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元祖・東京きっぷる堂 (gooブログ版)

あっしは、kippleってぇケチな野郎っす! 基本、自作小説と、Twitterまとめ投稿っす!

「雨族」 断片40-風のなかで眠る女:「7章・大時計」:kipple

2010-01-11 00:15:00 | 雨族(不連続kipple小説)

ようこそRAIN PEOPLES!超バラバラ妄想小説『雨族』の世界へ! since1970年代


               「雨族」
     断片40-風のなかで眠る女
           「7章・大時計」


 空が、ぼうっと黄色く光っている。

 俺は、いつもと同じ足どりで、いつもと同じアーケードを抜け、いつもと同じような光景を横目で見ながら帰路を行く。夏の夕暮れ。

 どろっとした空気がいつもと同じような雑踏を包み込み、いつもと同じような澱んだ暑さが俺の身体にまとわりつく。

 同じような毎日、同じような仕事、同じようなヌメッとした人々、同じような喧騒。

 いったい俺はいつからこんな時間の中で毎日を送るようになったのだろう?この風景はいつから続いているのだ?

 俺はいつもと同じ、くすんだグレーの背広を脇に抱え、少しネクタイをゆるめ、白い半袖シャツにうっすらと汗をにじませて陽炎みたいにゆらゆらと歩いている。

 ゲーセンのけばけばしい音がようやく薄らいできた暑さを掻き乱し俺をいらいらさせる。このクソ馬鹿面した群衆は、いったい、いつから蔓延っていやがるんだ。ダラダラ・ダラダラしやがって。自分もその中の一人であることが胸くそ悪い。

 俺は結婚している。結婚していて子供も二人いる。いや?確かに結婚しているはずだ。そして、子供も・・。

 ??おかしい。俺は三十三歳だ。二十五歳で結婚して二人の子供がいるはずだ。女の子だ。俺は父親だ。五年前に買った2LDKのマンションに一家四人で暮らしている。長女はもう小学生だ。

 ・・・ったと思う。

 この延々と続くヌルヌルとした粘着質の生活が、俺を少し混乱させているのだろう。頭の回りが何だか、ぼんやりとして女房の顔も娘たちの顔も思い出せないのだ。この長い暑さのせいかもしれない。

 このアーケード街。いつもと変わらぬ、ぼんやりとくぐもった雰囲気。変わらぬ商店群。本当に五年前だっけ?ここに越してきたのは。もう一世紀も前のような気がする。何かがおかしい。

 ひょっとして頭?いよいよか?生きている気がしない。淡々と毎日という作業を繰り返しているだけだ。みんな錯覚の中を自動的に動いて生きている事にしているんだ。俺と同じだ。

 そう思うと何だか、すっとする。そうさみんな生きていると思いこんでいるだけさ。実は、そこには何もないのに。いや・・・・

 ぶるっ、ぶるっと俺は頭を振った。馬鹿な、少しおかしい。きっと疲れているんだろう。体の調子はいいし、仕事も相変わらず適度にこなしている。自覚はなくても、どこか神経の奥深くで相当疲労しているんだ。

 ストレスか?しかし俺は適度にギャンブルをしたり運動をしたり、年に二回くらいは海外にバカンスに出かけてもいる。浮気相手も二人ぐらいはキープしてある。それでも、どこかで人生に飽きてきてしまっているのだろう。

 日常と非日常。これが両方とも単調な繰り返しになってしまい、両方でストレスを、ため込んでいるのかもしれない。六時に起きて食事をし、会社で働き、同じ路線で通勤し、このアーケード街を通って帰宅する。

 日曜日にはプールで体を鍛え、たまに長い休暇が取れると女房には仕事と偽って同じように東南アジアに不倫相手とバカンスにでかける。

 それは、両方とも単調な繰り返しに過ぎなくなってしまっているんだろう。この二つの繰り返しの他に、もうひとつの何かが必要なんだ。たぶん。

 少し、いつもと違うことをしてみようか。何を、しようか?思いつかない。些細なことからでいい。とりあえず、帰り道を、いつもと変えてみようか。少しは気分も変わるかもしれない。

 このアーケード街には、たくさんの入り組んだ細い路地がある。俺は、いつもこの大通りを通って帰るのだが、今日は、そこの時計屋の角を曲がってみよう。そこの路地はあまり通った覚えがない。

 ・・・まてよ。時計屋?こんなところに時計屋があっただろうか。隣の本屋も、正面にある靴屋も毎日お馴染みの店構えだ。ああ、暑い。俺はシャツを広げて汗ばんだ自分の胸を触った。

 夏のけだるい夕暮れ時に、みなれない、今までこの通りにあったのかどうかも定かでない時計屋に遭遇する。俺は不思議な気持ちだ。

 もしかしたら、これもストレス?女房たちの顔をよく思い出せないように俺の記憶が所々ずれてしまっているのだろうか?

 いやいや、冗談じゃない、ここは、うんざりするほど毎日、眺めているところだ。ひょっとしたら、こんなことから俺の生きるという、この飽き飽きした世界と人生の閉塞状況から、もう一つの何か、何かの突破口が、いや、その糸口が見つかるかもしれない。

 待てよ、俺は大丈夫か?突破口なんて本当に必要なんだろうか。ちょっと疲れてるだけで夏も過ぎれば、こんな事考えなくなるんじゃないか?

 全ては、この、肌から内蔵に脳髄に染み込んでくるような食虫植物の触手のような、黄ばんでくすんだ、このじんわりとコールタールを空中に滲ませるような、この夏の暑さのせいかもしれない。

 豚の内蔵に閉じこめられたような暑さ。

 このまま、いつもの通りに帰宅して女房の作った夕食を娘たちと一緒に食べ、その後で、こっそりと不倫相手に電話して次の性交場所を連絡してみる。帝国ホテルだったら喜ぶかな?そして、ぐっすりと寝て明日になれば、もうこんな事は考えずに、いきいきと日常にダイブしてゆく。きっとそうだ。

 そう考えながらも俺は、その時計屋の前で腕組みをして立ち止まっていた。やはり、気になるのだ。

 何かこの場所、今の時代に、いやこの世界にあってはいけないモノ・・・そんな気が拭えないのだ。古ぼけている。狭っくるしい入り口のガラス戸に、墨で馬鹿でかく「時計店」と書かれたブリキの看板が張り付いている。

 俺は汗を拭いながら、暫くガラス戸越しに狭苦しい店内を覗いていた。そのうち、やはり、この時計屋は俺の人生に重要な何かを与えてくれる、そんな思いが再び後頭部のあたりから身体中に広がっていくのを否定する事が出来なくなってきた。

 我慢が出来なくなってきた。ここには、俺を待っている何かが絶対にある。さあ、入ろう。

 俺は、この時計屋に、今までこの通りには決して無かったはずの古ぼけた門構えをした、この店に入らなければならない。その思いが、ほとんど、強迫的なまでに高まっていくのを俺は感じている。

 あたりは依然としてブヨブヨとした不愉快な夕暮れの暑さの吹き溜まりだ。俺は、今にも戸を開けて飛び込んで行きそうになる自分を抑えて、ガラス越しに細長く奥行きのある店の様子を観察し続けた。

 ガラスの向こうにはアンティックな木製机が置いてあり、ほとんどのスペースを独占している。机は右側のコンクリート壁にくっつけられて、その奥は灰色の板仕切りに遮られていて見えなくなっている。

 天井にはチカチカと明減を繰り返す蛍光灯が奥の方まで、ずらずらと並んでいて店内を映画のコマ落としのように照らしている。夕暮れの黄色く、くすんだ光と混ざり合って奇妙な静寂空間を演出している。

 異空間だ、俺はそう思った。

 同時に俺は、やはり、どうかしている、ただの時計屋じゃないか、という考えもよぎった。しかし、この時計屋の醸し出す、異様なまでの強迫的な吸引力には、もう逆らえそうもないことを俺は知っていた。

 これは、ただの時計屋じゃない。間違いなく、俺にもう一つの何かを与えてくれるに違いない。そう、ただの時計屋じゃないことは明らかなんだ。だって、さっきから一度も店主及び店員らしき人物を目撃していない。

 それに、何といっても時計屋なのに細長い店内の壁に沿って並べられた机には、ただ一つの時計も見あたらないじゃないか。ここは時計屋だぞ。なぜ、時計も腕時計も一つもなく、いや時計どころか、何も陳列されいないのだ?

 今時の時計屋ならサングラスやらアクセサリーまで売ってるじゃないか。レジもなければ修理道具の一つもない。絶対に妙じゃないか。

 次第に、俺は何も置いてない陳列机の向こう側、すなわち板仕切りの裏側がどうしても気になってきた。

 いったい、あの裏側には何があるのか?仕切りの奥へと続く、蛍光灯の明減によりチカチカと瞬いている細長い通路は、どこへつながっているのだろうか?果たして時計はあるのだろうか?

 ふと、その時・・この店・・ひょっとして営業していないのではないのか?それとも、その古めかしい外見は、古くからある店ということではなく、営業作戦の一つとして、今、開店準備中なのかもしれない・・と思わないでもなかったが、もう誰も俺を止めることは出来なかった。

 俺は一度、深呼吸をすると、ぐっと顎をひき、ガラガラとガラス戸を開けて店の中に飛び込んでいった。

 そして、次に、全ての今まで俺のいた世界から、自分自身を完全に引き剥がすかのように、とても素早く自然に自動的に、ガラス戸を(しゅーぅううぅぅぅぅぅぅ、ピシャ!)と見事に完膚無く閉めていた。

 そして、身体がビクッと硬直した。

 静寂を予想していた店内は、とてつもない巨大な音に満ちていたのだ。巨大な一つの音に。

 


  カチッ かちっ カチッ かちっ・・・    
                                                      』

 

 静寂を予想していた俺は一瞬、鉄パイプでぶん殴られたような気分になり大きくのけぞってしまった。

 まったく、このガラス戸は完璧な防音効果を備えているらしい。この馬鹿でかい音は少しも外には漏れていなかった。やはり、ただの時計屋ではなかったのだ。そして間違いなく、この店は時計屋だったのだ。

 頭のてっぺんからつま先まで、身体中を突き刺してくるようなこの音。キーンッッ・・と残響音を俺の耳の中で渦巻かせる、この音・・・秒針だ。これは秒針が一秒一秒、時を刻んでいる音だ。

