ニューオーリンズ最初の夜は大変良く眠れました、今までで生涯で一番良く寝たと思います。そして目覚め最高と思われるほどシモノウさんの家で寝られた事を思い出しました。このアメリカで色々あって疲れていたのでしょう、とにかく安心できる自分の知っている家に着いて自分の家以上に最高に良く眠れました。
ニューオリンズの領事館でパスポートの再発行を依頼した後、観光に出掛けたのでした。パスポートはその後、無事に手に入りましたが、青のボールペンでサインする等実に好い加減でした。と言う訳でパスポートの発行地はニューオーリンズとなった訳でした。
町にはかなり大きめのフェリーで行きましたが、乗ったのは覚えていますが、自分一人で毎日乗って町迄行ったのを覚えています。フェリーの乗り場等、どうしても思い出せません。どうも、もの忘れが多いです。
町は珍しいものが一杯でしたが、多くの場合シモノウさんの案内付きでした。その中で忘れ得ない食べ物が、四角いドーナツ(大阪の江坂でその後、販売ベニエが買える様になった)が確か教会の斜め前、フレンチクォターの入り口にあったと思います、ポボーイ(poor boyバゲットで貧しい子供が、昔食べていたと言うサンドウィチ)そして、牡蠣、特別に日本でその英語を覚えた曰くづきの物、取り合えず嫌いでオイスターは英語で最初に覚えた食べもの、それ程嫌いでした。
今なら一杯食べたのに、何でもトライしたのですが、これだけは頂けなかったです。好き嫌いが激しかったので残念でした。この旅行に出て、取り合えず嫌いと言えなく無くなったはずなのに食べられませんでした。(考えて見ると今は好きで食べられるチーズも嫌いだったし、一杯嫌いなものが沢山あったのでした。)今は、食べられずに、損をしたと思っています。私の標準語と同じで、自分では話しているつもりなのに?!
これ程牡蠣が嫌いでも、なんと名誉市民になれたのでした。名誉市民になったのは、何にも、パスポートが盗られてニューオリンズで交付する訳ではありません(そう信じている人がいます)。勿論、市長のサイン等が入った本物でした。
本当を申せば、Mrs.シモノウのお母さんが名誉市民章を発行する市役所に勤務していたのでした。お母さんが市民の鍵は幾ついるかと聞かれて、兄姉が私を入れて4人ですから4つ下さいと遠慮がちに言って貰った事を思い出します。今なら10は必要と言ったのにその時は可愛かったと思います。
そんな訳で本当の名誉市民です。ラスベガスで美空ひばりさんが名誉市民になったのは、それから1年の後であった事を報告しておきます。
ひばりさんはこの旅行の前迄、大嫌いでしたが、今は大好きです。都はるみも嫌いでしたが、京都会館に今は亡き姉とはるみを聞きに行って、おじさんがはるみはるみと大声を出していた事思い出します。最近のはるみは好きでないです。ちあき なおみが良い、いつものように幕が開き、お母さんが好きでした。矢切の渡しが細川に取られたけれど、彼女の方が素晴らしい。
話しを戻して、やっぱり、外国にいると日本を第3者として見るから、やっぱり趣味も変わるものですね。いろいろ日本的な物が分かり、好きになるのですね。
ニューオリンズの領事館でパスポートの再発行を依頼した後、観光に出掛けたのでした。パスポートはその後、無事に手に入りましたが、青のボールペンでサインする等実に好い加減でした。と言う訳でパスポートの発行地はニューオーリンズとなった訳でした。
町にはかなり大きめのフェリーで行きましたが、乗ったのは覚えていますが、自分一人で毎日乗って町迄行ったのを覚えています。フェリーの乗り場等、どうしても思い出せません。どうも、もの忘れが多いです。
町は珍しいものが一杯でしたが、多くの場合シモノウさんの案内付きでした。その中で忘れ得ない食べ物が、四角いドーナツ(大阪の江坂でその後、販売ベニエが買える様になった)が確か教会の斜め前、フレンチクォターの入り口にあったと思います、ポボーイ(poor boyバゲットで貧しい子供が、昔食べていたと言うサンドウィチ)そして、牡蠣、特別に日本でその英語を覚えた曰くづきの物、取り合えず嫌いでオイスターは英語で最初に覚えた食べもの、それ程嫌いでした。
今なら一杯食べたのに、何でもトライしたのですが、これだけは頂けなかったです。好き嫌いが激しかったので残念でした。この旅行に出て、取り合えず嫌いと言えなく無くなったはずなのに食べられませんでした。(考えて見ると今は好きで食べられるチーズも嫌いだったし、一杯嫌いなものが沢山あったのでした。)今は、食べられずに、損をしたと思っています。私の標準語と同じで、自分では話しているつもりなのに?!
これ程牡蠣が嫌いでも、なんと名誉市民になれたのでした。名誉市民になったのは、何にも、パスポートが盗られてニューオリンズで交付する訳ではありません(そう信じている人がいます)。勿論、市長のサイン等が入った本物でした。
本当を申せば、Mrs.シモノウのお母さんが名誉市民章を発行する市役所に勤務していたのでした。お母さんが市民の鍵は幾ついるかと聞かれて、兄姉が私を入れて4人ですから4つ下さいと遠慮がちに言って貰った事を思い出します。今なら10は必要と言ったのにその時は可愛かったと思います。
そんな訳で本当の名誉市民です。ラスベガスで美空ひばりさんが名誉市民になったのは、それから1年の後であった事を報告しておきます。
ひばりさんはこの旅行の前迄、大嫌いでしたが、今は大好きです。都はるみも嫌いでしたが、京都会館に今は亡き姉とはるみを聞きに行って、おじさんがはるみはるみと大声を出していた事思い出します。最近のはるみは好きでないです。ちあき なおみが良い、いつものように幕が開き、お母さんが好きでした。矢切の渡しが細川に取られたけれど、彼女の方が素晴らしい。
話しを戻して、やっぱり、外国にいると日本を第3者として見るから、やっぱり趣味も変わるものですね。いろいろ日本的な物が分かり、好きになるのですね。
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