きよちゃんの趣味悠々

四季折々の「風情」(花・風景・イベントなど)を写真中心に紹介します !!

「奥飛騨」周辺散策・・・「乗鞍岳」・・・

2006-09-30 17:02:20 | Weblog
9月28日~29日に「奥飛騨」周辺(乗鞍岳、上高地、飛騨高山など)の散策をしてきた。
今回はこの時の状況を・・・「奥飛騨」周辺の散策からUPしますが、第一回目として「乗鞍岳」からUP・・・

「乗鞍岳」は岐阜県と長野県の県境に位置し、多くの峰と湖沼・平原を持つ火山群の「総称」・・・最高峰の「剣ヶ峰」は3026mあり、その他も殆どが3000m級の峰となっている。
また、「乗鞍岳」は国立公園の「特別保護地域」に指定され、特別天然記念物の「雷鳥」をはじめ、珍しい高山植物(コマクサなどの)貴重な自然が多く残されている。
その他、湖沼としては山頂近くの「権現池」や「大雪渓」などでも有名な「乗鞍岳」として人気を集めている。

尚、「乗鞍岳」には東京大学・宇宙船研究所・附属「乗鞍研究所」が設置されており、「高山に於ける宇宙船観測研究」が行われていることでも知られている。

こんな高山だが、「乗鞍スカイライン」などを利用することによって、山頂近くの「畳平」まで行くことが出来る・・・しかし、「マイカー規制」があり、一般の「乗用車」では乗り入れることが出来ず、「バス」などへの「乗り換え」が義務づけられている。

「畳平」近辺は、まだ9月なのに「紅葉」が始まっており、10月末になると「冬支度」の季節に入る・・・今回は「はい松」の中の「紅葉」の様子もUPします。

その他、「乗鞍岳・畳平」周辺からの「紅葉」、「乗鞍岳最高峰・剣ヶ峰」、「権現池」、「大雪渓」、「東大・乗鞍観測所」などをUP・・・


乗鞍岳の最高峰・「3026mの剣ヶ峰」と「大雪渓」


山頂近くの「権現池」と「雪渓」・・・山の上に「東大・乗鞍観測所」


山頂近くの「権現池」


東京大学・宇宙線研究所「乗鞍観測所」の全景


乗鞍岳・山頂付近の「紅葉」①


乗鞍岳・山頂付近の「紅葉」②・・・スカイライン「はい松」の中の「紅葉」








秋の巾着田・・・「ヒガンバナ」④・・・

2006-09-25 11:28:48 | Weblog
秋の巾着田「ヒガンバナ」シリーズも、今回が第4回目(最終回)となります・・・最終回は巾着田の中で、チョット変わった「彼岸花」をUP・・・

チョット変わったというのは
       (A)  巾着田の「木の幹」に咲く「彼岸花」・・・
       (B)  巾着田の「彼岸花」は殆どが「赤色」だが、この中に咲く「白色の花」・・・

こんなチョット変わった「彼岸花」も、気休め(日高市観光協会&巾着田管理協議会の演出か?・・・)には良いのかものかも・・・

この時期、「巾着田」は群生地全体が「真っ赤な絨毯」となり、右も左も「赤一色?」・・・こんな中に、「木の幹」で咲く「彼岸花」や白色の「彼岸花」がぽつんとあることは「一服の清涼剤」の様な感じが・・・また、「チョットした絵」になるような感じさえします。


秋の巾着田「ヒガンバナ」シリーズの最終回・・・こんな「彼岸花」も良いのではないでしょうか?


チョット変わった「彼岸花」①


チョット変わった「彼岸花」②


チョット変わった「彼岸花」③


チョット変わった「彼岸花」④


チョット変わった「彼岸花」⑤


チョット変わった「彼岸花」⑥


こんな「彼岸花」?・・・あなたは如何でしょうか?

「彼岸花」の持っているイメージが、チョット変わり・・・「癒し効果」もあるように感じますが・・・如何ですか?

