城郭探訪

yamaziro

山中城 近江国(甲賀・土山) 

2014年02月16日 | 平山城

山中城は国道1号線の鈴鹿峠を越える手前の山中地区にあり、現在では国道1号線に面した十楽寺と熊谷板金の駐車場間に城址碑が建つ、山城に土塁・平削地・石仏が残る。

所在地:甲賀市土山町山中 map: http://yahoo.jp/pQMyD3 

初城主:山中新五郎俊直

現 状:山林

区 分:山城

遺 構:石碑、山城に土塁・竪堀・石仏

築城期:鎌倉期 建久5(1195)年

築城者:山中新五郎俊直

目標地:熊野板金・城跡碑

駐車場:熊野板金横~要時間:15分

訪城日:2014.2.12                              

                              

お城の概要

 

『日本城郭体系 11』によりますと、

 

所在地は「甲賀郡土山町山中」、創築年代は「建久五年(一一九四)」、創建者は「山中新五郎俊直」、形式は「山城」です。「山中城は、土山町大字山中の中央、現在の国道一号線(東海道)の南方の山腹にある。城跡は、郭の東と西に土塁を残している。また、付近に「堀内」「大門」「同心屋敷」などの小字がある。

辺り一帯は階段状の水田となっており(近代に開墾したものだろう)。城址の石碑の後方山中に、土塁・竪堀・主郭・石仏が残る。近くには大門、堀内、同心屋敷などの地名が残っている。


お城の歴史

 山中氏は建久年間(1190~98)以降、鎌倉幕府の命をうけ鈴鹿山警固役として、山中悛直から代々鈴鹿の関所を守り、山賊などの討伐もおこなってきた。

甲賀二十一家山中氏の本拠。

 山中俊信の代には居館を柏本荘(水口)に移し、山中城は一族が守つていたが、天正13年(1585)豊臣秀吉のために城地を没収された。

『日本城郭体系 11』によりますと、

山中新五郎俊直は、建久五年に鎌倉幕府より鈴鹿山守護として、鈴鹿山賊、盗賊を鎮める役命を受けている。

この山中村地頭職、上山村友行名下司職は、山中俊直、俊信、有俊、氏俊を経て、建武二年(1335)になり、実秀の代に、為顕と道俊で所領を二分して、鈴鹿山警固役は二人で役を果たしている。

南北朝の動乱で、勢力を増大した道俊は、養子頼俊をして柏木御国惣庄検断職をもたせ、甲賀郡内でも代表的な武士に成長した。」とありる。なお、甲賀郡土山町山中は現在甲賀市土山町山中になっています。

Osamu Tanakaさんの写真蟹坂古戦場(かにさかこせんじょう)

天文11年(1542年)9月、伊勢の国司北畠具教は、甲賀に侵入しようとして、彼の武将神戸丹後守および飯高三河守に命じ、鈴鹿の間道を越えて山中城を攻めさせた。当時の山中城主は、山中丹後守秀国であり、秀国は直ちに防戦体制を整え、北畠軍はひとまず後退したが、直ちに軍政を盛りかえし、さらに北伊勢の軍政を加えて再度侵入し、一挙に山中城を攻略しようとした
このため秀国は、守護六角定頼の許へ援軍を乞い、六角氏は早速高島越中守高賢に命じて、軍政五千を率いさせ、山中城に援軍を送った。一方、北畠軍も兵一万二千を率い、蟹坂周辺で秀国と合戦した。この戦いは、秀国勢が勝利を収め、北畠勢の甲賀への侵入を阻止することができた。

 近江の山中氏は、戦国時代に甲賀二十一家の随一と称され、鈴鹿山麓の山中村から起こったと伝えられている。山中氏は橘姓といい数種類の系図が伝来しているが、それぞれ異同が著しく、にわかにその世系を特定することは難しい。いずれにしても、平安末期ごろ、荘園の下司・公文として武士化していたようだ。
 鎌倉時代はじめの、嘉禄二年(1226)、橘中務丞俊信が、鈴鹿山の賊を退治した功によって、山中村地頭.鈴鹿山盗賊追捕使に補任された。そして、山中にちなんで山中を称するようになったという。山中氏系図によると、俊信以前に岩屋・大平・石部・野村・山村・三雲・宇田・原らの諸氏が分出しており、山中氏は惣領を中心とした武士団を形成していたようだ。
 また山中氏は、伊勢神宮祭司によって伊勢神宮柏木御厨の地頭職に補任され、幕府からも公卿勅使「儲役」、「鈴鹿峠警固役」を公認されていた。「儲役」とは朝廷が伊勢神宮に特別なことを祈願する勅使である公卿勅使を接待する役であり、「鈴鹿警固役」とは公卿勅使を近江・伊勢国境附近で警護する任をいった。
 山中氏は鈴鹿山麓の山中村を本拠としていたが、やがて、惣領家は柏木御厨に移住したため山中氏は二流に分かれた。柏木に移った山中氏は、柏木御厨五郷(本郷・酒入郷・上山村郷・中山村郷・下山村郷)を領して、戦乱を生き抜き甲賀郡屈指の国人領主に成長していったのである。

熊谷板金の西横を詰め城へ

        竪堀

土塁

主郭に東海道に向け石仏(台座から折壊)

      

国道脇に駐車

参考資料;淡海の城、近江の城郭、日本城郭体系 11、甲賀市誌7巻甲賀の城・現地説明板

本日も訪問、ありがとうございました。