 店全体に響きわたり俺の身体まで振動させる、巨大で強力な、時を刻む秒針の音。

 これは絶対に幻聴じゃない、現実に聞こえる生の音だ。アンプで増幅され、スピーカーから出力された音ではない。

 俺にはわかる、こんなにくっきりと突き刺さってくる音が再生音であるわけがないし、幻聴なら身体まで振動しやしない。

 俺は音による蠢動と同調して、身震いした。そして、響きわたる鋭角的な秒針音に身を任せて、暫くじっと狭くて奥行きのある店の中を、観察した。

 蛍光灯の瞬きが、まるで秒針の音に合わせているかのように感じられた。そうしていると俺は次第に、このとてつもない秒刻みの音に慣れてきた。

 それどころか、『カチッ カチッ』と乱れなく続く、鋭く透明感のある音に妙な清涼感を覚えるようになってきた。

 そして、その妙な清涼感は俺を行動に駆り立てた。もう我慢できなかった。あの仕切りの裏側が見たい。どうしても見たい。

 俺は板仕切りの向こう側を目指して、ゆっくりと忍び足で音を立てぬように歩いていった。何だか、この秒針音の他に音があってはいけないような気がしたからだ。

 何も置いていない陳列机に沿って狭い通路を進み、板仕切りに辿り着くと、そぉ~っと、その裏側を覗いてみた。

 何も無かった。板仕切りの裏には何も無く、ただ、そこからさらに細長い通路が店の奥へと続いていた。

 俺は、何となく、もう引き返せないなと思い、そのさらに奥へと続く蛍光灯がチカチカと明減し続ける細長い通路を進んでいった。

 秒針を刻む巨大な音は相変わらず鳴り続けている。きっと、この巨大な音の正体が、この細長く薄暗い通路の奥にあるに違いない。

 どのくらい歩いただろう?ゆっくりとだが、かなりの時間、俺は、この通路を進んでいる。しかし、相変わらずこの細長い通路の奥が見えてこない。何だかちっとも進んでないような気さえする。

 こんな小さな時計屋だ。いくら細長く奥行がある店だといっても、こんなに距離があるはずがない。歩けど歩けど、いくら進んでいっても通路の奥に到達できない。

 そんな事があるわけがない。おかしい。やはり疲れているのか?ストレスなのか?それで感覚がおかしくなっているのか?

 何でもストレスのせいにしてしまえば都合がいいか?けっ!それとも俺は本当に何かこの世のものならぬ場所に迷い込んでしまったのか?

 その時、どこかで近くでギギギギギギギィィィィと何か扉の開くような音がして、声が聞こえた。

「あんた、この世界時計の音を聞きにきたんだろう?」

 声のした方を見ると、ちょうど俺のいる数歩前におそらく地下室へ続いていると思われる階段が出現していた。そうか、地下室か。今の音は地下室への扉を開けた音か。

 そして、このどこまでも続くかのような通路の床にその入口があったということだ。カモフラージュなのだろうか?何故、そんな事を。

 とにかく通路の床にカモフラージュさせた地下室への扉を薄汚れた作業着を着た男が持ち上げて、細長い鉄の棒で、押し上げられた扉を、固定し、地下室の入口は完全に開かれた。

 そして、その男は地下への階段の上でつっかえ棒になっている細長い鉄の棒に寄りかかりながら、俺の事を哀れみの混じったような目で見て、言った。

「なあ、憶えているだろう?私はここの店主だ。ほら、昔、よく、あんた、時計の修理に来たじゃないか。忘れちゃったかい?まあ、無理もないな。あんたは、とっくの昔に死んでるんだよ。気づいてないだけで。」

 俺がとっくに死んでいる?何を言ってるんだ、この男は?だいたい、こんな男、全く記憶にない。薄汚れた作業着を着た時計屋の店主?俺が昔、ここに来て、この時計屋の店主によく壊れた時計を直して貰った?

 分からない。そんな事があったような気もするが全く思い出せない。

 それにこの店主と名乗る男の顔は変だ。特徴が無い。よく見ても、ちょっと目を離せば、すぐにどんな顔だったか忘れてしまう。憶えているのは薄汚れた作業着を着ている初老の男という事だけで、どんな顔だか思い出せない。

 特徴が無いんだ。全く完璧なまでに顔に特徴が無いんだ。男は続けた。

「私の後をついてきなさい」

 そう言うと店主は、トントントンと早足で地下への階段を降りていった。俺はただ言われた通りに店主の後を追いかけた。

 地下には何があるのか?店主は世界時計と言った。それじゃ、さっきから俺が聴いている秒針を刻む音は世界時計が刻んでいるのか?それは何だ?

 地下には世界時計がある。少なくとも店主の言葉からは、そうとしか察しようが無かった。まさか音だけが鳴ってるなんて事は無いはずだ。

 とにかく俺は、この秒針を刻む巨大な音の正体を確かめる事以外、何も思い浮かばなかった。ここが、どこなのか、あの店主は何者なのか?俺は何をしているのか?そんな事は全て、どうでもいいことだ。

 あの音。あの音の正体を知りたい。あの音を刻む時計を見てみたい。

 階段は長かった。店主は身軽にスイスイと降りていくが、俺は先に何があるのか分からないという不安感もあって、次第に身体の動きがぎこちなくなり、何度か転げてしまいそうになった。どんどん、どんどん、階段を降りた。

 いったい、どのくらい下りているのか?この階段はまるで地球の中心部にまで続いているんじゃないか?地球のコアまで。すると、今、俺は、地表からどのくらいの深さまで到達しているのだろうか?

 と、思った瞬間、目の前が急にひらけ、明るくなった。

 しばらく、その明るさのため目がおかしくなったが、時計屋の地下深くには広大な空間が広がっているのが分かった。まるで、東京ドームくらいのでかさに思えた。

 目が慣れてくると、そこはやはり巨大なホールになっていて、どこから光源を取っているのか天井や壁や床全体が真っ白な輝やきを放っていた。

 あまりにも、その真っ白な輝きが強烈だったために、そのホール全体に渡って置かれているものが何なのか最初は良く分からなかった。

 しかし、さらに目が慣れてくるにつれ、輝く白一色の広大なホール内の空間から、じわじわと数え切れない程の黒っぽい形が滲み出し、その姿を明らかにしていった。

 そこには数万と思える時計があった。壁にかけられた時計、宙吊りにされた時計、棚の中に収められた時計、床に並べられた時計、天井に設置された時計、そして、その何万もの時計は全て柱時計だった。

 俺には分かった、ここにある時計は全て柱時計だ。そして、全ての柱時計は一糸乱れぬ正確さで動いている。一糸乱れぬ正確さで、ここにある全ての柱時計の秒針が音を刻んでいる。

 これだ。全ての柱時計の針は秒針・分針・時針ともに、ピッタリと同じ時刻を指し示し、時を刻み続けている。この音なんだ。幾万もの柱時計が一糸乱れぬ正確さで時を刻む音。

 俺は何だかホッとした。

 あの秒針が一秒一秒を刻む巨大な音は、ここで、こういう具合に、鳴っていたんだ。そうなんだ、これだけの数の柱時計の針が一糸乱れずに一秒一秒を刻んでいれば、あの鋭角的で巨大な秒針音も理解できる。

 秒針も1ミリたりとも狂っていない。完全に一致した時を刻んでいる。おそらく店主はそれが自慢で支えなんだろう。

 見事だ。俺は店主を誉め、そして訊いた。

「見事ですね。これが世界時計という事なんですね。いったい、これは、どういう仕組みになってるんですか?何か秘訣でも?」

「ふむ、ふふふ。実はね、実は実は、誰にも言っちゃダメだよ。この五万六千七百八十九個の柱時計は全て一つの中心に繋がっているんだよ。デジタルの柱時計もアナログの柱時計も全て心臓部から発せられる、ある特殊なパルスに導かれているんだよ。もとは一つさ。」

「なるほど、もとは一つですか。だから一糸乱れぬ正確さなんですね。」

「そうなんだよ。はい。一糸乱れません。あんた、今、0.000001秒くらいはズレてるかなと考えただろうが?1ミリたりともとか。いやいや、0.000000001秒も0.00000000000001ミリとかも、いやもっと小さな単位でさえナンセンスだ。ズレというのは有り得ないんだよ。ここにある全ての柱時計は完全に一致した時を刻んでおるんだ。デジタルもアナログも」

 デジタル?店主はそう言うが、俺には、その五万六千七百八十九個の柱時計、全て、アナログに見えた。いや、実際全部調べた訳じゃないが何となくそういう気がした。

 と言うか、俺は別にデジタルとかアナログとかにこだわってるわけじゃなくて、店主がデジタルの柱時計とかいう言葉を発する、その裏に何かをまだ、肝心な何かを隠してるんじゃないか、デジタルだアナログだとかいういかにも混乱を誘発しそうな言葉で俺を誤魔化そうとしてるんじゃないのか、そう思ったのだ。

 そこで、何となく薄々見当がついていた俺は訊いて見た。

「心臓部ですか。それは、どこに?どこにあるのですか?」

 案の定、店主は何だかオドオドし始めた。そして小さな囁き声で俺に耳打ちしドームのちょうど中心あたりを指差した。

「あそこだよ。でも、あそこには絶対に行っちゃいけないよ。ここまでだ。これで終わりにしようよ、な。ここはな、蜃気楼の世界なんだよ。だいたいね、今、あんたは生きてると思ってるんだろうが、今現在、あんたがあると思ってる現実、あんたの家族、毎日、仕事、生活、全て。この世界は、蜃気楼に映った遠い過去なんだよ。過去から未来への途上にある巨大なレンズの中。今、あると思ってる全ての世界は、密度の高い時空間に映し出された過去の風景なんだよ。お分かりかい?そもそも現実なんて、とっくに無いんだよ。」

 店主は何を言ってるんだろう?そもそも、この男は店主だっただろうか?見た事も無い顔だ。全く特徴が無い。この世界は蜃気楼で現実ではない?冗談じゃない。俺は五年前に買った2LDKのマンションに女房と子供と四人で暮している。

 俺は今、三十・・・、あ、三十何才だっけ?女房?いるよな。子供だって、、、、。おかしい。思い出せない。さっきも、こんな感じがした気がする。ここは、どこだっけ?さっき、俺は、どこかを歩いてて、ここに入ったんだ。この時計屋に。

 待てよ、俺は又、この店主らしき男に惑わされているじゃないのか?そうだ、店主の奴は、このドームの中心部、そこに全ての柱時計を制御している心臓部があると言ったな、そして、そこへ行くなと。

 じゃ、行ってやろうじゃないか。はっきりさせよう、この世界は現実だ。ただ俺は疲れていて、こんな妙な場所で妙な体験をしているから混乱しているだけなのだ。

「ここが過去の風景を映し出している蜃気楼の中なら、その心臓部とやらは何だ?この世界の全てを、その五万六千七百八十九個の柱時計を制御している心臓部が蜃気楼の世界を作り出しているとしか思えないじゃないか。じゃあ、それを壊してしまえばいい。全て、もとに戻る。」

 と言い、俺はスタスタと、さっき店長が指し示した方向、ドームの中心部に向かって歩いていった。

「おい!待て!殺すぞ!」

 と背後で店長が叫ぶ声がしたので、思わず振り向くと、薄汚れた作業着の中から店長はマシンガンを取り出して、俺に向けて構えた。何?冗談じゃねぇ。

 と思いっきりドームの中心部に向かってダッシュした、その瞬間・・・鳴った。


ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!ボーン!


