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旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

邯鄲の夢 - 第三夜

2014年12月05日 16時52分57秒 | 夢十夜
 3. 一億円のストック

自分は人生で、仕事で一億円のストックを2度作りました。受注してメーカーに発注し、製品が出来て倉庫に納まり、出荷(この場合は輸出)直前になってストップがかかったというケースです。
一回目の相手国は香港/中国、製品は電卓の液晶(LCD)、二回目はサウジアラビア向けで自動車のブレーキパーツでした。
最初は26~7歳の時で当時台湾系の小さな商社に勤めていて、仕事も会社の人たちも良かったのですが、給料が安くてボーナスの時期になるとみんな元気とやる気が無くなる。学校出たての妹より少ない、とか言ってる人もいました。自分の仕事は電子部品、特に液晶(LCD)を日本から主に台湾、香港に輸出することで、中心は台湾、サブとして香港が取引先でした。それぞれに日本語の出来る現地スタッフがいたので、自分は日本のメーカーさん(サプライヤー)との価格交渉、納期の管理と輸出手続きをし、メーカーと同行したりして年に数回、主に台湾に出張していました。
 ところが中国で毛沢東が死に、小平が復活し、「黒ネコでも白ネコでもネズミを取るネコは良いネコだ。」とか言って開放政策を始めると、香港を経由して西側の消費物資が次々に中国に入って行きました。巨人の胃袋のような猛烈な消費が、長くて暗かった文化大革命のうっぷんをはらすかのように一気に膨れ上がりました。自分が担当していたのは、電卓の液晶(LCD)とそのフィルターです。中国向けは一番簡単な構造の電卓でフィルターのサイズが特殊でしたが、みるみる売上げが上昇し、数か月のうちに台湾を追い抜き、最盛期は1億5千万円のバックオーダーを抱えました。納期は急な需要増で遅れ気味でしたが、45日位でした。しかし儲かったのも数か月。最初の予兆は香港のグループ会社からのテレックス(今は無い。カチャカチャ打ってテープで流す。)の一報で、いきなり今入っている注文をいったんキャンセルできないか、というものでした。なんで急に、と直ぐに問い合わせたのですが、出来ないなら仕方がない、という位のニュアンスで要領を得ない。今思えば、こんな事を言ってくる位なのだから、相当な異常事態が起こっているに違いない。すぐに現地に飛ぶべきだった。
当時中国は省政府でも人民公社でも国営企業でも、組織であれば見境なくL/Cを開き、何かにつかれたように西側の消費財を購入していました。しかしまともに考えて、こんなことがいつまでも続くはずがない。その渦中にいると儲けをのがすまいと焦って冷静な判断を見失ってしまいます。現在の中国と違って「竹のカーテン」で国を閉ざし、西側の経済に背を向けていた国に充分な外貨が保有されている訳がない。みるみる内にドルが底をつきました。しかしながらL/C(国際信用状)が発行されています。取り消し不能のL/Cは自国の銀行と相手国の銀行を介した信用状だから、相手が約束を守る以上、一方的に破棄できるはずはない。