秋の巾着田・・・「ヒガンバナ」③・・・

2006-09-24 08:23:32 | Weblog
今回は「ヒガンバナ」シリーズの第3回目として、1~2回目とは違った「別角度」(林の中の「彼岸花?」・・・)からの「彼岸花」をUP・・・

第1回目のUPの時、「彼岸花」には幾つかの「異名」があることを紹介しましたが、もう少し「彼岸花」について「追加?」しておきます。

ものの本によると「彼岸花の異名」は、各地には400以上(嫁の簪、御神輿、馬の舌曲がり、手腐り花、野松明、幽霊花、死人花などなど)が確認され・・・人に「名」をつけさせたくなる「花」の様です。

「異名」の一つに「はみずはなみず」があり・・・これは「彼岸花」が咲く時期に「葉がなく」、葉が生える時には「花がない」ために付けられた「異名」の様です・・・また、「葉みず花みず秋の野に/ぽつんと咲いた曼珠沙華/唐紅(カラクレナイ)に燃えながら/葉の見えぬこそさびしけれ」と言う「中勘助」の詩が思いおこされます。・・・

また、「彼岸花」は秋にいきなり「花を咲かせ」、多の草が枯れる頃に「葉を茂らる」、緑芽吹く春には「枯れて」、夏には土の中で「眠っている」と言うチョット変わった「植物」・・・しかし、これが「ライバル」のいない冬の太陽を「独り占め」し、栄養を球根に蓄える「生存戦略」だとすると、なかなか「抜け目のないヤツ?」かも・・・


こんな「彼岸花」から、我々「人間」もいろいろな生き方(特に「生存戦略」など)について「再考」させられることを「痛感」した。

今回は別角度(林の中の「彼岸花?」・・・)からの「彼岸花」をUP・・・


林の中の「彼岸花」①


林の中の「彼岸花」②


林の中の「彼岸花」③


林の中の「彼岸花」④


林の中の「彼岸花」⑤


林の中の「彼岸花」⑥


林の中に(古木の下などで・・・)咲く「彼岸花」もなかなか良いものですネ・・・古木のために樹皮は「黒ずみ」また「苔むして」いる場所に、真っ赤な(「べに紅」?)「彼岸花」が・・・
「彼岸花」の赤色(「べに紅」?)は、「黒色」や「緑色」との対比(Contrast?)が良いので、「被写体」としての「幅」が広がり、いろいろな楽しみ方が出来るのがうれしいですネ。



秋の巾着田・・・「ヒガンバナ」②・・・

2006-09-23 11:25:11 | Weblog
秋の巾着田・・・「ヒガンバナ」シリーズの第2回目をUP・・・

前回は巾着田「彼岸花」が群生している状況をUPしましたが、今回はもっと「彼岸花」を手前に引きつけてみました。

巾着田の「彼岸花」は林の中に咲いているため、「木洩れ日」が直接「彼岸花」に当たり、「天然のスポットライト?」的な役割をしてくれるのを利用して・・・「彼岸花」を手前に引きつけ、「彼岸花」のみをクローズアップ?してみました。
同じ「彼岸花」でも、全く違った「イメージ」に・・・

「巾着田」には100万本の「彼岸花」が咲くと言われていますが、いろいろな形で「彼岸花」を楽しむのも良いですネ・・・今回UPの「彼岸花」?どの様に感じましたか?


木洩れ日の当たった「彼岸花」①


木洩れ日の当たった「彼岸花」②


木洩れ日の当たった「彼岸花」③


木洩れ日の当たった「彼岸花」④


木洩れ日の当たった「彼岸花」⑤


木洩れ日の当たった「彼岸花」⑥


「彼岸花」には太陽光線(秋の青空?)がよく似合いますネ・・・太陽光線が「彼岸花」の「赤色」をいっそう引き出してくれています。

しかし、「彼岸花」も終わりに近づき、「退色」(赤色の・・・)が始まるとなかなか「写真」の様には「赤色」がでなくなってしまいます。
どんな「花」でも「咲き始め」(周りにまだ「つぼみ」がある時期?)が良いですネ・・・終わりに近づいた「花」は良くないような気が・・・

