旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

四国遍路 ー 遍路ってこんなの?続続続

2023年11月23日 10時58分18秒 | 旅日記
四国遍路 ー 遍路ってこんなの?続続続

また容量が一杯になった。30,000字以下にしろと言う。

・5番・地蔵寺には、2つの著名なものがある。寺の裏にある五百羅漢(拝観料200円)と、樹齢800年、たらちね銀杏(イチョウ)と呼ばれる大樹だ。木の下一面に、ブルーシートが敷かれている。近づくとあの独特の腐敗臭というか、糞尿臭が満ちている。
 何しろ、見る間にボトボトと落下音がして、雨のように実が落ちてくる。寺の人は、竹ぼうきで実をかき集め銀杏(ギンナン)の山をいくつも作る。800年経ってこの生命力。
 イチョウは、雌雄があって葉の形も独特だ。ジュラ紀から続いているという。ただ、古代にはいろいろな種類があったが、生き残ったのはほぼ一種類だそうだ。ヨーロッパでは絶滅した。日本のイチョウは、1,200年前ごろに中国から渡ってきたものらしい。ちょうど弘法大師のころじゃないか。特に好んで寺の境内に植えられたのだろう。
 でも、ごめん。自分の手帳では、この銀杏の雨の木は、7番から11番の間と書いてある。5番だったのかは、自信がないな。他の寺でも、銀杏の木、ブルーシート、あの匂い。きれいに実だけにして袋に詰め、100円で売っているお寺さんもあった。旅の途中なのに、思わず買っちゃった。

ps. 霊園に勤めている友人の話しでは、銀杏(ギンナン)の実の重さで、枝が折れるそうだ。通行人に危ないので、道路に張り出している枝を切り落とすとのこと。凄いな、イチョウ。


これ、イチョウ?

・江戸時代の遍路は、今とは違う景色を見ていた。ビルや車や、舗装道路のことではない。まずはコスモス。この花はメキシコ原産で、1969年に逸出確認とあるから、割と最近だ。こんな綺麗な外来種なら、大歓迎です。
 あと、セイタカアワダチソウ。この黄色い花の群生は、河川敷、土手、荒れ地、原野、休耕地、路傍とどこでも見られる。よく似たブタクサが、花粉症の元凶として嫌われる。1900年導入。観賞用として輸入されたんだ。原産地は北アメリカで、養蜂家に大事にされる。ただこの花の蜂蜜は、独特の味がして、二級品の扱いだそうだ。
 セイタカアワダチソウと生息域がダブり、生存競争をしているのがススキとヨシだ。江戸時代の遍路は、果てしないススキが原を歩いた。自分としては、ススキを応援するが、所変われば。北アメリカでは、養蜂業の敵である外来種のススキが、嫌われて駆除される。たしかにススキの形と色は寂しい。幽霊草と言えるかもしれないね。
 セイタカアワダチソウは、ドイツでも第二次世界大戦後、アメリカ軍が持ち込んで、ライン川一帯で大繁殖したそうだ。




・前にも書いたけど、初めのころに知り合った城さんとは、その後もLINEで文通をして楽しかった。宿情報を送ると、彼女がそこに泊まり、感想を教えてくれたりね。城さんは11/15に結願した。頑張ったね。全部歩きなんてスゴい。通しの遍路の成功率は、1/3くらいだという。区切りの遍路の方々に何人も会ったが、目的がはっきりしているので、迷いがなく無理をいとわない。
短期集中。通し遍路の一か月、一か月半は長い。どうしたって、中だるみがあるもんだ。
 城さんの話しでは、11/13ごろの雲辺寺では、猛吹雪で横殴りの雪が降ったそうだ。88番でも雪が降った。城さんの知人が、泣きながら写真を送ってくれたのを、転送してくれた。自分はもう半月、一か月後に旅を始めても良かったかな、思っていたが、この写真を見て震えた。10月末に旅を終えて良かった。
 もし、もしもだ。また遍路旅をするなら春。春爛漫。桜を追って歩き、GWの前に旅を終える。これは城さんの受け売りだが、自分もそう思う。春の旅はよい。四国の春の旅はね。