そこで面子で生きている中国人はとんでもないウルトラCを繰り出した。主要な輸入品20数品目(電卓が含まれていた。)を国家の輸入禁止アイテムに指定したのです。これで約束破りの大義名分を得て、突然注文を破棄した。そうは言っても付き合いはあるし、品物は欲しいしで、現地ではドルの代わりにブタで払うのタマネギを支払いに充てるのといった動きがあったようですが、一億の注文残に対しては、焼け石に水。この時残った一億円分のLCDは品物の容量は小さかったけれども、それでも積み上げると相当な量で、メーカーの協力も得て香港/中国以外に転売するのに2年弱かかりました。フィルターは中国向けの特殊サイズなので、結局全て廃棄処分。この間に円高が進行して在庫の価値がみるみる目減りし、最終的に数か月で相当儲けた分の数倍の損失を出してしまった。
最初が毛沢東なら、2度目はフセイン。イラクのクウェート侵略に対して湾岸戦争が突如勃発した時です。折悪しくちょっと前に商社とサウジに出張して一億ちょっとの注文を取り、名古屋のメーカーへ発注したばかりでした。円高だし値段はとてつもなく厳しく、儲けは数%だったが、客はしっかり選んでいたので、通常であれば何のリスクもない取引きでした。
 しかし戦争が始まるとペルシャ湾は見る見るうちにアメリカの空母を始め戦闘艦で埋まり、サウジアラビアには陸続と多国籍軍が上陸して、早速バクダットへの空爆が始まった。民間物資の輸入なんぞてんで出来る状況にないし、普段サウジのジェッダに買い付けに来るアフリカの商人たちも一人も来ない。イエメン、ソマリア、PLOは、反英米、イラク寄りでした。奇妙な戦争で空爆だけが延々6ヶ月続き、フセインはスカッドミサイルを盛んにテル・アビブに打ち込みイスラエルを戦争に巻き込もうとしていた。今回の在庫は、前回の教訓から、直ぐに名古屋に飛んで、可能な限り生産をキャンセルしてもらった。メーカーも材料は手配済みなので苦しかっただろうが、最大限協力してくれた。そのおかげで4千万円分の注文をキャンセル出来たが、約6千万円分の在庫が倉庫に積み上げられ、この分の代金は支払った。
 最初の数か月はまだ良かった。事情が事情だけに社内も同情的だったのです。しかしこの奇妙な戦争は空爆だけが延々と続き、スカッドミサイルはゲリラ的散発的に発射され、多国籍軍はそれに対してパトリオットで迎撃、巡航ミサイル・トマホーク、ステルス爆撃機、ピンポイント爆弾、超巨大鉄鋼弾とつるべ撃ち、バクダット市内の空爆と対空砲火を、CNNの特派員がホテルの屋上から放映するという全く奇妙な戦争だった。撃墜された米軍のパイロットが捕虜となり、イラクのTVに出てアメリカを批判する一こまもあった。日本では軍事評論家が何人も出てきて毎日ニュースに出ていた。奴らは火薬の匂いがするとぞろぞろ出てくる、まるで死神だ。3ヶ月もすると先が見えない不安で、いてもたってもいられなくなり、社内もどうするんだ、という雰囲気になってきた。そこで、少しでも在庫を減らす算段を始めた。在庫は数社のお客さん(ババチン、バハラス、アル・ゴスミ等)の分だが、中身は全てハイラックスとランド・クルーザーのブレーキパーツであった。中東でラクダに代わって一番よく走っている車だ。しかし何も砂漠の中だけを走っている訳ではない。