旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

ヤンゴン徒然 ⑥ 瞑想センター、ネクストステージ Meditation center next stage

2020年10月08日 20時30分56秒 | エッセイ
ヤンゴン徒然 

⑥ 瞑想センター、ネクストステージ Meditation center next stage

  あの瞑想センターにもう一度行き、セヤデュー(尊師)に会った。一年振りだが、自分はこの一年、ほとんど瞑想をしていない。

 瞑想センターの修行をブログに書いたら、一人だけ連絡をくれた人がいた。センターを紹介してほしいというので、一度待ち合わせて大森で会った。ヨガのインストラクターをしている女性で、30代くらいの感じのよい人だった。

 センターの本を2冊あげて、センターのことを説明した。その後連絡が途絶えたので、行くのを止めたのだろうと思っていた。するとヤンゴンにメールが来て、近いうちに来緬するという。

 彼女は在家の尼さん(有髪)で、行動力に満ちた素敵な人だ。来緬を楽しみにしていたが、またメールは途絶えた。そして或る日、明日ヤンゴンに来るという。一か月だか印度のヨガ道場で修行し、日本へ帰国する前に10日ほど瞑想するという。
 
 一人でセンターに行けるかな。その心配はなかった。俺なんかよりも、ずっと旅慣れた人だったのだ。彼女がセンター入りした翌々日、住所をたよりにバスで出来るだけ北上し、タクシーに乗って瞑想センターを訪ねた。

 尊師、自分のことを覚えていてくれるかな?瞑想センターは全く変わっていなかった。尊師が階段の上で、ニコニコしながら迎えてくれた。

 そこでもらったパンフレットに、一緒に修行した中国娘のアリーが載っていた。彼女は武漢の人だから心配していたのだが、今はアメリカにいる。瞑想の先生になっていた。写真のアリーは、相変らず凛々しくて綺麗だが、自分は彼女がものすごく不器用で心配性なことを知っている。またどうでも良いのだが、自分の記憶より5歳ほど年上だった。良かった。元気そうだ。

 尊師と話していると、〇×子さん(仮にヨギさんと呼ぶ)がやってきた。ヨギさん、会うのは二度目だが実に落ち着いていて、尊師の前でくつろいでいる。自分は、尊師の前では緊張して背中に汗がダラダラ出てくる。

 尊師が言う。「〇×子は凄いぞ!二日目でブッダガヤに行った。」何のこと?「ふふ、師匠ったら無茶言うんですよ。瞑想で集中して光の玉を作り、それを自由に動かしていると、いきなりシュエタゴンパゴタへ飛べ、なんて言うんですよ。」

 ひえー、そんな事やってるの。それでブッダガヤに飛んで行った?兄弟子かと思っていたら、とんでもない。空手3段と茶帯の違いだ。セヤデューは、よほどヨギさんが気に入ったようだ。紹介出来て良かった。才能のある弟子を見出すと、先生はよほど嬉しいものらしい。まるで後継者を見つけた武芸者だな。

 自分は、この瞑想センターのことを日本でネットで文章にした。それを数千人が読んだはずだが、ここに来たいと言ったのはヨギさん一人だけだった、と伝えた。尊師は、うーん、それは興味深い。

 尊師は、自分がヤンゴンで日本語の先生をしている(そうする積りだと以前話した)ことを覚えていてくれた。休みの日にはまた瞑想に来い、という誘いをはぐらかせつつお暇した。

 それから一週間が過ぎ、ヨギさんが帰国する前に、学校に立ち寄ってくれた。ヨギさん、初めてなのにシュークリームを買ってきてくれたから、「私たちに会うのは初めてなのに」と、受付の先生たちも好印象。

 偶々時間があったジョー先生とスズキさん、4人で一時間ほど時ならぬ仏教談義が始まった。これが楽しかった。二階の応接間で、コーヒーを飲みながらジョー先生のお父さんの瞑想話。日本の仏教。ミャンマーの仏教。尊師は70歳を超えていて、40代後半で出家したという。ひえー、そんなお歳には見えない。

 濃い、夢のような時間だった。スズキさんは、もう一度ヨギさんに会いたい。話したい。後々まで言っていた。ジョーさんも強い印象を受けたそうだ。その時のヨギさんの話で、長年の疑問の一端が解けた。

 センターで貰った本の一冊は英語。もう一冊はミャンマー語で、裏に修行のステップと思われる箇条書きの文が書いてある。8段階くらいだ。以前日本でミャンマー語教室に行った時に、先生に何て書いてあるか聞いてみた。すると、「これは読めないよ。パーリ語だよ。お坊さんか学者じゃなきゃ、読めない。」

 自分はそのステップを想像した。①映像を呼び出す。②その映像をコントロールする。③好きな映像を自由に呼び出す。次は?ジョー先生ならパーリ語が読めるのだが、まだ見せていない。

 でもヨギさんの話を聞いて、瞑想の次のステップが少し分かった気がする。三代に渡って、前世を遡るそうだ。ヨギさんの前世は人間で(自分は猿と鹿と、性別不明の蛙)、戦場に行って酷い光景を見たりしたらしい。「もちろん、本当の前世なのか、自分が作り出した幻影なのかは分かりませんけど。」

 それから、野に伏せて死に、自分の遺体が腐って白骨になるまで俯瞰する。美女の死体がガスが溜まって膨張し、腐敗して白骨化するまでの絵があるよね。一部を聞いただけでも凄い修行なのが分かる。俺なんか、荒野の映像を頭の中で見て、バードアイだと急降下。バーっと流れる映像を止め、反対方向へ流れろとかが精一杯だった。

 ヨギさんはダウンタウンに用事があるとかで、一緒に飯を食い近所のパゴタを訪れた。飯屋でヨギさんが言う。「ビールがあるんですね。飲みません?」ミャンマー語が話せないのに、生ビールと黒ビールを一杯づつ注文して、実に美味しそうに飲んだ。

 それだけじゃあない。自分が一服していると、「一本いただいてもよろしいかしら。」「あー、美味しい。一か月振り。」何と自由な人なんだ。カッケー。日本人、やるじゃん。でも恰好良い人の10人のうち8人が女性なんだが。

 ヨギさんは、スマホにダウンロードしたJICAのバスアプリを使いこなし、下町に行く番号のバスに乗って去った。その後、一度メールを貰ってそれきりだ。まるで夢みたいな出会いとサヨナラだった。

 彼女は高野山で修行をしたらしい。自分が日本の仏教のことを批判すると、「確かに日本には、どうしようもないボーズどもがいますよね。」ハハ、ヨギさん、ボーズだって。

 でも、お釈迦様はこう言っています。「自分が見た涅槃の世界の素晴らしさ。それをお前たちに伝えたいと思っても、この密林にある全ての木の、葉っぱ一枚ほども伝えることは出来ない。」元々密教は、涅槃の世界の素晴らしさを、世の中の人たちに少しでも伝えようとしたんですね。

 ヨギさんの話で、印象に残った言葉です。