とびのフサ公
大学に行っていた5年間の内に4回、社会人になってからも頼まれて2回ほど、年末に正月のお飾りを売るアルバイトをやった。横浜に古くからある門前町商店街で、お飾りを売る小屋掛けの場所は2ヶ所あり、毎年決まっている。高校の同級生の家がとび職の親方で、先代の親方は亡くなっていたが、その娘さんが跡を継ぎ、その娘さんが同級生の母親と言うわけ。同級生のお父さんは普通の勤め人だった。
自分はその同級生と特に親しかった訳ではないが、共通の友人Tがいて、このTがずっと一緒にこのバイトに参加した。裏白、荒神、3寸玉、5寸玉、正月のお飾りなんてここで始めて知ったよ。仮小屋を建てて(とびだからお手のもの)お飾りを売るのは、12月28,29,30の3日間。31日は一夜飾りといって忌むので店仕舞い。29日は苦の日、縁起を担いで売れ行きが悪い。勝負は28と30である。
後ではこの3日間の店売りだけを手伝うようになったが、アルバイトの最初の1,2年は店売りの前に4,5日、テリトリー内の家々を廻って注連縄を張る仕事も手伝った。また自分はやらなかったが、Tは正月の獅子舞で巡回する方もやっていた。店も注連縄張りも2班に分かれていて、一人はカトーさん、もう一人はフサ公についた。カトーさんは40歳代の普通の大工さんで、笑顔が渋く僕らにもやさしかった。問題はフサ公。ふさ吉さんと呼ばれる年齢不詳の職人だが、どう見たってカタギの顔じゃあない。
頭はゴマ塩の短髪がハリネズミのようにおっ立っていて、捻り手ぬぐいで縛ってある。ガッチリとした小男だが、うっとうしい位の迫力があり、街の中で関わり合いになりたくないオーラをプンプン漂わせている。カトーさんとフサ公は、2人で会えばニコニコして相手を持ち上げるが、一人になるとフサ公はカトーさんの悪口をボロボロ言い出す。
とにかくフサ公は怖かった。見た目だけで恐かったので、緊張して慎重に接していたら、不思議な事に自分は割と気に入られたようだった。だいたい職人は直感で人を見る。出会い頭に判断して、この印象はずっとブレない事が多い、ように思う。そんな自分とは正反対にTは、何をやってもフサ公に怒られていた。Tもドジな奴で、注連縄張りで廻っている時、初日に家の脇で立ち小便をして、その家の住人に叱られフサ公が代わりに謝ったそうだ。とにかく自分は気に入られ、Tは目の敵にされた。これは何年たっても変わらなかった。
フサ公は外見は恐いが、実はかなりおチャメな男で、鉛筆に小さな紙が貼ってあるので何かと思ったら、「ちょっと待て!よく見て盗め、右左」と書いてあった。注連縄張りでちょっと高級な家へ行った時、40代位のガタイの良い奥さんが出てきて、フサ公に向かって仕事の手際だか値段だかで、ポンポン文句を言いだした。するとフサ公、ゴマ塩頭をポリポリ掻いて「エヘヘ」。意外な反応に?その家を離れてフサ公が「アー、いい女だなア」と言ったのにはタマゲた。18歳の自分には、今のおばさんが欲望の対象になるなんて思いもよらない。しかもあの奥さんはフサ公が自分に欲情しているのを、明らかに知っていてそれを言葉で苛めるという、精神的な浮気行為を二人でしていたんだ。大人の世界って広いワ。
手のひらを太陽に向けてごらん。フサ公は両手の指が外から数えて3本欠けている。いったいどんな渡世を送ってきたのか。その一端を知る機会は、店売りの3日間で訪れた。相性から2店の組み合わせは、カトーさんとT、フサ公と自分というケースが多かった。何で俺ばっかしフサ公、と思ったけどね。
朝からフサ公は飾り玉を作り始める。裏白(シダ科の植物)が乾燥してチリチリになるので、余分には作らない。売れ行きと店の装飾効果を見通して、常に数個の飾りを店内に残すように、作業を進めるのが店長の腕だ。フサ公は何年も同じ場所で商売をしているから、人の流れ、大口の客がいつ頃来るかを把握している。人って年末年始、忙しく動いているが案外毎年同じスケジュールをこなすものらしい。