秋の巾着田・・・「ヒガンバナ」①・・・

2006-09-22 08:23:42 | Weblog
秋の彼岸に入り、早々に大宮の「青葉苑」へ親父の墓参りを済ませ、9月21日に「日本一の彼岸花・群生地」と言われている「巾着田」へ行ってきた。

高麗川が蛇行して形作られ、日和田山から見ると「巾着」に似ていることから「巾着田」の名前が付けられたとか?・・・最近はここも入場料(200円)を取られるようになったが、さすがに「観光客」が多い・・・9月21日現在で「見頃」になっているが、まだまだ「早咲き地点」「中間地点」「遅咲き」でも「つぼみ」が多く、9月末まで楽しめるのではないだろうか?

彼岸花はヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草で、散系花序で6枚の花弁が放射状につき、一般には鮮やかな「赤色」の花であるが、茎の緑色や咲いている場所の緑色とのコントラストが人々(特にアマチュアカメラマン?)を魅了する。

学名は Lycoris radiate で、Lycoris はギリシャ神話の「海の女神」から取られたもの、radiate は「放射状」の意味がある。
日本には、中国から伝来した「帰化植物」と考えられ・・・別名の「曼珠沙華」は「法華経」の中の「梵語」に由来しているとも言われている。

「彼岸花」は鱗茎に、有毒物質の「アルカロイド」(リコリン?)を持っていることから、日本では昔から「悪い花」の代名詞になっており、「地獄花」「幽霊花」「カミソリ花」「狐花」などの「異名」で呼ばれ、嫌われることの多い「花」だった。
しかし、最近は「赤色」の美しさ、花の形の「珍しさ」などから人々に「親しまれる」ようになり、秋の「観光花?」の一つになっている。

欧米などでは、以前から日本のような「連想が働かず」、「彼岸花」の園芸種が数多く開発され赤色の他、「白色」「黄色」などの花弁を持つものが園芸種として楽しまれているようだ。


これから「彼岸花」を数回シリーズでUPしますが、今回は「群生している彼岸花」をUP・・・


「群生・彼岸花」①


「群生・彼岸花」②


「群生・彼岸花」③


「群生・彼岸花」④


「群生・彼岸花」⑤


「群生・彼岸花」⑥


「巾着田」は林の中に咲く「彼岸花」であるため、太陽光線がよく似合う?・・・花の「赤色」と「茎」や「周囲の葉」緑色とのコントラスト・・・更には「木洩れ日」が「彼岸花」に当たり、「彼岸花の赤色」を増加させる。

年間・撮影スケジュールの中で、「紅葉」も良いが、彼岸花の「赤色」もアマチュアカメラマンにとって、大きな楽しみの一つとなっているのではないだろうか?

紀伊・散策⑤・・・「飛鳥寺」・・・

2006-09-17 11:41:21 | Weblog
紀伊方面散策の最終回(第5回目)として・・・正確には「紀伊」に入らないかもしれないが、「紀伊半島・散策」から「飛鳥路」をUP・・・「奈良県高市郡明日香村飛鳥」付近には「飛鳥寺」の他、多くの古墳(壁画の「高松塚古墳」、蘇我馬子の「石舞台古墳」などなど)が・・・

「飛鳥寺」は「日本最初の本格的なお寺」・・・588年に「蘇我馬子」が発願して創建された「お寺」で、飛鳥の代表的な「寺」として有名、今の「飛鳥寺」はひっそりと建っているが、近年の「発掘調査」によると東西200m、南北300mの金堂と回廊がめぐらされた「大寺院」であったようです。

また、この「寺」は、寺名を「法興寺」「元興寺」「飛鳥寺」と言われ、現在は「安居院」とも言われ・・・奈良にある「元興寺」は平城遷都と共にこの「お寺」が移されたものです。

