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木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

対平成21年戦(1) 初手はどこから入るべきか?

2012-02-24 07:20:02 | Q&A 採点実感
さて、satoimokoさんから、平成21年の試験問題の考え方について、
コメントをいただきました。

平成21年の問題については、試験実施直後から、
LSでたくさん質問をいただき、
ブログ開始後も、ほぼ月に一回のペースでコメント欄に質問が、
LS講義でも、ほぼ毎学期質問を受けます。

というわけで、
同年度の問題は、他の年度に比べて難易度がかなり高かったと思われ、
今後個別に質問に対応するよりも、
私なりの解説をまとめておいたほうがいいだろう、ということで
ちと連載してみたいと思います。


さて、どんなもんだろう?と思って、
平成21年度の出題趣旨・採点実感を細かく読んでみましたが、
正確に読み解くのが難しい。
ところどころ、私も何を言いたいのか、分からん。
と格闘しているうちに、ピンとひらめきました。
多分、(私にとって)自然な処理をしていけば、
採点実感出題趣旨先生の言うとおりの議論になる。

というわけで、以下、私にとっての自然な思考・処理の流れを
示していきます!


さて、本問の特徴は、
県立大学の教授が、職務として行っている研究について
大学から停止命令を出された、あるいは
職務規定に違反したことを理由に懲戒処分を受けた、
という事案だという点です。

採点実感などの書きぶりからするに、
試験委員は、この点を踏まえた論述を求めていますが
(この点は、憲法判断のために、
 極めて重要なポイントなので、そこに配点するのは当然だと思いますが)、
どうも、ここをしっかり把握していない答案が多かったようです。


ちょっと整理しましょう。

県の職員Aがいて、ある業務のやり方(例えば、環境補助金)について、
上司Bから停止(例えば、環境改善効果のない特定事業への補助金停止命令)
の指示を受けた、命令を受けた、とします。

ここで職員は、補助金を配布する「自由」の主張ができるでしょうか?
ちょっと変な感じがしますねえ。

この変な感じを、「自由の問題?」としておきましょう。



あるいは、こんな例はどうでしょう?
市の職員Aがいて、生活保護の支給を担当していた。
Aの上司Bは、生活保護受給者Cが、
市の政策を批判するデモに参加していることを見聞きし、
それに対する反感から、
Cへの生活保護支給を停止するようAに対し命令を出した。

さて、ここでは、さしあたりAさん個人の利益は問題になっていませんね。
では、AさんはCの政治活動なり生存権なり、
「Cの権利侵害」を理由に、停止命令の違法を主張し、
停止命令の取消訴訟を提起できるでしょうか?

うーん、C自身が市に対して権利主張をすることは当然可能ですが、
Aさんの取消訴訟は、なんかできない気がしますよねえ。

この変な感じを「第三者の権利主張?」と呼びましょう。



実は、あの問題は、県(立大学)の職員(教授)に対する
業務(研究という業務)停止命令なので、
出題趣旨が求めているような議論をしようとすると、この
「自由の問題?」と「第三者の権利主張の問題?」の
二つをクリアする論証をせにゃならんわけです。

ここ、つまり本件特有の事情を無視して、
いきなりXの自由じゃー!と突撃すると痛い目に会いますよ、
ということを採点実感先生はおっしゃっているようです。

というわけで、この問題、初手が極めて大事です。
どこから指しますかねえ?

           (つづく)

判例評釈を試みる

2012-02-03 07:13:03 | Q&A 採点実感
次が問題の記述である。

①原告の主張を展開すべき場面で,違憲審査基準に言及する答案が多数あった。

②違憲審査基準の実際の機能を理解していないことがうかがえる。


③とともに,事案を自分なりに分析して当該事案に即した解答をしようとするよりも,
 問題となる人権の確定,それによる違憲審査基準の設定,事案への当てはめ,
 という事前に用意したステレオタイプ的な思考に,
 事案の方を当てはめて結論を出してしまうという解答姿勢を感じた。