買い物客の応対は自分にやらせ、フサ公は飾り玉を作る。裏白の生きの悪さに毒づき、飾りの部品の不足に文句を言い、カトーさんの悪口を言う。これも毎年の決まりごとだ。職人は手癖が悪いので、自分たち学生を組ませるのは、案外不正防止効果を狙ったのかもしれない。それでも昼飯から戻ってきて、売り上げ金を見てアレっと思う時がある。そんな時のフサ公は敏感にそれを察して、上機嫌で軽口をたたく。マーいいか、俺の金じゃあなし。ところが自分らも真面目一方とは言えない。店売りの時は比較的ひまな時間を見て、交代で昼飯をとるが(フサ公は面倒がって出前が多かった。)大てい2千円売り上げからつまみ出し、「いいもの食ってこいや。」と言ってくれる。通常250~500円で昼飯を済ませている貧乏学生にとって、2千円は大金だ。お釣りを懐に入れる度胸はないが、普段出来ない贅沢はしてみたいじゃあないか。
寿司屋に入ったり、中華で一度に麺類と丼ものを食ったりした。そしてお釣りのコインをフサ公にチラっと見せて、チャリンと売上げに戻す。「ごちそうさまでした。」ある年、3日間続けて2人前の昼食を食ったら、大晦日の日に腹が痛くなって何も食えずに元旦までウンウン寝込んだことがあった。2日間、年越しソバもおせちも雑煮も、見るのもいやだった。急なぜいたくはいけない。
フサ公は普通にしていても、「文句あるのか、この野郎」というブっそうな顔つきだが、不思議な愛嬌がある。毎年、夜の店じまいをするころ、でかいアメ車に若い衆を2-3人乗せたヤクザの兄いが、一番でかい飾り玉を買いに来る。フサ公は腕によりをかけて立派な玉を作っておく。「一番大きいのくれや。」「4万円」「おやっさん、またふっかけてんじゃないの。」とか言って、ヤクザの兄いはフサ公が好きなんだな。言い値を払った上に、「酒でもやってくんな。」と祝儀の万札を2枚ほど置いていく。
フサ公は話し好きで、その話しは面白かった。夜になり商店街の人通りも減ってくると、玉作りも止めフサ公はぶっとい残った指を火鉢に当てて温め、酒をチビチビやり出す。買いに行かされたサカナの焼き鳥なんぞをくわえてご機嫌だ。そんな時に話しをしてくれる。
40年近く前の話しだから、よくは覚えていないが喧嘩の話が多かったように思う。喧嘩の修行のため、揺れるボートの上で稽古をする話し。酔っぱらいは体がくねくねして、普通なら大けがをするような時も、打撃を吸収して平気なこと。始末に負えないので腹に大きな墓石を乗せて動けなくしたこと。フサ公の喧嘩は江戸時代のような集団戦が多い。となると用心棒の先生が出てくる。平手造酒ね。
自分は大学生の時に空手の同好会にいたので、試しに聞いてみた。「空手とかどうです。強いですか?」「へん、あんなもん。」とバカにするかと思いきや、「強えな。空手は強えー」と意外な返事。何でも敵対するグレン隊?に空手遣いがいて、フサ公達は何度も彼にやられていたそうだ。その空手遣いに4-5人で掛かっていっても勝てず、けが人だらけになった。そこでフサ公たちはどうしたか。細かい砂に一味、七味唐辛子を山ほどとコショーを混ぜて空手遣いに近づき、タンカを切るやいなや、目つぶしを奴の顔にぶっかけた。さしもの空手遣いもこの奇襲にはたまらず、手で顔を覆ったところを集団でメッタ打ち、「すねを折ってやった。」と言っていた。
年の暮れ、法被をまとっていても寒い夜、火鉢に手をかざしスルメをあぶってかじり、一杯だけともらったコップ酒をちびりと飲りながら聞く、遠い日の知らない世界のケンカ話。今にして思うにフサ公は世間に出て行く青年にとって、またとない世の中の師匠だったに違いない。