 耳がつんざけるような轟音が一糸乱れぬ正確さでドームじゅうに響き渡った。

 俺は急いで駆けながらあたりの柱時計を見た。全ての柱時計の針は秒針・分針・時針がピッタリと重なり正午を示してる。いや午前零時なのか?

 背後から絶叫が聞こえた。この世のものとは思えぬ絶叫が。

ぎゃあああああああああああ!ぎゃぁぁああぁぁあああああああ!あぎゃぁぁあああああ!」

 俺は走りながら、秒針・分針・時針がピッタリ重なった無数とも思える柱時計をちらちら見ながら、いよいよ狂いはじめる兆候を感じた。全ての柱時計が爆発的に狂ってしまう兆候を。

 店主は全てを知ってるんだ。違いない。狂う。俺は、猛ダッシュをかけ、ひたすら店主の指さしたドームの中心にある心臓部を目指した。

 背後の店主の絶叫が次第に遠くなっていく。追いかけてこないようだ。何かが起きたのだろうか?俺をマシンガンで撃ち殺すんじゃなかったのか?

 何だか風が吹いている。あれが心臓部なのか?俺は走るスピードを落とし、その心臓部とやらに近付いていった。近付くにつれ、何故か風の勢いが強くなってきた。

 強い風の吹く中、ついに俺は心臓部に到達した。心臓部は床にしっかりと固定された透明なガラスのケースだった。近付くと、そのガラスケースの中で眠っている女が、はっきりと見えた。

 俺は、その透明なガラスケース越しに顔を近づけて、中を覗いた。

 彼女は気持ちよさそうに、ゆっくりと目覚めた。

 俺は彼女を注視していたが、あたりが変化し始めたのに気づいていた。店主がマシンガンをブッ放しているのが遠くから聞こえた。

 俺は何だか店主の言っていた意味を理解した気がした。

 ガラスケースの上部が開き、パッチリと目を開けた女がゆっくりと身体を起こして立ち上がった。

 もう、その時には、このだだっ広い白いホールの中の五万六千七百八十九個の柱時計は全て、デタラメに狂いはじめていた。

 遙か向こうで店主がマシンガンで手あたり次第に柱時計を破壊していた。あきらかに店主は発狂していた。

 突然、女がしゃべり始めた。

「ずっと前の事よ。暗い地下でね。半仮死状態でね、半覚醒状態。でも、よく見つけたわよね、ここ。でぇ、本当に来ちゃったんだ、真に偉大な雨族さん

 俺は絶句した。そうか。そういう事か。もう何も言う事はない。すでに、ここの風景は以前のものではない。

 あたりの様相がどんどん変わっていく。

---ここは地下のコールドスリープルーム。物凄い強風が吹き荒れている。柱時計の針は全てデタラメに狂って猛スピードで回っている。---

 瞬く間に全てが形を変えてゆく。

 真っ白なだだっぴろいドームだったのが、次の瞬間には強風が吹き荒れる狭くて暗い冷凍睡眠ラボに変容し、デタラメに狂って針を回し続けていた五万六千七百八十八個の柱時計が急速に収縮した空間に弾かれるように消滅し、一つだけ無造作に足元に転がっていた。

 そして、その一つだけ残った柱時計には、針が無かった。時針も分針も秒針も。

 しかし、その強風の吹き荒れる狭く薄暗い狭間に、ちらっと青い海と小高い丘の島と草原が見えたような気がした。

「私はあなたの世界を制御していたのよ。でも、これで終わりね。これから平等な現実が再開するわ。平等とはなによりも冷酷ということよ」

 俺は風のなかで眠る女が、そう言うのを聞いてから、すぐ近くに出現した扉を開けて時計屋の通路に出た。

 扉を閉める時、中で、風のなかで眠る女が長い髪を強風になびかせながら、気持ちよさそうに伸びをしているのが見え、こう言うのが聞こえた。

「はぁ。眠るたびに、歳を取るわ。」

 狭い通路を歩いて店の表から入ってすぐの陳列机のところに戻るとマシンガンを抱きかかえた店主が床に横たわっていた。

 そして、店主はかすかな声で俺に言った。

「俺は、全ての柱時計を破壊した」

 そして、店主は、マシンガンの銃口を自分の顔面に密着させ、足で固定すると、親指で銃口を引いた。

 ズガガガガッガガッガガガガガガッガ!

 店主の首から上は細かく吹っ飛んで、小さいのやら大きいのやら色々のヌルヌルした赤黒い肉塊が、陳列机の上に散らばった。

 そして、一瞬にして、世界は終わり、俺も消滅したが、その一瞬の間に時計店のガラス戸から全てを飲み込む灰塵を見た。いや、全てが灰塵に帰すのを見たと言うべきか。

 とにかく、地面から空の天辺、おそらくこの世の中心の核から全宇宙津々浦々にわたって巨大な壁のような灰塵が出現し、猛スピードで全てを消していった。一瞬の間に、それを見た。いや、単に一瞬にして全宇宙が灰塵に帰しただけなのかもしれない。

 でも、俺には、天と地を繋ぐ巨大な壁のような灰塵の層が、ズドドドドドドドドドドと超スピードで壮絶に押し寄せて、ビルも人も山も海も電車も空も宇宙も記憶も何もかもを消してゆく様が、あんぐりとデカイ口を開けた途轍もない怪物が全てを飲み込んで喰い尽くしてる様に見えた。

 一瞬の間。

 そして、俺は消え去る最後に、心の底から、こう思った。

 

“みんな死んじゃえ!みんな死んじゃえばいい!全部、ぶっ壊しちまえ!何もかも全部、完全にブッ壊れちまえばいい!世界なんか消えちまえ!何もかも全部、消えちまえばいい!全部、無くなっちまえ!もともと何にもありゃしねぇんだ!こんな世界、全部、無しにしちゃえぇええええええぇぇっ~!”

 

ボーンボーンという大時計の響くとき、風のなかで眠る女が目を覚まし、全ては消え去るのです。








断片40     終


This novel was written by kipple
(これは小説なり。フィクションなり。妄想なり。)


「雨族」 断片39-風のなかで眠る女:「6章・パリのまねき猫ついにあらわる」~5.夢の洪水:kipple

2010-01-10 00:12:00 | 雨族(不連続kipple小説)

ようこそRAIN PEOPLES!超バラバラ妄想小説『雨族』の世界へ! since1970年代


               「雨族」
     断片39-風のなかで眠る女
           「6章・パリのまねき猫ついにあらわる」~5.夢の洪水


 アパートに着くと僕とクロエは煙草を2・3本吸ってから求め合った。

 約十年振りの女は刺激的だった。地獄落ちのような感覚だった。

 僕は、どこにいくんだろう。

 クロエは僕の横で赤ん坊のように、すやすや眠ってしまった。僕も睡眠薬を三錠と抗鬱剤を飲んで眠りについた。そして恐るべき夢の群れが僕を襲った。

 ああ、この世界、僕の内面界はなんて不思議なんだ、奇妙なんだ、不可解なんだ。どうして、このような奇怪な夢の数々が突如として僕を襲うんだろう。ここ、数年間、夢を見たことなんてあっただろうか。

 きっと、約八年間、溜まりに溜まった夢が、今夜の出来事をきっかけに大挙して押し寄せてきたんだ。

 現実より現実的に。夢想より夢想的に。とてもリアルに。

 すべての夢の中で、最初に、こういう言葉が響き渡る。

(全てはとっくに終わっているんだ。早く死ね。早く死ね。)

*** *** *** *** ***


『ガチャメ猫の夢』

 夢の中で僕は定時まで仕事をし、郊外の閑静なマンションに帰りビールと薬物を飲み、野球中継を見て眠り、休日は、ごく平凡な女の子と映画を見に行き帰りに高層ビルの最上階に行ったりして生きている。それ以上の事は何もない。

 ある夕暮れ時、僕はJR駅の改札口の近くで待ち合わせをしている。人々がひっきりなしに行き交う。平凡な光景。おそらく午後4時頃だと思う。オレンジ・ゴールドの陽が人々の影をのばしている。

 切符販売機の近くにある大きなアイボリーの柱に僕は寄りかかって待っている。今、勤めている会社の連中がちらほらとやってきて僕に挨拶をする。十人くらいが集まり、僕を取り囲んでザワザワと何かを話している。

 僕も最初は皆と普通に談笑しているのだが、彼らの背後にある青ペンキで塗られた鉄のゴミ箱の中で何かが蠢いているのが気になってくる。談笑している仲間の影でよく見えないが確かに何かがゴミ箱の紙屑の中で動いているのだ。

 僕は嫌な予感がして見ないように目をそらしているのだが、ついに、はっきりと、その何かを見てしまう。

 ゴミ箱のへりから顔を覗かせているのは目の焦点の合わない猫だった。

 猫の両目は上下左右にバラバラに揺れ動きいっこうに調子を合わせない。体はあちこち毛が抜け落ちて皮膚病にただれている。そして汚らしく黒ずんで見える。

 僕が慌てて目をそらすとガチャ目の猫はカサコソカサコソとゴミ箱の中を音をたてて動き、僕の視界の隅に飛び下りてくる。

 とたんに会社の連中は僕の存在に気づかなくなり僕と猫だけが人々の知覚からポッカリと放逐されてしまっている。

 そして、誰もが談笑している中で僕は猫に襲われるのだ。

 僕は人々の間をぬって逃げ続ける。ガチャ目の猫は凄まじい薄気味悪さとスピードで僕を追い回す。

 それが延々と続き、その夕暮れの空間からは一歩も抜け出ることは無い。誰も救けてはくれないしガチャ目の猫の追跡は決して容赦しない。

 猫のディストーションのかかったような気味の悪い声が僕の頭に響き続ける。

「わたしは、パリの招き猫」


*** *** *** *** ***


『島と丘の夢』

 これが、とても奇妙な夢なんだ。デジャヴに似ている。どこか別のところで、別の僕がいて、その別の僕が既視感に襲われているような感じなんだ。

 僕は小高い崖に囲まれた小さな島にいる。どこだかは分からない。岸壁の上は緩やかな丘が続いている。そして丘は広い草原に全体をおおわれている。

 少数の分厚い雲がゆっくりと青空を流れ太陽が信じがたいほどたっぷりと金色の陽光を大気に溢れかえらせている。

 僕は草原に立っている。微細で細長い草の中で限りなく陽光を浴びて立っている。

 時間と言う概念が消失している。

 いつのまにか誰かが草原の彼方から歩いてくるのに気づく。背格好は僕に似ているが顔の特徴がつかめない。どんな顔だか、よく見ても分からない。すぐに忘れてしまう。

 僕自身なのかもしれない。だって、僕自身はどんなによく見てもよく分からないのだから。

 彼は日差しの中を容赦なく、グングンと僕に近付いてきて、いきなり両手を広げる。僕の目の前に、まるで壁のように広げる。

 当然、僕は、その手を見る。その手には穴が開いている。そして、僕は、その手のひらの穴の中に自分自身の記憶の人物風景を見た。

 兄弟や両親の顔が見え、親しかった友人たちの顔が見える。彼らは実に醜い顔をして、向こうから僕の事を見ている。僕を汚い虫を見るように見ている。

 グレゴール・ザムザみたいな気持ちになる。彼らは現実の僕を、もしかしたら、あの毒虫に変身してしまったザムザのように思っているのかもしれない。

 そして、手のひらの穴の向こうの人々が揃っていっせいに僕に向って言葉を吐く。

「そんなに醜い姿で、まだ生きているの?何度、言わせるつもり?だから、早く死になさい。早く死ね。全てはとっくに終わっている」

 すると、急に足元が崩れ始め、僕は凄まじい勢いで落ちてゆく。落ちながら上を見ると、真っ黒な天空にポッカリと穴が開いていて、その穴の淵から、さきほどの特徴のない顔が覗いている。

