親父担当している「CT80」フルクロトラクターのクローラー内側全周修理
この1本は最後の工程になる しかし工場内には反対側のクローラー入っている
工場内のクローラーは残り3回の加硫で完了となる
折角工場内に入れたので連続で修理しようと考えている
外へ出された残り1回加硫のクローラーは駐車場で待っててね!
000君は
ヤンマーコンバイン GC221 400x40x84
耳切れ10箇所修理
耳切れしている場所を大きくカットし修理する 「型」がこのクローラーと同じか?
型棚より取り出し確認する・・・・・・・「ピッタシかんかん!」
バフを掛け、ゴム糊塗り、生ゴムを盛り付け加硫に入る
この加硫機は000君も親父も余り好きでなく極力使用しない
工場の隅で兄貴の加硫機を眺めている方が多い日々
しかし 今回は働いて貰わなければならない・・・クローラー長が短い
とにかく昨日は修理依頼のクローラー持ち込み、問い合わせで忙しかった
運送会社より ヤンマー ミニユンボー「SV13」芯金脱落 配達される
まもなく宮城県登米市の00さま 夫婦仲良くドライブ兼ねてのヤンマーコンバイン
「CA300」持込 近所の農機具屋さんの持ち込み
今日は新潟県三条市の00さん 同じくドライブ兼ねてのクローラー持込み
トラックに順番待ちの修理クローラー 「おれば いつ直してけるんだ!」と叫んでいる
修理頑張ってはいるけど車のパンク修理の様にはすぐ修理出来ない
農機具屋さん 車で親父の顔見に別件で来てもすぐ出る言葉
「修理持って来たの?・・・んねべなぁ?」
「澄江寺役人」 第16代 木村籐右ヱ門(文政八年十一月没)
以前から「じいちゃん」歴史物が好きで文献、古文書、骨董など集めている
その中に我が家に関する「軸物」が有る
その「籐右ヱ門」当時19歳 何らかの良い事をしたので阿耶(名前 野志)が
写真を撮って挙げたいと思った・・・が当時カメラと言う物無いので今で言うスケッチ
最後の文面で「木村氏之画像需於静宜館曼寫様應」と書いてある
親父の解釈では「木村氏の画像を求められ正義感あり全身を書くのに応じた」
間違っていたらコメント宜しく
このまま木村家の代を引き継げば23代の親父となる
23代ー16代=7代(184年)の歳月が過ぎている 良くも長い間「後継ぎ」途切れなく
歴代継なげる事出来た・・・・と感無量になる親父
籐右ヱ門は「眉毛は上がり、目尻上を向く」
なのに親父の顔は全く逆 「眉毛は下がり、目尻は下を向く」
いつの代から親父の顔つきになる変化が現れたのだろう?
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自分の歴代を想像するだけでも面白い
文政 5年 (1822) 上杉鷹山(米沢藩主 享年71)死去
文政 7年 (1824) 徳川家定誕生[天璋院/篤姫は天保6年(1836年)誕生]
文政 8年 (1825) 雷電爲右エ門(享年58)死去
文政10年 (1827) 小林一茶(享年65)死去
文政13年 (1830) 天保に改元
すごい時代を生きておられたご先祖ですね~
後継ぎした時点の歳から26.3年間生きているのかなぁ~ 親父木村家の平均年齢下げるに違いない
何百年も途切れる事なく続いたものだ!