きよちゃんの趣味悠々

四季折々の「風情」(花・風景・イベントなど)を写真中心に紹介します !!

晩秋?の古刹・・・「本土寺」の紅葉④ !!

2009-11-30 08:15:32 | Weblog
日蓮宗本山・長谷山「本土寺」 series の第四弾として、晩秋?11月26日、晴天の下で真っ赤に燃える「本土寺」紅葉をUPします。

花の寺(あじさい寺?)として親しまれている「本土寺」の名称?は、「本土」は「我此土:ワガコノド」と言われ、お釈迦様が本当の「仏」?「本仏」?になって住む「国土」(本土?)に由来していると伝えられているようです・・・また、「本土寺」にある花は、お釈迦様(本仏?)に捧げる花であり「宝樹」と言われ、「本仏」のお姿は「草木国土成仏」させようと言う慈悲の光に輝いているとか?・・・

今回は「花の寺」(あじさい寺?)から、11月26日に真っ赤に燃える「本土寺」紅葉をUP・・・






晩秋?11月26日の「本土寺」紅葉①


晩秋?11月26日の「本土寺」紅葉②


晩秋?11月26日の「本土寺」紅葉③


晩秋?11月26日の「本土寺」紅葉④


晩秋?11月26日の「本土寺」紅葉⑤


晩秋?11月26日の「本土寺」紅葉⑥


晩秋?の古刹・・・「本土寺」の紅葉③ !!

2009-11-29 06:16:26 | Weblog
千葉県松戸市にある日蓮宗本山「本土寺」 series の第三弾として、晩秋?の「本土寺」で鮮やかに燃え盛る紅葉をUPします。

「本土寺」では本堂~茶室~祖師堂~妙朗堂~像師堂など多くの建物が「廻廊」で結ばれており、「廻廊」から望む真っ赤な紅葉は見事で、まさに京都「三千院」にも劣らない「趣」があるとさえ言われています。

また、本土寺「茶室」の「香風廬」や「宝樹庵」の建物内部は意外に広く、由緒ある日本建築美が素敵な雰囲気を作りだし、ここから見る「紅葉」も素晴らしい光景です。

今回は11月26日「本土寺」の裏庭?から諸堂を結ぶ「廻廊」を通して見た素晴らしい紅葉をUPしますが、ここでは「廻廊」の窓(開け放されたガラス窓?)を通して見たチョット変わった紅葉をUP・・・





11月26日「本土寺」裏庭から「廻廊」を通してみた紅葉①


11月26日「本土寺」裏庭から「廻廊」を通してみた紅葉②


11月26日「本土寺」裏庭から「廻廊」を通してみた紅葉③


11月26日「本土寺」裏庭から「廻廊」を通してみた紅葉④


11月26日「本土寺」裏庭から「廻廊」を通してみた紅葉⑤


11月26日「本土寺」裏庭から「廻廊」を通してみた紅葉⑥

晩秋?の古刹・・・「本土寺」の紅葉② !!

2009-11-28 09:09:55 | Weblog
日蓮宗本山「本土寺」の紅葉 series 第二弾として11月26日、晩秋?の「本土寺」紅葉をUPします。

「本土寺」は約700年の歴史の古い「古刹」ですが、ここではチョット変わった?方の「墓石」が目にとまります・・・「本堂」右側の「楓の林」を通って「回廊」をくぐった裏庭?に「秋山夫人」の墓という大きな「墓石」があります・・・「秋山夫人」とは「徳川家康の側室」で「武田信吉の生母」だと言うことですが、どうして「徳川家康の側室」の墓が「本土寺」にあるのか?は解りません。

また「本土寺」には、梵鐘:建治3年(1277)鋳造、大学三郎御書:日蓮筆 建治元年(1275)7月2日付、諸人御返事:日蓮筆 弘安元年(1278)、などなどの「文化財」(重要文化財など)が残されているようです。

今回は11月26日「本土寺」の第二弾、晩秋?の「本土寺」紅葉をUP・・・






11月26日、晩秋?の「本土寺」紅葉①


11月26日、晩秋?の「本土寺」紅葉②


11月26日、晩秋?の「本土寺」紅葉③


11月26日、晩秋?の「本土寺」紅葉④


11月26日、晩秋?の「本土寺」紅葉⑤


11月26日、晩秋?の「本土寺」紅葉⑥

晩秋?の古刹・・・「本土寺」の紅葉① !!