大学に行っていた5年間の内に4回、社会人になってからも頼まれて2回ほど、年末に正月のお飾りを売るアルバイトをやった。横浜に古くからある門前町商店街で、お飾りを売る小屋掛けの場所は2ヶ所あり、毎年決まっている。高校の同級生の家がとび職の親方で、先代の親方は亡くなっていたが、その娘さんが跡を継ぎ、その娘さんが同級生の母親と言うわけ。同級生のお父さんは普通の勤め人だった。
自分はその同級生と特に親しかった訳ではないが、共通の友人Tがいて、このTがずっと一緒にこのバイトに参加した。裏白、荒神、3寸玉、5寸玉、正月のお飾りなんてここで始めて知ったよ。仮小屋を建てて(とびだからお手のもの)お飾りを売るのは、12月28,29,30の3日間。31日は一夜飾りといって忌むので店仕舞い。29日は苦の日、縁起を担いで売れ行きが悪い。勝負は28と30である。
後ではこの3日間の店売りだけを手伝うようになったが、アルバイトの最初の1,2年は店売りの前に4,5日、テリトリー内の家々を廻って注連縄を張る仕事も手伝った。また自分はやらなかったが、Tは正月の獅子舞で巡回する方もやっていた。店も注連縄張りも2班に分かれていて、一人はカトーさん、もう一人はフサ公についた。カトーさんは40歳代の普通の大工さんで、笑顔が渋く僕らにもやさしかった。問題はフサ公。ふさ吉さんと呼ばれる年齢不詳の職人だが、どう見たってカタギの顔じゃあない。
頭はゴマ塩の短髪がハリネズミのようにおっ立っていて、捻り手ぬぐいで縛ってある。ガッチリとした小男だが、うっとうしい位の迫力があり、街の中で関わり合いになりたくないオーラをプンプン漂わせている。カトーさんとフサ公は、2人で会えばニコニコして相手を持ち上げるが、一人になるとフサ公はカトーさんの悪口をボロボロ言い出す。
とにかくフサ公は怖かった。見た目だけで恐かったので、緊張して慎重に接していたら、不思議な事に自分は割と気に入られたようだった。だいたい職人は直感で人を見る。出会い頭に判断して、この印象はずっとブレない事が多い、ように思う。そんな自分とは正反対にTは、何をやってもフサ公に怒られていた。Tもドジな奴で、注連縄張りで廻っている時、初日に家の脇で立ち小便をして、その家の住人に叱られフサ公が代わりに謝ったそうだ。とにかく自分は気に入られ、Tは目の敵にされた。これは何年たっても変わらなかった。
フサ公は外見は恐いが、実はかなりおチャメな男で、鉛筆に小さな紙が貼ってあるので何かと思ったら、「ちょっと待て!よく見て盗め、右左」と書いてあった。注連縄張りでちょっと高級な家へ行った時、40代位のガタイの良い奥さんが出てきて、フサ公に向かって仕事の手際だか値段だかで、ポンポン文句を言いだした。するとフサ公、ゴマ塩頭をポリポリ掻いて「エヘヘ」。意外な反応に?その家を離れてフサ公が「アー、いい女だなア」と言ったのにはタマゲた。18歳の自分には、今のおばさんが欲望の対象になるなんて思いもよらない。しかもあの奥さんはフサ公が自分に欲情しているのを、明らかに知っていてそれを言葉で苛めるという、精神的な浮気行為を二人でしていたんだ。大人の世界って広いワ。
手のひらを太陽に向けてごらん。フサ公は両手の指が外から数えて3本欠けている。いったいどんな渡世を送ってきたのか。その一端を知る機会は、店売りの3日間で訪れた。相性から2店の組み合わせは、カトーさんとT、フサ公と自分というケースが多かった。何で俺ばっかしフサ公、と思ったけどね。
朝からフサ公は飾り玉を作り始める。裏白(シダ科の植物)が乾燥してチリチリになるので、余分には作らない。売れ行きと店の装飾効果を見通して、常に数個の飾りを店内に残すように、作業を進めるのが店長の腕だ。フサ公は何年も同じ場所で商売をしているから、人の流れ、大口の客がいつ頃来るかを把握している。人って年末年始、忙しく動いているが案外毎年同じスケジュールをこなすものらしい。