④そのようなタイプの答案は,本件事例の具体的事情を考慮することなく,
 抽象的・一般的なレベルでのみ思考して結論を出しており,
 具体的事件を当該事件の具体的事情に応じて解決するという
 法律実務家としての能力の基礎的な部分に問題を感じざるを得ない。


今回は、昨月の連載の補足として、この判決を素材に、
ワタシなりの判例評釈の方法論を示してみたい。

判例評釈は、判例のうち意味不明な部分を解釈する作業である。
判例は、実務において乗り越え難い壁であり、
(アナタが最高裁判事なら別である。
 しかし、このブログを現役最高裁判事が読んでいることは考えられず、
 また読者の中には、少なくとも5人の将来の最高裁判事がいるはずだが
 残念ながら将来の最高裁判事も、最初は判例を乗り越え難い
 新米の実務家である)
判例の射程を都合よくコントロール、、、、判例を正しく理解することは
法律家にとって必須の能力である。

さて、判例の解釈は、次の二つの視点からなされるべきである。

第一に、他の判決や法制度との整合性。
 仮に、ある一文の日本語理解として最も自然なものであっても、
 それが他の法制度と不整合をきたす場合には、その解釈は不当である。

第二に、結論の妥当性。
 法により実現すべき価値としては、自由・公正・平等といったものがあり、
 そうした法的諸価値を実現するために適切な解釈である必要がある。
 文言解釈として成り立つとしても、
 法的諸価値をないがしろにする帰結を導く解釈は、不当である。

このように判例の解釈とは、非常に窮屈なパズルゲームである。
しかし、これが上手くゆき、ストンと来た時には、
大変な知的興奮を味わうことができる。

それでは、本判決の分析に入ろう。

本判決の記述のうち、解釈が分かれているのは、①の記述である。

この文章の①および②を除けば、何のことはない
ステレオタイプ答案(電光石火答案)の批判にすぎないことは明白であろう。

それでは、①は、いかなる意味なのか?
四つの見解がある。

A説=設問1で言及禁止説
 この見解は「原告の主張を展開すべき場面」を「設問1」と解釈し、
 ①の記述は、憲法訴訟の原告は、
 どのような違憲審査基準を定立すべきかについて主張を一切すべきではなく、
 また、主張を組み立てる際にも、違憲審査基準を意識してはならない、
 ことを表現したものだと、解する見解である。

 この見解は、一見素直な見解であるが、根本的な問題がある。

 そもそも、設問1で、憲法上の主張をする際、
 違憲の要件を前提に議論を組み立てる必要がある。
 そこで、違憲審査基準に「言及」せずに答案を組み立てるのは不可能であろう。

 実際、この見解を採る者が、「設問1で違憲審査基準に言及しない答案」の
 具体例を、説得力を持って示すことはなく、
 このような理解の仕方は、実質的に見て、あまりにも不合理である。

 また、形式的に見ても、①をそのように理解すると、
 ②の内容が説明できない上に、③④との文脈上のつながりも不明となる。

 本判決は、
 ①「原告の主張を展開すべき場面で,違憲審査基準に言及する答案」を
 ④「本件事例の具体的事情を考慮することなく,
   抽象的・一般的なレベルでのみ思考して結論を出す答案」と言い換えており、
 「原告の主張を展開すべき場面」(①前段)を
 「本件事例の具体的事情を考慮す」べき場面と捉えている。

 これは、本判決が、設問1に限らず、設問1・2全体を通じて、
 具体的事情を考慮できない構成を批判しようとするものであることを示しており、
 この見解は、この点と整合しない。


B説=フジイ答案説
 次に示された見解は、①は、本問題の事案から離れて
 20世紀初頭のアメリカ憲法判例から、時国・芦部両先生の留学を経て
 芦部三巻本に至る違憲審査基準論の歴史をとうとうと解く答案を批判している
 と読む見解である。

 この種の答案がゴミ箱行きな点については広範な合意があるが、
 さすがに、これが「多数あった」とは考えにくい。

 また、①は「違憲審査基準に言及」という表現を採用しており、
 もしフジイ答案を批判するのであれば、
 違憲審査基準「論」を展開する答案が多数あった、という表現になるはずである。
 

