旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

ヤンゴン雑感 - その後

2020年02月14日 09時10分32秒 | エッセイ
ヤンゴン雑感 - その後

1. もう一か月以上、ハト娘とは会っていない。ハトおばちゃんは、たまに見かけるのだが。
2. 食生活のレパートリーは広がったが、美味しいものは、ちと高い。と言っても2千チャット(140円)がその倍になるくらいだが。
3. 切り花を買う習慣ができた。だいたい千チャット。時に二千チャット。蘭や薔薇や菊。

4. 昨年末、美人の女医さんのところで取れた差し歯を直してもらった。以前にここに書いたよ。それがポロっと取れてしまった。休みの日に直しに行ったのよ。
 すると二枚目の若い男がいるじゃないか。あの女医さんは、辞めて他に移ったそうだ。二枚目先生、鼻歌を歌いながら治療をするのは辞めて欲しい。詰め物のセメント代5千チャット(350円)で治ったが、どうせすぐに取れちゃうだろう。
5. 2月中旬、ヤンゴン生活4か月半。まだ朝は多少涼しいが、だいぶ暖かくなった。もう水シャワーがきつくはない。

*自分の生活に怒涛の一週間が来て去った。とても楽しく、最後は切ない。
この事を書く日は来ないだろう。
 

I ♡ Myanmar

2020年02月14日 08時45分44秒 | 写真館
I ♡ Myanmar

 最初の頃の投稿ラッシュに比べて、最近はとんと投稿が少なくなった。授業が増えて忙しくなったし、他の学校への出張授業が週2回あるもんな。
 でも、この国の嫌なところを見た、とか日本が恋しいとかではない。ミャンマーへの親しみと愛情はより深まった。住めば住むほど、素敵な街だ。こんなに優しい人達は初めてだ。40数か国を廻ったが、ここほど住みやすい国はない。

  日本語教師養成の学校では、こう教わった。最初は蜜月。訪れた国の良い所、美味しい食べ物、新しい友達に感激して、楽しくてしょうがない。でもしばらく経つとだまされたり、効率の悪さに腹が立ったりし始める。そうなると、嫌な面ばかりが目につく。急上昇していたのが、急カーブでダウンする。
 その低いテンションもやがて終わりを告げ、その国への理解が深まる。人々の考え方が自分とは異なる、または似ていることに気が付く。そしてそれを許容して良さを受け入れる。カーブは再び上昇する。
 最後は帰国。ほっとして、美味しいものを食べまくる。でも何かもの足りない。今までいた色彩溢れる、時間がゆったりと流れる世界はどこにいったの。祭りの後の寂しさ?これがリエントリーショック。 そう教わった。でも、自分のカーブは一向に下がらない。上昇したまま、横に流れていく。そういえば、ここに来てから腹がたったり、怒ったことがないなー。

 街でおばちゃんが、I ♡ NY のTシャツを着ているのをよく見る。この街の市場ではよく見る。で、自分は I ♡ Myanmar.


仏旗

2020年02月08日 09時05分47秒 | エッセイ
仏旗


 この旗は、ヤンゴンの街中のどこででも見かける。ミャンマー国旗ではない。
これは、仏旗です。
 仏旗(ぶっき)とは、仏教を象徴する旗。仏教を信仰していることを示す旗のこと。「六色仏旗」「六金色旗(ろっこんしょくき・ろっこんじきき)」、「仏教旗」とも呼ばれる。
 『小部経典』の「無礙解道」に、仏陀が力をはたらかせる時、仏陀の体から青・赤・白・樺(橙)および「輝き」の六色の光が放たれる、と書かれていることに由来するデザインである。 1885年にセイロン(スリランカ)で作られた。
 国際仏旗は、左から青、黄、赤、白、橙、そして一番右の列には5色を上から順番に並べた縞模様となっており、それらの色にはそれぞれ意味が込められている。
  • 青は仏陀の頭髪の色で、「定根」をあらわす。
  • 黄は仏陀の身体の色で、「金剛」をあらわす。
  • 赤は仏陀の血液の色で、「精進」をあらわす。
  • 白は仏陀の歯の色で、「清浄」をあらわす。
  • 樺(橙)は仏陀の袈裟の色で、「忍辱」をあらわす。
  • 残りの1色は「輝き」をあらわし、旗の6列目には独自の色は配されず、他の5色を上から順に並べた縞模様で表現される。だ、そうです。
 先日、ヤンゴン市内の人民公園がこの仏旗で埋め尽くされていた。高僧の公演があるのだ。パゴタに行けば仏旗が並んでいる。学校の前の通りでも、高僧の話があり、立派な演台に凄い椅子、仮設のゲートとゴザを敷き詰めた観客席。そして仏旗が通りに並んだ。
 日本のお寺でも、これを掲げる寺があるようだ。あまり見た記憶はないが。


占いイベント

2020年02月01日 13時57分12秒 | エッセイ
占いイベント

 やったぜ。昨年末から始めた学校のカルチャーイベント、第三弾。占いで当たった。
占いがキラーアイテムだとは思っていた。でもこれほどまでに、女性たちの心を摑むとは。
 このイベントの成否は、占い師次第だともいえる。最初に行った占い所は、ミンティンカの弟子を自称する所だった。ミンティンカって誰?