2009-11-27 12:48:24 | Weblog
千葉県松戸市にある日蓮宗本山「本土寺」を訪れ、素晴らしい晩秋?の紅葉を楽しんできた・・・ここでは11月26日の「本土寺」紅葉を series (5回にわたり)でUPします。

「本土寺」は別称を「あじさい寺」と言われ、鎌倉の「名月院」と同様に6月には境内に多数の「あじさい」が咲くため「北の鎌倉」とも言われ、庭園には「菖蒲田」があり「花菖蒲」と「あじさい」の両方が楽しめ、11月下旬~12月初旬には見事な「紅葉」も楽しめます。

また、「本土寺」は源氏の名門「平賀家」(平賀左近将監忠晴)の屋敷跡地と言われ、時の領主「曽谷教信卿」の協力により建治3年(1277)に創建され、日蓮大聖人より長谷山「本土寺」の寺号を授かった寺で、約700年の歴史がある「古刹」だと言われています・・・尚、浄域1万坪の起状に富んだ地形には「桜」「あじさい」「花菖蒲」「楓」が織りなす光景は、まさに「花の寺」(あじさい寺?)にふさわしい「古刹」です。

今回は11月26日、晩秋?の古刹「本土寺」から、素晴らしい「紅葉」をUP・・・





11月26日、晩秋?の古刹「本土寺」の紅葉①


11月26日、晩秋?の古刹「本土寺」の紅葉②


11月26日、晩秋?の古刹「本土寺」の紅葉③


11月26日、晩秋?の古刹「本土寺」の紅葉④


11月26日、晩秋?の古刹「本土寺」の紅葉⑤


11月26日、晩秋?の古刹「本土寺」の紅葉⑥

関東の名刹?・・・「平林寺」の紅葉② !!

2009-11-26 04:56:35 | Weblog
昨日に引き続き「平林寺」の第二弾(最終回)として、11月24日の「平林寺」紅葉をUPします。

「平林寺」と言えば「武蔵野の名残?」を色濃く残している「境内林」がありますが、国木田独歩の名作「武蔵野」の面影があり、また、田山花袋が「武蔵野の昔の臭いを嗅ごうとするには野火止の平林寺附近が好いですね・・・」と言った情緒あふれる「武蔵野」が残り、国指定「天然記念物」で、伽藍の北側から東側にかけて約56ヘクタールにもおよぶ広大な「境内林」があります。

ここの雑木林?の奥に踏み入ると、小径に沿った傍らに「野火止塚」や「業平塚」などが散在し、古くから「武蔵野」の古歌・詩材になって多くの文学者たちを魅了し、大勢の人々(文学者?)が訪ねたようです。

今回は「平林寺」の第二弾として、11月24日の「平林寺」紅葉をUP・・・





11月24日の「平林寺」紅葉①


11月24日の「平林寺」紅葉②


11月24日の「平林寺」紅葉③


11月24日の「平林寺」紅葉④


11月24日の「平林寺」紅葉⑤


11月24日の「平林寺」紅葉⑥


関東の名刹?・・・「平林寺」の紅葉① !!

2009-11-25 06:15:58 | Weblog
11月24日に「臨済宗妙心寺派」の歴史ある寺院で、関東地方ではよく知られる格式の高い寺?「平林寺」を訪れた・・・この時期の「平林寺」は「紅葉」が見頃となっており24日は大勢の人が訪れ、素晴らしい紅葉を楽しんでいた・・・今回は11月24日の「平林寺」紅葉を2回にわたりUPします。

「平林寺」は今から約600年前?、南北朝時代の永和元年(1375)に「太田備中守:オオタビチュウノカミ」によって埼玉県岩槻市に創建され、その後、徳川時代に川越城主「松平伊豆守信綱公」が新座市野火止に移し今の「平林寺」が建てられたようです。

11月24日の「平林寺」の「山門」は茅葺き重層入母屋造りで、正面には京都詩仙堂「石川丈山」の揮毫による「扁額」が掲げられ、「山門」(これを「三門」とも書くのは空・無想・無作の三つの解脱門のたとえとか?)をくぐって寺に入れば、迷いから解放されると言うことです・・・ここ「平林寺」には「野火止塚」や「松平家の墓所」などの文化財をはじめ、樹木(竹林など)が多く「武蔵野」のおもかげを今も残しています。

今回は11月24日の「平林寺」から、境内の「竹林や建物」と紅葉をUP・・・





11月24日の「平林寺」紅葉(山門の正面)①


11月24日の「平林寺」紅葉(山門の裏側)②


11月24日の「平林寺」紅葉(境内の竹林)③


11月24日の「平林寺」紅葉(境内の竹林)④


11月24日の「平林寺」紅葉(境内の建物)⑤


11月24日の「平林寺」紅葉(境内の建物)⑥










「奥能登」周遊⑥・・・晩秋?の五箇山「菅沼合掌造り集落」 !!