C説=処分審査説
 第三の見解は、①「原告の主張を展開すべき場面」を
 処分審査の場面と捉える見解である。

 法令審査段階で目的手段審査をすると、
 処分審査段階で、目的審査をする必要がないことが多く、
 しばしば、目的手段審査の機能は、法令審査の考慮要素を示すものだ
 と言われることがある。

 理論的には、処分審査段階でも目的手段審査の基準が適用されるが、
 目的手段審査が、そのような機能を果たすことが多い、という傾向の指摘としては
 この議論は正しい。

 ここに言う「違憲審査基準」を目的手段審査、
 その機能を法令審査の考慮要素を示すもの、ととらえると、
 ①②の文章は次のようになる。

 ①原告固有の主張を展開すべき処分審査の場面で,
  目的手段審査の枠組みを示す違憲審査基準に言及する答案が多数あった。
 ②法令審査の際の考慮要素を示すという
  目的手段審査の枠組み(違憲審査基準)の実際の機能を理解していないことがうかがえる。

 こう考えると、③④は、処分審査特有の処理をすべき場面でも
 一つ覚え的に、基準の設定からやり直す答案を批判したものということになる。

 本問では、法令審査段階で目的審査は済ませられると考えるのが自然なので、
 このように理解された本判決の批判は、さほど的を外れたものではない。

 これは、ある若手研究者が思いつきで述べたものであるが、
 この思いつきを発表しようとしたところ、
 ピンポーンと玄関のチャイムがなり、関係者から
 「あまりにも技巧的にすぎる上に、本判決を、アマチュア扱いするものだ」
 との厳重な抗議にさらされたという。


D説=ステレオタイプ答案(電光石火答案)批判説
 本判決の最も素直な理解は、いわゆるステレオタイプ答案を批判したものだ、
 という見解である。

 この見解は、
 「原告の主張を展開すべき場面」を「本件事例の具体的事情を考慮す」べき場面を指すと読み、
 (先述のとおり④の記述からは、そう読むのが自然である)
 ①は、ここで「違憲審査基準に言及する」だけで事案を処理する答案を批判したものだ
 と解するものである。

 そもそも「違憲審査基準の実際の機能」とは、制約正当化の要件を明確にするためのものである。
 これは、あらゆる法分野で共通の話であるが、
 一般的な「要件」を指摘しただけでは結論はでない。
 (例えば、正当防衛の要件を指摘するだけで、被告人無罪の論証が完了するわけではない)

 違憲審査基準を立てる場合、いわゆるあてはめで、事件の事情は考慮されるため、
 きちんと議論すれば、違憲審査基準に依拠しても個別事情を考慮することは可能である。

 ③では、「事案への当てはめ」も批判されているが、 
 これは、個別事情を審査基準にあてはめる論証ではなく、
 「厳格審査の対象は違憲だ」「厳格審査だから違憲だ」という個別事情を考慮不能な基準に
 事案をあてはめる論証を言うものと解される。

 この見解は、①②の箇所をよく説明し得るとともに、③④や他の採点実感との整合性もあり、
 最も妥当な解釈と言えよう。実際、これが通説である。


さて、そういうわけで、本判決であるが、
本判決にかかわる人々は、基本的に忙しい。
法科大学院の教員は、日々の講義と研究があり、
受験生は、身を削って勉強をしている。
いわゆる受験予備校の先生方だって、弁護士としての仕事やら
テキスト作り、学説の勉強といろいろやることがあるのであり、
本判決の解釈などというものに、時間を割く余裕はないのである。

蟻川恒正先生は、その助手論文を
「こんな先例は、これ一つきりにしてほしい」という
アメリカ連邦最高裁判事(・・・だったはず)の言葉からはじめているが、
私の本判決への感想は、まさにその言葉に尽きる。

補足と暗い影

2012-02-02 08:38:41 | Q&A 採点実感
さて、2月です。
今年はうるう年なので、1日多い2月です。

これが得なのか、損なのか、人によりますね。

私のように各種業務の締め切りを抱えた人間にとっては、うれしいところです。
国公立後期日程受験予定の受験生の方も
よっしゃ、一日多く勉強できる、と得にみることができそうです。
(イヤ後者は違うな。みんなも同じだから、
 苦痛期間が一日伸びるってことか。)