現在のこの寺「飛鳥寺」の建物は、江戸時代に再建した講堂(元金堂)のみが残っていますが、この講堂に本尊の「飛鳥大仏」が祀られています。

「飛鳥大仏」も、年代のわかる「仏像」としては「日本最古の仏像」・・・この「飛鳥大仏」は、605年に「推古天皇」が中国に渡来した「鞍作止利」仏師に作らせた「日本最古の大仏」・・・東大寺の大仏(奈良大仏)より、150年も前に作られたことになります。
大仏の「顔を比較」すると、「飛鳥大仏」は「奈良大仏」よりも「きつい感じ」がすると言われています。


今回は「飛鳥路」の散策から、「飛鳥寺」「飛鳥大仏」「石舞台古墳」をUP・・・また、紀伊方面散策シリーズはこの回で終わりです。


「飛鳥寺」
日本で最初に作られた本格的な寺院・・・「蘇我馬子」によって、約1500年前に創建された「日本最古の寺」・・・


「飛鳥寺」の案内


「飛鳥寺」の略縁起


「飛鳥寺・講堂」(大仏殿)


「飛鳥大仏」
日本最古の仏像(年代がわかる「仏像」としては・・・)で、奈良大仏よりも150年前に作られている。


石舞台古墳
「蘇我馬子」の古墳とされている「石舞台古墳」・・・大きな石が積まれ、大きな「石室」がこの下にある。

紀伊・散策④・・・「高野山」・・・

2006-09-16 09:10:00 | Weblog
紀伊方面散策の第四回目として「高野山・奥の院」からUP・・・

「高野山」は弘法大師(空海)が816年(弘仁7年)に嵯峨天皇より「高野山・開創」の許しを得て、真言密教の「根本道場」として開いたものです。

標高1000m前後の山々に囲まれた平坦地に諸堂が立ち並ぶ姿は「蓮」の花が咲いたようであり、「八葉の峰」とも呼ばれ、内に八葉(峰)外に八葉の山々に囲まれ・・・その地形からしても、まさしく聖地としてふさわしい山々の「宗教都市」となっています。

よって、「高野山」には全ての居住環境が整っていますが、「ホテル」などの宿泊施設はなく、ここに来た(参拝または観光客)全ての人々は、各寺の宿泊施設である「宿坊」に宿泊することになります・・・当然「宿坊」の食事は「精進料理」となります。

また、「高野山」の総本山は「金剛峯寺」(コンゴウブジ)で、現在は、豊臣秀吉にゆかりのある建物を「金剛峯寺」と呼んでいますが、元来、一山の総称であり、諸堂や大門、奥の院など含めて高野山全体が「金剛峯寺」の境内と言うことになっています。

更に、「高野山」宗派を問わず参拝や観光が出来、国内はもちろん海外からも多くの参拝や観光客が訪れ、心の安らぎを求めています。


ここに「高野山・奥の院」をUPしますが、「奥の院」についてはチョットした「認識?」が必要となります。
と言うのも、高野山・奥の院の「墓碑」は良く「お墓」と呼ばれたりしますが、ここにある「墓碑」の多くは、一般の「埋葬」する「お墓」ではなく、慰霊塔(供養塔)として建てられている「墓碑」と言うことです。

今回は高野山・奥の院にある著名人の「墓碑」をUP・・・


高野山「奥の院」①


高野山「奥の院」②


高野山「奥の院」③


高野山「奥の院」④


高野山「奥の院」⑤


高野山「奥の院」⑥


この「高野山」も世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれており、毎日国内外から参拝?観光?で多くの方々が訪れています。
それにしてもこの一山が「宗教都市」(一つの市?町?)として「独立?」しているのには「驚き」ました。

紀伊・散策③・・・「那智の滝」・・・

2006-09-15 10:10:36 | Weblog
紀伊地方散策の第三回目として「那智の滝」をUP・・・「那智の滝」は世界文化遺産の「紀伊山地の霊場と参詣道」には入っていないが熊野の名所?・・・

「那智山」奥山の「大雲取山」から流れ出る本流に、いくつもの流れが重なり合い、ついには原生林を切り裂くように落下しているのが「那智の滝」・・・日本三大瀑布(「那智の滝」「華厳の滝」「袋田の滝」?)の一つに数えられ、落差133m、幅13m、滝壺の深さ10mは日本一の名瀑(ちなみに「華厳の滝」は落差97m、幅7mである)