買い物客の応対は自分にやらせ、フサ公は飾り玉を作る。裏白の生きの悪さに毒づき、飾りの部品の不足に文句を言い、カトーさんの悪口を言う。これも毎年の決まりごとだ。職人は手癖が悪いので、自分たち学生を組ませるのは、案外不正防止効果を狙ったのかもしれない。それでも昼飯から戻ってきて、売り上げ金を見てアレっと思う時がある。そんな時のフサ公は敏感にそれを察して、上機嫌で軽口をたたく。マーいいか、俺の金じゃあなし。ところが自分らも真面目一方とは言えない。店売りの時は比較的ひまな時間を見て、交代で昼飯をとるが(フサ公は面倒がって出前が多かった。)大てい2千円売り上げからつまみ出し、「いいもの食ってこいや。」と言ってくれる。通常250~500円で昼飯を済ませている貧乏学生にとって、2千円は大金だ。お釣りを懐に入れる度胸はないが、普段出来ない贅沢はしてみたいじゃあないか。
寿司屋に入ったり、中華で一度に麺類と丼ものを食ったりした。そしてお釣りのコインをフサ公にチラっと見せて、チャリンと売上げに戻す。「ごちそうさまでした。」ある年、3日間続けて2人前の昼食を食ったら、大晦日の日に腹が痛くなって何も食えずに元旦までウンウン寝込んだことがあった。2日間、年越しソバもおせちも雑煮も、見るのもいやだった。急なぜいたくはいけない。
フサ公は普通にしていても、「文句あるのか、この野郎」というブっそうな顔つきだが、不思議な愛嬌がある。毎年、夜の店じまいをするころ、でかいアメ車に若い衆を2-3人乗せたヤクザの兄いが、一番でかい飾り玉を買いに来る。フサ公は腕によりをかけて立派な玉を作っておく。「一番大きいのくれや。」「4万円」「おやっさん、またふっかけてんじゃないの。」とか言って、ヤクザの兄いはフサ公が好きなんだな。言い値を払った上に、「酒でもやってくんな。」と祝儀の万札を2枚ほど置いていく。
フサ公は話し好きで、その話しは面白かった。夜になり商店街の人通りも減ってくると、玉作りも止めフサ公はぶっとい残った指を火鉢に当てて温め、酒をチビチビやり出す。買いに行かされたサカナの焼き鳥なんぞをくわえてご機嫌だ。そんな時に話しをしてくれる。
40年近く前の話しだから、よくは覚えていないが喧嘩の話が多かったように思う。喧嘩の修行のため、揺れるボートの上で稽古をする話し。酔っぱらいは体がくねくねして、普通なら大けがをするような時も、打撃を吸収して平気なこと。始末に負えないので腹に大きな墓石を乗せて動けなくしたこと。フサ公の喧嘩は江戸時代のような集団戦が多い。となると用心棒の先生が出てくる。平手造酒ね。
自分は大学生の時に空手の同好会にいたので、試しに聞いてみた。「空手とかどうです。強いですか?」「へん、あんなもん。」とバカにするかと思いきや、「強えな。空手は強えー」と意外な返事。何でも敵対するグレン隊?に空手遣いがいて、フサ公達は何度も彼にやられていたそうだ。その空手遣いに4-5人で掛かっていっても勝てず、けが人だらけになった。そこでフサ公たちはどうしたか。細かい砂に一味、七味唐辛子を山ほどとコショーを混ぜて空手遣いに近づき、タンカを切るやいなや、目つぶしを奴の顔にぶっかけた。さしもの空手遣いもこの奇襲にはたまらず、手で顔を覆ったところを集団でメッタ打ち、「すねを折ってやった。」と言っていた。
年の暮れ、法被をまとっていても寒い夜、火鉢に手をかざしスルメをあぶってかじり、一杯だけともらったコップ酒をちびりと飲りながら聞く、遠い日の知らない世界のケンカ話。今にして思うにフサ公は世間に出て行く青年にとって、またとない世の中の師匠だったに違いない。
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