アメリカでだって走っている。これらの北米向けの一年間の出荷台数分をストックから振り代える。中身は一緒だが管理番号が違うのでラベルを刷って、倉庫で貼り変えた。中東向けではメーカーから特価で買っているので、これは利益率は上がったが、数はいくらもない。アメリカで売れているトヨタの乗用車の中でランクルの比率は圧倒的に小さい。ちょっと多めに変えても300万円くらいにしかならない。イエメンのお客にも熱心にコンタクトした。彼らは通常はサウジのジェッダで購入しているので日本から直接は買わない。我々も支払いに不安があるので、普段は手を出さない。利益率は低くとも大量にかつ安全にサウジで売れるのに、リスクを冒して少額の注文を取る必要はない。しかし今回は特別だった。背に腹は変えられない。イエメンも品物が途絶えて困っていたので、お互いの思惑が一致し、数ヶ月かかったが転売に成功した。しかも一割強サウジより高く売れ、入金も無事に終わった。ただマーケットが小さいので、1,500万円が目いっぱいだった。イエメンのアデン行きの船は一ヶ月に一隻あったので、今度はケースマークを書き換えるだけで船済みができた。
 これで残りは4,000万円。個人でどうこう出来る金額ではないし、サウジでなければさばけない。さあ殺せ。もうどうしようもない。胃が痛くなるような毎日だったが、六ヶ月間地上戦はなく、ひたすらにらみ合いと空爆が続いた。そしてある日突然戦闘が始まり、それはたった2日で終わった。イラク軍の弱さは脅威的だった。連日TVに出演していた死神・軍事評論家が口を揃えて実力を評価していた、フセイン自慢の大統領親衛隊は一撃で粉砕され、多国籍軍は無人の野を行くように進軍した。イラク軍はまったく戦闘意欲を失い次々に投降、捕虜の余りの多さに食料補給が間に合わず、飢えたイラク兵が戦車の上から米兵が投げるパンの袋を奪い合った。六ヶ月の準備と空爆の後、完璧な勝利に酔った先代親父ブッシュは48時間で一方的に戦闘を止め撤退した。犠牲者のほとんどいない(味方の誤爆による戦死者は少々出たが)完全な勝利にこだわったのだろうが、これは結果として大失敗だった。あと数日戦闘を続けイラク軍に回復不能な打撃を与えるべきだった。多国籍軍の進撃に呼応して蜂起したシーア派反政府組織やクルド族は、最終的に個別に撃破され、凄惨な報復を受け、フセインは10年後に息子ブッシュによって息の根を止められるまでイラクの独裁者で在り続けた。
ブッシュは日本軍が真珠湾奇襲の際、司令官の南雲中将が、現場将校からの再三にわたる具申を退け、第三次攻撃隊の発艦を取りやめたこと。それによって、パールハーバーの港湾施設、備蓄燃料を破壊する機会を逸し、アメリカ軍が立ち直るのを半年は早めた事実を知らなかったのか。
残りの4,000万の在庫はどうなったかって。これはあっけなく片付いたよ。港が再開してすぐに引き取られ、六ヶ月供給が止まってサウジの店の在庫が底をついていたので、追加注文が次々に入った。結果は良と出たわけであるが、先の見えないあんな思いはもう2度としたくない。貿易は為替リスク、客選択のリスクだけでなく、カントリーリスクがつきまとう。個人の力ではどうしようもない場合がある、という事を頭に入れておかなければならない。