 どんどん落ちてゆくと、今度は辺り一帯が青空で、下を見ると、さっきの丘が見えてくる。回りは青い海だ。

 僕は滑空している。滑空しながら横滑りに、その丘に着地する。強い風が吹き、短い草が揺れている。

 そして、丘の広い草原を歩いて行く。ふと、自分の両手を見ると穴が開いている。

 歩き続けてゆくと、草原の中ほどに誰かが立っているのに気づく。背格好は僕に似ているのだが顔の特徴がつかめない。

 僕は、どんどん彼に近付いていって、いきなり穴の開いた両手を彼の目の前で広げてやる。

 すると彼は実に醜い表情を浮べ足元に開いた穴に落ちてゆく。僕は、地面に開いた穴から凄まじい勢いで落ちてゆく彼を見ている。

 ずっと見ているうちに地面の穴は消え、僕は草原に立っている。信じ難いほどきらきら輝く金色の陽光を全身で浴びながら立っている。

 そして、いつのまにか誰かが草原の彼方から歩いてくるのに気づく・・・。


 これがずっと繰り返されるのだ。


*** *** *** *** ***


 そして、最後に『大時計』の夢が来る。






断片39     終


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(これは小説なり。フィクションなり。妄想なり。)


「雨族」 断片38-風のなかで眠る女:「6章・パリのまねき猫ついにあらわる」~4.こころ、ハック:kipple

2010-01-09 00:43:00 | 雨族(不連続kipple小説)

ようこそRAIN PEOPLES!超バラバラ妄想小説『雨族』の世界へ! since1970年代


               「雨族」
     断片38-風のなかで眠る女
           「6章・パリのまねき猫ついにあらわる」~4.こころ、ハック


-遙か彼方から-

 端末から赤いセラミック結線をバイオ加工して後頭部に開けた穴から、いわゆるティモシー・リアリーのポテンシャル・サーキット神経系に接合した。

 僕はモニターを凝視していた。モニターは“READY?”と赤い文字を点滅させている。

 僕の心臓は波打っていた。

 いよいよ、僕は数値化された電子の沃野に突入するのだ。

 このウイルス・ソフトは信頼できる。

 僕は確信している。なにせ“イパネマの娘”が三ヶ月間費やした作品なんだから。

 “イパネマの娘”は、あの世界最後の予定の日に死んでしまったが、彼女の天才は永久に僕と共にある。僕は彼女の天才をダリの天才指数よりも遙かに信じきっている。

 “READY?”

 僕は、ためらわず実行KEYを押した。

 目に見える世界が消滅し、僕は“イパネマの娘”のウイルス・ソフトを経由して端末から自分の内宇宙に突入した。

 現実が消失し星々がみえた。扇形に広がる電子の世界に僕は浮遊していた。星々はデータだ。

 僕がめざすのはアカシックレコードのデータだ。そのには“僕の心”が登録されている。

 強力なプロテクトに閉ざされ、封印されている。

 “僕の心”を僕は、とても知りたい。

 “僕の心”は、いったい何を欲していて、どういう状態にあるのか?

 “イパネマの娘”の作ったウイルスは、やはり優秀だった。鉄壁のプロテクトを次々と突破し、僕は瞬く間に封印された“僕の心”に辿り着いた。

 しかし、僕は封印を破って“僕の心”に侵入する前に撤退を決意した。

 “僕の心”に侵入するまでもなく、僕には分かった。とっくに手遅れだったんだ。

 “僕の心”はレベル5の雨族に分類されており、さらにとっくに壊れている事が、防壁外部から見ただけで分かった。

 それはもう、真っ暗でバラバラでグチョグチョでメチャクチャで手の施しようもないくらい壊れていた。

 封印を解いて修復をするにも、僕にはその手段が無かった。

 もし、“イパネマの娘”が生きていたなら“僕の心”修復ソフトを作ることができただろうか?

 やはり、もう、どうしようもないのだろうか?

 僕は、涙をボロボロ流しながら、アカシックレコードから撤退した。






断片38     終


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「雨族」 断片37-風のなかで眠る女:「6章・パリのまねき猫ついにあらわる」~3.話していい事と~:kipple

2010-01-08 01:01:00 | 雨族(不連続kipple小説)

ようこそRAIN PEOPLES!超バラバラ妄想小説『雨族』の世界へ! since1970年代


               「雨族」
     断片37-風のなかで眠る女
           「6章・パリのまねき猫ついにあらわる」~3.話していい事と、話しちゃいけない事


「まず、私の五年間の恋愛の崩壊から話さなくちゃならないわ。五年前のある夜、私達はお互いにとても強く引き寄せ合ったの。私も、その人も何だか運命的なものを感じたの。私は、その人に必要だと言われたの。そして私は信じたのよ。何もかもね。そして、そうする事が物凄くうれしかったわ。私は、その人の何もかもを受け入れ、何もかもを与えたわ。いつも一緒だった。凄く楽しい時間だった。そして五年後に、こう言われたの。{僕は君を恋人だとは思っていないよ。友人としてじゃなくちゃ関係は継続できない}って。もう終わったんだってことよ。私は死んでしまうと思ったわ。それが三週間前の事よ」

 僕は何だか嫌な気持ちになってきた。僕はめったに人を好きにならない人間だけど三十三才にして雨族脱出をはかる身としては、もうそんな事を言っている場合じゃないんだ。

 僕はもうクロエの事を好きになっていた。今まで人を好きにならなかった分のツケを取り戻してやるんだ。強烈にクロエを好きになってやる。

 そんな心理が働いているのが分かる。今しかないんだぜ、おい。おまけにクロエは僕のためにやってきたと言っている。だから彼女の過去の恋愛に僕は嫉妬してるんだ。彼女が好きだから嫉妬してるんだ。

 僕は嫌な気持ちになるという事がなんだか嬉しかった。僕は、やめときゃいいのにもう少し具体的な状況を彼女に質問した。

「その男は何やってるの?」

「ミュージシャンよ。ライブに出ているの。ギタリスト」

「君は彼の何を受け入れたの?」

「全てよ。考え方から、ロックの聞き分け方から、口の利き方から、服装の好みから、SEXから、何もかもよ。洗脳されたわ。たっぷりとね。それが今のあたしよ。あなたが、もし今、私のことが好きになってるんなら、それはその人のおかげよ」

 なるほど、理屈だ。皆、同じ事を言う。電車の吊り革の女性誌の広告に書いてあった。その人の過去をあなたは許せますか?現在、その人がいるのは過去があったからこそ・・・何てね。

 胸が何だかキリキリしてきた。彼女はもうスポイルされてしまった。僕は、こういう話を目の前で事実として展示されてしまうと、死にたくなる。だから事実は嫌いなんだ。彼女が悪い訳じゃない。あまりにも僕の心が雨族化し、屈折してしまっているせいなんだ。

 僕は二・三度、頭を濡れ犬のように振った。それ以上は聞きたくなかった。僕は冷静に話を進行させようとした。

「で、五年間の恋愛が崩壊して何が起きたの?」

 彼女は遠くを見るような目から僕をリアルタイムで見る目に戻った。悲しそうだ。

「で、三日前に私は死んじゃうかなと思っていたらUFOに出会ったの。夜、家で窓から星を眺めていたら突然目の前に出現したのよ。白い卵形の巨大な物体が。そしてUFOは瞬時にして収縮して白い服の男と入れ替わったわ。たぶん組成変更を行なったんだと思うわ。UFO・イコール・白服の男。わかってきたでしょう。その男がシャングリ星人の「ラ」よ。彼は、こう言うの。{君を必要としている男がいる}ってね。その男に会ってくれって。それから私がこれからの私のためにもそうしなければいけないと言うのよ。私の崩壊からまだ余韻の渦中にある五年間のその人との恋愛感情は、別の人間を精一杯好きになることによって解放されるって言うの。その人への思いを断ち切るために今君を必要としている男を好きになれって。何だか、情けないくらいにありふれた言葉なんだけど、異星人が言うと説得力が違うわ。「ラ」は全知だけど、私には未来がどうなるのかなんて分からない。そしてね、私は選ばれた重要な構成要素なんだって。私があなたと一緒にいる事が人類を崩壊から救う重要な一要素となるんだって。タイムリーだったわ。私たちの恋愛がうまくいっていれば決して私はあなたと会いになんて来なかったわ」

 彼女は一息をついた。もちろん話はまだ終わっていない。彼女は冷め始めたビッグマックに四回目の噛みを入れて、アイスコーヒーをごくりと飲んだ。

 僕は彼女の話を整理しようと思った。まず、彼女は五年間の何もかも捧げた恋愛の終焉によるショックで死ぬほど悲しい思いをしていた、しかし恋人への想いは断ち切れていなかった。そこへ「ラ」が現われ彼女を必要としている男がいる、と言った。想いを断ち切るためには、その男を好きになることだ、おまけに人類まで救う事になると、言った。

 ふん、ふん。「ラ」はクロエを外見で選んだな。クロエの過去が僕を呪うだろうって事なんか分からないだろう。まあ、いい。クロエは僕の昔のガールフレンドに似ている。そっくりだ。とてもインパクトの強い言葉を残していった女の子の一人に。

 僕の雨族化を救うのには過去のそういった女性関係から素材を得るべきだと、短絡的に「ラ」は考えたに違いない。僕の雨族化の始点から解きほぐす必要があると思ったんだろう。

 「ラ」は全知だが、どう見ても利口には見えない。外見だけ持ってきたって、僕の十四年前のガールフレンドが僕に雨族の予言をした気味の悪い記憶がその意味を失い、僕の中のしこりが一気に消え失せてしまう訳じゃない。

