南東に聳標高250m程の山に築かれている。 東麓の【日爪の遺構=別の遺構】の共同墓地となっている部分が根小屋と呼ばれ、土塁などを設けた段遺構が残る。

 山上は東西二郭で、鉄塔が建っている西の曲輪が主郭となっている。 主郭は北から西側にL字の土塁を設け、西背後の尾根を横堀状に断ち切り、その外側を連続堀切で遮断している。さらに南西尾根を登っていくと、西斜面に畝状竪堀群が残っている。

 東曲輪(副曲廓)は南に虎口があり、東側は土塁を設けている。曲輪の内部は谷の両側に平段を設けており、北側に小さな段が付く。東の土塁の外側は大きな横堀で、根小屋側に土塁が付いている。
 
 永禄年間に浅井・朝倉氏か西佐々木氏の影響を受けて改修された可能性が高く、小規模な城郭の縄張りは複雑で「織豊期後期の城であろう。

お城の歴史

日爪城は、戦国時代に日爪右京佐為治の居城として築かれたと云われている。 

 この地は保延4年に成立した山門領木津荘で戦国時代は饗庭荘と呼ばれ、饗庭氏の西林坊・定林坊・宝光坊の三坊に分かれ、日爪は西林坊が領した。 貞治6年に日爪為治を地頭代として日爪に住まわせたと伝えられている。日爪氏によつて築かれたと云われる。 日爪氏は土岐氏を出自とする饗庭氏の一族で、貞治6年(1367年)饗庭氏は日爪右京介為治を地頭代として日爪村に住まわせたと云われ、これが東山麓の根小屋付近で、日爪館と考えられている。その後の動向は定かではないが、の清水山の出城であったとの伝承がある。

 元亀3年、織田信長の命を受けた明智光秀は、饗庭三坊の三つの城と城下共に放火し、攻略しており、この一つが日爪城であったと推定されている。

東曲廓群から『主郭』の一騎駆け土塁(尾根道)

主郭部(鉄塔)

主郭部からは、北は今津方面・東は琵琶湖・湖北・南は清水山城が一望できる。

主郭西部の土塁

主郭の西へ

主郭部西の重ね堀切・土塁(二重堀切・土塁で遮断)

堀切の西先はハイキングコースか?


主郭に戻ります

東曲廓群(副廓)に戻る

一騎駆け

「東曲廓群」(副廓)

東曲廓の東の堀切 桝形虎口から真っ直ぐ追う進むと切岸

城道を「南谷遺構」へ下る。

日爪集落に戻り『日爪区農村集落センター』

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査8、現地説明板

 本日の訪問ありがとうございす!!


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