2009-11-19 10:17:28 | Weblog
11月11日~13日の「奥能登」周遊 Series の第六弾(最終回)として「奥能登」ではありませんが、11月13日「奥能登」周遊からの帰路に立ち寄った富山県南砺市にある「五箇山の合掌造り集落」の中から「菅沼合掌造り集落」をUPします。

「合掌造りの集落」としては岐阜県白川村の「白川郷」(荻町?)が良く知られていますが、この富山県南砺市の「五箇山」(「菅沼集落」と「相倉集落」)を含めた三集落(白川郷・菅沼・相倉)の「合掌造り」が、1995年12月9日にユネスコの「世界遺産」(文化遺産)に登録されています・・・この近辺には他にもいくつかの「合掌造り集落」がありますが、それらは「世界遺産」にはなっていないようです。

「菅沼合掌造り集落」は険しい山あいを流れる庄川のわずかな「河岸段丘」にあって現在9戸の「合掌造り家屋」が残っており、古い家屋は天保年間(1830~1840)以前に建てられ、新しい家屋でも昭和8年(1933)に建てられた「合掌造り」の家屋だそうです。

今回は晩秋?の11月13日に「奥能登」周遊の帰路に訪れた、富山県南砺市の「五箇山合掌造り集落」の一つである「菅沼合掌造り集落」をUP・・・





11月13日、晩秋の五箇山「菅沼合掌造り集落」①


11月13日、晩秋の五箇山「菅沼合掌造り集落」②


11月13日、晩秋の五箇山「菅沼合掌造り集落」③


11月13日、晩秋の五箇山「菅沼合掌造り集落」④


11月13日、晩秋の五箇山「菅沼合掌造り集落」⑤


11月13日、晩秋の五箇山「菅沼合掌造り集落」⑥

「奥能登」周遊⑤・・・小説「ゼロの焦点」の舞台?「能登金剛」 !!

2009-11-18 06:14:48 | Weblog
11月11日~13日の「奥能登」周遊から11月13日の石川県富来町にある「景勝地」で、松本清張・推理小説「ゼロの焦点」の舞台としても知られる「能登金剛」をUPします。

「能登金剛」は石川県富来町にある能登半島国定公園の29Kmにおよぶ海岸一帯を指しますが、この名前の由来は北朝鮮にある「金剛山」が海に張り出し、千変万化な海岸美をもって「海金剛」と呼ばれていることから、「海金剛」の景観にも勝るとも劣らない「美しい景勝」であることから「能登金剛」と名付けられたとか?・・・

この「能登金剛」のほぼ中央には貫通洞門の「厳門」があり、南端には日本最古の「木造和式灯台」を有する「福浦」、北端には「兜岩」や「義経一太刀・弁慶一太刀の岩」を見ることの出来る日本海側最大・カルスト地形の「関野鼻」、また、この途中には松本清張・推理小説「ゼロの焦点」の舞台となった「やせの断崖」など日本海の厳しさがつくる「断崖絶壁」が続いています・・・尚、小説「ゼロの焦点」は雑誌「宝石」に昭和33年3月~35年1月まで?連載されたものが、その後「光文社」から「カッパブックス」?として出版され夢中になって読んだことを思い出します(また、昭和35年頃は血気盛んな学生?で「講義」にも出席せず全学連の「安保闘争」に明け暮れていた時代だったことを思い出しました)・・・そして、1961年(昭和36年)に久我美子・高千穂ひづる・有馬稲子の出演、監督は野村芳太郎で「松竹」から映画化されました・・・更に今年になって「松本清張生誕100周年記念」として、「東宝」から末広涼子・中谷美紀・木村多江の出演で監督が犬童一心により映画化され、平成21年11月14日から公開されているようです。

「厳門」は老松が茂る「海食崖」を日本海の荒波が削り取り、長い年月をかけてつくりだした「貫通洞門」で、幅が6m・高さが15m・奥行き(貫通?)が60mある「洞門」は小船などは通過することが出来るようです・・・また、「厳門」は古く「源義経主従」が奥州渡航の際に隠れ場所としたと言われ、いくつかの言い伝えが残っているようです。