 必要なのは何らかの僕自身の行動なんだ。彼女は彼女であり、僕は僕である。分かり切った事じゃないか。僕だけの思考世界に散弾を撃ち込むように彼女の話が再開された。

「ちゃんと聞いて!自分の世界から出るのよ!いい?あたしはあなたの空想の産物じゃないのよ。いい?「ラ」は私にこう言ったのよ。{その男は一人で暗い森に入ろうとしている}。あなたの事よ。あなたには異星人の味方だっているんじゃない。あたしだって、こうしてやってきたのに、自分の世界ばかりに埋没しちゃ駄目よ」

 僕はそれは違うなと思った。

 僕は僕の世界から生涯出ることは出来ない。僕は僕の世界で思考を繰り返して物事を判断していくしかない。彼女だって、そうしているはずだ。僕は僕の世界で思考を繰り返す事の多い性質なのだ。それは僕の運命であり、僕の自由であり、止める事は出来ない。

 ひとつの世界の中に人々がいるんじゃない。個人個人の無数の世界が混ざり合ってひとつの現実世界を構成しているんだ。問題は他人の世界を受け入れなくなるって事なんだ。僕はクロエの世界もちゃんと受け入れなければいけない。そういう事だと思う。

「あなたを一人で暗い森に入らせないようにする。そのために私は来たのよ。「ラ」は私に選択を求めたの。君を必要としている男に会いに行くか、終焉を遂げた恋愛の余韻の中で暮らすか。二日後のこの時間までに決めておくれ、と「ラ」は言って去っていったわ。実は私は夢を見たと思っていたの。それに、もし本当だったにしろ、そんな見ず知らずの男に会いになんか行くわけないと思っていたわ。でも、今から五時間くらい前に「ラ」が私の部屋の窓辺に現われて、空気中に穴を開けて、その穴を掲げながら{どうする?}って変な顔をして聞くの。その時、私の頭に幻聴が聞こえたの。こうよ。{お前は雨族だ、雨族は人を愛せない、人に愛される事もない}ってね。わたしは頭を振って「ラ」に行くって合図をしたの。「ラ」は穴をわたしにかぶせたわ。その瞬間にわたしの頭には「ラ」によって擬似的な記憶が焼き付けられたみたい。あなたと、あなたのガールフレンドたちとの雨族に関する会話の記憶よ。あなたは、その一人が言った通りに雨族になっちゃったのね。雨族って一人で暗い森に行こうとしている人の事なのね。あたしも、なりかけてたのね。とにかく気が付くと私は、あのバーであなたが一方的に{干渉するな}なんて話し掛けてくる訳よ。あなたは「ラ」と話していたようね」

 そうか。「ラ」は僕の視覚に直接ビジョンを投影してきていたんだ。実際には彼女がいたんだ。会社の連中が見た空中から滲みだしたってのは空間移動なんだ。

 クロエは自分の家の部屋から吉祥寺のバーに移動した。まあ、それはそれで、いい。しかし僕にはどうしても気にかかる事がある。はっきり言って彼女が五年間付き合ってきた、その男の事だ。

 男としてはあたりまえである。何が何でも当たり前だ。男は貞淑を求めるのだ。僕はごく古い考え方をする人間だ、僕はクロエ、キミに出会ったばかりにしろ女の貞淑さを求めてしまう。

 僕は彼女との現在の話を通り越して実質的な面に触れざるを得なかった。雨族ってのは、永遠にそうなんだ。

「そうして僕らは知り合ったんだ。それは、それでいい。世界は、しかたがないで、あふれているんだ。それからの話を進めよう。君が僕を好きになったとする。僕も君を好きになったとする。そのようにして君は恋人同士として僕と{僕が暗い森に入らないようにする}為に何かを始めるとする。僕たちは恋人同志だ。僕はもう君の事が好きになっているんだよ。五時間ちょっと前に君は僕をヒットした。聞くけど、君はどう?会ってがっかりした?やめて家に帰ります~ぅ?僕の事、好きになりそうですか?」

 クロエは弾けるように笑った。僕はドキドキした。まるで僕の生死が、彼女の返事如何で決定されてしまうような気がした。

 ふと気づくと家族連れ二十二組たちは音も立てずに、一人残らず消えていた。サルガッソー海域でトーストと湯気の立ったコーヒーを残したまま乗客や乗組員が消えてしまった船の中みたいだ。僕たちだけが、この広いマクドナルドにいる。白く店内だけが周囲の闇の中に浮き上がっている。

 クロエは、力強く言った。

「好きになったの。もう。今夜からずっと一緒よ、いいわね」

 僕は何か腑に落ちなかった。変だ。この女は、少し焦ってるのかもしれない。崩壊した五年間の恋愛のせいだろう。

「君は前のその男をきちんと自分の世界から削除したのか?君がそうだとは言っていないけど、もしまだ友人としては交際するつもりだとか、まだ彼にひょっとしたらなんて気持ちを持っているとか、僕が駄目なら彼の元へ帰るつもりだとか、まだ、彼のライブには行くとか、まだ、彼の成功を心から祈っているとか、そんな気持ちの女が多い。冗談じゃないよ。もし女の側に次の恋人を望む意志があるんなら何もかも前の恋人の全てを消去するべきだ。記憶さえも失うんだ。そうじゃなくちゃ、君はいいかもしれないけど君の次の恋人になる男に対して、とても失礼な事だよ。僕はそれが正しいと思う。まして、それができなければ結婚なんて考えられない。フェアじゃないと思う。僕は真剣で厳しいんだぜ。想像力も豊かなんだ。もし、君が僕の言った通りの気持ちを抱いているとしたら気持ちが悪い。君は甘い。君は僕の前の男ときっぱりと縁が切れるか?僕は馬鹿じゃない。僕にも嫉妬の感情がある。君と付き合っていて、君と前に深く付き合っていた男の幻影に悩ませられるなんて嫌だ。絶対、嫌だ。君は少なくとも僕だけの君自身でいてほしい。誰かにスポイルされたままの君はいらない。オリジナルが大切なんだ。そして君をもう好きになってしまったからこんな事を考えてるんだ。結婚までね」

 と、長い話の苦手な僕が一気にしゃべっていた。僕は必死なんだな。雨族の人生をいかにして回避してゆくか。クロエとやっていけるか、はっきりとさせねば。

「その通りよ。そう考えているわ。でも思い出も記憶も消すなんて不可能よ」

 ショックだった。胸が苦しかった。皆、そうなんだ。みんな、虫のいい事ばかり考えていて雨族の心を傷つけるんだ。みんな軽い。軽い。みんなジェイソンに殺されちまえ。彼女は、きっぱり切れないタイプなのだ。後々が凄く面倒そうだ。僕は耐えられないだろう。

 僕は静かな声で言った。

「不可能じゃない。その男と関わりのある全てを焼却するんだ。ひとつも残さずにだ。バンドのデモテープも何もかもだ。しばらくすれば名前も顔も思い出せなくなる。そして、いっさい会わない事、声も聞かない。彼は君の世界から完全に永久に消滅したと念じる。これで思い出の80%が消える。もちろん君が他に恋をして結婚しようなんて考えているんなら、これは実に当たり前の事だ。僕の知り合いたちは、ほとんどこのようにして生きている。これが出来ないのは、自分勝手で相手の事を本当に愛してはいないからだ。本当に相手を思い遣っていないからだ。このようにしない人たちもいる。しかし、このようにしない人たちは愛が強ければ強いほど、お互いを傷つけ合ってドロドロしたまま別れてゆく。いいか、どうしても女は前の男と比較をする。それに始終耐えていける男はまず、いない。残りの20%だが、それは君が僕の前で、スポイルされた考え方や価値観に基づく言葉を吐かなければ、消える。これは動かし難い大前提だ」

 僕は息を切らせてしゃべった。クロエの表情が次第に屈折してきた。

「わたしには出来ない。縁を切る事なら、自然に切れるわ」

 僕は呆れた。

「君は分かっていない。自然なんて不確定な事を信じられると思う?僕から言われたから切ればいいってもんでもない。自分の意志で切るんだ。きちんとした男女間の意識を持つんだ。そうしなきゃ、君は誰かの愛人としてしか生きてけないよ。それで、いいんならいいけど。少なくとも僕に関しては、出来ないんなら駄目だ。僕は自力で結局は雨族化と戦わなければならないんだ。さっきは、とても感動したが、今はドツボさ」

「それって私を許せるか許せないかって事でしょう?」

 とクロエは真剣に僕に聞く。

「許せるか許せないかっていう問題じゃない。それは僕の生涯にわたって取りついて離れない呪いの一つなんだろう。君は生涯で一番美しく輝いた、その恋愛を、そっとしまって大切な思い出として一生過ごしていく事ができる。しかし、それは僕にとっては呪い以外の何ものでもない。許せるかではなく、どうやって呪いを断ち切るかという問題なんだ」

 僕は何やらとてもゲスな事を言っているような気がして虚しくなってきた。彼女は考えを変える気はないんだ。あたりまえと言えばあたりまえだ。狂ってるのは僕の方なんだし。彼女は彼女であって、僕のものではない。どうしても耐えられないのなら僕が拒絶すればよいのである。

 僕の狂ったこだわりによって、全てはパーだ。それがどうした。やはり僕は僕なんだ。

「わたしには同じ事のように思えるわ」

 クロエはそう言って少し考えて、顎をきゅっとひきしめて言った。

「あなたは自分の選択を他のもの、呪いなんてものに押し付けているのよ。卑怯よ。勝手に押し付けられる呪いのほうが可哀相だわ。あなたは私の事だけじゃなくて他のすべての問題を呪いという不確かで責任の無い言葉に押し込めて逃げているんだわ」

 そうかもしれない。そう思うこともある。結局、僕の世界を変えていけるのは僕自身しかいないって事だ。僕がいろんなものに確執して僕を閉じ込めているだけの事だ。

 雨族とは、そういうものなのか?自分が自分にかけた呪いのことなのか?自分に対する強大な劣等感を解放する為に行動する事を恐れているんだ。群がる不安に敗けているのだ。

「君の言うとおりかもしれない。僕は僕自身から逃げ出す事によって、呪いを自ら引き込んでいるのかもしれない。僕は、いったい、どの時点で、どこへ行ってしまったのだろうか」

「そうよ、そこよ。あなたは、まずあなたを探す事を始めるべきなのよ」

 出た。自分探しだ。結局はいつも、そんな事を思ってきたような気がする。そう、みんな自分を探しているんだ。探して探して、そのうちに、ある日突然、死んでいってしまうんだ。プツリとね。