さて、昨月の連載の最終回にて、多くの方よりコメントをいただきました。
ありがとうございます。

ぜひ、お礼コメントしようと思いますが、
ちょっと滞っております。

学期末の大学教員は、期末試験の採点や成績処理など
いろいろバタバタしておりまして、
しばしお待ちください。



ところで、振り飛車穴熊様より次のようなご質問を頂きました。
連載で話した内容の補足をしたいと思います。

①なぜ、採点実感先生は「原告の主張を展開すべき場面で」との限定を加えたのでしょうか。
②また、採点実感先生のいう「違憲審査基準の機能」とは何なのでしょうか。


例の業界震撼の採点実感先生のご発言です。
穴熊さまのご質問は、大変興味深いもので、
この問題に新しい視線を投げかけるように思いました。

なぜ、採点実感先生は、
「設問1で」とではなく「原告の主張を展開すべき場面で」と述べたのか?

設問1を違憲審査基準に全く言及することなく解くのは、
窃盗の構成要件を示さずに、被告人の行為は窃盗でないと主張するようなもので、
無茶な話です。
そして、確かに採点実感先生、「設問1で」とは述べておりません。


また、比較考量でこの問題をとけ、という趣旨なら、
穴熊さまがご指摘の通り、
「この問題(設問1・2を通じて)で」違憲審査基準に言及するのはおかしい、という発言になるはず。


そうすると、このご発言の闇は、もっと深いものなのではないか・・・。


この問題に思いを巡らしながら、
家の中にほうきをかけ洗濯物を干していると、
私の中に、ある思いつきが発生いたしました。
何か、知ってはならない闇の世界の秘密を知ってしまったような、
そんな気分になりました。

これまで、私は、この発言は前後の文脈から
いわゆるステレオタイプ答案(電光石火答案)の批判だろうと考えておりました。
(そして、それは成立し得る解釈だと思いますが)

しかし、この発言には、もう一つの解釈が成立し得ます。
すなわち、「原告の主張を展開すべき場面」とは、
設問1全体のことではなく、設問1の一部分、
原告固有の事情に基づき審査を行うしょぶんし・・・・。

ここまで書いたところで、
背後に暗い影が迫ってきていることに気づきました。
続きは、今度。

佐渡先生編 完結

2012-01-31 07:11:32 | Q&A 採点実感
さて、先日の神様の黒板の2から4号機のどれかで処理できていれば
十分合格といってよいだろう。

ただし、二号機と三号機の論証はどちらかだけでは不十分なので
そこに気をつける必要があろう。

そこで私は、佐渡先生に提出する答案を作成した。
なお、()内は、違憲審査基準を使わない場合の表現方法である。

問題1 ▲原告の主張

  一 保護範囲の画定、制約の認定、違憲審査基準の設定

 ▲1 Z画像をネットに公開する行為は、「表現」として21条の保護を受ける。
      *ここは、昨日の神様たちの検討をば参照。

 ▲2 だから厳格審査になる。(だから価値の高い行為である)

  二  法令審査

 ▲3 まず、高レベルブリ画像等の権利利益侵害画像の
    修正勧告に従わない者等に命令を出すことを認める8条3項は合憲か?

 ▲4 目的①審査:目的①=不快感の保護審査
    まず、この法令が、なんとなくの不快感のような
    漠然とした利益を保護しようとするものなら、
    目的が重要とは言えない。
   (実現している価値がX社の行為の価値を上回るとは言えない。)

 ▲5 目的②審査:目的②=生活の平穏と犯罪防止目的の審査
    仮に、この法令が、生活の平穏や、犯罪防止を目的とするなら
    目的自体は重要。

 ▲6 手段審査:目的②審査を受けて    
    しかし、公道から見える範囲である以上、
    現に危険は存在しており、Z画像がそれを拡大するとは言えない。
    よって、関連性がない。必要性も当然ない。
   (よって、そういう目的は実現できていないので、
    本件法令により得られる利益が、被侵害利益を超えるとは言えない)