邯鄲の夢 - 第二夜

2014年12月05日 16時44分14秒 | 夢十夜
2. ボテランィア、目ィからウロコ一の言

 25歳の時、井戸掘りのボランティアとして、タイとカンボジアの国境に行きました。
会社を休職して約4ヶ月、持っていった金が無くなり、日本に帰ってきた時には残り数千円になるまでタイにいました。
 バンコクに着いて、今でいうNGOのボランティア団体から指示され、カンボジア国境の町アランヤプラテートへ行って、井戸堀りチームに参加するためバスに乗り込みました。真東に約5時間、その時は誰かと一緒に行ったのだろうか?覚えていません。
 アランヤプラテートは正に国境の町で、柵がある訳ではないが、国境にある2車線の道路の向こう側は沼やジャングルで、ベトナム兵の鉄カブトが遠くに見える日がある、という話しもありました。平和な時代は人や物の往来の盛んな宿場町なのでしょうが、カンボジアの領土の大半がベトナム軍に占領され、ベトナム傀儡のヘン・サムリン政府軍と、東北部の山岳地帯で抵抗を続ける三派連合(ポル・ポト派、ソン・サン派、シアヌーク派)軍と激しい内戦状態にある今、国境はすっかり閉ざされています。それではさぞかし町はさびれているだろう、と思いきやアランヤプラテートは戦争特需で沸きかえっていました。町は日々膨張し、バンコクよりも遥かに新車や高級車が多く、免許が簡単に取れるため、毎朝道ぞいに車がひっくり返っていたり、半分にちぎれて燃え残っていました。速度制限なんてないからメーターも引きちぎれ、とばかりアクセルを踏み、追い越しは命がけのチキンレースでウィンカーなんか使う奴は見たこともない。
 なんで?何故そんなに景気がいいの。その答えは2つ。ひとつは町にタイ軍の兵隊が大勢駐屯していたこと。TASK FORCEなんてアメリカ軍みたいな名前で1ヶ月置きに部隊が交代し、緊張に顔を強張らせて最前線に出ていく。タイ軍が交戦している訳ではないが、前線には至る処に地雷(対人、対車両)が埋まっているし、実際偶然からベトナム軍との間に戦闘が発生して半日間に渡ってタイ軍が負け続けたことがありました。ちなみにタイの兵隊は国境に出て最初の2~3日は緊張しているが、一週間後には村娘をナンパし、パンツ一丁で沼に入って小魚を取っていました。
 町が景気のよいもうひとつの理由は、宿舎になった家の隣にたむろしている兄ちゃんたちを観察すると分かります。昼間は酒を飲んでごろ寝、ギターなんかボロボロ鳴らして全くのプータロー集団なのだが、夕方から急にゴソゴソ動き始めて、ダンボール箱をトラックに積み込んだりし始めます。そう、兄ちゃんらは密輸団なのです。酒・タバコ・食糧・衣料・生活雑貨に医薬品。タイにいて普通に金を払えばいくらでも手に入る品々を、何もかも足りないカンボジア側に持って行って何倍にもして売るわけです。代金は金、宝石、アヘン、アンコール時代の骨董品なども含まれていたのでしょう。これは相当に儲かると同時に極めて危険な商売です。前線には地雷がいっぱい、商売相手はいつ強盗に変わるか分からない。
 アランヤプラテートの夜は、毎晩打ち上げ花火のように遠方でロケット砲が炸裂し、音と光が地平線でビカビカし、酔っぱらったタイ兵が空に向けて撃つピストルのパンパンパンパンという乾いた音がしょっちゅう鳴っていた。実際自分がここに来るきっかけとなった事件は宿舎のすぐ裏の小さな木橋でおきていて、その記事が小さく日本の新聞に載りました。夕方NGOの女性リーダーをかばって、メンバーの日本人男性がタイ人の強盗に撃たれて死んだ、という事件です。
 宿舎は木造一軒家で高床式。一階は洗濯物を干したり井戸端会議をするスペース、屋根
から落ちる雨水を大きなかめに溜めて水浴や炊事に使っていました。水道水もありますが、フレッシュな雨水の方が冷たくてきれいです。大家のおばあちゃんとその娘たち、子供と犬がいっぱいいます。食事と洗たくは大家のおばちゃん達がやってくれます。
 国境井戸堀りチームのボスはミノダさんといって、30代後半、厚木辺りで工場の機械修理をしていた人で、ここの前はバングラデシュで仕事をしていて、もう何年も日本に帰っていないそうです。他のメンバーは大学生中心で女の子が一人、元過激派の無口な男性、貧乏旅行中に参加した旅人などで、サラリーマンから参加したのは自分が始めてだったそうです。後に勤め人はちゃんと連絡をする、とほめられました。最初にその家に着いたのは夕方で、早速作業から帰ってきたばかりのメンバーに紹介されました。そこでボスのミノダさんと話しましたが、説明と雑談の後、「何からやりましょうか?」と聞いた時にミノダさんの言った答えがこれでした。
 「君さあ、自分で金払ってここに来たんだろう。何をするか自分で考えて、仕事は自分から作り出していくように。」「へっ」これには驚きました。意表をつかれた。この日まで、仕事は決まっていて上から与えられ、それを的確にこなしていくものだと思っていた。そこに創意工夫を加えるにしても、仕事そのものを自分で考えて作り出す、なんて発想はなかった。学校の勉強だって、大学の卒業論文以外は全て与えられてきたものばかりだった。
 昼間は井戸掘りの作業でしたが、休みの日も含めてたくさんの余った時間で僕らが考えて作った(ほとんど作ってもらった)のは、宿舎の警報装置(周りがぶっそうなので、2ヶ所あるドアを夜開けると接点が外れブザーが鳴る。誤作動が多くてうるさかった。)と、
水の濾過器(雨水がきれいなので実際に使う必要はなかった。けれども満足)でした。