銚子口(水が落下しはじめるところ)の岩盤に3っの切れ目があって「三筋」になって落下しはじめることから「三筋の滝」とも呼ばれている。

また、滝の一番上には「注連縄」が張られている・・・これは神社(飛瀧神社)のご神体としてあがめ(崇め?)、毎年7月9日と12月27日の2回、古来からの神事にのっとり、「御滝注連縄張替行事」が行われている。

かって、諸国からこの滝に詣でる人々は「写経」を経筒に入れて「お滝入り口」の大鳥居をくぐってすぐ左側の「那智経塚」にそれを納めたようです・・・また、入り口より滝までは昔ながらの石畳の道「鎌倉積石階段」が続いている。

今回は「那智の滝」をUP・・・


「那智の滝」(那智青岸渡寺の三重塔と那智の滝)①


「那智の滝」②


「那智の滝」③


「那智の滝」④


「那智の滝」⑤


「那智の滝」⑥


①③④は「那智青岸渡寺」の近くから撮影したため、滝上の「注連縄」が見られるが、②⑤⑥は滝壺の近くから撮影したために「注連縄」を見ることは出来ない。

古来からの神事とはいえ、133mの滝への「御滝注連縄張替行事」・・・どの様な方法で、何人で行うのか?・・・7月9日か12月27日に再度この地を訪れてみたい・・・

また、「那智の滝」の近くの人の話しでは・・・滝に打たれての「荒行」?は「禁止令」がでており、現在は行われていないとか?・・・


紀伊・散策②・・・「熊野三山」・・・

2006-09-14 08:07:29 | Weblog
紀伊地方散策の第二回目として「熊野三山」をUPが、「熊野三山」についての「豆知識?」をチョット・・・

「熊野三山」とは・・・紀伊半島南部の熊野にある「本宮」「新宮」「那智」の三つの聖地まとめて言う場合の総称・・・本宮は「熊野本宮大社」(主神は「家都美御子大神」:ケツミミコノオオカミ)、新宮は「熊野速玉大社」(主神は「熊野速玉大神」:クマノハヤタマノオオカミ)、那智は「熊野那智大社」(主神は「熊野夫須美大神」:クマノフスミノオオカミ)が、各々の聖地(和歌山県・本宮市、新宮市、那智勝浦町)に鎮座している。

平安時代中期の全国・主要な神社を列記した、「延喜式神名帳」に記載された「神社式内社」によると・・・本宮は「熊野坐神社」(クマノニマスジンジャ)として、新宮は「熊野速玉神社」として記載されているが、那智の名は載っていないと言う・・・それは、おそらく那智が神社ではなく「山岳宗教」の行場として認識されいたからだと考えられているようだ。    そして、本宮、新宮、那智はそれぞれ独自に「神」や「仏」を祀り、独自の「信仰形態」を持っていたと言われている・・・それが連帯関係を結び、一本化して「熊野三山」になったのは、「三山」と言う仏教的な呼び方からも解るように、仏教が大きな影響を与えたためだと言われている。

その後、本宮の主神は「阿弥陀如来」、新宮は「薬師如来」、那智は「千手観音」を「本地」とするとされ、本宮は「西方極楽浄土」、新宮は「東方浄瑠璃浄土」、那智は「南方補陀落浄土」の地であると考えられ、熊野合体が「浄土の地」としてみなされるようになってと言われています。


今回は、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に多くの観光客が訪れているが、その「代表格」とも言える「熊野三山」(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)をUP・・・


「熊野本宮大社」①


「熊野本宮大社」②


「熊野速玉大社」①


「熊野速玉大社」②


「熊野那智大社」①


「熊野那智大社」②


「熊野三山」の中で、本宮(熊野本宮大社)は新宮や那智と比べ「重厚」な感じが・・・特に異なるのは「赤色?」を全く使っていない・・・やはり、本宮の貫禄か?・・・
それにしても「熊野三山」の歴史?変遷?には「感激」しました。

