五助、金玉百助
金玉満堂。黄金や珠玉などの宝物が、家の中に満ちあふれていること。出典は老子だそうだ。
台湾の中級以上のレストランの箸袋に、よく書かれている。これを見て、ニヤリとする日本人男子は、キンタxマンドーと読んでいる。正しくは、キンギョクマンドウだ。中国人はニヤリとしない。金玉に睾丸の意味はない。
今は昔の朝鮮の役。加藤清正の小者で、五助という若者がいた。中間(ちゅうげん)、小者(こもの)というが、軍団で最下層の雑役夫だ。運搬や穴掘り、設営などが主な仕事だ。武士ではないから、脇差も持たない。
その五助が、ある日災難にあった。一人でいる時に虎にさらわれたのだ。ところがこの虎、五助を林に奥にくわえこんではみたものの、腹がすいていなかったとみえ、五助を手毬のようにもてあそぶだけ。五助は大した怪我もしなかった。
やがて虎は、それにも飽きてウトウトし始めた。五助はさすがに戦国の若者だった。横たわる虎ののどやわきをコチョコチョ触ると、虎は気持ちがよいのかゴロニャンと寝入ってしまった。凄まじいいびきだ。
五助は辺りを見回し、木に巻き付いたつたかずらを見つけた。それを外して、近くの木にしっかりと縛り、少したるみを持たせて先端を虎の金玉に縛り付けた。そうしておいて、その場をそっと立ち去ろうとした五助だが、流石に森の王者。目を覚ました虎は、逃げてゆく五助を見た。ぐわっ、怒った虎が飛び掛かる。つるが空中でピンと張った瞬間、金玉がギュっと締まって虎は悶絶。うわっ、この痛さを想像できない男の子はいない。哀れ、虎は昇天。
陣屋に戻った五助は、小者仲間を引き連れて、虎の死がいを担いで持ち帰る。これを聞き、虎を見た大将の清正は言う。「あっぱれ、五助よ。おぬしを士分に取り立て名を授ける。これより金玉百助を名乗るがよい。」百石もらった。大したものだ。
日本軍は散々だったが、侍となった金玉百助は、素手で虎を殺した勇者として凱旋帰国した。清正の娘の八十姫が、紀州御三家55万5千石に嫁入りする際、金玉百助は、漆で固めた虎の首と共に隋従した。代々金玉百助の名で紀州家に仕え、家禄は三十石にまで落ちたが、長い江戸時代を生き延びた。
嘘じゃない。この話は『神坂次郎氏著、"千人斬り"新潮文庫』から取りました。金玉家は昭和58年、鹿児島の家庭裁判所に改姓を訴えた。
よく耐えたよ、金玉一族。江戸時代なら良かった。あの家は、元をただせば清正公の。人の出入りが少なかった明治の中頃まではまだしも、近代になっては、金玉家の息子がいかに好青年でも、嫁入りには勇気がいる。本日はお日柄もよく、金玉家と佐藤家の婚姻がーーーー。控室には、金玉家ご一行様。
予約をお願いします。今月のx日から2泊、シングルで金玉なにがし。転校生を紹介するよ。金玉満江さん。金玉さん、お友達にごあいさつ。この満江さん。いかに優秀なお嬢さんでも。採用担当者は考えちゃう。「はい、営業一課、金玉です。」「金玉さん、保留3番に電話。」清正も罪なことをしたもんだ。改姓が成されたことを祈念する。
*番外編
「もーイヤ!この町出ていく。」「どーしたの、いい町じゃない。」「また聞かれたのよ。よりによって田中君から。しってってどういう字を書くの?」「-----武蔵小杉から南武線に乗って五つ目の駅です。ご自分で調べて下さい。」「田中君に言えるわけないじゃない。お尻に手。尻手なんてさ。」
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