旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

782 ザルツブルクからフランクフルト (次回更新予定は第一土曜日 4月4日)

2020-03-21 05:31:44 | 思い出日記

 雨が降るウイーン発9:15分の列車に、10分遅れでザルツブルグへ到着。雨が酷くなり、先ずバスでユースへ。直ぐに着きましたが、6時迄チェックインはできないとの事。 たまたまいた日本人から明日は日曜日なので食品屋は開いてないと聞き、急いで町へ行って見ると既に戸は閉ざされていました。戻ると別の日本人、フリーカメラマンと旅行者の二人、近くのユースに泊まっているとのことでした。話の中でやはり北欧の生活が厳しいし難しいと教えてくれました。
 翌朝、聖歌を聴くのが目的で教会に、それは素晴らしいものでした。こんなに緑の多い町も通り抜けて列車でミューヘン、そして北欧を目指しました。
 到着後、先ずユースへ、途中外国人のヒッピー4人と、入ると日本人5-6人が集団でいて凄くすさんで荒れている感じがしました。その後、彼らがここで働いているのを知りました。偶然、ウィーン迄同行した築山君に出会い、別れて4日間かなり酷い思いをしたと、 夜は余り良く眠れずに朝を迎えました。
 私にとっては酷い所も築山君にはとても良い所のようで、しばらく滞在すると言うのでフランクフルトへ一人で行くことにしました。列車に日本で買った切符を持って乗り、ここからが予想外の始まりです。
 列車を間違い一等のみのに乗り差額を払い、飛行機の時間を確かめるとキャンセルを伝えられました。 Student Flightが飛ばないのが信じられないので空港に行って確かめるも当然、同じことでした。どうしようかと、取りあえず泊る予定のユースへ、駅で聞くと満員だと言われました。絶望に打ちひしがれて、途方にくれながらもユースしか考えられないので、そこに行き、幸い泊まる事ができました。
 そこで出会った、この道2年半と言う日本人のベテラン放浪人(小野よう子に会ったらしいとかで、カンボジアが美しかった等の話を)が、ヒッチハイクの仕方なるものを伝授してくれました。その出会いが私の人生の方向を決める事になったのでした。
 考えもしていなったヒッチハイク。今考えると簡単なことですが、インターチェンジの所で行き先ボード持って立ち、ボードの書き方まで教えてくれました。これから全てヒッチハイク、奈落の底に落ちた人間としてこれほど有難いと思う事は無かったでした。
 その夜、私の言葉、京都言葉のターニングポイントでした。毛布を貸してくれと言った人が、間の抜けたゆっくりと話をしたのです。何処から来たのかと聞くと、なんとその人が、私の家から直ぐ近く烏丸御池に住んでいました。日本を出て2週間余り、こんな風に自分も思われていたのかと大変ショックを受けました。人生の新たなる出発、分岐点がこの日だと言えます。

コメント
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