  三 処分(適用)審査

 ▲7 仮に、▲6で関連性があるとしても、
    今回はブリ画像一律修正が問題になっている。

 ▲8 審査基準については、先ほどの検討と同様でよい。
    まず、不快感の保護が表現価値の制約を正当できないことは▲4の通り。

 ▲9 目的②は重要なので、目的審査はパスするが、
    低レベルブリ画像まで一律禁止することは、関連性が欠ける。
    (今回の命令は、過剰に価値を侵害している)

 ▲10 今回の命令は、低レベルまで含めた修正に従わないという
     不当な理由によるもので、処分違憲ないし適用違憲。

 *処分審査では、目的手段審査をしないと言われているらしいが、
  これは、目的審査が法令審査段階で終わっているからである。
  (詳細は、以下の過去記事を参照)
   http://blog.goo.ne.jp/kimkimlr/c/e94e767006f59fc752227627bc619922/2

これは、憲法学者がこの問題を時間をかけて解いたときに、
自然と言える答案構成であり、
佐渡先生の出題趣旨・採点実感も概ねこうした解答を求めているように思われる。

このように原告の主張が組み上がってしまえば、
あとは、被告からの反論として、次のようなことをいえばいいはずだ。
 △1 ▲1に
 「営業行為にすぎない」
 「特定の思想表現だけを「表現」とすべきで
  単なる「システム」に過ぎない情報流通は、21条により保護されない」

 △2 ▲6や▲9には、
 「現場に行って情報を収集すれば、周囲の人に見られる虞がある一方、
  ネットでは、そういうこともなく、労力もかからないので
  犯罪をたくらむ者にとって有利な面があり、
  原告のいいぶりは、楽観的すぎる」

 △3 ▲4に、
  「現代社会は、相手から与えられない限り相手の情報を探知できない
   という前提で人間関係が形成される社会であり、
   今回のシステムは、
   住所を知られただけで自らの生活ぶりをも知られるようにするもので、
   著しく精神の平穏を害するもので、目的①は決して軽いものではない」

因みに、裁判官の落とし所はいろいろあるが、
私なら、▲9の言い分を認めるところだ。

まず、△1に対して、次のように再反論。
 「公権力が情報の流通に介入することは、極めて危険であり、
  将来的に、どのような情報が民主制・自己実現のために役立つかを判定するのは難しい。
  よって、X社の行為を単なる営業行為として保護するのは妥当ではない。」

続いて、△2に対しては、次のように認める議論。
 「被告の言うように、ネットによる情報の収集は、
  公道での情報の収集とは異なる性質を有している。
  公道にいる者であれば、誰が自分の家を見ているか確認し
  双方向のコミュニケーションが生まれ得るが、
  ネットでの公開にはそのような側面がなく、
  公道から見えるからよいだろうという原告の主張は、
  本件システムによる情報流通の性質を見落としている。
  よって、高レベルブリ画像を権利利益侵害画像として
  修正を求めること、修正に従わないことを理由に命令を出すこと
  自体は合憲で、それを認める法令はそれ自体違憲とまでいえない。」

そして、△3については、次のように再反論。
 「とはいえ、先に述べたように、
  本件システムが・・・・といろいろ便利で、
  公共の価値に資する面があることは事実。
  このことは、法律も一条で認めている。
  そして、ブリ画像一般というのは、あまりにも規制範囲として広すぎ、
  このようなZ画像で、ブリ画像を含まないものの方が少ないだろう。
  そうすると、それを削除させれば、Z画像は提供できなくなり、
  本件改善勧告はあまりに広すぎ、それに反したことを理由に停止命令は
  適用において違憲」


こんな感じで、▲9のラインでおとすかなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

さてさて、感想めいたものをば。

こうして書いて見ると、違憲審査基準を使っても、比較考量で書いても
大した違いはなさそうである。

違憲審査基準を使う場合も、
その行為が「表現」に該当するか(保護範囲の確定と制約の認定)、
目的は何で、手段として関連性必要性があるか?といったところで、
個別事情を考慮せざるを得ない。