・曼荼羅寺。いい名前じゃないか。この寺の門前近くのバス停で、若い女性の遍路さんと知り合った。香川県はスゴイ。観音寺市のバスは、どこでも、どこまで行っても100円だ。隣の善通寺市のバスは、何とただだった。彼女は、スマホでバス情報などを、実にこまめに調べていた。彼女に連れられて、バスを乗り継ぎ街に出た。
 彼女はその日、ネットにも本にも出ていない、女性専用の安宿に泊まるそうだ。そういう女性用の遍路サイトがあるそうだ。岡山の人だが、四国の大学を出たので、遍路は以前から気になっていたらしい。あっ、言い忘れたけど、彼女は逆打ちなんだ。つまり、1→88番ではなく、88→1番と廻る人。名前は聞かなかった。ではもう会わないね。バイバイ。
 ところが、翌朝駅で再会した。間違えて反対側のホームにいた自分に、正しい方を教えてくれた。ありがとう。君のことは、多分5年は忘れない。

・靴は悩ましい。一か月、毎日平均15~20km歩く。そのほとんどが、舗装された、車が隣を走る路。でも時には山道。時々は、登山のような急斜面。山道では、足が靴の中で固定された登山靴がよいのは当然。でもそんな日は、数日しかない。90%の平地、アスファルトの道を、重くてかさ張る登山靴で歩くのはゆううつだ。リュックに登山靴など、考えるだけで疲れる。非現実的だ。
 自分も、登山用品店やスポーツ店を見て回り、軽くてかさ張らない登山靴を探した。でも登山靴かランニングシューズになってしまう。どっちも兼ねるのは見当たらない。えい、そんなら運動靴にしよ。980円の歩きやすいのにした。
 サイズは、普段より0.5大きいのにした。これは、1cm大きいのにした方が良かったかも。26.5なら、27でなく27.5の方がよいかも。まあ、自分で履いて歩いて確認してね。
 新品に近いのを履き、中敷きを一度交換して使ったが、何故か靴下に草がつく。中敷きを突き破って小さな穴が開いていた。


 底はツルツル。雨が降ったらスッテンコロリン状態だ。

・後悔はしていないが、もし次の遍路があるなら、全部歩きにする。バスで急なくねくねした登り道を行き、駐車場に到着する。戻りのバスは、30分後です。次のバスはありません。駆け足でお参りするのは味気ない。
 鉄道で駅から駅に。駅から寺に。また次の駅から寺に。一日7寺廻った日があった。駅からは、近かったり遠かったりする。これじゃあ、まるでスタンプラリーだ。つまらない。
 ほとんど無かったが、バスの車窓から歩き遍路を見つけたら、無意識に頭を低くする。やっぱ、後ろめたいのかな。前にも書いたが、一見無駄なような街歩き、延々と続くアスファルトの国道。これを歩くのは無駄なようで無駄ではない。巡礼の王道だ。やっとたどり着いた目的地を、より一層感慨深いものにする。
 旅を通して、弘法大師空海を身近に感じることはなかった。そんなに好きなお坊さんではない。山道で、南無大師金剛遍照と唱えることはなく、xxちゃんスクスク息災と唱えた。生まれたばかりの孫の名です。

・最近、ミャンマーの学校の責任者の先生と、昔の教え子に会った。最近のヤンゴン事情を聞けた。1万人いた日本人駐在員とその家族は帰国し、今は500人しか残っていない。でも何人かの日本人は、ミャンマーに残り、また日本から支援を続けている。こういう苦難の時に、人間の真価が問われる。
 自分は、来年早々に下見に行く。場合によっては、日本語教師を再開しようと思う。Part 2 はあるかな?旅は終わり、次の旅は?今は準備の時だ。

 今まで載せなかった写真をランダムにupするね。ダブっているかも。





















こうでなくちゃ















































































最新の画像もっと見る

コメントを投稿