プレイバックシーン
2018.8.3. 関空
今朝起きて、flight radar24 を確認したら
マレーシア航空 独立60周年特別塗装 が飛んで来ている
初めての機材だ❗️という事で関空へ行く
AM 7:29
関空連絡橋を走るリムジンバスの後部座席からウイングを覗くと
リムジンバス車窓から
来てる!
搬入作業してますね〜
am 8:10
sky view屋上に到着 何時もの風景です。
マレーシア航空は尾翼が見える
積み込み作業している
早朝から
お見送りかなぁ
★夏休みになりホームステイなどで海外へ行く子女を見送るシーンが増える
出発
am9:58
マレーシア航空がプッシュバック開始 お尻から出てくる
建国69周年記念 2017.8.31 国旗を大きく描いている
全体の姿
ピカピカのA350-900 ウイングレットに特徴がある
出発前のルーティン 主翼から尾翼 動作確認を終了したらタキシング開始です
いつもなら左に曲がり誘導路に出るんだけど今日は直進している
少し霞んでいる
離陸ですが
逆光は致し方ないです
クアラルンプールへ
中々カラフルな塗装ですが
出発がam9:55 なので24/ 上がりだと逆光ですね〜
本機は8月4日も飛来している
2018.8.3. 関空 sky view
✳️余談
マレーシアと日本の国交樹立60周年記念の公式ロゴが発表となった。
2017年、マレーシアと日本は,1957年に外交関係を樹立し、外交関係樹立60周年を迎える。外務省(在マレーシア日本国大使館)は、1月31日にロゴ・マークを発表した。60周年を記念し、各種交流事業など記念行事を実施し,両国間の良好な関係をさらに深めたいとする。ロゴは2016年10月から11月にかけて公募されていたもので、マレーシア人のモハメド・ファイザル・ビン・オマー氏の案が採用された。
1957年8月31日、マレーシアはイギリスから独立し、日本と国交を樹立した。以降,日本とマレーシアの両国関係は,東方政策の実施,経済関係,文化交流,人的交流を通して強化されている。
マレーシアについて ネットコピーです
※この記事は2017年8月30日に書かれたものです。
“Malaysia is a country unlike any other: full of promise and fragility. Its history, cultural and religious diversity make it a rich, compelling and surprising land.”
(Tariq Ramadan)
今日は、ちょっとかっこいい?引用からスタートしてみました(笑)!
みなさん、こんにちは、りんごです 。
今月31日、マレーシアは60回目の独立記念日を迎えます 。今日はアカデミックにマレーシアの独立までの歴史と現在の独立記念日に向けた街の様子などについてお伝えします。
まず、マレーシアの独立までの歴史を下記に分かり易く引用したいと思います。
①イスラム文化の時代
当初マレーシアはヒンズー・仏教を中心としていたが、13世紀にアラブやインドの商人とともにイス ラム教が持ち込まれ、以後、ヒンズー教徒のマレー人支配者達(マラッカ王国としてマラッカ海峡の 両側を100年以上の間統治した)はイスラム教へと改宗し、イスラム教がマレー系の宗教として確立、 マレー社会に大きな影響を及ぼすこととなった。
②ヨーロッパ大航海時代(ポルトガル・オランダ)
マレーシアの歴史は、ヨーロッパの人々の出現に伴って劇的な変化を遂げることになる。1511年、 ポルト ガル人がマラッカを占拠し、マラッカ王国の支配者はジョホールへ逃亡。ポルトガルは 1641年にオランダ に敗北し、オランダはイギリスが出現するまでマラッカを統治した。
③イギリスの植民地時代
イギリスは1824年に、スマトラ島のベンクーレンとの引き換えに、マラッカをオランダから獲得し た。イギリスは新しい基地となったマラッカ、ペナンやシンガポール(海峡植民地として知られる)から、その力と影響を及ぼし、西マレーシアの各州の政治統合に取り掛かり始める。
④第二次世界大戦~独立
第二次世界大戦とそれに続く日本軍の占領(1941-45年)の後、1946年にイギリス軍はマラ ヤ連合を結成。しかし程なくして1948年には解体され、マラヤ連邦がそれに取って代わった。 同連邦は1957年8月31日にイギリスからの独立を勝ち取る。1963年9月には、マラヤ、 サラワク、サバ、シンガポール(65年独立)が結合して、マレーシアを建国した。
「世界で4つの主要な文化、中国、インド、イスラム、そして西洋からの豊かな遺産を起源とする社会と文化が融合した国である。」 マレーシアなんと美しい国でしょうか!!