木祖村 Gリポート

木曽路や木祖村の話題を報告します。木曽川源流の里の議員日記。

木祖村平成20年6月定例議会/一般質問1

2008年06月22日 | 木祖村議会と議員
6月18日 木祖村平成20年6月定例議会
 星梓の一般質問および村の答弁の内容は以下のとおりです。

Q1:史跡鳥居峠の県指定・国指定へ向けて

Q(星):
 昨年6月の私の一般質問に対して、村長は「文化財は観光資源の一つでもあり大いに活用すべき。保護だけでなく地域で引き継いでゆく」との方針を示されました。
 村の一番の観光地といえる鳥居峠には、古代の吉蘇路に始まり、中世の古戦場、近世は中山道木曾街道随一の難所としての歴史があり、御嶽遥拝所の宗教民俗、芭蕉句碑といった文学史跡も複合しています。また菊池寛の「恩讐の彼方に」の舞台にもなり、様々な詩歌や紀行文にも紹介されています。この他樹齢数百年のトチノキ群生地をはじめ、分水嶺であることから日本海側・太平洋側両方の植生を併せ持つ自然環境も貴重であります。
 鳥居峠は井出孫六氏の著書「日本百名峠」にも紹介されていますが、このような歴史・文化・自然と、豊富な要素を併せ持った峠は、木曽郡内では他に類をみないと断言できるものであります。

 現在鳥居峠は、1971年に信濃路自然歩道、1980年に自然環境保全地域に指定されております。しかし前者は「長野県信濃路自然歩道設置要綱」に基づいて指定されたもの、後者は自然環境の保全を目的としたもので、保護と同時に利用増進を図ることを目的としたものではございません。また、いずれの場合も、文化遺産としての評価や史跡としての対外的な価値を高めるまでに至っていないのが実情でございます。

 本年、ようやく村ではこの史跡鳥居峠の県指定文化財への申請に着手することになりました。県指定の史跡となれば、対外的にも名実ともに史跡として評価が高まり、地域の活性化や村民の意識への波及効果は大きいと思われます。
 まずは、その具体的スケジュールの説明、早い場合はいつごろの指定を見込んでいるかについてお伺いいたします。

 次に、現在この木曽郡内で、国指定・県指定史跡や有形文化財を持たないのは、この木祖村だけです。
 本年3月政府与党は2011年までに「道州制基本法」を制定し、都道府県に代わる広域自治体は「2018年までに道州制に完全移行」との方針で進んでいるという話がありました。このままですと史跡鳥居峠の位置づけは他町村より低く、将来的には国・県の保護等から切り捨てられるおそれもあります。
 そこで、史跡鳥居峠をどのような形で次世代へ遺してゆくのか、今後国指定文化財への申請へ向けて、村長の意欲と村としての方向性についてお聞かせ下さい。

A:(村長)
 鳥居峠は古来から東山道・中山道の難所であると同時に古戦場としても有名で、様々な史跡が残っており、昭和47年に「木曽の鳥居峠」が木祖村文化財調査報告書として発刊しています。昭和48年には村指定文化財にしているが、旧信濃十名所や信濃路自然歩道中山道ルート、自然環境保全地域や日本の峠100選などにも指定や選定を受けているわけであります。

 鳥居峠については文化財関係者の皆様により長野県の史蹟名勝天然記念物の指定を受けてはどうかとの話があり、現在内部でそれぞれ検討を進めておりますし、県の指定をうけるべく準備を進めています。
 指定となれば県の文化財保護法の適用により、保護・保存には一定の制約をうける反面、修理・保護・保全経費等について補助をうけられる面もあり、県レベルで文化的価値を認め保護していくことになる。村指定でとどめおくより、さらにその上の指定をいただけるのは非常に価値があるので是非とも進めて行きたい。そして、いずれは国の指定にもっていければ良いと考えている。

 県の指定は長野県文化財保護委員会の答申を受けて長野県教育委員会が行なう。その審議会が9月に行なわれるということなので、間に合うように申請ができるかと。まずは前段階として7月15日に県の文化財や生涯学習課担当者が鳥居峠の現地や裏付資料や報告書等を調べてゆくことになっている。順調に進めていけるように努力してゆきたい。
 現在、鳥居峠を含めて薮原宿を歩く人が増えてきている。史跡を県や国指定に断固してゆくことは、訪れる方々により興味をもってもらえることでもあり、薮原宿についても大きな材料になるので、全体的な流れの中で国指定・県指定がいただけるように努力して参りたい。

C:(星)
 薮原宿の活性化も、鳥居峠の地域遺産価値やその活用と切り離して考えることはできないと思うので、将来的には是非とも国指定へともっていけるようお願いします。




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