「僕は、もう三十三才だ」

「そう、すぐに三十六才になって、四十才になって六十才になって終わっちゃうわ。何もつかめず、何もせず。雨族特有の絶対的な孤独と苦しみのなかでね」

 とクロエは言う。

 僕は静かに悩み苦しみ底無しの「どぶ」に落ちていく。やばい。身体の底の方から、どす黒い泥濘質の雲が広がりつつある。という事は正気を完全に失いつつあるって事だ。おまけに、もう手持ちの薬が無い。くらくら、してきた。くそ!僕自身を探す?僕は三十三才だ。自分が、どんな奴かを考えるには十分過ぎる年だぜ。違うんだ。僕が今すべき事は、自分がどんな奴かじゃなくて、自分がどんな奴だったかまたこれから自分がどんな奴になれるかって事を見極めるんだ。でも、それが自分を探すって事じゃないのか?ああ、どうどうめぐりだ。他の事を考えよう。僕よりも彼女の事だ。なぜ彼女は、こうして僕を助けようとしているのか。どうして僕は彼女の援助を借りて「ひとりで暗い森に行く」のをふせがなけりゃならないのか。ここには何の力が作用しているのか。なんて不思議な世界だ。この世に救いは無いかもしれないけど、救いの前兆はあるのかもしれない。前兆だけ。なぜ前兆がやって来るのか?なぜならば、求めているからだ。そうなんだ。僕が求めているから彼女はやってきた。彼女が求めているから僕がいた。じゃ、「ラ」は何なんだ?引き合わせ役か?次元を越えて僕と彼女を繋ぎ合わせにやってきた。流星号!流星号!恋のキューピッドは流星号!そんな恋のスーパー・ジェッターみたいな奴なのか?いや、違う。奴も僕らに別の次元でかなわなかった救いを託しに来たんだ。求道的トライアングル関係。それは、どこに行くのだろう?人類の滅亡?僕と彼女に、それはすべて託されたとさ・・・・・

「ほらほらほら。また、自分の世界に入ってる。押し黙っていったい何を考えているわけなの?行動しなけりゃ何も始まらないわよ」

 その通り、分かっている。行動しなけりゃ、どうにもならない。でも行動していけるかどうかを、まず考えてしまう。じっと籠もって考え続ける。他人に迷惑をかけるのが恐ろしいのかもしれない。

 ずっと昔思ったものだ。ホールデン・コールフィールドが考えたように誰もやってこない片田舎に唖と聾のふりをして小屋を建てて住もうと。隠匿したくなるという考えは僕の宿命的な性格のパターンなんだ。でも、思いきって踏み切るほどの強さも無い。

 僕は言ってみた。

「それじゃ、まず何をするべきなんだろうか?」

 クロエは、きっぱりと言った。目を、爛々と輝かして。

「わたしを迎え入れるのよ。あなたのアパートにね」

 僕は、これ以上ややこしい事を考えるのが嫌になったので軽く同意した。

 そして、こうして僕とクロエの同居生活が始まった。僕らはマクドナルドを後にしてタクシーで僕のアパートに向った。

 僕の頭には重い霧がたちこめ、他には何もなかった。嫉妬だけを除いて。それは彼女の強さに対する嫉妬だ。彼女の過去に対する嫉妬だ。そして嫉妬とは憎しみである。






断片37     終


This novel was written by kipple
(これは小説なり。フィクションなり。妄想なり。)


「雨族」 断片36-風のなかで眠る女:「6章・パリのまねき猫ついにあらわる」~2.クロエ:kipple

2010-01-07 00:14:00 | 雨族(不連続kipple小説)

ようこそRAIN PEOPLES!超バラバラ妄想小説『雨族』の世界へ! since1970年代


               「雨族」
     断片36-風のなかで眠る女
           「6章・パリのまねき猫ついにあらわる」~2.クロエ


 スポンとイカの子が生まれるように店を飛び出し、僕は人けの無い方角に歩き始めた。

 外気は夏の始まりの薄い匂いに満ちていて、夜の溜め息のような微風が吹いていた。ここは吉祥寺だ。今日は金曜日だ。今、歩いているのは水道道路だ。そして、いったい今夜の僕には何が起こったのだろう?

 空気中から過去の亡霊が滲み出てきて{遊ぼう}だ。僕は正気か?ジントニックとクロルジアゼポキシドが混ざって幻覚が出たか?会社の連中には「ラ」が見えなかったのか?彼女は本当に僕が十九才の時に寝た彼女なのか?二十五才で娘を連れて突然、消息を絶ってしまった、あの女の子なのか?

 いや、違う。彼女ではない。だって若過ぎる。彼女は僕と同い年だから三十三才か四才のはずだ。空気中から滲み出た女の子は、どう見ても二十歳くらいだ。そう、ちょうど僕に向かって「雨族よ」と言った頃の彼女だ。

 どうした事か?僕は暗い気分に陥られずにはいられない。ピル・ケースからアトラキシンを2ミリグラム分出して飲んだ。過去の呪い。中枢が痺れていく快感を感じながら僕は背後に寒気を覚えた。オーラを感じた。

 背後だ。そうか、彼女は店からずっと僕のあとを追ってきたんだ。彼女は実在するんだ。すぐ、後ろにいるんだ。ならば、直接、彼女自身にその正体を聞き正してみればいいじゃないか。

 僕は自分の出した結論にとても深く納得してしまった。う~んと唸って、月を仰いだ。月は真っ黄色の小さなバナナに見えた。

 僕は湯上がりの和服美人のような格好で振り向いた。 いた。彼女だ。

「や、や、やあ」

 と、僕は言った。胸が詰まりそうだった。水道道路を黄色いタクシーばかりが流れていく。次に僕が何かしらとんでもない事を言いそうになる前に彼女が口を開いた。

「私の名前は、クロエ。そして、これから当分の間、私はあなたを助けていくの。あなたのためにね」

 僕は、めったに感動しない人間だが、この時は鳩尾が熱くなり、ぶるぶる震えた。

 この世界は、なんて不思議なんだろう。なんて無秩序で冷酷で不公平で優しいんだろう。涙が流れた。僕は黙って彼女の言葉を噛みしめた。

 しばらく、いや、かなり長い間、僕らは沈黙して並んで歩き続けた。その間に僕は、ちらちらと彼女を観察した。ジーンズに奇妙な模様がプリントされた薄い紫地のTシャツ。そして黒い革靴に素足を突っ込んでいる。

 彼女を見ていると夜の大気がドクドクと脈打っているみたいだった。環状8号線に出る頃、やっと僕らは、ぼつぼつと話し始めた。閉めた後に、蛇口から漏れる水滴のように。海底に降り積もるプランクトンの死骸のように。

「私の言った通りになったでしょ」

 と彼女が言い、僕は震えた。

 でも、充分、予測していた。僕はあの時の彼女の言葉を思い出す。一生何も分からずに何も分かろうとせずに僕は取り返しのつかない事になる。雨族になる。

 この女は何者だ?

「君の言う通りになった」

 と僕は答えてしまい、彼女は満足げにうなずいた。最終電車の走行音が聞こえた。

 この女は何者だ?僕はいくら考えても分からなかった。で、さっきのアイデアに従って素直に聞いてみた。

 素直が一番。

「僕はいろいろと君に聞きたい事があるんだ」

「ナーニ」

 と彼女は言った。

「まず、君は何者だ?」

 彼女は簡潔に答えた。

「私は私よ」

 なるほど、その通りだ。間違いない。僕は、もうすこしましな聞き方をした。

「君は十四年前に僕と交際していた女なのか?」

「全然違うわ。私は十四年前は十一歳よ。それは、あなたの勘違いよ。私は過去のいつの時点にもあなたと交際なんかしていないわ。私は違う人とずっと愛し合ってきたわ」

 僕は思わず分裂しそうになった。じゃあ、何が君の言う通りになったって言うんだ?何だか途方もなく複雑になりそうな気がした。

「じゃ、何が君の言う通りになったっていうんだい?」

「雨族」

 と、きっぱり、即座に彼女は答えた。

 彼女は 「ラ」 による僕へのプレゼントである。僕は、いろいろと彼女に質問するのを断念することにした。そして、こう考えた。

 彼女の一部は僕の脳髄に蓄積された三十三年間のデータを素材にして構成されている。顔、身体、年令、記憶。殆んどが僕に雨族化を予言した女の子のものだが、彼女は僕の知らない彼女自身の過去も抱え込んでいる。

 つまり、彼女は十四年前に僕と交際していた女の子の記憶を受け継ぎ、現在二十五才である彼女自身の記憶の裏面に焼き付けられた。だから彼女自身は十四年前に僕と交際なんかせずに違う人と愛し合ってきたのだろうが、十四年前に僕と交際し友人のアパートで夜明けの青白い月を一緒に眺めた記憶もきちんと持っているのだ。

 僕は少し恐ろしくなった。「ラ」は、とんでもない干渉をしている。きっと、この世界のどこかで一人の女の子が消滅したはずだ。空中の一点に吸い込まれたんだろう。そして吉祥寺の「ONE OR ALL」で再構成され、僕を助けるという使命を帯びて空中の一点から蛇花火みたいにクロエとして滲み出してきたんだ。

 そんな事していいんでしょうか?少なくとも一人の女の子が僕のために、この世界から消滅したんだぜ。ひどい奴だ。「ラ」は悪い。まあ、これは僕の一方的な想像だけど。でも、半分くらいは当たっていると思う。

 と、考えていると、彼女は僕の右腕をぎゅっと摑みドライブ・スルーのマクドナルドに、引っぱっていった。

 店内は午前二時にしては異常なくらい混んでいた。静かに、おごそかに、封じ込められた古代神話のように混雑していた。午前二時にしては驚くべき客層だった。

 僕はクロエが窓側の席にひっぱって行く間に数えてみた。家族連れが二十二組。僕らは静かに続く家族連れのテーブル席の間をレール撮影のカメラ部隊みたいにして通り過ぎ、唯一残されていた窓際の角席を確保した。

 家族連れたちは何故だか皆、黙々と食べ続けていた。どこにも会話がなかった。静かに、まるで聖なる最後のハンバーガーって感じだった。いとおしそうに、皆、ただ食べることだけに集中しているのだ。

 外では車の流れる音しかしない。僕は、ふと外の駐車場を見て、ぞっとした。空だ。何にも無い。猫もいない。それじゃぁ、いったいこの家族連れたちは全員、歩いてこの時間にマクドナルド・ハンバーガーを食べにきたって訳か?何のために?こいつら、ぐるか?二十二組の新興宗教団体かなんかなのか?集団自殺じゃないのか?じゃ、店員も同じ宗教信者だ。午前二時にぞろぞろとマクドナルド高井戸ドライブ・スルーにやってきて、静かにマクドナルド接客スマイルの洗礼を受け、青酸入りのビッグマックを食べる。

 と、僕が延々と考えていると、クロエが僕の右腕に爪を立てた。初めて気が付いたがクロエは長い爪に濃い青のマニキュアをしていた。

「ねえ、ビッグマック2個とフライドポテト大1個とアイスコーヒー大2個買ってきて。そしたら、あなたのいろいろと私に聞きたいけど自分だけで想像して納得してしまった幾つかの疑問を解決してあげるわ」