邯鄲の夢 - 第一夜

2014年12月05日 16時42分16秒 | 夢十夜
1. ほめ殺し

 私は大学を出て直ぐに宝石屋となり勧めるスタ、世の中の表裏をちょっと覗いて、セールスの厳しさ、面白さ、空しさを知りました。主に大手百貨店を通して、そこの社員といっしょに外出して、社員のお客さんに宝石をイルでした。年に2回それぞれ一ヶ月程、催事と称して7人位でチームを作り、大都市を順々に移動します。
 催事の際は、各売り場の新入社員の女の子まで最低一回は外出しなければならないので、デパートの社員も大変です。行く所が無くて自分で買っちゃう子もいます。宝石以外に、時計だの着物だのと次々に催事があるから、親戚や知り合いが少ないと苦労します。
 催事のときの宝石屋はたいてい2社、時には3社が競合して販売するのですが、或る地方都市でライバルの会社に凄腕のセールスマンがいました。仮に彼の名前をKとします。Kは私達の会社より古くからそのデパートに入っていて、催事を行わない時にも宝石売り場に常駐する、そのデパートのエキスパートでした。デパートで良く売る社員は、その人のとっておきの顧客、医者や社長さんの所へはKとしか回ってくれません。催事の時に集合するKの会社の他のセールスマンは、特に大したことは無かったのですが、K1人の活躍でいつも6対4くらいの割合で売上げに負けていました。
 Kを何とかしなければならない。引き抜くほどの待遇は出せないし。では、「ほめ殺しでいこう!」という極秘指令が社長から出ました。作戦はトップシークレット。チームの各人はさりげなく、されど確実にその役割を果たしていきます。
 外商に出る社員の主だった連中を相手にKのことを話題にして褒めます。「とてもKさんには敵わない。」と具体的な話しを混ぜて持ち上げます。本人のKに対しては、会う度に褒めちぎります。人間歯の浮くようなお世辞に案外弱いものです。それだけで食っている太鼓もちという商売もある位ですから。最初は「何だ、こいつ等」と思い警戒していたKも、第三者から自分のほめ言葉を伝え聞くと悪い気はしません。
 ここでKは乗りのりになり、売り上げは絶好調となるのですが、ほめ殺しチームはじっと耐え機会を捕らえちゃほめまくる。この作戦は時間がかかるんです。効果は次の催事、つまり半年後くらいからじわじわと出てきます。だいたい気が大きくなって、「このデパートの宝飾売り場の売り上げは俺が作っているんだ。」というのが態度に出てきます。これは多少の真実は含まれていますが根本的に間違いです。デパートの、のれんの力が9割なんです。独立してみれば分かります。個人で相手にしてくれるお客さんは10人に1人しかいません。第一これはプライドの高いデパートの社員に一番嫌われることです。Kも充分心得ていたはずですが、すでにガードが甘くなっているんですね。Kと一緒に良い顧客を回っていた社員も、しょっちゅうKの良い評判を聞かされるとしだいに面白くなくなってきます。「俺が紹介しているのに。俺の客なのに。みんなあいつの手柄かよ。」となる訳です。
 その辺りを見極めて、ほめ殺し作戦は徐々に変貌していきます。「○○医院の奥さん、今年はヒスイでしょう。ちょっと値は張るんですがビルマ産の極上品があるんでちょっと見てもらえませんか?」「でもあそこは毎年Kと売ってきた所だから。」「ああ、そうですよね。でもお客さんには良い物を売りたいでしょう。とにかく良い品なんで、見るだけ、見るだけ見てくださいよ。」
 Kも売り上げを数字に入れていた大事な客が取られたり、周りの空気がよそよそしくなったように感じ出したらもうお終い。疑心暗鬼に陥り自信を失ってきたセールスマンなんて、放っておいても崩壊するが、水に落ちた犬はたたけ、今までに掛けた時間を早回しして少しでも取り戻すべく、チームは仕上げにかかります。
 もう褒めない。それどころか、口をそろえて悪口を言う。「最近変わりましたよね、あの方、この前もあんなこと、こんなことーーー」気の毒なKはすっかり色あせ、3期=一年半頑張りましたが、そこで転勤になり去って行きました。
 ほめ殺しチームはひそかに集まり祝杯をあげ、Kの論評なんぞをします。そしてチームはこっそりと解散します。「Kは何であんなに売ったんだろうね。」「それ程弁のたつ奴では無かったな。」「まずあのスーツがシックで格好いいよな。」「やっぱ見た目か。」「会社もバックアップしてたよな。いい石売ってたもの。」etc