また逆に、個別事情をあまりひろえず漠然として比較考量をすれば、
それは審査基準ステレオタイプ答案になるだろう・・・。

しかし、この「原告だったらどうする?」「あなたの見解は?」との
問題形式は、なかなか難しいものだ。
「あなたの見解」で請求認容なら、被告に再反論すればいいが、
請求棄却だと、被告の主張に輪をかけなくてはならない。
(・・・。出題者は、暗に、被告の主張を認める答案を書くな、と
 考えているのだろうか?いや、それは考え過ぎか。)

ふー、一応、My答案構成ができた。
しかし、ここまで書くのは実際には難しそうだから
法令審査として明確性審査、処分審査としてブリ画像命令審査とした人が
実際には、多かったのではなかろうか。
そして、恐らくそれで十分なはずである。

また、憲法答案の優劣は、
法令審査や違憲審査基準・比較考量等の形式面よりも、
問題文に掲げられた事情が
憲法上のどのような要件、主張に関わるものとして言及しているのか
を明らかにできているかどうか、という点で決せられることも多い。
ここはぜひ、注意が必要なことであろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

また、別途、明確性は問題になり得る。
明確性の問題を処理する場合の注意点は、以下の通りだろう。

1 今回の行為との関係で
明確性の論証というのは、「当該行為」と法文との関係で決まる。

今回は、ブリ画像の禁止ということが
「個人の権利利益侵害」禁止から読み取れるかが問題になるが、
ブリ画像禁止から得られる利益は、
これまで法的権利・利益として十分に画定・確立したものとは言い難い。
よって、今回の文言からは、今回の行為に適用されることは不十分、
的な書き方が必要になろう。

2 適用法条
また、今回は刑罰の事案ではないので、
憲法21条から導かれる明確性の要請を論じなくてはならない。

3 論じる順番
さらに、明確性の問題は、
防御権としての表現の自由とは次元の異なる
特定行為排除権の問題であり、
「そもそも明確か」として、防御権の検討の前に論じてもよいし、
「仮に、今回の命令が表現の自由との関係で正当化されるとしても」
として、防御権の後に論じてもよい。
(詳細は、『急所』第四問)

よしよし。
これで、ようやっと佐渡先生の出題の全貌がつかめた。

私は、答案をしたため、佐渡先生のポストに投函した。

・・・・・・・・・・・・・・。

というわけで、ここまで一カ月近い連載になってしまいましたが、
読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。

私としては、こうして問題を検討してみて、
「不親切なところは多々あるが、
 表現の自由、プライバシー、違憲審査基準論などの
 基礎概念をきちんと理解して、
 素直に解けば、十分にしっかりした論証ができる問題だ」
との感想を頂きました。

採点実感や出題趣旨がいっていることも、
憲法理論の観点からそれほど違和感がある点はなく、
きちんと解説すれば、受験生の皆様にも理解していただけるものなのかな、
とは思いました。

というわけで、長いですが、今回の連載参考にしていただけると嬉しいです。
ぜひ、採点実感先生の字面にまどわされることなく、
ここでどのような憲法理論が表示されているのだろう?と考えてみてください。

それでは、これまでどうもありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



エピローグ

さて、佐渡先生のポストに投函して数日後、
私を廊下で呼びとめた者がいた。佐渡先生である。

「アナタね。この前、私のポストにわけのわからない物体を
 放り込んだのは。」

 いや、放り込んだのはわけわからん物体でなく
 答案です、と言おうとしたところ、
 佐渡先生は、威圧的に発言を続けた。

「アナタの投函した答案らしきものね、
 1行全てを使っていない、原稿用紙に失礼なものになってるわ。
 すこし原稿用紙の気持ち考えたらどうなの?」

 はあ・・・。でも内容がよいからよいでしょ、
 と言おうとしたとき、佐渡先生は、とどめをはなった。

「だいたい、私は答案をかいてよこせといったのよ。
 別に、ピロリ菌みたいな存在のアナタに
 達筆でなければならない、とは言わないわ。
 ワタシはやさしいの。」

 ・・・。はあ。

「でも、アナタの書いた答案らしきもの、悪筆を通り越して
 ミミズの魚拓ね。文字を書く練習からやり直しなさい。

 このくそ忙しい中で、あんな紙を読ませようとするなんて、
 アカハラもいいところだわ。もうやめてちょうだい。
 今度、ミミズの魚拓を私によこしたら、
 アカハラ対策委員会(委員長佐渡里子教授)に付託するわよ。
 分かったわね。」