*ミンティンカ氏・略歴
1939年6月25日 ヤンゴン市チャウミャウン地区に6人兄弟の長男として生まれる。
ヤンゴン市内セイントポール男子高校(職場の目の前にある高校)で学び、高校を卒業。大学には進学しない。高校卒業後、ミャンマー国軍に入るが5年で中退。
 その後、食用油の工場や精米所で働く。

1979年 シャン州タウンジー市で占い師の仕事を始める。
(ちょうど40歳で新たな人生を始めたことになる。)

この頃から小説家ミンティンカとして探偵小説を書き始め、探偵ニンマウンを主人公とした推理小説がヒットし、ミャンマーのシャーロックホームズと呼ばれるようになる。「マヌーサリー」という長編小説も大ヒットし、日本語にも翻訳され日本で出版される。小説家でもあり占い師としてミャンマー中で知られる存在となる。

1997年 突然仕事を辞め、霊能力を持つために武者修行に出発する。
3年間の修行の後、厄払い、占い、新生児に名前をつけるなどの仕事を無料で行い、また厄払い、占いなどを教える教室を無料で開き、多くの弟子、信奉者を集める。
霊能力者ミンティンカとして晩年は悟りを開いた教祖のような風貌になり近寄り難い雰囲気となる。

 2008年8月1日 多くの信奉者に看取られながら他界。

* 「マヌーサリー」
現代ミャンマー大衆文学の邦訳。 絶世の美女をめぐるファンタジー。
1950年代とおぼしきミャンマー。
骨董屋を営む50代の独身男が、インドに幽閉されたビルマ王朝最後の王が作らせた名品、金銅合金の小壺を苦心の末に手に入れる。
そして、小壺に書かれていた古代文字を「マヌサーリー」と知ってから、その不思議に取りつかれ幻の美女「マヌサーリー」の探索、近代ミャンマーの歴史と文化の謎解きにはまりこんでいく。ミャンマーの幻想空間、超現実の世界が繰り広げられる。
近年、ミャンマーの国民に最も愛読されている作品。
現代ミャンマー大衆文学の邦訳。
絶世の美女をめぐるファンタジー。
1950年代とおぼしきミャンマー。
骨董屋を営む50代の独身男が、インドに幽閉されたビルマ王朝最後の王が作らせた名品、金銅合金の小壺を苦心の末に手に入れる。
そして、小壺に書かれていた古代文字を「マヌサーリー」と知ってから、その不思議に取りつかれ幻の美女「マヌサーリー」の探索、
近代ミャンマーの歴史と文化の謎解きにはまりこんでいく。
ミャンマーの幻想空間、超現実の世界が繰り広げられる。
近年、ミャンマーの国民に最も愛読されている作品。

 話が右往左往しているねー。結局ミンティンカの弟子の占い処は、高すぎて使えなかった。一回数十ドルで15分。先生は地方出張中で会えなかったが、この占い所に特に好印象はなかった。
 別のところ、看板とか出ているんだろうか。ミャンマー語では分からない。この占い師の女性は、よいお顔をしていた。こじんまりとしたワンルーム。仏陀ヤボーミンガンの像が置かれている。
 先生のお話しが優しげで、一発で魅せられた。これだ。この先生に決めた。先生に学校に来ていただき、占いの部屋を決めた。
 さてイベントの告知だが、予約がどんどん埋まっていった。前回・前々回のイベントの苦労がまるでない。キラーアイテム、恐るべし。
 通訳を決め、備品を揃え(全てスタッフの女性先生がやってくれた。Thanks.)、いよいよ当日。先生は話し始めると止まらない。途中の休憩時間をつぶしても時間が足りないケースが出て、一部のお客さんをお待たせすることになってしまった。申し訳ございません。



休憩室

 さすがの先生も最初は緊張気味だったが、ご飯を召し上がった後は、調子が出てきたようだ。先生は、お坊さんと一緒で午前中しか召し上がらないので、お客さんをまた待たせてしまった。すみません。
 ということで、このイベント、大成功でした。後は先生の未来予測がどうなるか。実力が問われるところです。ずいぶんと、夢のあることを言われて喜んでいる方がいました。また近日やろうと思う。

 ちなみに占い師の先生は、この日の儲けを全てシュエダゴン・パゴタに寄進されるそうです。もったいない。半分にすれば良いのに。皆さんのご健康とご活躍をお祈りします。これは外交辞令ではなく、本当に祈ってくれるんだね。