紀伊・散策①・・・「熊野詣で」・・・

2006-09-13 08:30:08 | Weblog
「紀伊山地の霊場と参詣道」が、2004年7月7日に世界文化遺産に登録され、紀伊半島?(紀伊地方)を訪れる観光客が年々増加しているとか?・・・紀伊地方は深い山々に囲まれ「山岳信仰」が悠久の昔から行われている地、また最近「世界文化遺産」に登録・・・こんな状況に誘われて、紀伊地方の散策に・・・

これから4回程度、シリーズで「紀伊方面・散策」をUPしますが、第一回目として熊野参詣道(熊野古道の中でも「中辺路」を・・・)と「熊野詣で?」をUP・・・

「紀伊山地の霊場と参詣道」とは?・・・「熊野三山」(本宮大社、那智大社、速玉大社)、「吉野・大峯」、「高野山」の山岳霊場と、これらを結ぶ「熊野古道」、「大峯奥駈道」、「高野山町石道」が包含され、世界文化遺産となっている。

今回のUPから「熊野古道」を中心に見てみると・・・
「熊野古道」とは・・・中世以来紀伊半島の南に位置する「本宮大社」「那智大社」「速玉大社」(熊野三山?)に詣でるため、平安時代の貴族に始まり、武士や庶民に至るまで約1000年に渡ってたくさんの人々が歩いた「参詣道」・・・

この「熊野古道」の通る一帯は、今でも手つかずの自然が多く残る環境で、昔から「神々が宿る」特別な地域と考えられていた・・・神道や仏教、また、修験道や真言密教などという全く違ったものや、更には「老若男女」区別することなく受け入れ、そのまま今世紀まで「参詣道」として歩き続けられてきている。

また、「熊野古道」には多くの「参詣道」が存在・・・紀伊路(約160Km)、中辺路、大辺路(約120Km)、小辺路(約70Km)、大峯奥駈道(約140Km)がある・・・これらの「参詣道」は、全く異なった方向から「熊野詣で」のために作られている。(ただし、「熊野古道」の中でも「紀伊路」は、世界文化遺産の中に入っていないとか?・・・)


「熊野古道」(中辺路の上り坂)①

「熊野古道」(中辺路)の「瀧尻王子」をスタートして直ぐの「上り坂」・・・多くの人々がこの「上り坂」を通って、一路「熊野三山」目指して「黙々と歩」を進めたことでしょう・・・


「熊野古道」(中辺路の下り坂)②

中辺路も短い距離とはいえ「山あり谷あり」の「参詣道」?・・・ここは「下り坂」だが、またすぐに「上り坂」・・・などなどを経て「熊野三山」へ・・・


中辺路のスタート地点「瀧尻王子宮」

「熊野古道」(中辺路)のスタート地点「瀧尻王子宮」・・・中辺路はここからいくつもの「○○王子宮」を経由して、「熊野三山」へ・・・約1000年の間に何人の「老若男女」が熊野(三山)を目指して歩いていったのか?


「熊野詣で」・・・女性の平安衣裳?

女性の平安衣裳?・・・しかし、こんな「装束」で深い山々に囲まれた「熊野古道」を通っての「熊野詣で」は不可能・・・この「平安衣裳」は「大社の近く」(「大阪坂」近辺?)に行ってからの「参詣」で使用したのでは?
しかし、日本女性のこんな「姿」・・・素敵ですネ。


「熊野詣で」・・・山岳信仰の衣裳?

こんな「装束」で何人もの「グループ」が「熊野詣で」へ・・・男性は「白」、女性はオレンジのような「色つき衣裳」・・・腰には「毛皮」、足は「特殊な足袋?」で・・・「山岳信仰」にマッチした「装束」に感心した。


「熊野古道(中辺路)案内図」

中辺路は「瀧尻王子」をスタートとし・・・「熊野詣で」(熊野三山)へと続く「参詣道」で、比較的距離の短い「熊野古道」・・・途中には「○○王子宮」と言うところが多数ある・・・「熊野古道」の代表格?「中辺路の案内図」 !!