今回は11月13日の「奥能登」周遊から、石川県富来町の景勝地で「ゼロの焦点」の舞台にもなった「能登金剛」をUP・・・





11月13日の「奥能登」周遊から、美しい景勝地「能登金剛」①


11月13日の「奥能登」周遊から、美しい景勝地「能登金剛」②


11月13日の「奥能登」周遊から、美しい景勝地「能登金剛」(鷹の巣岩)③


11月13日の「奥能登」周遊から、「能登金剛」の「厳門」(浜側から)④


11月13日の「奥能登」周遊から、「能登金剛」の「厳門」(遊覧船から)⑤


11月13日の「奥能登」周遊から、「能登金剛」にある「松本清張」歌碑⑥

「奥能登」周遊④・・・「見附島」(通称を「軍艦島」?) !!

2009-11-17 08:35:05 | Weblog
11月12日の「奥能登」周遊から、石川県珠洲市にある無人島で、その姿が軍艦に似ていることから通称を「軍艦島」と言われる「見附島」をUPします。

この「見附島」は空海(弘法大師)が「佐渡」から「能登」へ布教のためやってきて最初に見つけたことから「見附島」と命名されたという「地名伝承」が残っているようです・・・この島は長さが約150m・幅が約50m・高さ(標高?)が約30mの小島で、地質は「珪藻土」(この土?「珪藻土」はこの近辺の特産品?である「七輪」の原材料と同じ材質です)から出来ており、能登半島国定公園の「景勝地」として知られ、浜から繋がる「踏み石」も並べられており、正面から見ると「人の顔」にも見えると言うことで多くの観光客に人気があるようです。

近年は「1991年の19号台風」や「1993年の能登沖地震」や「2007年の中越沖地震」などの自然災害によって「崩落」が進み、更に経年による「風化」などが加わり少しずつ「島の形」が変わっているようです。

今回は11月12日の「奥能登」周遊から、能登半島の景勝地で軍艦島とも言われる「見附島」をUP・・・





11月12日の「奥能登」周遊から、能登半島の景勝地?「見附島」①


11月12日の「奥能登」周遊から、能登半島の景勝地?「見附島」②


11月12日の「奥能登」周遊から、能登半島の景勝地?「見附島」③


11月12日の「奥能登」周遊から、能登半島の景勝地?「見附島」④


11月12日の「奥能登」周遊から、能登半島の景勝地?「見附島」⑤


11月12日の「奥能登」周遊から、能登半島の景勝地?「見附島」⑥



「奥能登」周遊③・・・能登半島最先端の「禄剛崎」 !!

2009-11-16 11:24:12 | Weblog
11月11日~13日の「奥能登」周遊から、11月12日の能登半島「最先端」(最北端?)に位置し日本海に面する岬「禄剛崎」をUPします。

石川県珠洲市の「禄剛崎」は古くから日本海航路の要所として重要視されていたため、隔絶された地の割には集落が発達しており、特にこの一帯は「海難事故」が多かったため、航路を照らす「狼煙(ノロシ)」が古くから上げられていた場所だったようです。

その後、この地(禄剛崎)には1883年(明治16年)に白亜の石造灯台「禄剛崎灯台」が建設されたようです・・・「禄剛崎灯台」は一見して背が低く見えますが、「断崖絶壁」に立っているため海面より48mの高さから発する光は35Km先まで届くと言うことで、日本の「灯台50選」に入っているようです。

また、現在の「珠洲」(石川県珠洲市?)と言う地名は「すすみ」(古訓で「狼煙」とのこと?)にちなむもので、今も狼煙町・狼煙港・狼煙海岸などの地名が残っているようです・・・尚、この禄剛崎一帯には「海岸段丘」が発達し、沿岸には「千畳敷」と呼ばれる「海蝕台地」が卓越しており、能登半島国定公園の代表的な景勝地となっています。

今回は11月12日の「奥能登」周遊から、能登半島最北端にある「禄剛崎」(灯台・狼煙を上げた地・千畳敷などなど)をUP・・・






11月12日の「奥能登」散策から、日本海に面する岬の「禄剛崎灯台」①


11月12日の「奥能登」散策から、日本海に面する岬の「禄剛崎灯台」②


11月12日の「奥能登」散策から、日本海に面する岬の「禄剛崎灯台」③


11月12日の「奥能登」散策から、日本海に面する岬の「禄剛崎灯台」④


禄剛崎で「のろし」が上げられた場所に設置されている「monument」⑤


禄剛崎・沿岸にある海蝕台地の「千畳敷」⑥