 こう言うと、佐渡先生は答案の内容には何も言及せずに
 私の目の前から去って行った。

 佐渡先生の講義は、今日も絶好調なことであろう。

居酒屋にて(5・完)

2012-01-30 06:56:54 | Q&A 採点実感
「キウイサワーを頼んだつもりだったが、
 何かこう、アルコールが足りない感じがするの。」

 神様は、全部のみほしてからサワーがジュースだったことに気付いたらしい。
 そして、神様は、さらにキウイパフェを注文した。

「さーてと、この問題で原告側から主張を立てる場合、
 まず、X社の行為が『表現』(憲法21条1項)に該当するかが、
 問題になるのぅ。」

  表現の自由の権利内容の新たな構築が必要となる。
  つまり,自由な情報の流れを保障する権利としての表現の自由である。

  本問における判断枠組みに関する最大のポイントは,
  判例や学説を参考にしつつ,相応の説得力を有する論拠を示して,
  自由な情報の流れを保障する表現の自由論を論述することである。

「佐渡先生は、こういう風に書いてあるので、
 まあ、ここが一つの争点じゃ。」

 この問題では、
 主体が法人という固有の自己価値を持たない存在であるため、
 Z画像の公開は「自己実現の価値に資する」と単純に書くと、説得力が弱い。
 また、直接民主制プロセスに役立つかどうかわからないため、
 Z画像の公開は「自己統治に資する」と単純に書くのも悪い。

 「Z画像の公開は、自己実現・自己統治の価値を有するので、
  憲法21条1項により保護される」とこの論点を1行で済ませるのは
 いわゆるステレオタイプ答案コースである。

「ここは、まず、
 『民主制プロセスの実現のためにどのような情報が
  役立つかは、容易には判断できず、
  流通すべき情報を、国家が判断することは、危険が大きい。
  Z画像も、公共団体の策定した都市計画や開発計画を評価するために
  重要な資料になる可能性があり、
  Z画像の差し止めは、民主制プロセスをゆがめる可能性がある。
  (自己統治の価値を損なう恐れがある)』
 とかとって、表現の自由を、情報を伝達する自由として提示することが
 求められとるんじゃろうのう。」

「国民の知る権利はどうなんです?」

「うん。それはあり得る。ただ、それを第三者の権利の主張だといって
 議論するようでは、ダメだろうな。
 博多駅事件なんかでは、マスコミの報道の自由を知る権利への奉仕
 を理由に基礎づけているが、アレは、
 第三者の権利主張ではなく、
 保障の根拠として、国民の知る権利への奉仕を挙げているにすぎない。」

「え!そうすると、ここではサービスを受ける国民は無視ですか?
 X者、ロンリーですか!」

 タケオカ先生の無駄に大きく通る声が響いたところで
 キウイパフェが届いた。

「うーん、そうでもないだろう。
 『多様な情報を受領することは、
  個人の精神生活・経済生活を豊かにすることにつながり、
  国民は、自由に流通する情報を受領する権利(知る権利)
  を保障されるべきである。

  Z画像についても、、、、(問題文指摘のZ画像の利便性を指摘)
  であり、そうした情報を流通させることは、
  国民の知る権利に奉仕する。  

  判例は、マスメディアの報道を、
  国民の知る権利に奉仕する重要な行為であることを根拠に
  憲法21条1項により保護する姿勢を示しており、
  Z画像の公開も、これに準ずるものとして、
  同項による保護を受けると解すべきである』

 こんな感じで書くべきかの。」

 佐渡先生の出題趣旨は、知る権利と書くとアウトかのような言いぶりだが、
 よく読むと、ユーザーの知る自由の侵害をX社が主張することを
 切り捨てているだけであり、
 保障の根拠論として知る権利への奉仕を挙げる博多駅事件の構成を
 『有害』認定しているわけではない。