 僕は黙ってクロエのマニキュアを、じぃぃ~っと眺めながら席を立ちカウンターに向かった。ゆっくりと家族連れたちの顔ぶれとその表情を観察した。僕はビッグマックとフライドポテトとアイスコーヒーを注文して料金を払い、少し待ち、全てを受け取り、クロエのところに引き返す途中で結論を下した。

 こいつらは、近くの団地に住む深夜族だ。今夜は団地の二十二世帯の人々が偶然に夜中にマクドナルドハンバーガーが食べたくなったのだ。それだけだ。終わり。それだけ。そんなにして皆、ある日突然、死んでいってしまうんだ。プツリとね。

 僕がテーブルに戻ると、すぐにクロエはビッグマックに飛びついた。

 彼女は大事そうに包装紙を取り、愛する人の生首を抱えるように両手で胸元にビッグマックを抱えた。かしゃかしゃと寄生期のエイリアンの触手みたいに濃い青のマニキュア爪を動かした。

「さて、食べるわ。そして食べながら話してあげる。あたしが、どうしてあなたの前に現われたか、それを話せば、あなたの色々と聞きたい事のほぼ全てに答えた事になるわ」

 と彼女は言って、ほんの少しビッグマックの断片を食した。

 僕の聞きたい事に全て答える?僕は変な気がした。じゃ、僕の想像ではかなり複雑な答えだぜ。何故か急に疲れてきた。身体が重く暗い気分になってきた。僕は事実を聞くのが、すべてに於いてあまり好きじゃない。事実は限りなく冷徹でシビアで僕をがんじがらめにするからだ。僕の心をきりきりと痛めつけるからだ。想像している方が全然好い。

 そこはかとなく彼女の答えを聞くのが恐ろしい。心の準備のため僕は他の事に思考を集中させようとした。僕の食べ方について考えることにした。僕は一気に食べる。もの凄く速い。食事の時は食事以外の事は決して考えない。ひたすら食事に集中する。そうしないと真の食事じゃないような気がする。偽物の食事のような気になる。ゆっくりと食べるなんて食事に対して失礼じゃないかと思う。でも集中力の継続力だって個人差があるはずだ。ゆっくりと食べていて、それでひたすら純粋に敬虔に昆虫採集するマーブル博士みたいに集中する人だっているんだ。問題は食事に対する真剣さだ。速度が速いとなんだか真剣さが足りないように感じるけど、きっとそれは僕の偏見なんだ。

「ちょっと。あなた、自分の世界に入らないで。今は、あたしと一緒にいるのよ。あたしと一緒にいる時は十秒に一回はあたしの気持ちを考えなさい。そうしなければ、あたしはあなたを救えないし、こうしてることに何の意味も無いわ」

 と彼女は、きっぱりと言った。

 僕はすでにビッグマックを食べ終わっていたが彼女はまだ二噛みくらいだった。彼女の言葉には僕が長い事忘れていたパンチ力があった。僕は背筋を伸ばして煙草を消して、じっと彼女を見た。

「わかったよ。どうして君が僕を助けにきたのか。その事実を教えて下さい」

 クロエは弾けたように笑い、

「うんっ!」

 と元気な声で言った。






断片36     終


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「雨族」 断片35-風のなかで眠る女:「6章・パリのまねき猫ついにあらわる」~1.最初の会話:kipple

2010-01-06 00:20:00 | 雨族(不連続kipple小説)

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               「雨族」
     断片35-風のなかで眠る女
           「6章・パリのまねき猫ついにあらわる」~1.最初の会話


 僕が一刻も早く店を出ようとつんのめるようにして彼女のテーブルを通り過ぎた時、彼女は、はっきりとした声でこう言った。

「ねえ、遊ぼう」

 僕は突風のように去ったが、きちんと、こう返事をした。

「うん」





断片35     終


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「雨族」 断片34-風のなかで眠る女:「5章・風の高原Ⅲ」:kipple

2010-01-05 00:14:00 | 雨族(不連続kipple小説)

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               「雨族」
     断片34-風のなかで眠る女
           「5章・風の高原Ⅲ」


 今、何だかおかしなものを見たような気がする。

 僕は物質世界の僕に何とか連絡をとろうと、ずいぶん長い間、念をかけている。ひょっとすると、それが一瞬実現したのかもしれない。

 海に向かって落ちていく途中だ。視野に1/1000秒位の間、眼下の巨大な海原に亀裂が走るのが映った。

 もしかしたら目の錯覚かな?でも、確かに斜めにメリメリっという感じで世界が二つに割れた。僕は元どおりになった海に向かって滑降している。

 再び僕は風の丘にたどりつく。彼女が風に吹かれて、草原の上で心地よさそうに眠っている。

 僕はじっと見つめている。

 彼女の表情に変化はないかと探している。

 しかし、何も変わりは無い。そして終わりもない。この滑降ごっこは永久に続くんだ。何のためだ?僕は何でこんなところで同じことを繰り返さなければならないんだ?誰が僕をここに封じ込めたんだ?

 風の丘の女と別れるのは淋しいが僕はここを出たい。

 何だっけ?今、何かが起きたような気がするが、思い出せない。もう忘れてしまった。

 彼女の穏やかな寝顔が僕の眼前にある。僕の身体は彼女の目を中心にして、ぐるぐる円を描いて回っている。何も変わった事なんて起きていやしないんだ。

 いつも僕は空から落ちてきて彼女は風の草原で眠っている。

 それだけなんだ、この世界は。





断片34     終


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「雨族」 断片33-風のなかで眠る女:「4章・パリのまねき猫とは?」~2.シャングリ星のラ:kipple

2010-01-04 00:56:00 | 雨族(不連続kipple小説)

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               「雨族」
     断片33-風のなかで眠る女
           「4章・パリのまねき猫とは?」~2.シャングリ星のラ


 この世界の僕は三十三才と九ヶ月でシャングリ星からきた異星人に出会った。吉祥寺の「ONE OR ALL」というバーで出会った。

 奴は僕が仕事仲間と飲んでいると遠くから僕の頭に変な音を響かせた。

「バブルバブルバブルブー」。

 奴は隅の暗がりで一人でにやにやと笑いながらカンパリソーダを飲んでいた。

「バブルバブルバブルブー」。

 その音は思ったとおり僕にだけしか聞こえなかった。仕事仲間たちは馬鹿馬鹿しい社内のゴシップに熱中していた。僕も口だけVの字に曲げた。そして耳を澄ませて辺りを見回した。

 僕は最初、その音が幻聴ではないかと思ったが、すぐに隅の妙な奴が送信しているんだなと確信した。奴は僕をじっと見つめていた。

 僕は次第に隅の奴の事がたまらなく気になってきた。仕事仲間との馬鹿話の閉じ行く酔狂世界を逃れて、僕はジントニックを持ったまま、奴の席の向かいに座った。

 奴もV字型に笑い、目玉をぐるぐる回した。

「やあ、やっほー!」

 と奴は言った。

 僕は無言のままキャメル・マイルドの火を付けた。天井で南洋風の巨大な扇風機がゆっくりと回っていた。

 再び、表情を変えずに奴は言った。

「君とは別次元の宇宙で旧知の仲なんだ。この世界の、この順列的時間内に於いては初対面だがね」

 僕は煙をふてくされた顔で45度角上方に吹き出し、言った。

「お前だな。おかしな音を送信してくる奴は。バブルバブルバブルブーってのは、俺が昨日見た夢の中で犬に話しかける言葉だろう。俺はすぐにわかった」

「そう。実にその通り。君は別次元のこの世界で愛犬のDJといつも、そうやって話している」

「君には任意の他人の頭の中にだけ言葉や音を送り込む能力があるんだな?」

「その通り」

 彼はカンパリソーダを鼻ですすっていた。それも物凄い勢いで。僕は必死に大笑いを耐えていた。笑わないために奥歯で頬の裏の肉を噛み、彼を眼鏡に付いた油垢を見るように睨み付けた。

 そして、僕は最初にするべきだった質問をした。

「いったい君は誰だ?僕に何の用だ?」

 彼は黙った。そして静かにグラスから鼻を抜き、唇を尖らせ、目玉をぐるぐると回し、深呼吸をした。

 僕はとても不気味だと思った。こんなに不気味な奴は、見たことが無かった。ナイフで削ったような頬、鋭い鼻、緑色の目、きらきらと金色に光る毛髪、ナイフで切ったような唇。

 僕はしげしげと彼の表情を観察した。そして次第に懐かしい感じを覚え始めた。僕は、こいつに、どこかで、会った事がある。遠い、遠い、どこかで、世界の果てのような場所で。そう思った。

 やがて妙に落ち着いた声で彼は言った。

「僕はシリウスのシャングリ星からきた異星人だよ。これが最初の質問の答え、次が二番目の答えだ。僕は別次元で君を救えなかったので、この次元で君を救おうとしてやってきた。ちなみに君は後、2回僕に質問する事になる」

 僕は黙った。そして静かにジントニックを飲み、唇を堅く結び、目を据わらせ、深呼吸をした。

 僕は異星人と会っている。いや、この男は頭が変なアル中外人だってだけかもしれない。自分を異星人と思い込んだ男。いや、しかし確かにこの男は僕の頭の中に{バブルバブルバブルブー}を送信してきたし、確かに僕とどこかで出会っている。

 僕は不承不承、彼を信じる事にした。彼はシャングリ星人なのだ。そして彼は、この世界の僕を救いにやってきたのだ。別に疑いたくもなかった。僕はジャンキーだけど、まだ素直なのだ。そして現実以外が、まだまだ好きなのだ。

 そんな場合じゃないとは思うんだけど。僕はもう三十三才なんだ。こんなこと繰り返してるうちに皆に残され組になって死んでいくんだ。ある日、突然にね。プツン!

