元祖・東京きっぷる堂 (gooブログ版)

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音楽室5号 第22章

2021-07-09 06:54:30 | 音楽室5号

 


第22章
(裏のパワーの外側の庭先で猫が死んでいた)



少女

『もう三十年も昔の話です。

 一人の少女が旅に出ました。

 夕陽の中、土の道を自分の足が踏む音に耳を澄ませて歩きました。

 海の彼方で太陽が焦げていました。

 草が動いていました。


 少女は以前に親しかった人々、親しくなかった人々、過去の生活の中で行ったり来たり蠢く人々を忘れようとしていました。

 しかし時々、涙がそうさせまいとする事もありました。

 出てきた時のままのブルージーンと白いシャツで小さな緑色のリュックをかついで、なるべく人気のないところを歩き、食べ物は小さな村や町のマーケットで得、殆ど野宿をして旅を続けました。

 お金は盗んだのが百万円ありました。

 ある夕暮れ、市道から遠く離れた畑の農具入れの小屋の中、くもの巣の下で少女は死にました。

 少女が歩いた道、眠った畑も、今はすっかり近代化が進み、車両通行の多いアスファルト道路になり、当時の面影はありません。

 もう三十年も昔の話です。

 私は少女の旅の途中、三回会い、短い話をしました。

 とても素直で天使のような女の子でした。


“土の表面に私の影が漂います。夕焼けがまた始まります。とてもステキ。”


 最後にこう言って少女は大きな樹の青い影の中へ緑色のリュックを元気よくかついで消えていきました。

 彼女の絵を一枚、私は持っています。

 彼女が旅で出会った絵描きの老人の作品で、彼女は私にそれをくれました。

 今でも大事にその絵はよく見える場所に飾ってあります。

 ごく平凡な絵です。

 陽差しの中、少女が、お花畑に立って何となく悲しそうに笑っています。

 私が死んだら、もう誰も少女の旅の事なんか憶えていないでしょう。

 もう三十年も前の事なのだから。

 絵だって私が死んでしまったら、売られるか、焼かれるか、無い事が全てです。

 私の家はその頃、東京の山の手の高級住宅地にありました。

 父も母も元気で金の奴もかなりあったようでした。

 私は大学生で人と話をしない青白い死人のような青年で、父の会社の人達や親類の人達の目は私の事をいつも情けなさそうに見るか、不満と怒りのようなものまでちらつかせていました。

 私は大学四年の時、親や親戚たちに貰って貯めておいた預金がかなりありましたので、それを資金に家出をしました。

 他人とは殆ど口を利きたくありませんでした。

 食料と水をたくさん買って、あまり人の来ない野原(そこからは海がよく見えました)にテントを張って長い間、住み着いておりました。

 毎日、私は昼下がりの長い影を引きずって断崖の下の誰も来ない綺麗な砂浜へ縄梯子で降りてゆき、読書をしました。

 少女は三度、そこへ私に会いにやってきたのです。

 少女とは誰とも話した事のないジュリアン・グリーンの小説について語り合いました。

 少女は実に真剣でした。

 少女の瞳は透んでいて、時にはピンク・ゴールドに輝いて見えました。

 もう過ぎ去って時の風に削られた私だけの遙かな思い出になった少女の事。

 今、思い出す昔の幻影。

 夏が始まりかけた頃、私は少女の死を知りました。

 蝉がうるさくて腹が立ちました。

 まるで少女の死は蝉たちが、うるさく鳴くからのような気がしました。』




 旅人の話は、それで終わりました。

 彼は大きな欠伸をして、そのままの姿勢で市長さんの後頭部をガツンと殴りつけまして、その拍子に市長さんの点の様な口から威厳のこもった判決が飛び出しました。

 


 


「無罪だ!。」

 





KIPPLE



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