「というわけで、こんな感じで、
 本件法律8条3項の停止命令一般が、表現の自由の制約となる、
 と認定してやれば、厳しい審査基準を設定できるだろうの。」

「あのう、法令審査終了後に、処分審査に移るとき、
 本件命令が、表現の自由の制約となる、ということも論じるのですか?」

 ツツミ先生は、もっともな疑問を提示した。

「確かに佐渡先生は、ブリ画像の提供の価値についても一言してほしそうじゃからの、
 『本件で問題となっているブリ画像の提供も、
  公共団体の策定した住宅政策の評価の一資料となる可能性があり、
  また、個人の生活においても、不動産売買の資料となる可能性があり、
  憲法21条1項で保護される』くらいのことは書いてもいいかもしれんの。」

 今、神様が述べたようなことは、
 法令審査のところで、Z画像提供一般は保護され、ブリ画像についても同様と
 まとめて論じておいてもいいだろう。

「さて、、、次は①高レベルブリ画像と②低レベルブリ画像の書き分けじゃの。
 法令審査・処分審査の二段階じゃから、
 後者の規制は前者の規制よりもよろしくない、と主張しておく必要がある。」

 そして、神様はパフェ頂上付近のキウイシャーベットを
 バクバクバクバク食べると、先ほど、本日のお勧めメニューを抹消した黒板に
 次のような図を書いた。

  論証一号:権利侵害の度合いは同じだが、表現価値が違う
   ①高レベルブリ画像の提供の表現としての価値は低いが、
   ②低レベルブリ画像の提供の表現としての価値は高い。
   よって、処分審査では、審査基準がますます厳格になる。 

  論証二号:①と②では、保護される利益が違う。
   ①高レベルを規制して実現される目的は「目的1(犯罪防止等)」であり、
   ②低レベルを規制して実現される目的は「目的2(気持ちの問題)」であり、
   ①は重要な目的だが、②は重要な目的とは言えない。
   よって、基準は同じでも、処分審査の方がパスしにくい。

  論証三号:①と②では、関連性の評価が違う。
   ①高レベルも②低レベルも、規制の目的は共通(犯罪防止、生活平穏等)だが、
   ①は、目的実現のために役立つ(関連性があり)と言いやすく
   ②は、目的実現のために役立つ(関連性がない)と言いにくい。
   よって、基準は同じでも、処分審査の方がパスしにくい。

  論証四号:②については同意がある。
   ①も②も、規制目的は共通だが、
   ②については、公道から見られる程度のことなので、
   そもそも、それが人に見られることに同意がある。
   よって、②は、権利制約を構成しない、同意により制約される。

「ほほほ。タケオカよ。この中には、1つだけ、どうしようもない
 解答パターンがあるの。どれじゃ?」

「それは、一号機でしょう!どっちも、大した違いのない画像で、
 これが違う価値を持つなんてことは、問題文に材料がないです。
 でも大丈夫。失敗をしたっていいんだよ。
 失敗は、お前の肥料だ。
 キリマンジャロだって、肥料でできてるから、大きいんだよ!」

 タケオカ先生は、こういうと、神様のパフェから
 ウエハウスを奪い、バリバリバリバリ食べつくした。

「ええと、この2号から4号のどれで行くかで、
 処分審査どこからやるか、変わってきますね。
 ええと、
 二号機だと、処分審査では、目的審査からやりなおし。
 三号機だと、目的審査共通だから、処分審査では手段審査のみ。
 四号機だと、次元が違う話になりますので、
       処分審査では目的手段審査やらないですね。」

 こうして、連中はすっきりした面持ちで、法の女神を出て行った。

 構成としては、こんなもんだろう。
 確かに、神様指摘の論証なら、審査基準でも十分解答できる。

 逆に比較考量でも、論証二号機から四号機のどれかを想定して、
 書いていかないと、議論がぐちゃぐちゃになろう。
 (審査基準には、議論を整理し道筋を明確にする機能もあるのだ)

 残るは、明確性の論証をしてやればおしまいである。
 と、いうわけで、どうやら、
 この長きにわたる連載も終わりの時が近付いているようである。