 僕は彼に向かって、ゆっくりと笑みを浮かべた。信じたというサインだった。そして彼も満足げな表情を作った。

 僕は言った。何だか言葉が勝手に出てきたようだった。しゃべっている自分を店の奥の闇の中から静かに見つめている自分を感じた。

「僕を救えなかったというのはどういう事なんだい?」

 シャングリ星人はピンと突っ張った真っ白なスーツをゴソゴソやり、でこぼこした緑色の煙草を取り出して、僕に向かってレールの上を滑るようになめらかに差し出した。

「これを吸えば、全てが一瞬にしてわかる。この煙草には別次元の君の人生の全てがつまっているんだ。別次元の君の世界を、特殊な型にはめてね、こうして煙草型に加工してあるんだ。私の惑星では皆、こうして他人の世界をプレイバックして楽しむのだ。さあ、吸いたまえ、君の質問の正確な答えがここにつまっている」

 僕は拒絶した。右手を弾けるように開いて突き出した。僕の右手は彼の緑色の人生プレイバック煙草を、まるで咀嚼するようにひんまげ、砕いた。

 そして僕は少し大きな声を発した。救われなかった自分の人生なんてプレイバックして楽しめる訳が無い。

「言葉で言ってくれ。言葉で」

 シャングリ星人はちょっと残念そうな顔をして砕かれた煙草をパラパラとリノリウムの床に落とすと、口を急須のようにすぼめて、小さな声でつぶやいた。

「別次元での君は、三十才で完全に何もかも失う。それからチェーンで悲劇が繰り返される。君のまわりの物や人々は、ことごとく君だけを残して消滅していく。君は一生、常に一人だけ取り残されて生きてゆくのだ。そして歳を取る毎に消滅していった物や人々の過去の影に呪われていく。呪いは暗く、重い錆だらけの鎖を引きづるように続き、君の人生を呪縛する。君は一人ぼっちで老いてゆき、寒い雪の夜、誰もいない都心の片隅で、苦しんで苦しんで凍死していく。君は最後まで私の事を怨んでいる。わかるか?この世界の君だって、このままだと似たような道をたどるようになる。いや、もっと悲惨かもしれない」

 僕は胃が痛んだ。会社の上司が変な顔をして僕の事を見ていた。耳の傍らで悪魔がくるくると見えない輪を指で描いているような気がした。

 僕は、苦しみの中、のたれて死ぬのか。それより悲惨な事って何だろう?リビング・デッドに生きたまま貪り喰われるのか?小林多喜二みたいな拷問死か?皮をはがされ砂漠で日乾しにされるか?うん、まだまだ有りそうだ。

 路傍で凍え死ぬ方が全然いかすじゃないか。ざまあみろ。僕は吐き出すように言った。

「それで?あなたは、その僕に怨まれるような何をしたわけ?」

 シャングリ星人は口をすぼめて目玉をぐるぐる回した。そして

「干渉した」

 と言った。

 きっと彼らは世界の全てをプレイバック煙草で知り尽くしているので、それを、すでに決まっている人生プログラムを変えてしまうような干渉をしてはいけないんだろう。

 すると僕のこの世界での人生も、もう彼にはすでに起った事としてプレイバック煙草で体験済みなのだろうか。それじゃ彼が救いに来たなんて言うからには僕の人生は雨族のままって事じゃないか。これは幻覚に違いない。薬の副作用がついに出た。

 証拠に会社の知り合いたちが皆、変な顔をして僕の事を見ている。きっと僕は誰もいない空席に向かってしゃべっているんだ。こいつ、この変な奴は僕以外には見えない。

 僕は、もう一度じっくりとシャングリ星人の顔を見つめた。気持ちが悪くなってきた。確かに空間をこいつは占有している。存在している。皆、何を見ているのだ?

「どういう風に干渉したんだ?」

 と僕は声を落ち着かせて聞いた。

「別次元の君に僕は人類滅亡の情報を与えてしまったんだよ。それも偽のね。君たちは命懸けで戦い、何も起らずに、君たちだけが死んでいった。残ったのは君だけだった。わかるね?」

 僕は何となく、分かった。どうしてだろう。夢で見たんだろうか。そんなような事があったような気がした。

 僕は不愉快になってきた。何だか救いようの無い気持ちで、いっぱいになった。じゃあ、なんで又、お前はこうして干渉しにくるんだよ、と言いたくなったが止めといた。その変わりに僕は相手にしない事に決めた。

「分からないし、もう君とは話したくない」

 と言ってジントニックを飲み乾すと僕は席を立って、僕に視線を集中させている会社の連中の方に歩き出した。背中を向けるとシャングリ星人はこう言った。

「ラだ。僕の名前は ラ という。シャングリ星のラだ」

 僕は少し立ち止まり天井の扇風機を見て、ゆっくりと顔を前方に向け、口をV字笑い顔的にひんまげて、つぶやいた。性懲りもなく相手にしてしまった。

「別次元で干渉して失敗したんなら、この世界で又、同じ事をするな。放っておいてくれよ。僕は僕の末路なんか知りたくない。別次元の僕は君が干渉してもしなくても同じように淋しく人生を終えたんだろう?干渉しない方がまだ少しは救われた人生を」

 「ラ」は暫らく黙っていた。僕が再び歩き始めると、はっきりと彼の声が頭の中で聞こえた。

*-* 僕は物理的な干渉をする。君に、あるプレゼントをする。振り向いてみればいい *-*

 僕は振り返らずに会社の連中のテーブルに戻り、空いてる席に腰掛けた。全員が時間が停止したみたいに静かに僕を見つめていた。

 背中をおぞましいものが通り過ぎたような気がした。こいつらは腐った魚の目をしている。僕は中でもごく親しく気軽に口を聞ける女性に何が起ったのか質問をした。

「何だい?皆、聖母マリアでも見たのかい?」

 その女性はゆっくり首を振り、前歯をポロッとこぼすみたいに答えた。

「あなた、何も感じないの?あんなものを目の前で見物していて、それとも狂ったの?」

「あんなもの?僕には変な外人が顔面神経痛を自慢しているだけに見えたけど」

 と僕は言ったが何だか薄気味悪くなってもう一度尋ねた。

「何を見たの?」

 彼女は信じられないという顔つきで僕を見て、二度顔をぶるっと震わせてから言った。

「空中から滲み出てくる人間。一つの点から蛇花火みたいに膨脹して実体化した女。それも強烈な美女よ。あなたには見えないの? それじゃ誰と話していたの?」

 僕は、それには答えずに、振り向いてみた。まるでソドムとゴモラを振り返るような気分だった。僕は大きな声を出したと思う。考えてみると僕は意図する事無くこんなに大きな声を出したのは生まれて初めてだ。僕は本当に高い声でギャッと叫んだのだ。

 シャングリ星人の「ラ」の代わりにそこにいたのは、二番目に僕に「雨族」を予言した女の子だった。

 思考が停止した。その時、ちらっとだが僕はおかしな情景を見た。現実の連鎖的な光景の中に一瞬だけ見えた。何だか分からない。青。青い海だ。青い海がきらきら光っていた。それだけだ。

 しかし、その光景は何か重要なもののような気がした。幻覚だろうか。薬のせいだろうか。そして思考が復活した。僕はまず状況を把握する事に思考ベクトルを向けた。

 まず、僕はシャングリ星人と名乗る男と話をしていた。男は僕を救いに来たと言った。僕が拒絶すると彼は「プレゼントする」と思考波を送ってきた。

 それでは、あまりにも簡単だ。それでは、それでは、なんて言っているうちに、ある日、突然皆死んでいくんだ。プツリと。

 まあいい、それでは、そのプレゼントこそが二番目に僕の雨族化を予言した女の子なのだ。そして僕には女の子の実体化現象が見えなかったのに会社の連中には見えた。

 彼らは見てはいけないものを見てしまった。これはシャングリ星人の「ラ」が僕以外にも大きな干渉を果たしたってことだ。なんて間抜けな奴なんだろう。でも人情があるんだ。

 別次元の僕は、ひょっとしたら彼の親友だったのかも知れないな。だから異次元の僕を救おうなんて思うんだ。無能の神のくせに。

 僕は思考を中断して白けてしまった会社仲間たちにこう言って便所に行くふりをしてフケた。滲み出た女の子の近くを通り過ぎて。

「集団幻覚だよ。僕は気分が悪くなったんで、あそこで一人で酔いを醒ましていただけだよ。そしたら、知り合いの女の子に偶然見つかって、彼女が向かいの席に座った。それだけだよ」





断片33     終


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「雨族」 断片32-風のなかで眠る女:「4章・パリのまねき猫とは?」~1.本筋に入る:kipple

2010-01-03 00:37:00 | 雨族(不連続kipple小説)

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               「雨族」
     断片32-風のなかで眠る女
           「4章・パリのまねき猫とは?」~1.本筋に入る


 三年と九ヶ月前に僕は家に籠もるのを止めて就職しようと思った。家籠もりのリタイアだ。もう充分だと思った。もう、相当にやばいな、と思った。

 実際、脳から皺が一本もなくなったような感じだった。現実が実にリアルじゃなくて、遠いのだ。歩くと地面にズブズブと沈み込んでいくような気がした。

 僕は知り合いを通してデパスという安定剤とヒルナミンやらマイルドな睡眠薬やら抗鬱剤を大量に手に入れ、一日最低合計十錠、最高合計二十錠と決めて服用を始めた。

 凄い効き目だった。地獄から天国に舞い上がったようだった。夜はぐっすりと眠れ、昼は元気に働ける。

 仕事は保険会社のデータ管理。一年間、単調に働いて、僕は薬とはサヨナラ出来なくなった自分に気づいた。僕は一生、薬物を通して現実と接して行かねばならないだろう。うまく付き合わなくちゃ。

 再び一年間、単調に働いて、結構このまま行っちゃうのもいいもんかなと思い始めた。

 データのインプット、加工、アウトプット、削除。仕事は結構楽しかったが、これが何のためなのかさっぱり分からなかった。実に不要。僕は虚無の中で無意味な労力を無意味に誰にともなく捧げて満足していた。

 しかし、もうそれに逆らっている場合ではないという事を僕は充分に承知していたので無意味さと安定した虚無の中に埋没する、ある種の雨族的マゾ意識を楽しんでいた。

 そして一年と九ヶ月が過ぎ、夏がきた。

 そして、まず、あいつに会い、彼女と出会った。






断片32     終


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「雨族」 断片31-風のなかで眠る女:「3章・風の高原Ⅱ」:kipple

2010-01-02 00:10:00 | 雨族(不連続kipple小説)

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               「雨族」
     断片31-風のなかで眠る女
           「3章・風の高原Ⅱ」


 ああああああ、僕は彼女を抱きしめたい。風の丘で眠っている女を。

 今日も僕は遙か上空の一点から滑空し、彼女のもとへ、ビュービューゴゥゴゥとたどり着く。

 相変らず彼女は、すやすや眠っている。

 僕は、その寝顔をじっと眺める。

 何も変わらない。僕はこの循環から抜け出せない。いったい、どうしたらいいんだろう。

 又だ、又、僕は滑空している。耳が引きちぎられるようなスピードで降下して行く。薄い絹のような雲の群れに次々と突入していく。きらきらと細かく太陽の光を反射する海が、ぐんぐん近付いてくる。

 僕はゆっくりと回りながら、落ちて行く。錐揉みになり、くいっと横に滑空する。海面すれすれに僕はスライドしていく。

 丘が見えてくる。今日は下から上がっていくんだ。

 ふいに世界が揺れた。ぶるっと震えた。何だろう。いつもとパターンが違う。果たして僕は丘を下から上がった事があっただろうか?

 揺れは、すぐに消え失せ、気づくと僕は風の丘で空中に浮遊しながら彼女のすこやかな眠り顔を見ていた。

 何も変わりはしないんだ。同じじゃないか。彼女は相変わらず気持ちよさそうに眠っている。

 風が吹き、草原をさざめかせ、陽光がミルクのように立ち籠める。

 次の瞬間、又、僕は天辺から滑空してくるんだ。







断片31     終


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