きよちゃんの趣味悠々

四季折々の「風情」(花・風景・イベントなど)を写真中心に紹介します !!

紀伊・散策①・・・「熊野詣で」・・・

2006-09-13 08:30:08 | Weblog
「紀伊山地の霊場と参詣道」が、2004年7月7日に世界文化遺産に登録され、紀伊半島?(紀伊地方)を訪れる観光客が年々増加しているとか?・・・紀伊地方は深い山々に囲まれ「山岳信仰」が悠久の昔から行われている地、また最近「世界文化遺産」に登録・・・こんな状況に誘われて、紀伊地方の散策に・・・

これから4回程度、シリーズで「紀伊方面・散策」をUPしますが、第一回目として熊野参詣道(熊野古道の中でも「中辺路」を・・・)と「熊野詣で?」をUP・・・

「紀伊山地の霊場と参詣道」とは?・・・「熊野三山」(本宮大社、那智大社、速玉大社)、「吉野・大峯」、「高野山」の山岳霊場と、これらを結ぶ「熊野古道」、「大峯奥駈道」、「高野山町石道」が包含され、世界文化遺産となっている。

今回のUPから「熊野古道」を中心に見てみると・・・
「熊野古道」とは・・・中世以来紀伊半島の南に位置する「本宮大社」「那智大社」「速玉大社」(熊野三山?)に詣でるため、平安時代の貴族に始まり、武士や庶民に至るまで約1000年に渡ってたくさんの人々が歩いた「参詣道」・・・

この「熊野古道」の通る一帯は、今でも手つかずの自然が多く残る環境で、昔から「神々が宿る」特別な地域と考えられていた・・・神道や仏教、また、修験道や真言密教などという全く違ったものや、更には「老若男女」区別することなく受け入れ、そのまま今世紀まで「参詣道」として歩き続けられてきている。

また、「熊野古道」には多くの「参詣道」が存在・・・紀伊路(約160Km)、中辺路、大辺路(約120Km)、小辺路(約70Km)、大峯奥駈道(約140Km)がある・・・これらの「参詣道」は、全く異なった方向から「熊野詣で」のために作られている。(ただし、「熊野古道」の中でも「紀伊路」は、世界文化遺産の中に入っていないとか?・・・)


「熊野古道」(中辺路の上り坂)①

「熊野古道」(中辺路)の「瀧尻王子」をスタートして直ぐの「上り坂」・・・多くの人々がこの「上り坂」を通って、一路「熊野三山」目指して「黙々と歩」を進めたことでしょう・・・


「熊野古道」(中辺路の下り坂)②

中辺路も短い距離とはいえ「山あり谷あり」の「参詣道」?・・・ここは「下り坂」だが、またすぐに「上り坂」・・・などなどを経て「熊野三山」へ・・・


中辺路のスタート地点「瀧尻王子宮」

「熊野古道」(中辺路)のスタート地点「瀧尻王子宮」・・・中辺路はここからいくつもの「○○王子宮」を経由して、「熊野三山」へ・・・約1000年の間に何人の「老若男女」が熊野(三山)を目指して歩いていったのか?


「熊野詣で」・・・女性の平安衣裳?

女性の平安衣裳?・・・しかし、こんな「装束」で深い山々に囲まれた「熊野古道」を通っての「熊野詣で」は不可能・・・この「平安衣裳」は「大社の近く」(「大阪坂」近辺?)に行ってからの「参詣」で使用したのでは?
しかし、日本女性のこんな「姿」・・・素敵ですネ。


「熊野詣で」・・・山岳信仰の衣裳?

こんな「装束」で何人もの「グループ」が「熊野詣で」へ・・・男性は「白」、女性はオレンジのような「色つき衣裳」・・・腰には「毛皮」、足は「特殊な足袋?」で・・・「山岳信仰」にマッチした「装束」に感心した。


「熊野古道(中辺路)案内図」

中辺路は「瀧尻王子」をスタートとし・・・「熊野詣で」(熊野三山)へと続く「参詣道」で、比較的距離の短い「熊野古道」・・・途中には「○○王子宮」と言うところが多数ある・・・「熊野古道」の代表格?「中辺路の案内図」 !!